もしあのサッカー選手があの大会で日本代表に選ばれていたら
1996アトランタオリンピック[編集 | ソースを編集]
小倉隆史[編集 | ソースを編集]
小倉隆史はアトランタ五輪最終予選直前の合宿で右足後十字靭帯を断裂し、五輪に出場できませんでした。もし彼が出場していたら?
- フランスワールドカップにも出場していた
- 実史と違ってゴン中山がフランスからもれていた可能性も・・・
- 名古屋グランパスの無冠時代は数年後れていた
- 実史通りジェフやヴェルディに移籍していたら、ジェフのナビスコ杯、ヴェルディの天皇杯獲得にも貢献していた
- 怪我をしなかったら3年~5年は現役を続けられた。
- 甲府で現役を終えることはなかった。
- 日本人得点王に輝いていた
- 怪我をしなかったら海外で活躍出来た可能性もある
- もし久保竜彦が怪我の少ない選手だったら高原と合わせて久保・小倉の強力な3トップが完成していた
- 98年のフランス大会ではジャマイカに圧勝していた。
- 「ジョホールバルの歓喜」以前にW杯に出場した場合、韓国とイランでW杯出場を争っていた
- 日韓大会では3位になってたかも、その場合「真の決勝戦」として語り草になったのか?
- その場合韓国でヒディングはどう言う扱いされたんだろうね。
- 98年のフランス大会ではジャマイカに圧勝していた。
- おそらく決勝トーナメントに進出できたはず。
1998フランスワールドカップ[編集 | ソースを編集]
三浦知良[編集 | ソースを編集]
- 後世ワールドカップに縁の無い選手と呼ばれる事も無かった
- フットサルW杯出場もなかった。
- でも日本の成績は実史と代わらず
- (ジャマイカ戦くらいだったら破っている可能性はあるが)
- W杯日本第1号ゴールはゴンでなくカズだったかも。
- ひょっとするとW杯終了後に現役引退し、指導者になっているかもしれない。
- 少なくとも40歳を過ぎても現役、ということはなかったはず。
- 小野伸二は違う背番号をつけていた。
- 日本が優勝していたかもしれない。
2000シドニーオリンピック[編集 | ソースを編集]
三都主アレサンドロ[編集 | ソースを編集]
三都主は実史では2001年11月12日に帰化しましたが、実はシドニー五輪前に帰化していればギリギリで23歳と、五輪代表として出場できた年齢でした。仮に三都主が実史よりも早く帰化してシドニー五輪のピッチに立っていたら?(帰化する為の年数が足りないと言うツッコミは無しの方向で)
- 準々決勝ではアメリカを破るものの準決勝のスペインに敗北
- 3位決定戦ではチリを見事破り銅メダルを獲得していた
- サントスがもう少し長く清水エスパルスに在籍していた。
2002日韓ワールドカップ[編集 | ソースを編集]
高原直泰・久保竜彦[編集 | ソースを編集]
中村俊輔・高原直泰・久保竜彦の3人は2002年の日韓ワールドカップ出場が有力視されていましたが、結局当時のトルシエ監督の構想から外れたり、大会直前の怪我などで出場出来ませんでした、仮にこの3人が日韓ワールドカップに出場していたら
- 久保と高原の調子が良かったら両者の2トップでゴールを量産していた
- 代わりに鈴木隆行が代表からもれていた、或いは選ばれても出場機会は殆ど無かった
- むしろ西澤明訓がもれていたのでは?
- 代わりにゴン中山と秋田豊の2人が落選しているかも知れない
中村俊輔[編集 | ソースを編集]
- トルコ戦での三都主クロスバー直撃FK弾はなかった。
- もしかしたら俊輔の蹴ったFKがゴールに決まってその後延長かPK戦の末トルコに勝利しベスト8進出、となっていたかも。
2004年アテネオリンピック[編集 | ソースを編集]
鈴木啓太[編集 | ソースを編集]
鈴木啓太はアテネ五輪最終予選でU-23代表のキャプテンを務めましたが、山本昌邦監督の方針により本大会メンバーには選出されませんでした。もし五輪で代表として出場していたら?
