もしあの日本の政党が○○だったら
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あの政党が合併していたら[編集 | ソースを編集]
民社党と社会民主連合と新自由クラブ[編集 | ソースを編集]
- 恐らく党名は「社会自由党」。
- 河野洋平が自民党に復党し、官房長官や自民党総裁に就任する事は無かった。
- 社会党&公明党と連立を組む形で史実より早く非自民非共産連立政権が発足していたかもしれない。
- 日本新党は結成されなかった。
自由民主党と新自由クラブ[編集 | ソースを編集]
- 再合流という形ですが便宜上こちらで。
- あと5年持っていれば、新自由クラブは新進党に合流したかもしれない。
- というか、新進党の母体になっていた可能性も。
- 河野洋平が新自由クラブのままのため、河野談話は存在せず。
- あるいは河野が総理になっていたらやっていたかも。
- 結局グダグダになって「心中クラブ」となるのは変わらなかったかもしれない。
日本共産党と社会民主党[編集 | ソースを編集]
- 党名は「社会労働党」あるいは「社会福祉党」か「福祉平和党」辺り。
- 現存しない政党なので「日本社会党」でいいような気がする。あるいは「日本平和党」とか。
- パターンとしては日本の右傾化・保守化が進行→共産主義色の強さが勝てない原因だと気づく→共産党の後継政党として社民党その他と合併、党名は「社会民主党」にする、とか?
- 現存しない政党なので「日本社会党」でいいような気がする。あるいは「日本平和党」とか。
- 何かが変わる様な変わらない様な・・。
- 議席数は社民党+共産党になるだろうから少しは発言力が増すだろう。
- 合併の際、一部の社民党員は合併に同調せず民主党に移籍するかも。
- どちみち、共産色が薄れて社会民主主義が強くなりそうなのは変わらない。
- 一部過激派は合流せず、各自で闘争・・・って、これ変わらないか。
- 議席数は社民党+共産党になるだろうから少しは発言力が増すだろう。
- 議員数からして旧日本共産党の指導。
- 結局上手く行かずに数年で再分裂。
- このときに旧社民党系の党員が共産党に移ったり、逆に旧共産党系の党員が社民党に流れる動きが、若干数ありそう。
- 日本原水協と日本原水禁も再統合しそう。
- 民主党と選挙協力しようとするが、思うようにいかない。
- 自民が強くなったときは民主党と連携するが、民社共連合が強くなったとたん、四分五裂。
- 解同問題とかソ連や北朝鮮の評価とかにたいして旧社会党系が共産党に全面的に負けを認めて無条件降伏以外にないと思う。
- そうすればもう少しマシになっていたのでは?
- どちらにせよパヨクだから政権は取れないだろうが、民由合同前か、民主党の崩壊時に野党第一党になっていた可能性がある。
- そうすればもう少しマシになっていたのでは?
