もし大相撲の制度が○○だったら
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横綱の陥落制度があったら[編集 | ソースを編集]
大相撲において、大関までは陥落制度があるが、横綱については陥落制度がありません。もし、横綱に陥落制度があったらどうなっていたでしょうか?
- 実は史実でも昭和25年夏場所から導入される予定だったがファンの反発により撤回されている。
- その時は「2場所連続で負け越すか休場したら陥落」という感じになる予定だった。
- 昔の横綱だったら、「体力の限界」による引退ではなく、大関あたりに陥落した時点で引退を表明。
- 現在でも大関に陥落しても現役を続ける横綱はいないだろう。
- 現在、色々な問題を起こしている朝青龍は、2007年のいわゆる「サッカー」問題で2場所連続出場禁止処分が出された時点で大関陥落した。
- 大乃国、若乃花(3代目。花田勝氏)あたりが、大関に陥落していた。
- 大乃国、横綱陥落後は気楽に取り、優勝も2,3回史実より余計にしたかも。
- しかし、それで「再横綱」になったらプレッシャーからまた不成績、の繰り返し。
- 怪我を押して出場・8勝7敗で勝ち越しなどのふがいない姿をさらけ出すことは無論、玉の海のように現役中に急死するケースが多かった。
- 文部(科学)省が問題視し、国会でも議論となった。
- そのためにいずれ陥落制度は廃止に追い込まれる。
- 横綱陥落の条件は大関陥落以上に厳しい条件が課せられた。
- さすがに負け越し即陥落はないと思われるが、成績にかかわらず不祥事一つで陥落ということもありえたかも。
- 横綱である以上、私生活においても一層厳しく品格が問われることになる。
- 2場所以上連続で全休か勝ち越し前に途中休場したら陥落か?
- 成績上の理由で陥落した場合、翌場所「優勝かそれに準ずる成績」を挙げれば復帰できる規定が設けられた。その場合、横綱復帰に失敗した時点で引退するパターンも多かったかもしれない。
- 15戦とも全勝できれば無条件で復帰できる。
- 陥落して大関になった後、大関からさらに陥落する条件に当てはまった場合、あるいは一定の期間内に横綱復帰できなかった場合は引退ということに。
- 横綱復帰した後、再び陥落相当の成績になった場合も引退か。
- 15戦中、5敗以上で陥落とか、より厳しい条件になっていた。
- むしろ3場所連続休場とかで陥落になっていた。
- さすがに負け越し即陥落はないと思われるが、成績にかかわらず不祥事一つで陥落ということもありえたかも。
- 公傷制度が存在した時代は横綱にも適用されていた。
- 協会の東西合併時に宮城山が関脇か小結まで格下げされた。
- 前の場所で幕内最高優勝した力士がその時点での番付に関係なく次の場所で横綱に番付される制度になる。
横綱の途中休場が認められなかったら[編集 | ソースを編集]
出場して成績が思わしくないと、理由を作って休場してしまう横綱。 ここでは、アクシデントによる明らかな怪我以外の休場が一切認められなかったら、どうなっていたか?を考えます。
- 横綱の皆勤負け越しが多発した。
- よって大乃国は史実より高い評価を受ける。
- 3代目若乃花(花田勝)も。
- 北の湖のような大横綱でさえ、晩年は負け越しの連続。
- よって大乃国は史実より高い評価を受ける。
- 玉の海正洋のように、悲劇的な結末を迎える横綱も多く出る。
- 在位期間の短い横綱が続出する。
- 金星の数が現実より多くなり、協会の財政を圧迫する。
- これより三役に平幕が登場する場所はもっと少なかった。
大関陥落制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]
年6場所制がスタートした1958年、大関陥落の条件は「2場所連続負け越しで陥落」から「3場所連続負け越しで陥落」と改められられたが、これでは甘いということで現行の「2場所連続負け越しで陥落、但し陥落直後の場所で10勝で大関復帰」に改められました。もし大関陥落制度が別な展開を迎えていたら?
- 3場所連続負け越しのままだったら
もし現在でも大関陥落の条件が「3場所連続の負け越しで大関陥落。」だったらどうなるか考える。
- 大受はもう少し長く大関を務めていた。
- 常に大関が10人近くいて、毎場所ほとんどの大関が9勝以下。
- 雅山や出島も陥落してなかった。
- 雅山は陥落直後(公傷休場後)は全休、出島も負け越してるからこの制度でも陥落してますが?
- 小錦、霧島、貴ノ浪も大関のまま引退できていた。
- 雅山や出島も陥落してなかった。
- 千代大海、魁皇、栃東はますます甘やかされ、ダメ大関ぶりに磨きがかかっていた。
- 武双山が最短の2場所で大関を陥落することはなかった。
- 逆に大関昇進基準が厳しくなっていた。
- 琴奨菊も大関から陥落していない (2019年5月時点)
- 把瑠都や琴欧洲はもう少し長く現役を続けていた。
- 1958年から現行制度だったら
上とは逆に、もし現行の大関陥落制度が1958年から実施されていたら。
- 北の富士は大関を陥落していた。
- 豊山も。
- ただしこの2人とも陥落直後に10勝を挙げて大関復帰を果たしている。
- 松登の大関陥落決定時の相手が若乃花ではなかった。
- 栃光の引退が1場所早まった。
- 琴ヶ濵も一度大関から陥落したが、二度目は大関復帰ならず。史実よりも早く引退した。
- 「陥落直後の場所で10勝で大関復帰」という一文がなかったら
1957年以前の制度のまま現在に至っていたら?
