もし明・清の中国が○○だったら

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靖難の変が○○だったら[編集 | ソースを編集]

建文帝が燕王(永楽帝)に勝っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 明の首都は滅亡まで南京のままだった。
    • 結果、北京は北平のままであった。
      • 倭寇にうまく対応でき、モンゴル系遊牧民の攻撃も少なかった事から明は史実よりもう少し長く存続できた。
      • 南京ではなく金陵または京師と呼ばれている。
      • 1550年のオイラートの北京(北平)包囲の衝撃が史実より小さかった。
      • 文禄の役で明は直接大軍を遅れなくなり、史実より日本が戦線を拡大する。しかし、日本の戦術が史実通りである限り勝てはしないだろう。
      • 結果、中国南部の発展が早くなる代わりに北部の発展が遅れる。
  2. 建文帝の祖父の朱元璋の政策を受け継ぎ、宦官が政治に関わることを禁止し続けていた。
    • 結果、史実ほど宦官が幅を利かせることはなく、明王朝=宦官の王朝のイメージが付くことはなく、暗黒の王朝のイメージが付く事もなかった。
    • ただ、後期~末期には宦官が政治に関わる事を禁止するルールに逆らい宦官が政治に関わることがあったかもしれない。
  3. 明の全盛期は15世紀中盤から16世紀始めに到来していたかもしれない。

痛み分けに終わっていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 北京の燕王(永楽帝)と南京の建文帝の南北朝状態になっていた。
    • 日本の南北朝時代のように一つの王朝が国土を統一していたが朝廷が二つある状態になっていた。
    • 結果、周辺諸国はどちらかを正統な明を代表する朝廷にするかで迷っていただろう。
    • 歴史書では「北明」「南明」と呼ばれるのだろうか。

呉三桂が清に降伏しなかったら[編集 | ソースを編集]

  • 1644年、李自成の勢力がの首都北京を陥落させたが、北京近郊の山海関にいた呉三桂の軍勢がに降伏したことで、清がそのまま北京に攻め入り中国支配の基を築いた。
  • もし呉三桂が清に降伏しなかった場合、歴史はどうなったか。

李自成に降伏していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくともこの時点で北京は清のものにならなかった。
    • しかし、李自成の「大順」がそのまま明を引き継いだかというと疑問。南部では明朝の生き残りが挙兵し、李自成の軍も内部抗争や軍規の緩み等大きな問題を抱えていた。
    • 呉三桂も最初は優遇されているが、李自成と仲間割れした可能性が高い。
  2. やがて体制を整えなおし、山海関だけでなく陝西経由で中国に侵攻した清軍を前に、うまく防戦できたか、ということになる。個人的にはそこで清に降伏したと思うが、そうならなかった場合──
李自成の大順が中国を統一したら
  1. 結局明朝の生き残りを掃討するのは呉三桂の役割。
  2. 中国全土を統一した李自成のもとで大人しく余生を過ごすとは思えず、もしかすると史実どおり大反乱を引き起こしたかもしれない(勝算は低いが)。
  3. その後も中国は満洲蒙古に押し込められた清の脅威に何度も脅かされる。
明朝再興の運動に参加していたら
  1. 南京の福王政府あたりに降伏していたら、清の中国統一は遅れていたとは思う。
    • 福王政府はその時点で内部抗争が激しく、呉三桂の待遇は悪かった可能性は高い。結局他の勢力に身を寄せたかもしれない。
  2. 鄭成功と協力していたら、鄭成功の中国本土侵攻作戦はうまくいった…か?
    • たとえ鄭成功と協調できても、彼が生きているまで。死後再び袂を分かつか、そのまま台湾を乗っ取っていたかもしれない。

両軍に戦いを挑みそのまま玉砕したら[編集 | ソースを編集]

  1. 歴史の流れは変わらなかったが、少なくとも後世の人たちに変節漢ぶりを非難されることはなかった。

日本に亡命していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 江戸幕府に明朝復興の支援を要請した。採用された場合は「もし江戸幕府が台湾の鄭氏の援軍要請を受諾していたら」の展開となる。
  2. 採用されなかった場合、水戸黄門あたりに招かれて余生を文人として過ごしていた。
  3. 近松門左衛門の『国性爺合戦』の主役になっていたか、全く登場しないままだった。