日本新党と新党さきがけ[編集 | ソースを編集]
- 結局のところ、新進党結党に参加する者とそうでないもので分裂。
- 事実上新進党に引き抜かれる形になる。残留したグループは自民党・社会党と連立政権を樹立。
自由党と民主党[編集 | ソースを編集]
- 自由党と民主党と自由民主党でややこしいという事態が続いていた。
- =消費税の福祉目的税化が行われていた。
- 小沢一郎は保守派のままだった。
自民党と新党さきがけ[編集 | ソースを編集]
※さきがけが自民党に合流した場合
- さきがけ初期メンバーからすれば元の鞘に収まる結果となっていた。
- 緑の党グリーンズジャパンは結成されなかった。
- 共労党系は、緑の政治にこだわるならブント(戦旗・共産主義者同盟)や毛沢東思想学院あたりと合併してでも政党化を図っていた。そうでなければ9条ネットを経て新社会党に吸収合併されている。
社会民主党と新党さきがけ[編集 | ソースを編集]
- ここでは排除の論理はなく1996年8月に両党が完全に新党に移行した事とします。
- 党名は史実通り「民主党」となっていた。
- その後の歩みもほぼ史実の民主党通り。
- 一部の合流反対派の党員は新社会党に移籍していた。
- 全労協の加盟組合の多くは新社会党を支持していた。
- 史実で次の選挙でも社民党が半減とはいえ15議席を獲得した事を考えると、この世界の新社会党は史実とは異なり1996年の衆院選や1998年の参院選でも何とか得票率2%を超えて議席を獲得し政党要件も維持できていたと思われる。
- その後選挙統一リストとしての9条ネットが設立されそのまま会派名となっていた。
- 史実で社民党に入党した市民派はこの世界では9条ネットに入るものの社民党とは異なり冷遇されている。
- その後選挙統一リストとしての9条ネットが設立されそのまま会派名となっていた。
- 社民党が存在しないという事は社会民主主義を容認する余地もない以上、社会主義協会坂牛派の分裂もなかっただろう。
- 社会主義協会佐藤・向坂派の機関誌である月刊「社会主義」が社会新報なき後の新政局懇談会にとって、民主党の機関紙「プレス民主」以上に重要視されていた。
- その後新政局懇談会とリベラルの会が合同しサンクチュアリとなるのは史実通り。
- 社会新報ファンの多くは廃刊後は「プレス民主」ではなく「週刊新社会」の読者になり、そのまま新社会党支持に転向している。
- 社会新報ファンを繋ぎ止める為に民主党はもう少し「プレス民主」に力を入れていたかもしれない。
- もしかしたらその世界線では社会新報が改題する形でプレス民主になっていたのかも知れない。
- 向坂協会と対立していた進歩と改革研究会(旧社会主義協会太田派)は国のかたち研究会(旧社民連)へ接近していた。
- 史実の緑の党グリーンズジャパンの内旧さきがけ系がこの世界ではごっそり抜けるため、旧共労党系はブント(戦旗・共産主義者同盟)や毛沢東思想学院あたりを取り込んだ上で9条ネットに参加する事となる。
- 法人格だけは歴史のある旧日本社会党のものを名目上承継し、全国の本部や支部のネットワークも歴史の浅いさきがけのものではなく日本社会党のそれを活用していた。
- 本部機能は社会文化会館を史実で解体された2013年まで使用して、その後史実の民主党系の歴代本部である三宅坂ビルに移転する形を取っていた。
新党日本と国民新党[編集 | ソースを編集]
- 一体誰が代表に就任していただろうか?
- 荒井広幸は無所属になっていた。
たちあがれ日本と日本創新党[編集 | ソースを編集]
- 自民党と統一会派を組む事は無かった。
- 結局は維新に合流していた。
たちあがれ日本と国民新党[編集 | ソースを編集]
- 亀井静香が、いつの間にか未来の党にいるなんてことはなかった。
- 小規模とはいえ、保守側の共産党的存在で何とか生き残っていたかもしれない。
- 自民よりさらに強硬かつ、それでいて大きな政府志向になっていた。
- シルバー新党なんて揶揄されていたことは確実。
- 川内康範作の国民新党の歌がそのまま引き継がれたかは不明。
- 新党名は「たちあがれ国民」とか?
