もし都営地下鉄が○○だったら
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延伸関連はもしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄へ記載するようお願いいたします。
1957年6月の都市交通審議会における「地下鉄建設を複数の事業者が進めるべき」という提言がなかった場合などが考えられる。
- 史実どおりに営団が民営化した場合、東京は世界でも稀な(?)地下鉄を全て民間企業が運営している大都市となる。
- もっとも海外の場合は国営や公営が基本だしなぁ。
- 史実通りに12号線が計画された場合、東西線以降の営団各線と同じ規格で建設され、1067mm軌間、20m級4ドア車両8~10両編成での運転となる。どこかで既存線区と線路をつなげて大規模検査は綾瀬か深川で行なう。
- 各線開業段階では、1号線は丸ノ内線500形を1500V・パンタグラフ集電仕様にした車両が、6号線は5000系が、10号線は7000系辺りを台車だけ1372mm仕様にした車両が、12号線は(史実の)9000系か05系辺りと似たような車両が導入される(10号線は開業時期が史実どおりになった場合、こっちに「9000系」辺りの番号がついている)。
- 各線とも史実とは違う路線名を名乗っている(6号線は「三田線」だったかもしれないが)。
- 営団のセンスからいくと1号線が日本橋線・10号線が岩本線・12号線が麻布線だったのでは?
- 1号線→品川線、10号線→江東線みたいになってるんじゃなかろうか。
- メトロの路線名は都心の名称か路線の性質からつけることが多いから1号線は京橋線とかだったかも。10号線は江東線より城東線の方がそれっぽい気がする。
- 6号線は違うのならば大手門線だったと思われる。
- 1号線→品川線、10号線→江東線みたいになってるんじゃなかろうか。
- 営団のセンスからいくと1号線が日本橋線・10号線が岩本線・12号線が麻布線だったのでは?
- スカイライナーの1号線乗り入れが2012年現在、既に実現していたかもしれない。
- 6号線は2代目車両の登場時に7号線と車両が共通化されていた。この2路線の関係も、8号線と13号線のような関係になっていた。
- 6号線(三田線)も7号線(南北線)と同様に2015年までに発車サイン音が音無川の流れから置き換わっていた。
- 12号線も発車サイン音導入時から「素直な心」ではなく各駅ごとに違うメロディが導入されていた。
- 12号線開業時は素直な心→民営化後にメロディが変わるという可能性もありゆる。
- 可能性というかそうだったと思う。(営団は新規開業路線にはブザーではなくメロディを導入する方針だったため)それに、開業当初からホームドア設置・ワンマン運転が実施されていた。
- 12号線開業時は素直な心→民営化後にメロディが変わるという可能性もありゆる。
- 12号線も発車サイン音導入時から「素直な心」ではなく各駅ごとに違うメロディが導入されていた。
- 6号線(三田線)も7号線(南北線)と同様に2015年までに発車サイン音が音無川の流れから置き換わっていた。
- いくつかの駅名や番線が史実と異なっていた。(春日駅=後楽園駅・新宿西口駅=新宿駅など)
- 1号線 - 新橋・浅草が3・4番線
- 日比谷線上野駅の例を見るに新橋駅は普通に1番線・2番線だったのでは?
- 6号線 - 日比谷が5・6番線、大手町が7・8番線、神保町が1・2番線、後楽園(春日)が3・4番線
- 7号線- 市ケ谷・後楽園が5・6番線
- 10号線 - 新宿三丁目・市ケ谷が3・4番線、神保町が5・6番線
- 11号線 - 神保町・清澄白河・住吉が3・4番線、大手町が9・10番線、押上が5・6・7・8番線
- 清澄白河は5・6番線になるはず。
- 12号線 - 新宿(新宿西口)・門前仲町・月島・麻布十番・六本木が3・4番線、青山一丁目が5・6番線、飯田橋・後楽園(春日)が7・8番線。本郷一丁目駅は3・4番線になっていたかは怪しい。
- 史実の大江戸線新宿(6・7番線)は「新宿南口」か何かを名乗っていた。10号線新宿駅とも別の改札になっていた。
- 13号線 - 新宿三丁目が5・6番線、東新宿が3・4番線
- (追記)中野坂上駅の12号線が4・5番線。
- 東新宿は3〜6番線なはず。
- 神保町は元から連番。よって番線番号は史実通り。
- 間違いなく春日駅は後楽園駅、大門駅は浜松町駅になっていたはず。
- それ以外だと本所吾妻橋→吾妻橋、東日本橋→久松町、西巣鴨→滝野川、板橋区役所前→仲宿、高島平→四ツ葉町、新高島平→高島平、西高島平→三園町、小川町→淡路町、東大島→小松川、都庁前→西新宿(4号線の西新宿駅は淀橋駅を名乗る)、国立競技場→千駄ヶ谷、牛込柳町→柳町、練馬春日町→春日町(春日駅が存在しないため)という感じになりそう。
