もしあの映画会社が○○だったら
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大映[編集 | ソースを編集]
「多羅尾伴内」シリーズが製作されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 片岡千恵蔵は永田雅一と対立の末、東横映画(後の東映)に行くことはなく、日本映画全盛期の大映の重鎮スターとなっていた。
- 長谷川一夫は大映に来ることはなかった。
- 永井豪が『キューティーハニー』を描くことは無かったかもしれない。
- 松尾伴内は別の芸名になっていた。
ダイエーのグループ会社だったら[編集 | ソースを編集]
- 大映の倒産は史実通り。それを徳間書店ではなくダイエーが再建に乗り出す。
- 映画不況の煽りを受けてダイエーの経営破綻が5年ほど史実より早まっていたかもしれない。
- 結局2000年頃に再倒産するというのは変わらず。
- 仮に残っていたとしてもイオングループの提示する経営再建策では、切り離しが求められていた。
- イオンシネマに吸収されている。
- 日活と張り合っていたポルノ映画シリーズについての評価は最悪なものとなっていたかもしれない。
- 親会社が主婦受けを狙って、こういう評価を下すように圧力をかける。
- OMCカードの大映映画ご優待デーがあった可能性もある。
- レディースデーみたいなもん。
- 大映ユニオンズは存続し、ロッテを吸収していた。
- 後に福岡に移転し、「福岡大映ユニオンズ」となる。現在は「福岡ソフトバンクユニオンズ」。
- ホークスはサントリー辺りに身売りされていた。もちろん本拠地は現在まで大阪のまま。
- ダイエーとガメラがコラボしてたかも知れない。
大映が倒産しなかったら[編集 | ソースを編集]
- ジブリの配給もやっていた。
- 千と千尋の神隠し辺りから東宝が配給していた。
日活[編集 | ソースを編集]
戦時中に他の映画会社と統合しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 大映は生まれなかった。
- その後の東横映画・大泉映画→東映という系譜も存在しない。
- 史実で日活と合併した新興キネマは、戦後に親会社の松竹に吸収されていた。
- 大映スターズ、東映フライヤースも誕生せず、日活スターズ、東京フライヤース(東急はいったん買収するもすぐに売却)になっていたかもしれない。
- 戦後に片岡千恵蔵、市川右太衛門と石原裕次郎、小林旭の共演による映画が作られていた。
- 長門裕之・津川雅彦兄弟は子役時代から日活にずっと居座っていた。
- 長門裕之の妻・南田洋子は大映→日活ではなく、ずっと日活のまま。
- 高倉健は日活ニューフェースとしてデビューした。
- 他の映画会社同様ニューフェース制度投入の時期が早まり、よって宍戸錠は第一期でなくなる。
- 「幕末太陽傳」(映画製作再開三周年記念作品)は作られなかった。
東映[編集 | ソースを編集]
怪獣映画を作っていたら[編集 | ソースを編集]
- 日本の大手映画会社の中で東映だけが怪獣映画を作っていません。(「怪竜大決戦」や「恐竜・怪鳥の伝説」は実在やおとぎ話の中の巨大生物の出てくる作品なので怪獣映画ではない)
- 「赤影」や「キャプテンウルトラ」「ジャイアントロボ」に正義の怪獣が登場した。
- 東映が矢島信男だけでなく、多数の特撮監督を抱えていた。
- 後年、仮面ライダーが人気怪獣と戦う作品が作られた。
- 原作名義が八手三郎ならSH大戦かスペスク辺りでスーパー戦隊やメタルヒーローと共演していた。