- 「日本国民党」なんてのもいいかもしれない。
- あるいはここで「太陽の党」を使ったかもしれない。
太陽の党と減税日本[編集 | ソースを編集]
- 河村たかし的にはわりと違和感がないだろうが、国会議員の中には労組系議員など、なぜこの人がこんな右寄りのところにという違和感のあるメンツも居ることになっただろう。
- 史実通りにその後維新と太陽が合併した場合、もしかすると維新は大阪ではなく名古屋でもプレゼンスを持っていたかもしれない。
- 東名阪3都市のキャラが濃い首長が揃い踏みする政党ということで地方分権改革を前面に押し出したタカ派政党になっていた。
- 亀井静香はこの党に属していた。
みんなの党と日本維新の会[編集 | ソースを編集]
- 当然のことながら結いの党はできてない。
- 同様に石原氏が次世代の党を分党することもなかった。
- 熊手問題でみんなの党が空中分解する異常事態も起きてなかった。
- とはいえこの問題がでた段階で、汚職とか不正に厳しいイメージで売ってる橋下系が渡辺系と揉めて、党内がきなくさいことになってたことは間違いない。
- 当然のことながら2012年衆院選では民主党を抜いて野党第一党になっていた。
- 野党内でのプレゼンスの関係もあり、民主党がその後さらに議席を減らしたことは間違いない。
- ただこの二党(みんなと維新)が分裂を繰り返しているのを見ると遅かれ早かれ空中分解していただろうと思われる。
- 中田宏と江田憲司のあたりから亀裂が深まってさらに上記の熊手問題で決定的になっていただろうと思われる。
- 中田と江田よりは渡辺(みんなの党渡辺系)とそれ以外という構図になりそうな気がする。それで離党騒ぎになっても野党第一党の座は変わらなかったと思われ。
- 「分裂」ではなく「誰かの離党」で済んでいた。
- 中田と江田よりは渡辺(みんなの党渡辺系)とそれ以外という構図になりそうな気がする。それで離党騒ぎになっても野党第一党の座は変わらなかったと思われ。
- 中田宏と江田憲司のあたりから亀裂が深まってさらに上記の熊手問題で決定的になっていただろうと思われる。
- 民主党、生活の党はこの時点で解党していた。
- 大半の議員がこの党に入っていた。
- 一部というのはあるだろうが、大半というのはありえないと思う。労組・公務員アレルギーの維新と労組依存の民主では根本的に一緒にやることは不可能だろう。生活からも未来の党の結党理由が維新への失望だというのを考えるとまずなさそう。
- ところでこの時点っていつの時点?
- とりあえず2013年参院選後あたり。
- 大半の議員がこの党に入っていた。
- 結局民主党や生活の党も巻き込む形で複雑に分裂・合併を繰り返した。現在どうなっているか想像もつかない。
- 史実通り「自民一強」の状況になった。
みんなの党と民主党[編集 | ソースを編集]
- みんなの党が崩壊する直前にあったとされる構想だが、結局熊手の人は5人集まるかは別にして分党していたに違いない。
- 浅尾慶一郎氏は古巣に戻った事になるが、論功行賞で政調会長の役職くらいはもらえていたかもしれない。
- いつの間にか浅尾が自民党入りする事は無かった。
民主党と国民新党[編集 | ソースを編集]
- あまり変わっていなかった?
- 鹿児島3区の無所属の議員は民主党から出馬していた。
- ただ後に離党して無所属となった可能性も否定できない。
- どの時点なのかは不明だが、W亀井離党後なら充分有り得た。
自民党と国民新党[編集 | ソースを編集]
- それでも国民新党系の議員は大半が引退に追い込まれていただろう。
- 自民党議員から批判が出ていた。
- 特に郵政民営化を強く推進した議員たちから。
- 民営化推進派は、自民党が下野したさいにみんなの党と維新に移籍していた。
- 特に郵政民営化を強く推進した議員たちから。
- 鹿児島3区の無所属の議員は自民党から出馬していた。
日本未来の党とみどりの風[編集 | ソースを編集]
- それでも選挙結果は変わらず。
- 未来の党の分裂は無かった...かもしれない。
民主党と結いの党[編集 | ソースを編集]
- 維新の会は分裂しなかった。
- 恐らく党名は「民権党」。
民主党と維新の党と社民党と生活の党と日本を元気にする会[編集 | ソースを編集]
- いずれにしろ分裂は避けられなかった。
- 山田太郎がこの党から出ていたかは微妙だが2016年参院選に出ていたらもしかしたら当選していたかも。
- 安保法制賛成したくせになんで合流したんだどうしたと突っ込まれる(特に元気系議員)。
- 山本太郎は無所属のまま。
新党改革と日本を元気にする会[編集 | ソースを編集]
- 山田太郎は当然、この党所属。
- この党から当選しても現職中にいつの間にか自民党入りして、党の支持者から批判を受けていたかも。
- 結局松田公太の個人政党になっていた。
- この党から当選しても現職中にいつの間にか自民党入りして、党の支持者から批判を受けていたかも。
- 史実通り、2016年参議院選挙では全員落選。
- アントニオ猪木が無所属クラブを経て新緑風会に復帰する事は無かった。
- 仮に両党共におおさか維新の会に合流していたら以下の通りになる。
- 山田太郎は比例区から出馬し、連続2選。(当然、2019年参議院選挙には出馬していなかったし、いつの間にか自民党入りする事も無かった。)
- 猪木は維新に復帰した事になる。
- 両党共に改革結集の会と合併したとしても、結果は同じ。
民進党と自由党(旧生活の党)[編集 | ソースを編集]
民進党の事実上の合流先が希望の党ではなく、自由党だった場合。
- 立憲民主党は結党されていなかった。
- やはり史実通り野党共闘路線。
- 小池百合子の所謂「排除発言」は無かった。
- 逆に小沢一郎の「排除発言」?