- 1号線 - 新橋・浅草が3・4番線
- 押上駅は1号線の方も京成ではなく営団の管理になっていたか、開業時は京成管理になっていた場合でも11号線の押上駅延伸とともに京成から営団に管理が移管されていた。
- 1号線は、史実とは異なり品川〜押上が本線、泉岳寺(この場合高輪になっていたかも)〜西馬込が支線になっていて、史実の4号線と似たような状態になっていた。
- ラッシュ時や入出庫便のみ8両で日本橋方面直通、日中はさすがに3両はないだろうが4~6両の折り返し運転で、2000年代にワンマン化される。
- ナンバリングは民営化時点では4号線と同じく、本線の品川〜押上が大文字(路線名が史実通りならA01~A14)・支線の高輪〜西馬込が小文字(史実通りならa03~a08)で振られていたが、こちらの場合支線側の駅数が多いため、西馬込支線の駅番号は方南町支線とは逆に西馬込側に向かって増える形を取っていた。当然ながら、丸ノ内線と同時期にAbのようなものに変更される。
- 史実と異なり、営団の社員団地があるところに車庫ができるため入出庫線は馬込から伸び、西馬込駅は4号線の方南町駅のような構造(半頭端型島式1面2線・有効長4両)となっていた。もちろん2017年ごろから方南町・北綾瀬と同時に西馬込も8両編成対応工事が行われる。
- 1号線の浅草-押上はもう少し北寄りに建設され、1号線浅草駅は3号線(銀座線)の直下にできていた。
- そのまま1・2番線ホームの下地下3階に所在している。この場合本所吾妻橋駅は開業せず、代わりに言間橋駅が開業していた。
- 10号線はさっさとVVVF車に対応化され(10号線車両は6000系・7000系と同年代の車両になるので、早ければ'90年代半ば過ぎにB修でVVVF化)、京王も9000系を新造段階で乗り入れさせていた。
- シルバーパスや都営交通無料乗車券は使用できなかった(都バスのみ有効)。
- 九段下の10号線や高輪の西馬込支線の乗り場に変な営団ブザーが導入されていた。
- 九段下駅の10号線・11号線ホームは実際の相対式並列構造ではなく、表参道の3号線・11号線ホームと同じような対面乗り換え可能な島式2面4線の構造になっていた。3・6番線を11号線(半蔵門線)が使用し、4・5番線を10号線(この場合城東線か?)が使用する。
- 6号線と9号線の日比谷〜大手町も似たような構造(内側6号線・外側9号線)になっていたかも。この区間の全駅がこの構造だった場合、二重橋前駅は内側2線を挟んだ相対式ホームになっていた。
- そうではなく大手町が赤坂見附のような構造になっていたと思う。5・7番線が9号線(千代田線)で6・8番線が6号線(大手門線ないし三田線)。この場合、6号線か9号線のどちらかまたは両方に変な営団ブザーが導入されており、営団末期の6号線のワンマン運転開始・メロディ化以降も9号線メロディ化まで残存していた。また駅の二重橋前寄りに6号・9号連絡線が設けられ、日比谷延伸時は暫定的に単線並列で6号線と9号線が同時開業していた。
- 九段下の配線は逆だったような気がする。(半蔵門線が同一平面上を直進し10号線が地下1階まで上がるため)そのため、半蔵門線の開業までは史実の副都心線開業当初の渋谷駅のように半蔵門線が通る予定となっている中側2線にホーム上を行き来可能な通路が設けられ、実質的に島式1面2線として運用される。開業時期から考慮するに営団城東線(史実の都営新宿線)九段下駅の発車ブザーは表参道と同じ低音和音ブザーが導入されていたと思われる。
- 6号線と9号線の日比谷〜大手町も似たような構造(内側6号線・外側9号線)になっていたかも。この区間の全駅がこの構造だった場合、二重橋前駅は内側2線を挟んだ相対式ホームになっていた。
- 2018年11月現在、史実で都営路線となっている路線のうち1号線以外の3路線は発車サイン音が各駅毎に別の発車メロディ(スイッチ製)が導入されていた。順序は2014年頃に12号線のメロディが「A線:メロディ・B線:素直な心」から西新宿〜光が丘間の各駅毎のメロディにリニュアル、続いて6号線が2015年3月に7号線と同時に音無川の流れから各駅毎のメロディに同時リニュアル、10号線は9号線・11号線と同時期の2018年秋に導入(本八幡か大島あたりに手始めに導入され、その後すぐに新宿三丁目〜本八幡間の全駅に一斉導入・営団ブザー廃止)。
- というか12号線は変更前は環状部と放射部で別のメロディを使用していたと思う。(誤乗防止のため)
- 2号線同様2019年までに1号線もブザーが消滅予定になっていた。
- 各路線とも北行・南行、東行・西行という名称は使用されていなかった。1号線は押上方面がA線で品川・西馬込方面がB線、6号線は7号線と同じく目黒方面がA線で西高島平方面がB線、10号線は新宿方面がA線で本八幡方面がB線。
- 逆では?
