もしイスラム勢力がヨーロッパを支配していたら
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全般[編集 | ソースを編集]
- 今頃、世界のほとんどはイスラム教。
- イスラム教はキリスト教に寛容であり制限が厳しいから今より少し信者が増える程度
- 日本でも戦国時代にイスラム教が広まるが、弾圧される。
- キリスト教はヨーロッパや中東で細々と信仰されるローカルな宗教になる。
- プロテスタントは誕生しなかったと思われる。
- クリスマス、バレンタインデーの代わりに、ラマダンや犠牲祭がお祭り好きの日本の若者に受け入れられ、商業的にも定着している。
- 「日本人は断食もしないくせにラマダン明けを祝う」とまじめなイスラム教徒から批判される。
- それに対して「東アジアにおけるイスラムの布教のため、良いことにしよう」と穏健派から擁護。
- 「日本人は断食もしないくせにラマダン明けを祝う」とまじめなイスラム教徒から批判される。
- ハーバードやオックスフォードではなくカイロ大学が世界最高学府に。
- バグダード、ダマスカス、リヤドなどにも世界規模の大学がある。
- 大学入試の外国語科目がアラビア語。
- 当然アラビア語が言語の覇権を握っていた。英語はブリテン島南部のみで話されるローカル言語に。
- 神学部も変わってくるかも・・・
- キリスト教過激派によってサウジアラビアで同時多発テロが発生。イスラム最高指導者が「聖戦」を唱え対テロ戦争を起こす。
- むしろドバイで発生するのでは。
- 日本赤十字社ではなく、「日本赤新月社」が発足される。
- 日本語の横書きも、欧米諸言語も、アラビア語と同じ「右から左」で定着する。
- 世界中の人々の右手が黒くなる。
- 左利きにとって非常に便利な世の中。
- ただし、イスラム教が強い影響で日本では現在でも左利きに対するネガティブなイメージがあり、「ぎっちょ」も死語になっていない。
- 太陰暦であるイスラム歴が標準的な暦となるため、1年間が354日となる。
- さらに、西暦ではなくイスラム暦が普及。
- さすがに温帯では太陽暦がないと不便なので、イスラム暦と太陽暦(西洋ではユリウス暦、東洋では太陰太陽暦)が併用され、カレンダーが非常にややこしくなる。
- そのため、正月と言えば旧正月。建国記念の日と重なるので祝日が一日減る。
- むしろ暦法は太陽暦(グレゴリオ暦)で紀年法はイスラム紀元のイスラム太陽暦が一般的になる。
- 本来のイスラム暦とイスラム太陽暦のどちらを使用するかは国によって異なる。
- イスラエルなんて存在しない。
- アルコールは法度だけど、ハシシはやり放題。
- 飲酒という文化自体が世界的に廃れていた。
- 豚を食用とする文化はもっと廃れていた。
- 飲酒という文化自体が世界的に廃れていた。
- 競馬はギャンブルにならない。
- バチカンのサン=ピエトロ大聖堂はモスクに改造
- 「バチカン市国」という国家は存在せず。
- ビザンチン帝国、東西からイスラーム勢に挟まれる。
- 古代ローマ帝国を見習いイスラームに改宗。
- 南北アメリカ大陸に渡ったムスリムは先住民たちを虐殺せず、彼らの自治を認めた。
- 結果インカ・アステカの流れを汲む国家が現在でも存続しインカ語・アステカ語を保持。北米インディアン国家も西海岸とかカナダあたりに建国。
- 奴隷としてはアフリカ人でなくヨーロッパ人を連行したが、(現アメリカ白人ほど奴隷を差別しなかったので)北米南部辺りで1960年代にWhite Powerという公民権運動は別に盛んにならなかった。
- 「白人on黒人」って程には奴隷酷使しなかったので世界的経済大国にはなってなかった。黒船も産業革命もなく明治維新なし。日本はちょんまげと着物が正装のままゆっくり近代化。
- なんだ平和そうな世界じゃないか
- 4人まで妻を持つことができるので、毒男が爆発的に増える。
- 最低結婚年齢が9歳になり改宗者が増える。
- イスラム原理主義者は今よりずっと影が薄い。
- アメリカで結構幅聞かせてるかもよ
- KKKがイスラム原理主義を取り入れていた。
- キリスト原理主義者がテロを行う。
- アメリカで結構幅聞かせてるかもよ
- 「バチカン市国」ではなく「メッカ=メディナ国」が建国されているかもしれない。
- アラブ統一運動が起こる→カリフ領が統一アラブ国に編入→カリフ激怒、「メッカの囚人」を名乗る→メッカとメディナだけ独立
- その後、リベラルなカリフが現れ、「第二メッカ公会議」を招集し、スンニ派の刷新・現代化が実現する。
- それ以降のカリフたちは、「キリスト教徒の兄弟たち」への、謝罪の旅を繰り返すことになる。
- 仮にキリスト教勢力の反撃があった場合、「十字軍」や「レコンキスタ」という言葉は史実とは異なる出来事を指すものとして使われていた。