明・清・順が分立したままだったら[編集 | ソースを編集]

  1. 近代まで続いていた場合、列強に利用されかねない。
    • 泰平に狎れることがないため、軍事技術なども三国が競い合って発達し続け、ヨーロッパ諸国が束になってもかなわないくらい強力になっていたりして。
      • そうなっていたら欧州列強や周辺諸国は超大国の誕生を防ぐため三国が争い続けるように仕向ける。
    • その場合は日本を開国するのはアメリカではなく中国だったリして。
      • むしろ日本は鎖国せずにスイスのように傭兵を輸出して稼いでるかも
  2. 位置的にも力量的にも、清≒魏、明≒呉、順≒蜀という感じだろうか。
    • 李巌(架空の人物という説もあるが)が諸葛孔明役かな。呉三珪が周瑜で鄭成功が陸遜?
  3. 北元やらチベットやらが西域に跋扈する。
    • 北元ではなくジュンガルでは?
    • チベットの場合、これに加えて大チベットに近い領土で存続している展開になる。
  4. 帝国が三つ存在することになるので史実より帝国の称号の権威が落ち、ベトナム、タイ、ビルマ、朝鮮などが帝国を名乗っていたかも
  5. 結局最後に統一するのはモンゴル系の民族(満洲とはいってない)。
    • もしくはロシアが中原辺りまで支配する。少なくとも内外蒙古・内外満洲・新疆あたりは取られていた。
    • この場合、北満州もロシア領となり日露戦争勃発、韓国併合も史実より早まり、満州国は成立せず、史実で没になった日本への満州(この世界では南満州)併合または割譲が行われ日本の直接統治下に置かれていた
      • 日本の長春は日露の国境地帯に近くなるので史実ほど発展しない

アヘン戦争が○○だったら[編集 | ソースを編集]

清が勝っていたら
  1. 中国が半植民地化される事はなかった。
    • 外満州やカザフスタン東部やキルギスの大部分やタジキスタンのパミール地方をロシアに、台湾を日本に取られる事は無く、租界や租借地も無かった。
  2. 冊封・朝貢体制も史実より長続きしていた。
    • 下手したら今でも冊封・朝貢体制が残っているかも。
    • 下記通り、近代化を果たしていた場合は、清が世界中に冊封・朝貢国を持っていた。
      • 冊封・朝貢国ではない国は清から仮想敵国扱いされる。
    • 中華思想も当然、生き残っている。
  3. 清は欧米列強の支援を受けて近代化していた。
    • 産業革命が1870年代頃に起きていた。
    • 人口が多く産業も盛んなので富国強兵政策は取らず、第二次世界大戦では連合国側で参戦していた。
    • 中国が世界一の経済大国から転落することはなかった。
    • そして中国は世界の超大国になっていた。
    • 冷戦は資本主義のアメリカvs共産主義のソ連vs君主制の中国(清)の三つ巴になっていた。
      • もしくは中国(清)vsソ連となっていた。
      • そして中国の陣営を冊封国とよび、中国の陣営に入ることを冊封と呼び、中国の陣営国が中国の皇帝の元を訪問することを朝貢と呼んでいた。
  4. アヘン戦争で清が敗れた情報が入らないので日本の開国が遅れていた。
    • よって上記通り、清が近代化を果たしていた場合は、清が日本を開国させていたかも。
  5. 上記通り、近代化に成功していた場合は清が今でも存続している。
    • そして正式国名を「中華帝国」ならびに「中国」に改称していた。
回避できていたら
  1. この場合も中国が半植民地になることはなかった。
  2. 中国(清)はゆっくり近代化。1890年代に産業革命が起こっていた。
  3. ≒「林則徐がアヘンを廃棄しなかったら」である。
  4. この場合も、アヘン戦争で清が敗れた情報が入らないので、日本の開国が遅れていた。

清朝が近代化に成功していたら[編集 | ソースを編集]

