もしアフガニスタン民主共和国が存続していたら
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全般[編集 | ソースを編集]
- 今のようなひどい惨状はなかった。
- 史実でのムジャヒディーンの政権やタリバーンの政権よりずっとましであった。
- 鉄道や道路などのインフラが充実し、国民への教育も男女平等に行き届いていた。
- 社会主義だったらインフラは充実しない。イスラム国家だったら女子への教育は行わない。
- 上の考えは間違い。例えばイギリス時代の鉄道の再建や鉄道の新規開設を行ったのは現政権以外では実は人民民主党政権だけだったりする。
- 汚職などの課題がある中、どれくらいインフラ整備が進むのだろうか?
- 治安も景気も史実よりよい。
- ただし社会主義から資本主義への移行の際にはある程度混乱が発生していた。
- 移行していたかなぁ
- 文化財はきちんと保護されていた。
- バーミヤンの大仏爆破などありえない。
- アフガン国内の世界遺産の数がもう少し増加していた。
- ランボー3の舞台は別の国になっていた。
- 治安が安定していれば観光大国になっていたはず。
- アリアナ・アフガン航空はヨーロッパのみならず東アジアにも路線を拡大していた。
- どこかのアライアンスに加盟していた。
- 日本からのツアーも行われている。
- そんなに観光名所はない。
- 外国人旅行者を引きつける要素は少なくないように思えるのだが・・・。
- 実際、内戦前の70年代には年間9万人以上の観光客(主に欧米から)が訪問していた。
- 日本人でもバックパッカーの間ではそれなりに人気があった上、兼高かおるも訪問したことがある。
- バックパッカーが行くようなところは観光名所じゃないだろ。
- 「日本人でも・・・」のくだりは日本人にとってまだアジア観光が一般的でなかった1970年代の状況を描写したものなのでその後の嗜好の変化などにより多くの旅行者が訪れる可能性は否定できない。
- そもそもバックパッキングは予算や荷物の量、移動手段などに基づく定義なのでバックパッカーが一般的な観光旅行でも目的地となる観光名所を訪問しても特におかしくはない。
- アリアナ・アフガン航空はヨーロッパのみならず東アジアにも路線を拡大していた。
- 現在の国名は「アフガニスタン共和国」か。
- ウズベキスタンやカザフスタンなどと同様、社会主義ではない独裁体制が続いているかもしれない。
- この場合も、アフガニスタンでの資源調査が現実より進んでいる。
- 21世紀は親露になるか親米になるのだろうか?
アミーンが穏健な政策をとっていたら[編集 | ソースを編集]
- インフラ整備や改革のスピードが遅れていた。
- 女性解放のスピードなどは遅れているが少しずつ達成される。
- イスラム過激派の蜂起はあまり起きない。
- その代わり毛派が蜂起するが史実ほど激しい内戦にはならなかった。
- 隣国イランのイスラム革命の影響を防ぐのに苦慮する。
ソ連のアフガニスタン侵攻にアメリカが賛成していたら[編集 | ソースを編集]
- ムジャヒディーンは一人残らず殲滅されている。
- イラン革命後はイランと激しく対立するようになる。
- イラン革命打倒のための重要な拠点となっている。
- イラン・イラク戦争の際にイランを攻撃していたら「イラン・イスラム共和国」はこの時点で崩壊していた。
- その後中東をめぐる米ソの対立が激しくなっていたかもしれない。
- 場合によっては冷戦の流れが大きく変わっていた。
- イスラム過激派問題はそこまで深刻になっていなかった。
- 国際的な広がりはなく各国ごとの組織が活動するという形になっていた。
- ソ連崩壊後は民主化した上で親米国となっている。
- 人民民主党は人民派、旗派の他にさらに世俗主義派、社会民主主義派、共産主義堅持派に分かれていた。
- おそらく旧人民民主党系の数政党が政権交代を繰り返す形となっている。
- 人民民主党は人民派、旗派の他にさらに世俗主義派、社会民主主義派、共産主義堅持派に分かれていた。
- 少なくともモスクワ五輪のボイコットはない。
ナジブラ政権の和平協定がうまくいっていたら[編集 | ソースを編集]
- 一党独裁と社会主義体制は廃止される。
- 最初の自由選挙では祖国党が辛勝するものの派閥抗争により党が分裂し下野する。
- ハルク・パルチャムに分裂してしまう。
- パルチャムの現指導者はドスタム将軍になっている。
- 近年になってパキスタンの支援を受けたムスリム同胞団系の政党が議席を伸ばしていた。
- 親中派政党が親ソ派、イスラム派にとってのキャスティングボードとなっていた。