- グループリーグ最下位に終わることはなかったかも。
- フル代表デビューが早まっていた。
- ドイツW杯で代表に選ばれたか、最低でも当落線上にはいた。
- 長谷部誠のように欧州へ移籍していた可能性もある。
2006ドイツワールドカップ[編集 | ソースを編集]
松井大輔・久保竜彦[編集 | ソースを編集]
松井大輔・久保竜彦の両者はドイツワールドカップ出場が有力視されていましたが結局落選し、特に久保の落選は物議をもたらしました
では上記の2人がドイツで選ばれていたら結果はどうなっていたでしょうか?
- 代わりにFWでは巻誠一郎、MFでは遠藤保仁か駒野友一がもれていた
- 柳沢の例のゴール外は無かった
- 代わりにドラゴンがQBK扱い。
- 久保がドイツで大活躍したら海外からオファーが来たかも?
- 仮にオファーがあっても海外には行かなかったはず。元々から海外志向は全くなく、「外国は米やみそ汁が食べられない」「外国は知らない人ばかりだから行きたくない」などと発言していたため。
- 日本はブラジル戦で2得点以上獲得していたかも(勝ったか負けたかは別にして)
- 少くともオーストラリア戦、クロアチア戦の結果は変わっていただろう
- でもイタリア戦で撃沈する事に(PK戦まで持ち込めば可能性はあるが・・・)
田中マルクス闘莉王[編集 | ソースを編集]
- センターバックは宮本と闘莉王だったかもしれない。
- 守備が崩壊することはなかった。
- ブラジル戦でも失点が少なかったかも?
2014年ブラジルワールドカップ[編集 | ソースを編集]
中村憲剛[編集 | ソースを編集]
中村憲剛はコンフェデ杯以降選出が無かったものの、大久保嘉人同様に選出の可能性が残っていました。最終的には落選となりましたが、もし本大会メンバーに入っていたら…
- 代わりに山口蛍か青山敏弘のどちらかがメンバーから漏れていた(とはいえ予備登録には入っただろうが…)。
- 大久保嘉人が少なくとも1つぐらいはゴールを決めていた。
- それでも内田篤人のクロスを外してしまうのは…史実通り?
- コートジボワール戦は最悪でもドローに持ち込めた可能性があったかもしれない。
2018年ロシアワールドカップ[編集 | ソースを編集]
中島翔哉[編集 | ソースを編集]
親善試合での得点や所属クラブでの活躍から期待されたが、監督交代の影響もあり落選した。
- 代わりに乾貴士が落選していた。
- セネガルやベルギー相手に2得点できたか怪しい。
- スポーツ紙に「忖度ジャパン」と書かれることはなかった。
- ポルトガル紙で疑問視されることもなかった。
- 西野朗のbotがTwitterで「お前ら磯野カツオかよ!」と呟くこともなかった。
- リオ五輪世代の存在感が強かった。
- 2019年にカタールのアル・ドゥハイルSCに移籍することはなかった。
- 令和になってから欧州5大リーグの1部クラブに入団した。
- 2020年以降も代表に呼ばれ続け、2022年カタール大会でも選出された可能性もある。
- 背番号10は中島のものとして定着し、南野拓実は「9」のままだった。
2022年カタールワールドカップ[編集 | ソースを編集]
古橋享悟[編集 | ソースを編集]
2次予選で得点を記録し3次予選でも代表入りした古橋享悟は、所属先のスコットランド1部セルティックFCで得点を量産するなど大いに活躍しました。しかし2022年は代表での得点がなく、森保一監督が「リーグのレベルなど総合的な判断」を下した結果本大会のメンバーには選ばれませんでした。もしカタール大会で代表に選出されていたら?
- 町野修斗が中山雄太の代理で追加招集されることはなかった。
- あるいは浅野拓磨、上田綺世、相馬勇紀のいずれかが落選していた。
- 前田大然と共に選出されたら、セルティックと代表の両方でコンビを組み注目される。
- それでも日本の成績は大して変わらなかったか?
- 逆にW杯終了後の得点ペースは鈍っていたかもしれない。
- 史実通りスコットランドリーグ得点王、ベストイレブンなどを受賞できたら日本での報道量も多くなっていた。
- 彼を密着取材し2023年3月に放送された「情熱大陸」の視聴数が現実より多かった。