もし朝が近代化(末期は一部改革もあったが)に成功して連邦国家になっていたらを妄想しましょう

  1. 複数の省を含む直轄領(満州+漢地)と少数民族(チベット・モンゴル・ウイグルなど)が収める藩王国との連邦国家になる。
    • チベット・モンゴル・ウイグルの三藩王国は国内に領主(公国)をつけられる事が許可される。
  2. 中国の皇帝政治は史実よりもう少し長く続いていた。
    • 場合によっては現在も帝政が続いていた。
  3. 日清戦争は清の勝利に終わる。
    • アヘン戦争で史実通り負けての近代化なら日本も史実同様の近代化だから日本が勝つ可能性もあると思う。軍事的に日本以上になるという確証はないし。しかし史実の下関条約ほどの過酷な条件にはならず、列強による清の分割も起こらない。
  4. 『蒼穹の昴』のストーリーが全く別物になっていた。
  5. 日露戦争ではなく清露戦争を発生する。
    • 清露戦争も清の勝利になる、ウラジオストクなど外満州は清に返還する。
      • 「ウラジオストク」ではなく「海参威(ハイシェンウェイ)」と呼ばれているか?
  6. 孫中山はただの医者になる。
    • このため辛亥革命はなくなる。
  7. もし中国国民党が中国共産党に勝っていたらに書かれているいくつかの事は実現していた。

広州湾が条約通り99年間租借されていたら[編集 | ソースを編集]

日本の進出で共同管理下に置かれ、その後日本軍の降伏で中国に返還された広州湾が条約通り99年間租借されていたらどうなっていたかを考えよう。

  1. 返還後は「中華人民共和国広州湾特別行政区」として五十年間特別行政区として高度な自治権が認められる。
    • 返還後の旗と章は青。
  2. 現実の湛江が貿易の中心地であるため、貿易の中心地として発展する。
    • 香港の国際金融中心のような「国際貿易中心」が立てられる。
    • 史実で湛江まで鉄道が伸びたのが新中国成立後のため大陸との中継貿易があまりできず加工貿易のイメージが強くなっていた。
  3. 広州湾人にはフランス語名が存在する。
  4. マカオの一二・三事件のような反宗主国暴動が起こった可能性は低い。
    • 香港でも文革の影響を受けた暴動が起きたくらいなので小競り合いくらいは発生していたのでは。
  5. 湛江市の広州湾租借地を除く部分が経済特区に指定される。
    • 深圳のように民間企業が次々と起業されても全て貿易関連の可能性が高い。
  6. 香港のように反中的になっていた可能性も高い。
  7. 東アジア及び東南アジアの人間は、近くてフランス気分を味わえるので観光客が殺到する。
    • 現実の香港がそこまでイギリスっぽくないことから推測するとフランス臭がそこまで強く漂うということは考えにくい。
  8. 全体的なイメージが「香港の劣化版」と称されていた恐れあり。
    • 少なくとも国際競争力では後塵を拝している。
  9. イギリスと同様にフランスも租借地維持のため早くから中華人民共和国を承認していた。
  10. ベトナム戦争後に多くのボートピープルが押し寄せていた。
    • フランス語が通じるということで旧南ベトナムの高官や高級軍人の亡命も多くなっていた。
  11. 料理大国であるフランスの支配を受けていたということで料理が香港以上に発達していた。
    • 世界各国の中華料理店でもおなじみになるメニューが誕生していたかもしれない。
    • 住民の舌が肥え「広州湾で成功できるなら世界のどこででも成功できる」と料理人の間で称されるような街になっていた。
    • 「食の都」という愛称が付く。
  12. かつてのエールフランスの南回り東京行きは一部が香港ではなくここに寄港していた。
    • 日本航空も60年代から直行便を飛ばしている。
  13. テレサ・テンが一時期居住していた可能性あり。
  14. 広州市と混同されることが多くなっていた。
    • 一部の言語では今でも広州市を「カントン」(広東)と呼んでいる。
  15. 香港やマカオと同様に今でも繁体字が用いられている。
  16. 中国への返還まで外人部隊(おそらく歩兵連隊)も駐屯していた。
  17. 中心部にはパリのようにゴムタイヤを使った方式の地下鉄が走っている。