民進党と希望の党[編集 | ソースを編集]
立憲民主党ができず全員合流していた場合。
- 2017衆院選では100議席いっていたか。
- 左派系議員が逆に離党したかも。
- それでも野党共闘路線は変えられず。
- 首班指名選挙で誰の名前を書くかでもめる。
日本維新の会と希望の党(2018-)[編集 | ソースを編集]
- やはり「維新の党」にはなっていない。
- 中山夫妻は維新に復帰した事になる。
- 史実通り、都民ファーストの会とは連携していない。
- 他の地域政党も、合流していたかも知れない。
- 名古屋の「減税日本」や北海道の「新党大地」などは確実か?
公明党と日本維新の会[編集 | ソースを編集]
- 2023年、自公分裂の危機がクローズアップされているため。
- 左派系は自民党が連立を組み換えて維新と連立するだろうという人が数年前から多かったが、実際は自民と維新の政策距離は遠く、地方での相乗りも00年代の自公民社相乗りほど多くない。むしろ自民系がいても独自候補をたてることがおおい一方、府政で公明党とベッタリであるため、維公で政権を狙うほうが可能性が高いのではないか。
- 新進党シーズン2と呼ばれていた。
- 民進党よりも新進党に近いだろう。
- むしろ党名は新明党か。
- ちなみにネット黎明期に、ネット発の政党として公進党という保守左派の泡沫政党が創党されたことがあった(目立った活動はなし)
- むしろ党名は新明党か。
- 民進党よりも新進党に近いだろう。
- 国民民主党や都民ファーストも加勢するかも。
- 国民民主党は財政出動よりなので、同じ保守野党でも緊縮よりの維新とは相性が悪いか。
- 立憲の中の「ゆ党」寄りの勢力も加勢するかも
- 1996年の衆院選と似たような構図になるか。
- 自民党、新進党、共産新選組の三大政党制に再編されるかもしれない。
日本共産党とれいわ新選組[編集 | ソースを編集]
- 立憲民主党が得票率で野党第二党に交代したり、「ゆ党」路線になり保守的になっていることから。
- 最近は立憲と共産党の共闘失敗分裂選挙が続いているため、たしかな野党路線に戻り、同じくたしかな野党路線のれいわと合併するかも。
- 党首公選制の問題も解決する。
- 党名は共産新選組か。
- 立憲離れが進んでいる左派系有権者を獲得するかも。
- 自民党、新進党、れいわ新選組の三大政党に改編するかもしれない。
立憲民主党と社会民主党[編集 | ソースを編集]
- こちらでは、2020年2月の党大会で社民党員全員が立憲民主党に合流が決まった事とします。
- 当時の社民党党首の又市征治議員には、立憲民主党の要職が用意された。
- 一部の合流反対派の党員は新社会党に移籍していた。
- 社民フォーラムの政策の「社民党との連携・協力をする。」は「新社会党との連携・協力をする。」と置き換わっていた。
- 全労協の加盟組合の多くは新社会党を支持していた。
- それでも社民フォーラムと全労協は史実よりは協力関係が強く、「連合との連携・共闘をする。」という政策は存在しなかった。
- 合流に反対していた福島みずほ氏は、こちら側だった?