- 小錦は大関陥落と同時に引退していた可能性も。
- 栃東が2004年夏場所を全休しなかった。
- 1回の負け越しで陥落だったら
- 「カド番大関」と言う言葉は存在しない。
- 大関と関脇を何度も行ったり来たりする力士が存在する。
- もちろん、10勝で大関復帰という制度はそのままの場合。
- どの大関も、もし途中で怪我をしても、少なくとも負け越しが決まるまでは出場を続けるだろう。
- 公傷制度は導入当初より大関も適用対象だった。
- 序盤における横綱大関同士の取組は史実より少なかった。
- その代わり大関昇進の基準は現実より緩くなっている。
- 3場所連続10勝未満で陥落だったら
- メディア等でも「ここ最近の大関は不甲斐ない」とよく言われますが…。
- クンロクがより屈辱的な意味で使われるようになっていた。
- 勝ち越しても8勝7敗や9勝6敗で陥落と言う事態が平気で起こるようになる。
- 千秋楽にカド番脱出と言うケースは史実よりも少なくなっていた。
- 豪栄道は現在も関脇のままだった。
- 2005年の魁皇みたいに休場と10勝を繰り返すケースがザラにある。
- 一敗したら即陥落だったら
協会側が"大関力士たるもの「ああ播磨灘」の主人公のように「どんな負け方でも一敗したら即大関位を返上する」というぐらいの気概と覚悟を持って土俵に臨んで欲しい"などとのたもうた場合。
- 「さすがに厳しすぎるのでは」という声は当然出てくるだろう。しかし意外と世論の支持は伸びない。
- 協会側の主張が世間に受け入れられ、さらにエスカレートした結果、大関力士は一回でも負けたら即自殺しなくてはならなくなるかのような風潮ができて、さすがに問題となる。
- 下手をすると国会でも問題にされる。
- 協会側の主張が世間に受け入れられ、さらにエスカレートした結果、大関力士は一回でも負けたら即自殺しなくてはならなくなるかのような風潮ができて、さすがに問題となる。
- 「日本相撲協会は人間に神になることを強要している」という批判が内外から出てくる。
- 大関昇進を辞退する、もしくは昇進を回避するために休場する力士も出てくるかもしれない。
- 地位としての「横綱」が廃止されるのは確実。
公傷制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]
- 存続していたら
- 栃東の2度の大関から関脇への陥落は無かった。
- 追風海が早く引退に追い込まれることは無かった。
- 年寄を襲名し協会に残った可能性がある。
- 武双山の引退がもう2~3年延びていた。
- 全治一年の重症を負った吐合や鳥羽の山が既に新十両、再十両を果たしている。
- 千代大海が大関で初日からの7連敗(不戦敗を含めれば8連敗)を記録することはなかった。
- 平成20年代にも何度か二桁勝利できた。
- 十両昇進後の若天狼が序二段落ちを経験せずに済んだ。
- 元関取の大幅な番付降下自体も現実より少ない。
- 把瑠都が2012年九州場所で大関陥落することは無かった。
- もちろん十両まで陥落することはない。大関のまま引退していたか、あと数年現役を続けていた。
- 関取の定員は今でも幕内40人・十両26人のまま。
- 「6勝9敗で番付据え置き」が発生しないため、あのお方に関するネタが減る。
- 照ノ富士が序二段まで落ちることがなかった。
- 令和6年九州場所6日目の御嶽海は恐らく公傷が認められるので翌日から休場した。
- 無かったら
- 魁皇や千代大海の大関在位65場所は無かった。
- 制度があった2003年以前も魁皇の休場は公傷が適用されないケースがほとんどで、翌場所には勝ち越して角番を脱出していたから影響は小さいと思われる。
- 1997年夏場所から秋場所には途中休場→公傷全休→途中休場で関脇から前頭3枚目まで降下しているが、この場合は前頭二桁台か十両まで降下し、その後の三役復帰が遅れていた。
- 千代大海が2003年春場所(史実では公傷全休明け)で優勝することもなかったかも。
- 制度があった2003年以前も魁皇の休場は公傷が適用されないケースがほとんどで、翌場所には勝ち越して角番を脱出していたから影響は小さいと思われる。
- 雅山は大関から4場所連続で休場により十両まで陥落、現実より10年以上早く引退した。
- 出島も1997年九州場所の大怪我で関脇から十両まで陥落、1999年に大関昇進を果たすこともなかった。
- 栃東は平成14年名古屋場所で途中休場して翌場所は全休で大関陥落。九州場所は8勝7敗で大関特例復帰はならず平成15年初場所は途中休場して翌場所は平幕へ陥落し全休。平成15年夏場所で十両に陥落していた。
付出制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]
幕下付出制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]
- なかったら
- 十両までの昇進が板井と同じ場所数で昇進する力士が出てくる。
- 大学や社会人を経ての入門となるため下積み生活に嫌気が差して早く辞めてしまう力士が出るかもしれない。
- どの力士も前相撲を取り新序出世披露に出れば一生に1回は必ず化粧廻しを締めることになる。
- 60枚目格付出のままだったら
2000年までは「直近2年で全日本選手権ベスト16以上、学生選手権、実業団選手権、国体成年Aのいずれかに優勝、または3位以内が2回」という条件(1992年以前はさらに緩く体重別で上位入賞するだけで卒業後に付け出された)を満たした学生相撲出身者に幕下60枚目格付出の資格が与えられました。もしこのルールが改正されなかったら?