日清戦争で日本に勝っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本は朝鮮と共に清国の属国に。
    • 辮髪。
      • 辮髪は漢民族に対し満州族への忠誠を示す証として強制したもので朝貢国に対してのものではない。
    • 東シナ海が日本の東に移動。
    • 明治天皇は大清皇帝の冊封の下での日本国王となる。
  2. 列強の清の分割は進まず、日本が植民地化される。
    • 清と日本では市場・人口規模が大きく違うので列強はやはり清を狙い続けたのではないかと。
    • むしろ下にある通り不平等条約が改正され、半植民地状態を脱していた。
    • 案外ロシアあたりにあっさり負けて結局清も分割されてたりして
  3. 辛亥革命で日本は清国のくびきを脱し、そこから近代化をやり直し。
  4. 沖縄は清国領に。
    • むしろ琉球王国が復活。
  5. 台湾は反日に。
  6. 朝鮮も反日だったろう。
    • この点はその後の歴史の流れ次第では。
  7. カップヌードルの会社はなんか別の名前に。
    • 日清食品の社名は日清戦争とは関係ないよ。「日々清らかに豊かな味をつくる」が由来。
    • というより創業者が台湾出身なので下手をすると会社自体存在しなかったかもしれない。
      • その場合、松田産業(現在のおやつカンパニーの前身)あたりがインスタントラーメンの第1号を発売していた。
  8. 日中朝は欧米の植民地に。長崎辺りはイギリスの租借地となって「英国連邦ナガサキ」と呼称。1990年代になってようやく日本に返還。
    • 鹿児島(南九州)がドイツ、北九州がイギリス、四国がアメリカ、北海道・東北がロシアの勢力下になっていただろう。
  9. 朝鮮が今のチベットウイグルみたいな状況に
  10. 戦後の講和条約で日本は多額の賠償金を払わされ、琉球諸島を失うことになった。
    • さらに横浜、神戸、長崎あたりでの特別な権益を認めさせられた。
    • 清はその賠償金を元手に軍拡を行い失地回復を狙っただろう。
  11. 清と欧米各国との間に結ばれていた不平等条約があっという間に改正された。
  12. 日本は国力回復のためロシアあたりと手を組んでいた。
    • この場合、20世紀初めに「日本・ロシア対清」の戦争が発生していた。
      • 日露戦争が起きないため、ロシアは極東を狙い続ける。
    • こうした形で進むとロシア革命は発生しなかったかもしれない。
    • 第1次世界大戦の構図も激変していた。
      • 最終的に現在の世界がどうなっていたか全く分からない…。
  13. 朝鮮は正式に清国の植民地となっていた。
  14. 黄禍論の主なターゲットは清。
  15. 日本国内では敗戦を機に藩閥政府に対する不満が高まっていた。
    • 政党の勢力がさらに拡大していた。
  16. 清国内の政治改革はもっと穏健な形で進んでいた。
    • 孫文などの史実で辛亥革命を起こした革命家たちの出番はなかったかもしれない。
  17. その後の東アジアでは「日本対清国」という構図を利用した列強の勢力争いが繰り広げられた。
    • 第1次世界大戦の勃発が早まっていたかも。
    • 第1次世界大戦の段階で日中戦争(第2次日清戦争?)が勃発していたかも。
      • この場合、日本が同盟国、清が連合国側で参戦していた。
        • そうなれば同盟相手の中の一国であるトルコは、史実よりも一層の親日国となっているはず。
  18. 戦後日本と中国の立場が逆転していた。
    • 日本よりも先に中国が高度経済成長を果たしていた。
    • 1964年の夏季五輪開催地は北京になり、東京五輪は1988年あるいは2008年に開催していた。
    • 最初の北京五輪は1936年に実現していたかも。
  19. 勢いに乗って清はロシアに奪われた外満州や外西北などの失地を回復するための努力をしていた。
  20. 欧州列強に侵食されないため、義和団の乱は起きなかった。