もし羽柴秀吉とねねとの間に子が生まれていたら

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男子だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 名前は「豊臣秀勝」となっていただろう。
    • 実史の豊臣秀勝(秀吉の甥で秀次の弟)は別の名前を名乗ってた
    • 鶴松・秀頼(何れも実史では秀吉と淀殿との間の息子)も考えられた。
  2. 秀吉が死ぬ頃には十分大人になっているため、豊臣家2代目を継ぎ、徳川家康と対立する。
    • 加藤清正、福島正則などが決して家康になびかないので、家康の勢力は現実よりもだいぶ削がれていることになるでしょう。
    • 年齢的に、結城秀康、真田幸村、伊達政宗などと大阪城中で意気投合していると思われる。戦国シミュレーションの主役級勢揃いですな。
      • 直江兼継や前田慶次も仲間でしょうね。
        • 兼継はいいけど、慶次郎はどっちかというとオヤジに近い年代だからなあ……。
          • つまり秀次党がそのまま移行する感じか。「秀頼が生まれずに秀次が神妙に精進していたら」と同じ結果かな。いや、実子というのは大きいか。
    • ネネが20歳(計算し易くネネは1550年生まれの説にしておく)で秀勝(仮名)を生んだとすると1570年生まれで秀吉死亡時の1598年は逆算して28歳か、問題無さそう
      • この場合年齢的に「小牧・長久手」または「紀州征伐」が初陣になる
        • 長久手に主将として出陣して、徳川家康に撃砕されるわけです。したがって、家督継承後にも家康に頭が上がらない。でも家康も乗っ取りの野望は表に出せないが。家光・政宗みたいな関係になるかな。
          • 実子だったら長久手の別働隊を率いさせる必要もなかったかも。別働隊は池田恒興が主将となり、より小規模な軍勢となるため、徳川方に捕捉されず、案外後方撹乱が成功してしまっていたりして。
        • 向こう見ずな性格だと秀吉が心配して別動隊指揮官にしないか、逆にもっと兵力与えるか、秀吉自身も心配してすぐ後を追って出撃して家康を倒しているかも。
    • 淀殿とも対立する。
      • 世継ぎを産んでいない淀殿には、大した権勢もなかったでしょう。
        • 秀吉はお市の血を引く茶々に執着していたから結局、秀頼も誕生してたのでは?
          • 秀頼が生まれていたとしても、この場合世継ぎではないので問題なし。
            • いや、旧織田派がこちらを擁立して、秀吉派と血みどろの争いが。
            • 争いごとにならないように秀吉か兄の秀勝が秀頼を当主に浅井氏再興を認めてたかも?
    • そもそも秀吉の後継者として実権を握っていたら家康は反乱を起こすことが出来ないのでは?
    • 秀勝が幕府を開いていた
      • 関ヶ原の戦いも徳川幕府も戊辰戦争もなかった。
        • 長州と会津の対立もなかった。
  3. 家康に勝った場合は、その勢いで第三次朝鮮征伐を開始。
    • 唐入りの直接の契機は秀吉が実子(淀殿とのあいだの第一子なので、ここで想定されている世継ぎとは別人になります)を亡くした悲しみを吹き飛ばすためとも言われるので、そもそも朝鮮には攻め込まなかったかも。
      • と言うよりも秀吉のアジア征服計画じたい、信長の頃からプランがあったって説があって、ドッチ道朝鮮を攻撃した可能性も・・・
    • それでももし朝鮮に攻め込んだとすると、おそらくこの世継ぎが総司令官になっていたと思われるので、加藤清正と小西行長の不毛な対立も表面化せず、文禄の役の段階で半島制圧完了。
  4. 家族ぐるみで付き合いの深かった前田家の人が正室になるかも。
    • 麻阿とか?