- 2023年9月に10・15枚目格付出は廃止され、最下位(60枚目)格付出に再び変更となりました。ただし実業団選手権が対象から外れ、他の3大会で8強以上が条件になるという差異があります。
- 史実で21世紀に入門した学生出身力士はほとんどが幕下付出でスタートしていた。
- 三段目以下で中卒・高卒力士の優勝が減ることもなかった。
- 下田が初土俵の場所で全勝しても「1場所での十両昇進なるか」と注目されることはなかった。
- 三段目付出制度は存在しない。
- 初土俵から所要3場所で入幕する力士は現れなかった。
- 大の里の新十両や新入幕が2場所遅くなっている。
- 10枚目・15枚目格付出がもっと早く導入されていたら
2000年から直近1年以内のタイトル(アマチュア横綱・学生横綱・実業団横綱・国体横綱)獲得者に15枚目格か10枚目格(アマチュア横綱を含む複数タイトル)を与える方式に移行しましたが、これが史実より早く導入されていたら?
- 増健は1996年初場所に幕下15枚目格付出でデビューし、十両昇進が早まっていた(史実では1998年春場所)。
- もちろん長野五輪の開会式にも参加した。
- 十両在位が史実の14場所よリ増え、年寄を襲名できたかも。
- 逆に同期の栃乃洋、海鵬、燁司、翌場所初土俵の出島、時津海は前相撲からのスタートを余儀なくされた。
- ただし栃乃洋は3年の学生横綱獲得直後に中退するか、4年でアマチュア横綱(史実では準優勝)を獲得すれば15枚目格付出になれる。
- 琴光喜は三冠に輝いた3年で中退すれば10枚目格だが、卒業時の入門では4年時にアマチュア横綱を逃したため15枚目格に甘んじる。
- 少なくとも入幕は早まり曙、場合によっては若乃花との対戦も実現していた。
- それでも藤ノ川(服部)や久島海が三役に昇進できたかは微妙。後者は高卒で15枚目格付出からデビューするなら別だが。
- 「入門から1場所で十両昇進」の最速記録を20世紀中に誰かが達成していた。
- 輪島、朝潮、武双山あたりが有力。
- 田中英壽は輪島を差し置いて10枚目付出の資格を得るが結局入門しない。
- 吉の谷が長岡(朝潮)に足取りで勝つことはなかった。
- 逆に雅山は学生時代に主要タイトルを獲得していないので、明治大学を中退することはなく初土俵が卒業直前の2000年頃にずれ込む。
- 輪島、朝潮、武双山あたりが有力。
- 三段目付出制度の導入が早まっていた。
三段目付出制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]
2015年から直近1~2年に全国選手権、学生選手権(2016年から対象に追加)、実業団選手権、国民成年Aのいずれかベスト8以上に入った場合に三段目付出(当初は100枚目格、2022年5月から90枚目格)の資格が与えれらています。
- なかったら
- 幕下60枚目格付出の復活を望む声が未だに根強い。
- 朝乃山と豊山(小柳)の出世が遅れていた。
- もっと早く導入されていたら
- 幕下付出制度の厳格化に対する批判は少なかった。
- 片山、豪栄道、土佐豊、常幸龍、正代、北勝富士は三段目付出でデビューしていた。
- 土佐豊が幕下以下で30連勝の新記録を樹立しなかった。
- 常幸龍のデビューから27連勝、序ノ口から6場所で十両昇進の記録も生まれなかった。
- 国際大会にも導入されていたら
- ワールドゲームズ相撲競技と国際相撲選手権大会の優勝者にも認められていた。
- 外国人の入門制限は史実よりも緩和されていた。
- ワールドゲームズから相撲競技が外れることはなかった。
- 早い時期に導入されていれば、アランと大翔地は三段目付けだしでデビューしていた。
年寄名跡[編集 | ソースを編集]
部屋継承が婿養子優先ではなかったら[編集 | ソースを編集]
つまり、部屋継承は絶対にその部屋出身の年寄(又は所属力士)優先という場合である。
- 立浪部屋は若浪、羽黒岩、黒姫山の3人の何れかが継承し、その次は智乃花が継承していた。
- 大鵬部屋は巨砲が大嶽を襲名する形で継承していた。
- 竹葉山は1989年6月の宮城野襲名以降ずっと宮城野のままだった。
- 佐田の山と琴ノ若(初代)は史実通り。
- 望まない結婚が減っており人権状態が向上していた。
一代年寄制度がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 大鵬部屋、北の湖部屋、貴乃花部屋は誕生しなかった。
- 貴乃花は引退後に年寄「二子山」を襲名していた。
- 二子山部屋が貴乃花部屋になることはなかった。
- 千代の富士は史実とほとんど変わらず。
- 北の湖は年寄「小野川」を襲名し、当初の予定通り小野川部屋を再興していた。
- 一代年寄の所有している株を借りて親方になるという方法が使えないため、相撲協会全体の年寄の数が現実より少なかった。
