もしあの人物・団体にノーベル賞が授与されていたら

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  • 「ノーベル賞を逃した人、候補になったものの、授賞に至らなかった人が授与されていたら…」というテーマです。
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  • 実際に、実際に候補に挙がっていた人物でありながら、かつ、授賞することに至らなかった、もしくは、授賞を逃してしまった人物を取り上げてください。
  • 個人的に、授与して欲しいと思う人物について、取り上げたい場合は、もし歴史上の人物にノーベル賞を与えるとしたらに投稿してください。

日本[編集 | ソースを編集]

井上靖[編集 | ソースを編集]

  • 1969年にノーベル賞の選考において、候補に挙がりました。
  1. 彼の作品が史実よりも高く注目されていた。
  2. 旭川市と米子市にある井上靖記念館と静岡県長泉町にある井上靖文学館に訪れる客が史実よりも多くなっていた。

北里柴三郎[編集 | ソースを編集]

  • 1901年から日本人で初めて候補に挙がりました。
  1. 日本の医療界において、権威的な存在になっていた。
  2. 湯川秀樹氏に代わって、日本人初めての受賞者になっていた。
    • 野口英世氏とともに受賞していた可能性が高い。
  3. 北里大学は大学の宣伝で利用されていた。

渋沢栄一[編集 | ソースを編集]

  • 1926~1927年までに候補が挙がっていました。
  1. 日本人初めてのノーベル平和賞の受賞になっていた。
  2. 王子製紙やサッポロビールやみずほ銀行などの彼と関わりのある企業は、彼の功績を称えていた。

鈴木梅太郎[編集 | ソースを編集]

  • 1914年に候補が上がりました。
  1. ビタミンについて、史実よりも広く知れ渡っていた。
  2. ドイツ語への翻訳の際に、「世界初」を盛り込んでいたら、授賞していた可能性があった。

谷崎潤一郎[編集 | ソースを編集]

  • 1958年と1960年と1962年に候補が上がりました。
  1. 彼の代表作である「刺青」と「痴人の愛」が史実よりも広く読まれていた。
  2. 川端康成氏と比較されていた。

野口英世[編集 | ソースを編集]

  • 1913年から北里柴三郎氏とともにノーベル生理学・医学賞の候補として、挙がっていました。
  1. 野口はますます英雄視されていた。
  2. 史実より前に紙幣の肖像画になっていた。
    • 千円札の肖像画に採用された順番が「野口英世→夏目漱石」という史実と逆のものになっていた。
  3. 賞金は借金返済に使われていた。
    • 女に貢いでいたかもしれない。
  4. 野口の受賞につられて、北里柴三郎、山極勝三郎(人工癌の発明者)も受賞していた。〈山極については、後年「ノーベル賞を受賞させるべきだった」という意見がある〉
  5. 湯川秀樹(史実でのノーベル賞日本人初受賞者)が脚光を浴びることは、それほどなかったかもしれない。
    • というより、野口と湯川の間に数多くの日本人がノーベル賞を受賞していた。
      • 医学・生理学賞(正しくは「医学賞」ではない)は既出の北里、山極、それに志賀潔、呉秀三が受賞。
      • 物理学賞は長岡半太郎、寺田寅彦、仁科芳雄、菊池正士、それに天文学者の平山信、木村栄、萩原雄祐が受賞。
        • 追加でもう1人の平山姓の天文学者、平山清次も物理学賞を受賞(信より清次の方が学問的業績は大きいため)。
      • 化学賞は櫻井錠二、池田菊苗、高峰譲吉が受賞。
        • 鈴木梅太郎も追加。
      • 文学賞は森鴎外、夏目漱石、志賀直哉が受賞。
        • 夏目は時期的に厳しいと思う。(野口の初候補が1914年、夏目の没年が1916年。)
      • 平和賞は田中正造、尾崎行雄、高木正年、斎藤隆夫、平塚らいてうが受賞。
        • 湯川以降の受賞者ももっと多かった。
          • 物理学賞は林忠四郎、内山龍雄が、化学賞は柴田雄次が、医学・生理学賞は荻野久作、小黒八七郎が、文学賞は谷崎潤一郎、三島由紀夫が、平和賞は石橋湛山、三木武夫が受賞していた。
            • 三島は史実の村上春樹みたいに「受賞待望論はあれども最期まで賞は授与されなかった」というオチになりそうな気がする。
  6. それでもノーベル経済学賞を受賞した日本人はまだ出ていない気がする…。
    • いや、森嶋通夫が受賞していた。
  7. 黄熱病や梅毒などの病気を研究していた功績を称えて、授与を受けていた。
  8. 福島県民にとって、喜ばしい出来事であった。
  9. 1928年以降も存命であったら、授賞していた可能性があった。

本多光太郎[編集 | ソースを編集]

  • 1932年にノーベル物理賞の候補として、挙がりました。
  1. 彼が発明したKS磁石鋼は史実よりも広く知れ渡っていた。
  2. 彼が創設した鉄鋼研究所が世界から注目されていた。

三島由紀夫[編集 | ソースを編集]

  • 1968年に実際に受賞した川端康成とともにノーベル文学賞の候補に挙がっていました。
  1. それでも割腹自殺しなかったかは微妙。
    • ただ「楯の会」を結成することはなかったかもしれない。

吉田茂[編集 | ソースを編集]

  • 1965~1967年にノーベル平和賞候補として、挙がっていました。
  1. サンフランシスコ平和条約の締結などにおける彼の功績を高く評価したために、授与されていた。
  2. 孫の麻生太郎氏は彼のことを誇りに思っていた。
  3. 渋沢栄一氏が受賞しなかったら、吉田茂氏が日本人で初めてのノーベル平和賞の受賞者になっていた。

海外[編集 | ソースを編集]

マハトマ・ガンディー[編集 | ソースを編集]

  • 1937から1948年にかけて、ノーベル平和賞の候補として、挙がっていましたが、授賞に至りませんでした。もし受賞していたら…
  1. 非暴力・不服従運動について、高く評価されての受賞であった。
  2. インドの人々は、大いに喜び、彼のことを誇りに思っていた。
  3. それでも、暗殺を免れることができたかどうかは怪しい。
  4. 彼と緊密関係であったインドの初代首相を務めたジャワハルラール・ネルー氏も候補に挙がっていたかもしれない。

シャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴール[編集 | ソースを編集]

  • 1963年にノーベル文学賞の候補に挙がっていました。
  1. フランス国民は大いに喜んでいた。
  2. イギリスのチャーチル元首相と比較されていた。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ[編集 | ソースを編集]

  • 1901~1902年にノーベル文学賞の候補として、挙がりました。
  1. 彼の代表作である「戦争と平和」はベストセラーになっていた。
  2. 平和賞にも授与されるべき人だと言われていた。

団体・国際機関[編集 | ソースを編集]

憲法9条と日本国民[編集 | ソースを編集]

  • 2014年に受賞候補として挙がっているという一部報道がありました。本当に受賞したら。
  1. 誰が授賞式に出席するかで大いに揉める。安倍晋三氏が首相在任中に受賞し、授賞式に出席したら、「何でお前が出てるんだ」と各方面から突っ込まれる。