もしあのプロ野球球団のコーチが○○だったら
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- 「プロ野球のコーチが入団していたら、入団していなかったら、残留していたら…」というテーマ
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就任していたら[編集 | ソースを編集]
赤星憲広→阪神[編集 | ソースを編集]
- 2011年オフに監督に就任した和田豊氏から、2015年オフに監督に就任した金本知憲氏から、それぞれコーチ就任の依頼を受けました。
- 打撃コーチか守備・走塁コーチに就任していた可能性が高い。
- 2011年オフに就任した場合、『名探偵コナン 異次元の狙撃手』のゲスト声優として、出演することはなかった。
上田利治→近鉄[編集 | ソースを編集]
- 監督として、表舞台に立つことはなかった。
- 阪急は、山内一弘氏を招聘し、西本幸雄監督の後任として、監督に就任していた。
- 青田昇氏が就任していた可能性もある。
上田利治→阪神[編集 | ソースを編集]
- 1969年オフに大学時代にバッテリーを組んでいた村山実氏からヘッドコーチとして、招聘を受けました。
- 1972年に監督に就任していた。
- 「猿でもタバコを吸うのか」事件が起きず、権藤正利の引退は遅れていた。
- 阪急の監督に就任していたかどうかは怪しい。
- 阪急の監督は西本幸雄氏がもう少し続投していた。
- この場合近鉄の監督は誰になっていたのだろうか?
- 阪急の監督は西本幸雄氏がもう少し続投していた。
- 阪急監督就任は元々、西本幸雄氏がフロント入り、後方支援のような形で残る話だった為。西本氏は退団(ましてや他球団の監督に就任)する事が判っていれば受けなかった、と上田氏自身が語っている。更に言えば、西本退任が先にありきで、後任としてリストアップされた形。
牛島和彦→横浜[編集 | ソースを編集]
1998年に監督に就任した権藤博から投手コーチの要請がありました。
- 多くの投手を育て同年の優勝、日本一に貢献していた。
- 史実通り2005年に内部昇格の形で監督に就任。
- 史実より良い成績を残せていたかもしれない。
牛島和彦→日本ハム[編集 | ソースを編集]
2000年に監督に就任した同僚でもあった大島康徳から投手コーチの要請がありました。
- 建山義紀氏や金村暁氏や中村隼人氏らを指導した。
- 2005年に横浜監督に就任していたかどうかは怪しい。
- 2002年に監督の大島康徳氏と共に辞任したのを機に、横浜に移籍していたら、あり得た。
尾花高夫→阪神[編集 | ソースを編集]
野村克也氏が阪神監督に就任した際に、コーチとして、招聘しようとしていました。
- 井川慶氏や福原忍氏や藪恵壹氏や遠山奨志氏らを指導した。
- 阪神の成績は史実よりマシになっていたかもしれない。
- ダイエーは誰が投手コーチになっていたのだろうか?
- 高野光氏がダイエーのコーチに就任していた可能性が高い。
- 高野氏が2000年に自殺することは無かったかも…。
- 高野光氏がダイエーのコーチに就任していた可能性が高い。
- 2001年に野村克也氏が阪神監督を辞任したことを機に、ダイエーへ移籍していた。
- 八木沢壮六が投手コーチになることはなかったため、藤川球児が八木沢コーチと揉めて干されることはなく、若手のうちにもっと一軍登板を果たしていた。
蔭山和夫→阪急[編集 | ソースを編集]
- 南海は引き続き鶴岡一人氏が監督に就任していた。
- 1965年11月に亡くなられなかったら、西本幸雄監督の後任として、監督に就任していた。
- 上田利治氏をコーチとして、招聘することはなかった。
川崎憲次郎→楽天[編集 | ソースを編集]
野村克也氏が楽天監督に就任した際に、コーチとして、打診を受けていました。
- 田中将大氏らを指導した。
- 野村克也氏が辞任したとともにコーチを辞任した。
- ロッテのコーチの就任は史実通り。
栗山英樹→巨人[編集 | ソースを編集]
2006年に監督に復帰した原辰徳がヘッドコーチとして招聘する検討をしていました。
- 2006年は優勝はできなかったとしてもAクラス入りはしていたと思われる。
- 伊原春樹がヘッドコーチになることはなかったかもしれない。
- 2011年以前に退任していた場合、日本ハム監督就任は史実通り。
- 巨人の関係者になる事で、史実通り日ハム監督に就任しない限りは一定数のアンチを作ってしまい、栗山に関するネタやアダ名は広まらないか、現実と違ってバカにする意図で広められる。
権藤博→中日(1991年)[編集 | ソースを編集]
1990年オフにダイエーとともに、中日からもオファーがありました。史実では、ダイエーのコーチに就任。
- 高木守道監督と対立し、辞任した。
- 横浜監督の就任は史実通り。
下柳剛→阪神[編集 | ソースを編集]
2016年にコーチとして、候補に挙がりました。
- 金村暁氏が入団することはなかったかもしれない。
- 矢野燿大氏の招聘により、2019年に入団していた可能性もある。
- 2018年に金本知憲氏とともに、辞任していた可能性が高い。
- 史実で2017年のセ・リーグ順位を全的中させた慧眼をもって、阪神の成績を上昇させていたかも。
レジー・スミス→巨人[編集 | ソースを編集]
- 2004年に堀内恒夫氏が巨人監督に就任した際に、打撃コーチとして、彼を呼ぼうとしましたが、彼の夫人の病気により、実現しませんでした。もし実現したら…
- 弘田澄男氏がコーチに就任することはなかったかもしれない。