- 理事選挙の結果に影響した可能性も。
- ひょっとしたら大鵬が二所ノ関部屋を継いでいたかもしれない。
- 当然、白鵬に一代年寄を贈るか否かの議論は起こらなかった。
現行の一代年寄制度がもっと前からあったら[編集 | ソースを編集]
- 可能性がある時期として一番古いのは1909年の優勝制度導入・相撲の「国技」化と同じタイミングか。
- この場合一代年寄第1号は常陸山。
- 太刀山、栃木山、双葉山も確実に対象となっていた。
- 終戦直後までは吉田司家も何らかの形で関わっていたかもしれない。
- 現在、一部の年寄名跡のイメージが現実と違っていた。
- 例:時津風は双葉山が襲名するまで悪いイメージの名跡だった。
- 目安は「最高優勝回数が(年間場所数×3~3.5)回以上」となっている。
- そのため場所数変動をまたいで活躍していた横綱の場合に混乱が生じていただろう。
- 富岡八幡宮に「歴代一代年寄力士碑」が建てられていた。
年寄・行司の定年制がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 相撲部屋の歴史が変わっていた。
- 初代若乃花の二子山部屋と貴ノ花の藤島部屋の合併は行われない。
- 好取組の減少など合併による弊害が批判されなくなる。
- 藤島部屋はその後貴乃花の引退で「貴乃花部屋」になる。貴ノ花は藤島親方として生涯を終える。
- 立浪部屋の師匠は安念山のままだから年寄株をめぐる裁判やその後の立浪部屋の一門の離脱はない。
- 安念山は2021年に86歳で死去。後継者は旭豊でなく直弟子が継いだ。
- 大鵬部屋は大鵬が死去するまで大鵬部屋のまま。死後大竜が継ぎ「大嶽部屋」に改称。史実では本人の定年後、娘婿の貴闘力が継ぎ「大嶽部屋」となったが、野球賭博事件で解雇され(大鵬の娘とも離婚)、大嶽部屋は大竜が継いだ。したがって、貴闘力への継承はない。
- 2007年の時点で時津風部屋の師匠は豊山のままだから、史実で起きた序の口力士リンチ死亡事件は起こらなかっただろう。
- 史実では事件により時津海が部屋を継ぐため強制的に引退させられたが、現役を続けることになる。
- 2021年に時津海が新型コロナウイルス感染対策ガイドライン違反問題で退職したのは史実通りだが、時津風でなく錦島として退職した。
- 土佐豊が時津風部屋を継ぐことはまだない。
- 伊勢ヶ濱部屋の師匠は清國のままだから、旭富士は安治川親方のまま(史実では定年後和晃が継いだが間もなく定年になり、部屋は桐山部屋に統合。旭富士が安治川部屋を伊勢ヶ濱部屋に改称した)。
- 2012年夏場所優勝の旭天鵬は友綱部屋の力士としてでなく大島部屋の力士としての優勝となる(大島部屋は史実では2012年4月に旭國の定年により部屋が閉じて、弟子は友綱部屋に移籍となった)。
- 現在も大島部屋の師匠は旭國で、友綱部屋の師匠は魁輝のまま。
- 三保ヶ関部屋は2013年に増位山の停年により部屋を閉じ、所属力士は春日野部屋に移籍したが、現在も増位山が師匠で部屋も続いている。
- 阿覧も史実より早く引退することはなかった。
- 佐渡ヶ嶽部屋は琴櫻が2007年に死去するまで師匠のため、琴の若が継いだのが史実より遅くなる。
- 琴欧洲と琴光喜の伝達式は琴の若でなく琴櫻が受けた。
- 高砂部屋は富士錦が2003年に死去したため、朝潮への継承が史実より遅れた。
- 朝青龍の横綱昇進当時の所属部屋が若松部屋だった。
- 朝潮は2021年に弟子の朝乃山の新型コロナウイルス感染対策ガイドライン違反問題発覚によりこの時点で退職したのは史実通りだが、年寄名は錦島でなく高砂だった。朝赤龍の高砂部屋継承は史実の2020年より遅れる。
- 武蔵川部屋の師匠は三重ノ海のままだから、武双山への継承はない。
- 武蔵丸は別の年寄名で部屋を興す。
- 三重ノ海が停年後に相撲博物館の館長になることはなかった。
- 東関部屋の師匠は高見山のままだから、潮丸への継承と、その後潮丸の死去による高見盛への継承と部屋が閉鎖されることはなかった。
- 中村部屋の師匠は富士櫻のままで、自身の停年後に部屋が閉鎖されることはなかった。
- 嘉風は中村でなく、別の年寄名を襲名し、部屋を興す。
- 大昇の春日山部屋は2009年に大昇の死去により春日富士が継承した。
- 尾車部屋の師匠は琴風のままで、豪風が継承したことによる中村部屋への変更はなく、尾車部屋は現在も存続している。
- 史実で豪風が創設したのは押尾川部屋です。
- 出羽海部屋の師匠は鷲羽山のまま。
- 春日野部屋は2021年に栃ノ海の死去により、栃乃和歌が継承する。
- 陸奥部屋は2000年に星甲が死去。このときに霧島が継いだ。
- その霧島も2024年に陸奥部屋を閉鎖することはないから、2代目霧島は音羽山部屋に移籍することはなかった。
