もしボクシング界であの事件がなかったら

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20世紀[編集 | ソースを編集]

桜井孝雄のプロ契約問題(1965年)[編集 | ソースを編集]

  1. 桜井は大学職員として残り指導者になっていた。
    • アマから「裏切り者」扱いされず、大学のOB会から除名されることもなかった。
    • もう少し長生きして村田諒太の金メダル獲得を見届けたかもしれない。
  2. プロアマ関係は史実ほど悪化はしなかった。
  3. 村田諒太の三迫ジム入りの際に蒸し返されることもなかった。

黒い霧事件(1972年)[編集 | ソースを編集]

  1. 全日本ボクシング協会の分裂はなかった。
  2. 協栄ジムとTBSが接近することもなく中継は今もテレビ東京中心だった。
    • もしくはフジテレビになっていたかもしれない。
  3. もしかすると金平正紀の日本協会会長就任もなかったかもしれない。

ボクシング版江川事件(1979年)[編集 | ソースを編集]

  1. 古口哲は2年のブランクを作ることなく、史実以上に活躍していた。
  2. 協栄ジム会長の介入もないため、鬼塚勝也のパートナーにはならなかった。
  3. 笹崎ジムの弱体化もなかったか遅れていた。

毒入りオレンジ事件(1982年)[編集 | ソースを編集]

日本プロボクシング史上最悪の事件と言われた毒入りオレンジ事件。もしこの事件が起きていなかったら・・・

  1. 金平正紀会長は追放されず、河合哲朗の協会会長就任もなかった。
  2. 具志堅・渡嘉敷以降の暗黒時代もなかっただろう。
  3. 具志堅の殿堂入りも十分ありえた。
    • 早ければ20世紀中に殿堂入りしていた。
    • 時の首相次第では国民栄誉賞も贈られたかもしれない。
  4. 高野俊二(高野拳磁)もプロレスからボクシングに転向していた。成功したかどうかはともかく。
  5. 具志堅用高の引退セレモニーも開催されていた。
  6. 具志堅と協栄ジムの関係も悪化せず、のれん分けの形で「協栄具志堅ジム」を設立していた。
  7. 具志堅と渡嘉敷は芸能活動をすることはなかったかもしれない。

ピューマ渡久地失踪事件(1991年)[編集 | ソースを編集]

  1. 言うまでもなく渡久地のライセンス無期限停止はなかった。
  2. 当然、この時点でユーリと対戦、やっぱり敗れる。

マイク・タイソン婦女暴行事件(1991年)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実より早く世界王座奪還を果たしていた。
  2. 多くの国で入国拒否されることもなかった。
  3. イスラムへの改宗もなかった。
  4. 耳噛み事件は史実通りか?

21世紀[編集 | ソースを編集]

大串事件(2001年)[編集 | ソースを編集]

詳細は大串事件

  1. 大串尋人が引退に追い込まれることはなかった。
  2. 坂田・内藤ともに史実通り世界王者になったら、統一戦が実現したかもしれない。

サーシャ・バクティンの傷害事件(2006年)[編集 | ソースを編集]

  1. 言うまでもなく協栄ジムを解雇されず日本王座も返上しなかった。
    • 沖縄への移籍もなかったか遅れていた。
  2. 長谷川穂積の世界タイトルに挑戦したかもしれない。
  3. 同じトレーナーだった佐々木基樹の帝拳移籍もなかったかもしれない。

亀田和毅の国内アマチュア資格問題(2007年)[編集 | ソースを編集]

亀田三兄弟の三男・和毅はオリンピックを見据えて国内アマチュア活動しようとしたが、過去のメディア出演や髪形などが問題視されたため認められませんでした。もしこれらの問題が全くなく認められていたら?

  1. 北京は年齢制限上無理だが、ロンドンを目指す。
    • マスコミは「メダル最有力」と持ち上げる。村田やしずちゃんも霞む程に。
    • 国内では清水聡と争った。
  2. プロデビューはアマチュアの結果次第だが、少なくとも史実よりは遅れる。
    • メダルを獲ったらジムで争奪戦。場合によっては亀田ジムも引き払って兄2人もまた移籍していた。
  3. 亀田家がメキシコと密になることもなかった。
    • 協栄ジムを追われた後は、おそらくタイを拠点にしていた。
  4. WBCユース王座はいまだ認められず。
    • 黒木優子や渡邉卓也のボクサー人生も変わっていた。

高山勝成陣営の「八百長」発言(2007年)[編集 | ソースを編集]

  1. 高山のイメージが下がることはなかった。
    • 移籍先も有力視された白井・具志堅になっていた。
  2. 新井田豊もまた過去の試合(特にランダエタ戦)を蒸し返されることもなかった。

日本ボクシングコミッション事件(2011年)[編集 | ソースを編集]

  1. 安河内剛事務局長を始めとするJBC職員の解雇や退職、訴訟もなかった。
    • 安河内は以降も事務局長として辣腕を揮っていた。
  2. JBC分裂危機に陥ることもなかった。
  3. IBF・WBOの加盟も史実以上に慎重になっていたかもしれない。
    • もしくは代わりにWBAから脱退していたかもしれない。
  4. 「負けても」問題の際に亀田三兄弟には何らかの救済措置を検討する一方、父の亀田史郎には凄みを効かせて三兄弟に(ボクシング面で)近寄れないようにしていたかもしれない。

大沢宏晋の未公認タイトル戦虚偽報告事件(2012年)[編集 | ソースを編集]

  1. 大沢の東洋太平洋王座剥奪と1年間ライセンス停止処分を受けることはもちろんなかった。
    • その分、世界王座挑戦も早まっていただろう。少なくともパッキャオ復帰戦の前座ではなかった。
  2. 野上真司トレーナーもライセンスを取り消されなかった。
    • その代わり、当時の彼女(後の妻)好川菜々のプロ転向はなかったかもしれない。
  3. WBOアジアパシフィック王座の「王座戦国内開催は認めるも非公認」と言う中途半端な措置を取られることはおそらくなかった。

負けても王座保持問題(2013年)[編集 | ソースを編集]

  1. 亀田ジム関係者への処分はなかった。
    • 亀田三兄弟もそれまで通り日本で試合を続けていた。
      • でも和毅だけはほぼ史実通りか?
    • ただし、この処分についてはトラブルが積もり積もった結果とも言われているので、いつかまたトラブルが起きれば時期がずれただけで処分は免れなかった。
  2. JBCがIBFに不信感を持つこともなかった。
  3. そもそもリボリオ・ソリスが計量オーバーを犯さなければ避けられた。
    • 史実通りソリスが勝ったら山中慎介への挑戦が遅れていた。
    • 「コーラがぶ飲み男」と呼ばれることはなかった。
  4. また、大毅が勝っていてもやはり避けられた(この試合はスプリットデシジョンだった)。
    • 井岡一翔に続く日本人統一世界王者になっていた。
    • ただ、減量苦のため史実と同様に王座返上。