もしあのユニフォームがもっと長く使用されていたら
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()内は実際に使用された期間。新規追加は開始時期の早い順に。
読売ジャイアンツ(1960)[編集 | ソースを編集]
- 「カラーテレビ対策」として、ロゴが赤くなった。
- V9の象徴となっていた。
日拓ホームフライヤーズ(1973)[編集 | ソースを編集]
- 「7色のユニフォーム」が話題に。
- 選手たちは大混乱。
- それでもファイターズになっても使われていた。
- 『レジェンド・シリーズ2013』でも、このユニフォームのうちの1色が復刻されていた。
大洋ホエールズ(1974-77)[編集 | ソースを編集]
- オレンジと緑のユニフォーム。「湘南電車カラー」といわれた。
- 途中からホームは白ベースに変わりつつも、ベイスターズになるまで使われ続けた。
- ハマスタの横を走る電車と同じスカイブルーになったかも。
- 二軍の本拠地は平塚球場のままだった。
読売ジャイアンツ(1975~1980)[編集 | ソースを編集]
- SFジャイアンツ風ユニホーム。
- 巨人軍結成以来初の最下位になった時のユニホームなので「あの屈辱を忘れない」という意味で現在まで使われていた。
太平洋クラブライオンズ(1976前期)[編集 | ソースを編集]
- 日本野球史上初・背だけでなく胸番号のみの通称アメフト・ユニフォーム。
- 思い切り馬鹿にされていた。
- それでも、他球団にも採用されていたかもしれない。
オリックスブレーブス(1989-90)[編集 | ソースを編集]
- オリックスブルー(紺色)とブレーブスゴールデンイエロー(黄金)を基調。
- 門田博光はホークスに復帰することもなく、現役引退までオリックスでプレーしていただろう。
- ブーマーウェルズもブレーブス一筋だったかも。
- いずれにしても95、96年は優勝していた。
- 土井正三が監督就任はなかった。
- =「もしブルーウェーブへの改名がなかったら」とも言える。
福岡ダイエーホークス(1989-92)[編集 | ソースを編集]
- 三宅一生デザイン。鷹の顔がデザインされた「ガッチャマンヘルメット」が有名。
- 王監督が就任するわけがなかった。
- 城島健司の入団もなかった。
- 「日本一恥ずかしいデザインのヘルメット」と言われ続けていた。
千葉ロッテマリーンズ(1992-95)[編集 | ソースを編集]
- 「サンライズピンク」と「カレント・ブルー」のユニホーム。しかし、バレンタイン監督(95年当時)の鶴の一声でお役御免に。
- マリーンズのチームカラーは、ピンクとブルーというのが常識に。
- 広岡GMとの確執はなかった。
- =「もしバレンタイン監督が就任しなかったら」かもしれない。
読売ジャイアンツ(2005)[編集 | ソースを編集]
- ニューヨークヤンキース風ビジターユニホーム。
- 21世紀の新しい巨人軍の象徴となっていた。
- メーカーがadidas→アンダーアーマーに交代した後もこれに似せたデザインのユニフォームが着用されていた。
オリックス・バファローズ(2005)[編集 | ソースを編集]
- 前年までの「BlueWave」の文字を「Buffaloes」に変えただけの、神戸での主催試合でのみ使用されたホームユニフォーム。
- 旧近鉄ファンからのブーイングが現実以上だった。
- 合併球団のイメージを払拭できないままだった。
- マスコットのネッピーとリプシーの引退もなかったか遅れていた。
- それでも史実通り大阪での主催試合のみマイナーチェンジしたデザインのものを着用していたかもしれない。