- 井筒部屋は2006年に鶴ヶ嶺が死去。このときに息子の逆鉾が継いだ。
- 初代若乃花の二子山部屋と貴ノ花の藤島部屋の合併は行われない。
- 年寄株の空きが今より非常に少なくなるか全くなくなるため、協会に残れない力士が多くなる。
- 年寄株の資産価値も上がるはずなのでそれに関する黒い噂も増える。
- 協会葬の対象者も史実より増える。
- 初代若乃花や琴櫻や大鵬が協会葬で送られる。
- 鏡里、佐田の山、栃ノ海も。
- 立行司の代数も史実よりずっと少なくなる。
- その代わり在位1,2場所の立行司は存在しない。
- 年寄取得の条件が現実以上に厳しくなる(十両止まりでは年寄になれない)。
- 横綱、場合によっては大関も無条件で一代年寄扱いになっていた。
- あるいは準年寄枠制度がもっと早くから導入され現在も続いていた。
- 相撲部屋の数が多くなりすぎていた。
- 史実より独立に厳しい条件が付けられただろう。
- 部屋継承を理由に引退する力士が現実より少ない。
- 輪島や琴ノ若は師匠が亡くなるまで現役だったかも。
- 定年制がないため理事長職や理事職に居座る年寄が出てくる。
- 70代はおろか80代、90代の行司が土俵に立つ。
- 立田川部屋は陸奥部屋に吸収されず、2008年の青ノ里死去後に敷島が継いだ。
- その前に立田川部屋は2004年に鏡里が死去するまで師匠だった。
- 定年となった年寄に対する最長5年の再雇用制度は生まれない。
- 22代庄之助と20代伊之助(史実の23代庄之助)体制が平成初期まで続く。もちろん22代庄之助の松翁の称号も満場一致。
- 以降は23代庄之助(史実の27代・1994年~)、21代伊之助(史実の24代・1994年~2013年)、22代伊之助(史実の29代庄之助・2013年~)しか立行司になっていない。
- これでは実力があっても昇進できないので、玉之助や副立行司も廃止されず残っている。
- 立呼出は未だに兼三が務めている。
- 米吉は副立呼出、康夫は三役呼出のまま現役死した。
- 秀男は米吉没後の2021年から副立呼出に昇格。
- 拓郎が2019年に暴力事件を起こしても、三役呼出なので現実ほど騒がれることはなかった。
- 高齢を理由に退職した年寄や行司も多く出ていただろう。
現行の部屋創設条件が1960年代から存在していたら[編集 | ソースを編集]
- タイミングとしてありうるのは定年制導入の1961年や、部屋別総当たり制施行の1965年あたりか。
- 年6場所制定着前に入幕した力士を考慮すると後者の方が妥当に思われる。
- 最高位関脇以下の学生相撲出身力士が創設した部屋はほとんど存在しない。
- 豪栄道の大関推挙が「出羽海部屋のごり押し」と非難される。
- 舛田山は独立できないが、代わりに拓殖大学後輩の栃乃洋が「竹縄部屋」を立ち上げそこの部屋付き親方になった可能性もある。
- 荒磯・桐山・峰崎・荒汐・式秀部屋も誕生しなかった。
- 玉ノ井部屋は2010年代に創設され、花籠部屋は放駒部屋か芝田山部屋に合流していた。
- 高島部屋や春日山部屋の再興を認めるべきかで揉める。
- そもそも芳野嶺が熊ヶ谷部屋を興さず、1982年に三根山から高島部屋を引き継いでいた。
- 高望山は引退後熊ヶ谷を襲名、1996年の芳野嶺停年で高島部屋を継承する。
- そもそも芳野嶺が熊ヶ谷部屋を興さず、1982年に三根山から高島部屋を引き継いでいた。
- 他の部屋師匠への婿入りや親方単独での部屋移籍が続出した。
- 益荒雄は大嶽部屋を継いでいたかも。
- 2013年に濱ノ嶋か肥後ノ海が三保ヶ関部屋を継承する。
- 北の湖部屋が一時的に大所帯になることはなかった。
定年が60歳だったら[編集 | ソースを編集]
- 曙は格闘家に転向せず、2004年に東関部屋を継承した。
- 40代で木村庄之助を襲名する行司が出てくる。
- 若瀬川忠男は玉の海梅吉の降板直後からNHKの専属解説を務めていた。
- 大ノ海の後は若三杉(大豪)か若秩父が花籠部屋を継承。輪島は部屋持ち親方にならなかったかもしれない。
- 大豪は二子山部屋付きの親方だったが・・・
- 巨砲は2000年5月に大鵬から部屋を継ぎ、2016年まで大嶽親方として協会に在籍した。
- 大翔山は1994年に引退して安念山から立浪部屋を継承する。
- 旭豊は21世紀初頭まで現役を続け、2007年に大島部屋を引き継ぐ。
- むしろ羽黒岩か黒姫山が継承して、2006年か2008年に智乃花が継承していた。
- 琴ノ若が2000年に引退していたら2004年名古屋場所8日目の朝青龍戦で「つき手」か「かばい手」かの議論は起きなかった。
- 琴風(尾車)と若嶋津(二所ノ関)は2017年に部屋を畳んでいた。
- 当時尾車部屋で現役だった豪風と嘉風らは二所ノ関一門の他の部屋に移籍していた。