  5. 秀吉の「中国大返し」の大義名分は、実は「養子に貰っていた信長の四男(於次丸)による親の仇討ちを助けること」だった。当時「主君の仇討ち」という感覚は日本人にはほとんどなかったようで、秀吉が「主君の仇討ち」を呼号してもあんまり賛同者は得られなかっただろう。彼が短時間に大軍勢を集められたのは「親の仇討ち」を大々的に宣伝したためらしい。 ねねとの間に世継ぎが生まれていると、信長の子を養子にしてはいないだろうから、はたして中国大返しが成功したかどうか……。
    • 秀吉のことだから、信長の子から適当な人物を見つけて担ぎ出したとは思うけど。
  6. 秀頼&淀殿も当然抹殺。
    • ねねが保護と題して何所かに幽閉すると思う。
  7. 父親似か母親似かで容姿、性格、能力等が大分変わってくる。
    • いつ生まれたかによってもだいぶ状況が変わってくる。
      • 茶々と同い年の場合は生々しい事に(親子で取り合い?)
        • だから世継ぎには前田家の人が……
        • 結果、秀頼は秀勝の息子という見もふたも無い噂が出てきたりして
    • 容姿は母親似だといいな…
  8. 誰か小説書きません??
    • 清水義範が書いてたぞ。「金鯱の夢」っていうタイトル。ちなみにこの作品での世継ぎの名は「秀正」で、本能寺の変の翌年生まれ。
  9. 秀頼は淀城20万石の主となる。
    • 秀頼が父親似の人懐っこい性格なら、兄を慕ってうまくやれそう。
    • 淀君似(および淀君の教育)で気位が高い性格なら、秀吉が生きている間に抹殺。
    • 場合によっては千姫の嫁ぎ先に影響が出る。
  10. 世継ぎの幼少時代のエピソード。
    • 虎之助市松で、「若に武芸を教えるのはワシじゃ!」と喧嘩になる。
    • 佐吉は読み書きを教える役にちゃっかり納まる。
    • 小六おじさんは川遊び(木曽川を下って時には海まで)に連れ出して、後でねねに怒られる。だが、後に世継ぎが海外に目を向けるきっかけになる。
    • 前田家に出かけた際、前田慶治に遭遇し強烈な印象を受ける。
      • 信長に会った時の印象の方が強いでしょう。
    • でも一番かわいがったのはやっぱり秀吉である。
  11. 世継ぎが有名になった場合、戦国無双にねねが参戦できなくなる。
  12. 秀吉の息子の秀勝(仮名)が足利氏の養子になって大阪幕府を成立させた可能性もある
    • (補足として秀吉は足利の養子になって幕府を開こうとしたが断られた)
  13. 秀次が秀長の養子になって二代目大和大納言になっている

女子だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 萌え。
    • 清正、正則、三成が「兄上様」と呼ばれて妹萌えに。
  2. 仮に父親似だった場合、恐ろしいことに……
    • 誰にも、もらわれないかも
      • 強引に前田利家や徳川家康あたりの子供に嫁がせていたと思う。
      • 醜い容貌を隠すために仮面を好んで付ける。
        • 創作作品ではサルのお面を付けるようになる。
    • ただし父の才能も引き継いだため秀吉の天下取りに多大な貢献をはたす。
    • つーか秀吉のコピーそのものかも。
  3. 名前は秀吉の旧名から取って「藤姫」になったかもしんない。
  4. 彼女の子供が豊臣家を継ぐかもしれない。
    • 淀君との醜い争いが…
    • 秀吉の孫に当たるとは言え、後継者にするとなったら、男系の秀頼を優先するだろう。
  5. 天皇家と政略結婚させられている
  6. 「プリンセス・トヨトミ」はどうなってたのだろうか。ストーリーが変わってた?タイトルが変わってた?作品自体が無かった?
  7. 戦極姫などの萌え戦国ゲームでは結構萌えキャラに描かれる。
  8. 生年にもよるが、秀勝か秀次の妻になっている。
    • 宇喜多秀家、小早川秀秋、結城秀康もあり得た。
  9. 史実通り秀頼が継ぎ、家康が江戸幕府を創設して大坂の陣が起きた場合、秀頼の姉にあたる彼女の夫が豊臣方で参戦していたかも。
    • あるいは、豊臣一門でありながら母親の高台院の木下家のように生き残り、秀吉の血筋が後の世まで受け継がれていたか。