- イスラム金融の誕生がかなり早まっている。
- 普及のあり方によってはスンニ派とシーア派の勢力が拮抗していたかもしれない。
- ベツレヘムで生まれゴルゴタの丘で磔になったとされる預言者は一般的に「イーサー」と認識されていた。
- 「イエス・キリスト」などという呼び方をされても分からない人が世界的に大多数を占める。
- 古代ローマ時代のように「ヨーロッパ」と「中東・アフリカ」は連続した文明圏だと見做されていたかも。
あの勢力がヨーロッパを征服していたら[編集 | ソースを編集]
この項目では特定の勢力が征服していたらどうなってたかを書きましょう
サラセン帝国[編集 | ソースを編集]
- ここでは正統カリフ~アッバース朝までを指します。
- ヨーロッパと言うよりも現実のサラセン帝国に加え、旧ローマ帝国の大分部を支配する形になっていた
- 現実世界のヨーロッパ北部は別の文明圏となっており、ゲルマン・スラブ文明圏となっていた
- 一方で地中海文明圏はそのままイスラム文明圏となる
- ビザンツ帝国は早くもコンスタンティノープルを残すのみの領土となる
- サラセン帝国がコンスタンティノープルを征服していた場合、サラセン帝国はコンスタンティノープルへ首都をいてんしていた
- 北ヨーロッパやロシアでは北欧神話の神々を今でも信仰されていた
- オスマン帝国など誕生しなかった。
オスマン帝国[編集 | ソースを編集]
第1次ウィーン包囲でウィーンを占領、勢い余って、ドイツやイタリアの都市国家、及びヨーロッパの大半を征服していた場合
- フランスやプロイセンを属国として事実上支配する
- オスマン帝国は近代以降は強大化したロシアと度々衝突する
- 史実のクリミア戦争のような事が何度も繰り返される
- 一方のオスマン帝国もロシアへ攻勢をかけるが冬将軍により撤退を余儀なくされる
- オスマン帝国の衰退が史実どおりだった場合、ロシアが東欧の大半を手中に収めていた
- オスマン帝国の支配の影響でヨーロッパ各地に多数にイスラム教徒が残される
- 之がヨーロッパのアキレス腱になっていたかも・・・
- 場合によってはナチス等のファシズム政党や共産主義勢力がイスラム教徒を徹底的に弾圧していた
- イェニチェリの出身地がさらにバラエティ豊かになっていた。
- ミトハト憲法のようなものがもっと早い時代に成立していた。
新大陸へヨーロッパの王皇族が逃れていたら[編集 | ソースを編集]
第1次ウィーン包囲は1529年、アステカの崩壊は1521年、インカ帝国の崩壊1533年なので可能性としてありうるかと
実際に史実でも1808年にポルトガルのブラガンサ王朝はナポレオンの侵攻でブラジルに逃亡していたますから之と似たような事が起こっていたら
- ブラジル帝国が史実よりも100年以上早く成立する
- スペイン王国は臨時首都をメキシコシティへ置く
- 一方でスペインの支配に不満を持った南米のコンキスタドールは反乱を起こしスペインは、メキシコとリマを首都とする南米に分裂する
- 分離したリマ政権はスペイン(メキシコ)からペルーとして独立していた
- メキシコ(スペイン)から独立した日がペルーの独立記念日になっていた
- 南米も更に分裂するような事があったら以下のように分裂していた
- ペルー、首都:リマ、現実のペルーに加え、エクアドル、ボリビア、チリ北部を支配
- アルゼンチン、首都:ブエノスアイレス 現実のアルゼンチンに加え、パラグアイ、ウルグアイ、チリ南部を支配
- コロンビア、首都:ボコタ、現実のコロンビアに加え、パナマ、ベネズエラ、ガイアナ、仏領ギアナを支配
- 場合よってはコロンビアで内戦が起こりさらに分裂していた可能性もありうる
- 史実でも大コロンビアは内戦で分裂しているのであながち的外れではない
- シモン・ボリバルはペルーからの独立戦争に勝った英雄として知られていた
- エクアドルがコロンビア領になっていた場合(実際にコロンビア領だった時期があるので)旧インカ帝国領だったエクアドルを巡ってペルーとコロンビアは度々戦争を起こしていた
- 分離したリマ政権はスペイン(メキシコ)からペルーとして独立していた
- 北米の植民地も史実より早い時期に開発される
- ジェームズタウンが史実より早い時期に建設される
- イスラム勢力がイギリスも征服する事があったらイギリス王室はアメリカに疎開、まさにリアルコードギアス反逆のルルーシュ
- その場合、産業革命はアメリカで起こっていた
- イギリス(アメリカ)とスペイン(メキシコ)の間で北米を巡って度々戦争が起きる
- フランス(カナダ)も参戦。
- 新大陸はもっとヨーロッパよりの文明になっていた
- 旧世界奪還を目論むキリスト教諸国とそれに対抗するイスラム諸国が複数回北大西洋上で大規模な海戦を繰り広げていた。