- 移籍先が稀勢の里を擁する田子ノ浦部屋だったら「好取組が減る」とファンが嘆く。
- 友風は別の四股名になっていた。
- 若嶋津が転倒事故で入院する前なので、停年直前に解説で出演できていた。
- 当時尾車部屋で現役だった豪風と嘉風らは二所ノ関一門の他の部屋に移籍していた。
- 魁傑が2008年に停年退職しているため、2011年に起きた八百長問題の収拾が長引いていた。
- 三保ヶ関部屋は1979年に増位山(父)が停年を迎えたため、1981年に増位山(子)が引退するまで増巳山か吉王山が中継ぎとなっていた。
- 初代若乃花は1988年に停年を迎え、当時二子山部屋付きだった隆の里が二子山部屋を継承した。
- 千代の富士は2015年に停年を迎えて、千代大海がこのときに九重部屋を継承した。
二枚鑑札制度が存続していたら[編集 | ソースを編集]
- 部屋を継ぐために引退する力士は少ない。
- 金剛や輪島や琴ノ若や旭豊はもう数年現役を続けていた。
- 時津海と潮丸も。
- 蒼国来も。
- 2005年11月時点で琴ノ若は38歳と高齢だったので、史実通り引退。
- 史実より引退時期が早まっていたかも。
- 2005年11月時点で琴ノ若は38歳と高齢だったので、史実通り引退。
- 蒼国来も。
- 時津海と潮丸も。
- 金剛や輪島や琴ノ若や旭豊はもう数年現役を続けていた。
- 現役中に部屋を創設する力士も居た。
- 旭天鵬は現役のまま2012年春場所後に大島部屋を継承。
- 白鵬は現実より早く帰化して石浦や炎鵬を「白鵬部屋」に入門させる。
- 現役中に部屋を創設出来るのは優勝20回以上の実績を残した力士しか与えられず、一代年寄並みに厳しくなっていた。
一代年寄が自動的に横綱全員に認められていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実ほど名跡不足に困ることはなかった。
- 白鵬も問題なく一代年寄を認められていた。
- ただし日本国籍でないと年寄名跡を認められない条項との兼ね合いが問題になっていたかも。
- 最終的には史実通り帰化したとしても、帰化が必要とするかどうかで議論になっていそう。
- ただし日本国籍でないと年寄名跡を認められない条項との兼ね合いが問題になっていたかも。
- 稀勢の里のように横綱としてほとんど活躍できなくても一代年寄を認められていた。
- 双羽黒に名跡を認めるかどうかが問題になっていた。
- どの親方が現役時代誰か少しはわかりやすくなっていた。
外国人力士[編集 | ソースを編集]
一切認めていなかったら[編集 | ソースを編集]
- 高見山が力士になれないため、東関部屋が存在しない。
- 丸八真綿のCMは無かった。
- 大関貴ノ花(故・二子山親方)との名勝負も存在しない。
- 高見盛は別の四股名で別の部屋から力士になっていた。
- 順当に考えれば高砂部屋でしょう。
- 日大出身だから出羽海、三保ヶ関、入間川、追手風、八角あたりが濃厚では。
- 順当に考えれば高砂部屋でしょう。
- 岩下(岩波)が怪我に泣かされず上位進出できていた。
- 貴ノ花の初優勝が史実で高見山が優勝した1972年名古屋場所となった。
- 優勝回数も1回増えた。
- ここ2~3年はずっと横綱不在。
- 朝青龍は兄とともにK-1ファイターになっている。
- いや、11.のように稀勢の里や琴奨菊が横綱に昇進しているのでその横綱不在はない。
- 在日コリアンはどうしましょうか(笑)。韓国系日本人になっていればOK?
- 力道山とか、横綱になってすぐに急死した○の海とか……
- あとサッカーの三都主みたく、元の国籍に関わらず帰化していればOK?
- それと戦闘竜みたいに片親が日本人の場合はOK?
- 小錦はアメフトの選手になっていた。
- 琴欧洲はずっとアマレス選手のままか、プロレスラーとして来日している。
- 蔵前国技館最後の本場所が地味に終わっていた。
- 琴天山は来日せず、北尾に例の発言を浴びせられることもなかった。
- 北尾は誰にさば折りを掛けたんだろうか・・・
- ハワイやモンゴルの人は大相撲に興味を示していない。
- それでも入門したい人は帰化条件を満たす為に早くから来日。
- 日本の高校・大学相撲部で活躍し幕下付出で初土俵を踏む外国出身者が増えていた。
- それでも入門したい人は帰化条件を満たす為に早くから来日。
- 魁皇、千代大海、栃東の3人の中で最低1人は横綱に昇進している。
- 横綱になっても時々負け越してしまう。
- 負け越す前に休場すると思う。
- 琴光喜も含めた4人。
- 魁皇の横綱と若の里の大関は実現してただろうな。
- 雅山の大関復帰も。
- 魁皇と武双山は90年代のうちに大関昇進、また栃乃和歌、安芸乃島、琴錦、貴闘力のいずれかも大関になれていた。
- 横綱になっても時々負け越してしまう。