- そうなると、タフィ・ローズ氏のトラブルはなく、史実よりも長く巨人でプレーしていたかもしれない。
- 駐米スカウトやジャイアンツアカデミーのコーチに就任していたかもしれない。
- 福島県いわき市に野球教室を作ることはなかったかもしれない。
田淵幸一→阪神(1988年)[編集 | ソースを編集]
1987年オフに、監督に就任した村山実氏からヘッド兼打撃コーチ就任の依頼を受けていました。しかし、1978年オフのトレードの件で断りました。ちなみに、2002年にコーチとして、阪神に復帰しております。
- 田宮謙次郎氏を招聘することはなかった。
- 1978年オフのトレードの件で球団と和解した上での復帰であった。
- 1990年にダイエー監督に就任することはなかった。
- ダイエーの監督は杉浦忠が続投していた。
- 井上祐二が先発転向させられることはなく、成績が低迷することもなかった。
山内一弘→阪急[編集 | ソースを編集]
- 西本幸雄監督の後任として、監督に就任していた。
- ロッテや中日の監督に就任することはなかったか、史実より遅れていた。
- 上田利治氏は監督に就任することはなく、史実より知名度が低かった。
山田久志→巨人[編集 | ソースを編集]
長嶋茂雄監督からコーチ要請を受けていました。
- 巨人の投手陣は史実より充実していた。
- 中日監督に就任することはなかった。
- 山崎武司氏がオリックスに移籍することはなかった。
- 中日のコーチ、監督に就任することがなかったので、前田幸長は中日に残留していた。
- 生え抜きどころが巨人OBでもないのでさすがに巨人監督になることはなかっただろう。
- ただ、第一次原あるいは堀内監督時代にヘッドコーチあたりにはなれたとは思う。
山本一義→阪神[編集 | ソースを編集]
1988年オフに当時の村山実監督は招聘することを検討していたという。
- 1990年、1991年に最下位に低迷することはなかったかもしれない。
- (史実では、1989年からRCCの解説者に就任)山本一義氏の代わりに、阿南準郎氏がRCCの解説者に就任していた。
就任していなかったら[編集 | ソースを編集]
荒川博(巨人)[編集 | ソースを編集]
- 王貞治氏は本塁打王になることはなかった。
- 米田哲也氏とのトレードで、阪急に移籍していた。
- ヤクルトの監督に就任することはなかった。
- その代わりに、広岡達朗氏が史実よりも早く就任していた。
尾花高夫(巨人)[編集 | ソースを編集]
- 2008年に優勝できていなかったか。
- 横浜監督にならず、逆に身売りが横浜の早まっていたか。
佐藤義則(日本ハム)[編集 | ソースを編集]
- ダルビッシュ有氏が優秀な投手として、育つことはなかった。
- 野村克也氏が楽天の監督に就任したのと同時に、コーチに就任していた。
牧野茂(巨人)[編集 | ソースを編集]
- 巨人のV9時代はなかった。
- 古巣の中日に復帰し、監督に就任していた。
- 打倒巨人に燃えていた。
森繁和(中日)[編集 | ソースを編集]
- 中日のドミニカルートはなかった。
- 落合監督時代の中日の成績が史実より低迷していた。
- 当然中日の監督に就任することもなかった。
- 松坂大輔の中日移籍もなかった。
- 古巣の西武に復帰していたかも。
- 西武の監督に就任していた場合、(80年代後半から90年代前半に黄金期を築いた森祇晶との混同を避けるため)史実以上に森繁監督と呼ばれることが多かった。
残留していたら[編集 | ソースを編集]
山本一義(近鉄)[編集 | ソースを編集]
- 1982年にロッテの監督は豊田泰光氏か醍醐猛夫氏か荒川博氏か福田昌久氏が就任していた。
- もう一度、金田正一氏が就任していた可能性もあり得る。
- 監督の関口清治氏の下で、打撃コーチとして、大石大二郎氏や金村義明氏らの若手の育成に力を入れていた。
- 関口清治氏の後任として、近鉄の監督に就任していた可能性が高い。
- 岡本伊三美氏が入団することはなかったかもしれない。
古葉竹識(南海)[編集 | ソースを編集]
- 広島の監督に就任することはなかったあるいは遅れていた。
- 場合によっては阿南さんのほうが先に就任していたかもしれない。
- ノムさんが南海の監督を退任する1977年に退団し、そこで広島に復帰していた。
- あるいはノムさんの後任で南海の監督に就任していたかも(史実では広瀬叔功が就任)。
与田剛(楽天)[編集 | ソースを編集]
- 2018年のオフに、楽天からはコーチとして、残留して欲しいというオファーがありました。
- 2019年に伊東勤氏が中日の監督に就任していた。
- 与田監督が声を掛けてコーチになったのでそれはない。小笠原二軍監督(当時)の昇格だろう。
- 当初監督は与田と伊東の二択だったのでファンからのバッシングがなければ伊東が就任していた可能性も充分在り得る。
- 与田監督が声を掛けてコーチになったのでそれはない。小笠原二軍監督(当時)の昇格だろう。
- 伊藤智仁氏か石井貴氏のどちらかが入団することはなかった。
- 2020年に、平石洋介氏の後任として、楽天の監督に就任していた可能性が高い。
- 楽天の監督交代はどっちみち賛否両論だっただろうが、石井GMが現役時代に接点が多かった人物を選んだわけではないと思われて史実よりは反対意見がほんの少しだけ少なかっただろうか。
- 中日で応援歌のサウスポーが自粛されずに普通に歌われている。(ただ自粛の声明文に与田の名前を借りただけで言い出しっぺは球団の上層部パターンなら史実通り自粛かもしれない)