- 史実で次の選挙で社民党が辛うじて政党要件を維持できた事を考えると、この世界で新社会党は次の選挙の時に久々に国会に1議席獲得して政党要件も復活できていたと思われる。
- 社会民主主義フォーラムとサンクチュアリが社会主義協会向坂・佐藤派を軸に結集していた。
- 同団体の機関誌である月刊「社会主義」が社会新報なき後の社民フォーラムとサンクチュアリにとって、立憲民主党の機関紙「立憲民主」以上に重要視されていた。
- その後連合と立憲民主党が対立する様になった頃にサンクチュアリは解散し社民フォーラムに合流する事となった。
- 一方で協会に警戒心をもつ一部の議員は社民フォーラムへ合流せず国のかたち研究会(旧社民連)へ移籍する事となる。
- その後連合と立憲民主党が対立する様になった頃にサンクチュアリは解散し社民フォーラムに合流する事となった。
- 同団体の機関誌である月刊「社会主義」が社会新報なき後の社民フォーラムとサンクチュアリにとって、立憲民主党の機関紙「立憲民主」以上に重要視されていた。
- 社会新報ファンの多くも廃刊後は「立憲民主」ではなく「週刊新社会」の読者になり、そのまま新社会党支持に転向している。
- 一方で佐藤協会の人は新社会党支持にはならず立憲民主党支持となっている。
- 旧社会党系が史実以上に力を持ったため民社協会との対立が激化し国民民主党系の合流は破談になったか史実よりも小規模になっていた。
- 2025年の中道改革連合設立時に一部の旧社民党員が離党して社民党を復活させていた。
あの政党が分裂していなかったら[編集 | ソースを編集]
憲政党[編集 | ソースを編集]
- つまり共和演説事件がなかったらである。
- 憲政の常道は無かった。結党から大政翼賛会発足までこの党が与党。
- 自民党と憲政党が比較されていた。
- 鉄道の改軌論争が早期に終結した。
- 路線の建設がもっと進んでいた。
日本維新の会[編集 | ソースを編集]
- 次世代の党は結成されず、参加して落選した議員が残っていたかもしれない。
- 次世代の党で惜敗率が高くて落選した議員が初当選していた。
- 結いの党は合流しなかった。
- この時点で民主党との合併を模索していたか。
- その結果、史実より早く「民進党」となった。
- この時点で民主党との合併を模索していたか。
日本社会党[編集 | ソースを編集]
- 社会民主連合(社民連)・民主社会党(民社党)は、存在しなかった。
- 西尾末広や江田三郎の離党もなかった。
- 現在でも「日本社会党」を名乗っており、社会民主党への改名もなかったかも。
- 社会党が政権を取ることが一回ぐらいあったかもしれない?
- 但し、冷戦期には圧力が大きくて難しかったかも。ありえるなら90年代以降。
- イデオロギーへのこだわりを完全に捨てきれていれば、の条件もありそうだ。
- 但し、冷戦期には圧力が大きくて難しかったかも。ありえるなら90年代以降。
新進党[編集 | ソースを編集]
- いずれにせよ公明系は離脱した。
- 離脱しなかったら自民党は共産党と連立するしかなくなってしまう。(実際非自民系が強すぎるため岩手や大阪で自民党と共産党が同じ候補を応援することがあった)
- 民主党は現実より左派色が強い政党となっており、社民党を吸収していた。
- 新進党と民主党は合併しない気がする。
- みんなの党や日本維新の会は結成されなかった。
希望の党[編集 | ソースを編集]
- 分裂していなかったとしたら衆議院選に大勝して野党第1党になっていたからか?
- 排除された極左連中は当選出来ずに消滅。
- 逆に民進党参議院が希望の党に合流していた。
- 2020年都知事選で自民党は独自候補を擁立していた。
- 選挙協力のために2019年の参院選東京選挙区には維新は候補を出さず、おときた駿はあたらしい党から出馬し落選。東京選挙区からは維新・立憲に替わり希望の党から2名が当選。