- 相撲人気は下げ止まらず、21世紀にもなるとスポーツではなく伝統芸能扱いされるようになる。
- そして時津風事件で興行削減。
- 曙がいないため、貴乃花の最年少横綱が実現していた。
- さらに武蔵丸もいないため貴乃花の優勝記録が伸びていた。
- 少なくとも北の湖の優勝24回は超えていた。
- 若乃花勝はもっと早く横綱昇進を果たし、在位中にも優勝できた。
- さらに武蔵丸もいないため貴乃花の優勝記録が伸びていた。
- 「技のデパート・モンゴル支店」は開店しなかった。
- 2000年に決まり手が15手追加されることもなかった。
- 増健のそこまでのネ申格化もなかった。
- 2000年に決まり手が15手追加されることもなかった。
- 力士の大型化が現実ほど進んでいない。
- 体重増加による負傷休場の多発、相撲内容の低下が起こらなかった。
- 逆に水入りの回数は減った可能性がある。
- 体重増加による負傷休場の多発、相撲内容の低下が起こらなかった。
- 2012年現在、琴奨菊と稀勢の里は横綱になっている。
- 稀勢の里は北の湖のような悪役扱いをされていそう。
- 豪栄道、栃煌山は大関昇進
- 意外かもしれないが、その2人より先に安美錦が昇進。
- 豊真将の最高位は関脇
- ていうか、21世紀に小結を経験した力士の大半が関脇を経験している。
- 三杉里、旭道山、旭豊も。
- 豊真将が日馬富士戦で大怪我することがなかった。
- 貴乃花以降、大横綱が生まれず、毎場所優勝力士が変わるのは当たり前、連覇は滅多に起こらない。
- 横綱・大関以外が優勝することも珍しくない。
- 北勝力は三役を複数場所経験し、大関に昇進していた。
- 曙や小錦や武蔵丸がいないため久島海や小城乃花の三役は実現していた。
- 東欧での相撲の知名度はないも同然。
- 日馬富士と貴ノ岩も存在しないため日馬富士の貴ノ岩に対する暴行事件はなかった。
もっと前から本格参入していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実の日本人横綱はかなり減る。
- 双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花以外は横綱になれたか疑問。
- 羽黒山、栃錦、若乃花(初代)、玉の海、輪島あたりは微妙。
- 栃若は相撲名人なので、横綱になれただろう。玉の海も勝昭曰く「相撲の型が完成された力士」なので、横綱になれたはず。輪島も天才なので、横綱になれた可能性が高い。
- 武蔵山、男女ノ川、琴桜、三重ノ海、大乃国などは関脇止まりか?
- 酷いところになると、栃ノ海(体が小さい),若乃花(3代目の花田勝。2代目は大関になれただろう)は三役も厳しかったかもしれない。あと関脇止まりの可能性が高い力士として、前田山,鏡里,佐田の山,隆の里,北勝海(意外かもしれないが)の名を挙げておく。
- さすがに関脇にはなれただろう。もしそうであれば、現役の三役経験者は外国人がいなければ全員横綱になってるぞ。
- 若貴兄弟が横綱だった90年代にはハワイ人やモンゴル人の関取が複数在位していたのだが。これでも「本格参入」じゃないのか?
- 酷いところになると、栃ノ海(体が小さい),若乃花(3代目の花田勝。2代目は大関になれただろう)は三役も厳しかったかもしれない。あと関脇止まりの可能性が高い力士として、前田山,鏡里,佐田の山,隆の里,北勝海(意外かもしれないが)の名を挙げておく。
- 朝潮(3代)、若乃花(2代)、旭富士は大関止まりか?
- 羽黒山、栃錦、若乃花(初代)、玉の海、輪島あたりは微妙。
- 双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花以外は横綱になれたか疑問。
- 双葉山の69連勝、大鵬の優勝32回もない。
- もっと凄い外国人力士が優勝を重ねているはず。
- よって、外国人力士初優勝の高見山が、スポットライトを浴びる事はそれほど無かった。
- もっと凄い外国人力士が優勝を重ねているはず。
- 品格のない横綱が多発する。
- というより「品格」を求められること自体ない。
- むしろ品格をそれまでよりも求められるようになる。じゃないと客が離れるし。
- 横綱昇進基準の厳格化が早まっていたか?
- というより「品格」を求められること自体ない。
- 相撲人気の低下が昭和時代にすでに起こっていた。
- 2010年現在、未だに力士を輩出していない地域(西欧、中東、インド圏、アフリカ大陸)からも、力士を輩出している。
- ちなみに、史実では2012年にエジプト出身の大砂嵐がアフリカ大陸初の力士となっている。
- 第二次大戦の時には、帰国や収容所隔離のため活動停止を余儀なくされる外国人力士が続出。
- 枢軸国出身の力士ならば「さようなら○○関」などのセレモニーが行われたか…やはり無理?
