もしシャープが○○だったら

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文具の会社になっていたら[編集 | ソースを編集]

  • AQUOS等で有名なシャープですが、創業当初はシャープペンシルで有名な会社でした。しかし関東大震災でシャープペンの工場が崩壊したことで、大阪の地でラジオ事業で再起して、現在は総合家電メーカーとなっています。
  • もし、何事もなく文具事業が拡大し、シャープが文房具の会社になっていたら…

シャープ及び文具業界は[編集 | ソースを編集]

  1. 後にボールペンにも参入していた。
  2. やがてはノートなどにも参入し、ゼブラやショウワノートと並ぶ大手文具メーカーになっていた。
    • ぺんてるやパイロット、プラチナ、オートはもちろん、下手したらコクヨやイトーキ、内田洋行、キングジム、リヒトラブ、プラスなどもその地位を脅かされていたかも。
  3. 亀山工場には文房具工場が併設されている。
  4. 「シャープペンシル」の名前がシャープに商標登録される
    • そのため、他社は「メカニカルペンシル」などと呼ぶようになる。ゼブラの「シャーボ」も「メカボ」に。
  5. 大阪に移転する理由が無いので、本社は東京。というわけで、近畿地方ではなく関東地方に工場を作りまくる。最新の工場は川崎あたりの埋立地。

家電業界は[編集 | ソースを編集]

  1. 「AQUOS」が存在しないので、「VIERA」か「BRAVIA」が国内No.1となっている。
    • 三重県亀山市は現実より衰退していた。
  2. 携帯も相変わらずNPが国内No.1のしのぎを削っている。
    • ソフトバンク(および旧J-PHONE・ボーダフォン)は東芝の独占状態に?
      • ノキアとかサムスンが伸びていた可能性もあり。
      • パナソニックのシェアももう少し大きかった。
    • パイオニア、ケンウッド、三菱のいずれかは携帯事業から撤退しなかった。
  3. 「電卓戦争」はカシオの一人勝ち。
    • あるいはキヤノンとカシオの競争になっていた。
    • いや、文具メーカーであっても、ソロバン(=文具)の延長線上として電卓を製造している。
      • 筆記具(=文具)の延長線上として、やはり書院(ワープロ)を製造している。
      • 手帳(=文具)の延長線上として、やはりZAURUS(PDA)を製造している。
      • 文具メーカーであろうが、やはりカシオにとって、最大のライバル。
        • いや、シャープが文具メーカーだと、NAMELAND(ラベルライター)の対抗機まで製造しかねない。カシオにとって、より手強いライバルになっている。
        • それじゃやがてPC事業部誕生じゃん。
          • 結局、事務機器から発祥したコンピュータ会社になって、やがて文具部門は身売りの対象に…
      • やはりソロカル(ソロバン+電卓)を製造していた。
  4. 液晶技術の発展が遅れるため、電卓、携帯電話、ノートパソコンは現実世界ほど高性能にはなっていない。
    • 薄型テレビはプラズマが主流。
    • いや、別の会社が主導で液晶を開発していただけだろう。
      • あるいは液晶を飛び越して、有機ELがその座についていたかも。
    • 文具→電卓→液晶デバイス製造と展開し、ついには得意の液晶技術を生かして液晶テレビ製造に参入…
      • SEDの開発に手を出して大損こいていたりして(笑)
  5. PC事業部が存在しないのでパソコン初期からNECの天下。
    • 日立のPC撤退もなかった。
  6. 三洋電機の経営も少しばかりは健全だった。
  7. 史実のシャープ社員のうち開発部門および生産部門所属はだいたい他のメーカーに入社しているだろうから、そのメーカーがイニシアチブを握っていたかもしれない。
  8. IPS液晶テレビが主流になっていたかも。
  9. プラズマクラスターは存在しない。
  10. 日立はテレビから撤退しなかった。

亀山市に工場を建設していなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 亀山市の知名度は現実より低くなっていた。
    • 亀山市の主要産業と言えばいまだにローソクを思い浮かべる。
    • 亀山と聞いて亀山社中を真っ先に連想する人が増える。
  2. 亀山市は現実よりも衰退していた。
    • 津市や鈴鹿市に合併されていた可能性もある。
  3. 堺市の新液晶工場が数年早く稼働していた。
  4. 新名神高速道路の開業が遅れていた。

本社が東京のままだったら[編集 | ソースを編集]

  1. 堺や亀山には工場を建てていなかった。
    • 関西地方の経済が現実より衰退していたのは間違いないだろう。
  2. 現実の堺工場に当たるものは横浜南東部に建設されていただろう。