- 連合国や中立国の出身者は、表向きは追放のような形になるが「ひそかに再会、再度の対戦を誓い合った」等のエピソードが、戦後に感動秘話として語られる。
- 敗戦後には朝鮮や台湾などの出身力士が次々と角界を去る。
- 逆にアメリカ人力士を残し、彼らを日本人力士が倒す場面を国民に見せることで、国威発揚に利用されたかも。
- ソ連国籍の力士は、関取になっても中日にいたキューバ野球選手みたいに平均賃金よりはるかに安い給料しかもらえず(レスリング研修としての入門扱いみたいな扱い)、日本に帰化を要望したりして。
- 力士の出身国にちなんだ「因縁の対決」が多く存在した。
- 「相撲版○○戦争」などと呼ばれることも。
- オーストリア帝国力士vsセルビア力士、セルビア系力士vsクロアチア独立国力士、ユダヤ系力士vsドイツ系力士などの取り組みはさすがにリアルファイトに発展する可能性ありという理由で取り組みができなくなるかも。
- 年寄襲名の条件に「日本国籍保有」が追加される時期が早まっていた。
- 「外国出身力士は1部屋につき1人」の制限も。
- 相撲のオリンピック種目への追加がもっと現実味を帯びていた。
- 海外巡業・海外公演の頻度も史実より高い。
- 特に顕著な実績を残した外国出身力士の引退相撲が出身国で行われるケースもある。
入門制限がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 幕内の半数が外国出身力士になる。
- 残る日本人も大半は学生相撲出身、中卒の肩身がさらに狭くなる。
- 各段優勝を外国人で占める場所がある。
- 一部の部屋における強制引退騒動はなかった。
その他[編集 | ソースを編集]
優勝決定戦制度が○○だったら[編集 | ソースを編集]
- 戦前からあったら
- 双葉山VS羽黒山の同部屋対決が本場所で実現。
- 千代の山は新入幕で優勝していたか?
- 1939年夏場所で12日目に優勝が決まることはなかった。
- 結果が番付に反映されないままだったら
かつては大関以上の力士が同地位で東正位の力士を決定戦で破っても次場所は東正大関or横綱になれませんでした。もし現在も番付編成でこの方針が続いていたら?
- 2001年春場所は東横綱が武蔵丸で西横綱が貴乃花。
- 2002年春場所は千代大海が東正大関で栃東が西正大関。
- 実史通り栃東が武蔵丸に勝っていれば優勝争いが千秋楽にもつれ込んでいた。
- 武雄山の途中休場はなかったかも。
- 白鵬は2008年秋〜2013年初場所の26場所連続で東(正)横綱に在位したことになる(朝青龍に次ぐ2位)。
- 古くから結果が番付に反映されていたら
上記と逆に決定戦の勝者が東の正位になる制度が早くから採用されていたら?
- 大乃国も東正横綱を経験できた。
- 1989年秋場所13日目に千代の富士は旭富士に勝って通算最多勝記録を更新。
- さらに千秋楽で大乃国の横綱皆勤負け越しを決めてしまい「連勝を止められた仕返し」と囁かれる。
- クライマックスシリーズと同じ制度だったら
- 大差の3位が優勝して批判を受けていた。
本名を四股名にすることが禁止されたら[編集 | ソースを編集]
- 輪島や出島や高安などの、本名が四股名の名力士も四股名を名乗った。
- 改名力士情報に掲載される力士の数は現実より少ない。
- 字を微妙に変えたり読みを変えたりしただけのケースが出て物議をかもす。
- 入門直後の力士の四股名は本名に「山」「川」などの字を付けただけというのが定番に。
- 曙や武蔵丸のように外国出身力士が日本に帰化する際に四股名をそのまま日本名に使うのも禁止される。
- 帰化前の本名を当て字で表記するか、妻や師匠の苗字を拝借するのが普通になる。
- 曙(ローウェン・チャド)は「榔園」を苗字にしたかったが「榔」が人名漢字でないため却下されたらしい。
- 帰化前の本名を当て字で表記するか、妻や師匠の苗字を拝借するのが普通になる。
現在も土俵に四本柱があったら[編集 | ソースを編集]
- 一部から大相撲の伝統と格式のシンボルとして祭り上げられている。
- 土俵の房といえば現在も水引幕の中央に下げられているもののこと。
- 力士の大型化に伴って柱が強化されていたかもしれない。
- 衝突した力士の怪我を防ぐため何らかの安全対策もとられていた。
- 3Dの相撲ゲームでは画面が見づらくなる原因になりかねないため開発陣泣かせの存在になっていた。
- 『ああ播磨灘』の劇中で1回くらいは柱が損傷するシーンが描かれていた。
入門が18歳以上限定だったら[編集 | ソースを編集]
- 史実で中卒で入門した力士は全て高卒で入門していた。
- 三代目若乃花は高校卒業で入門し、二代目貴乃花も高校卒業で入門していた。
- 白鵬や日馬富士の入門は2003年以降になり、その分朝青龍の全盛期が延びていた。
- 高卒限定と書きましたが、中卒で18歳に達した人の事を考えて18歳以上としました。
サッカーの勝ち点没収のような「勝ち星没収」処分があったら[編集 | ソースを編集]
- 不祥事を起こした力士が謹慎や出場停止のかわりに適用されていた。
- たとえば、勝ち星7没収を3場所、などというふうに運営されていた。その場合、10勝して五点勝ち越しでも二点負け越しの扱いになる。
- 全休などで勝ち星が0未満になる場合の扱いで揉めそう。
- 強豪力士は優勝争いから脱落、中堅力士はおそらく負け越しになって処罰感情を満たす一方で、人気のある不祥事力士が見られずにファンをがっかりさせたり、過剰に番付を落とすことで相手が弱くなって優勝争いに絡んだり、十両や幕下の若手力士に場違いに強い相手が当たることはなかった。
- 朝乃山や豪栄道は間違いなくこの処分だった。
- 朝乃山や豪栄道は史実ほど番付を落とさず、幕内にとどまっていた。
- 場合によっては竜電や紫雷、かつての朝青龍などもこの処分対象だったかも。
- 竜電や紫雷の場合、実力的に勝ち星没収されながら地位を維持するのは難しく、やはり幕下落ちしていた。