- 6号線の春日駅は実際の場所よりも南に後楽園駅として建設されていた。7号線・12号線の開業後後楽園駅は大手町と同じようなロの字状の駅配置となっていた。
- だとしても同一駅としては離れすぎなので小石川駅だろう
- 12号線の開業時点での駅名標は史実のような黒地のものではなく、南北線などで導入されていたラインカラーに市松模様のものが導入されていた。
- 10号線の急行運転は5号線(東西線)のそれと同じく大島(若くは住吉)まで各駅に停車してそれ以遠は終点本八幡まで優等運転を行っていた。
- 1号線の品川・泉岳寺間は当然営団が建設する。そのため、この一駅間だけ無駄に京急の初乗りを払う羽目にはならなかった。
- 1号型ATSは営団型ATSと呼ばれていた。
- 他都市で地下鉄・バスが同一事業者であることを考えると、そちらとサービスなどでの足並みを揃える関係から、この場合でも東京メトロと都営交通の間で何らかの提携は行われていただろう。もちろん都バス・都電・都営交通全線一日乗車券でも地下鉄一日乗車券定時による特典サービスも受けられた。
- 6号線(大手門線?)の東武東上線乗り入れが実現していたかもしれない。その場合、6号線の終点が和光市となっていた。但し、東横線と日比谷線の相互直通運転と同様に2008年の副都心線開業により6号線と東武東上線の直通運転は打ち切りとなる。
- 日暮里舎人ライナーはどちらの所属だったのだろうか。大阪では大阪港トランスポートから移管されそのまま大阪メトロとなっているし、元々7号線の支線として計画されたことからメトロの可能性もあるので。
- 史実通り新交通で開業していれば第3セクターの運営になっていただろう。東京メトロの出資ぐらいはあったかもしれないけど。
- 12号線は大阪の9号線同様そもそも建設されなかった可能性が高い
- 2010年代後半に東京メトロの上場ができていた
- 関連項目
- 社名は某都知事の影響で株式会社首都地下鉄東京。
- 猪瀬ならともかく、舛添都政になった今なら別の名称になってそう。
- 横文字大好き小池都政なら「株式会社東京サブウェイ」に…メトロとサブウェイが混在して訳が分からなくなりそうだ。
- 猪瀬ならともかく、舛添都政になった今なら別の名称になってそう。
- 浅草線の駅員は京急と京成に派遣してもらう。
- 三田線の駅員は東急に委託。
- 駅が綺麗になる。
- 翌日東京地下鉄株式会社と合併した。
- 但し対等合併ではなく旧都営がメトロを吸収する形になる。
開業から1978年まで浅草線は1号線、三田線は6号線、2000年まで大江戸線は12号線と呼ばれていた(新宿線は建設時に10号線と呼ばれていた)
- 新宿線は都営10号線で開業していた。
- 存在しない鉄道に都営2~5・7~9・11・13号線は存在しないという項目ができる。
- その項目名だったら「「都営2〜5・7〜9・11号線は存在しない」はわかるけどなんで13号線が出るんだよ別に疑問に思わん」と一般人から突っ込まれる。
- 駅ナンバリングが路線数字-駅番号となる。
- 後に東京さくらトラム同様愛称を導入していたかもしれない。
- それでも現実の大江戸線がゆめもぐらになったかどうかは分からない。
- 全国的に数字の路線名が広がっていた。横浜市営地下鉄ブルーラインも1、3号線のまま。
2000年まで正式路線名には都営を冠していた
- それでも多摩川線(西武と東急に同一路線名あり)のように都営とメトロの路線名がかぶるという事はないはず。
- 現実でも営団地下鉄→東京メトロがある以上都営○○線と呼ばれるのは変わらない。
- 京急との直通は無かった。
- 京急青山線が開業していた。
- 一方で浅草線も直接品川駅に立ち寄るルートを採っていたと思われる。その代わりに高輪台駅が存在しない。
- もちろん、京成の改軌もない。
- 京成は新宿線とも乗り入れていた。
- 5300系を新宿線にも投入できるので、新宿線のVVVF車への対応がもっと早くなっていた。
- これは浅草線・新宿線双方が標準軌だった場合も同じ。
- 「勝手に鉄道建設」で強引に京王と直通運転をさせようとする人が続出していた。
- 東急との直通はなかった。
- 目黒線は南北線直通に統一される。
- 京急に乗り入れ、西高島平から羽田空港への直通列車が走っていた。
- 史実の泉岳寺行きがそのまま三田線方面行きになっていた。
- 志村の車両基地は建設されない。浅草線と馬込の基地を共用する形態になる。
- 当初6000系の帯色は赤だったのだが、ラインカラーを営団と統一する際に青に変更された。
- 流石に丸ノ内線の赤色とは若干違う色合いになっていた。
- 6000系の帯色自体は変更されないだろうから、完全に反映されるようになるのは6300系導入後になっていただろう。
- 東西線のラインカラーは水色ではなく濃い青色になっていた。
- 色合いにもよるが、東急直通時に6300系が違和感なく東急沿線に馴染んでいた可能性が高い。
- 現実の大江戸線と三田線のラインカラーが入れ替わっていた。
東京オリンピック前のインフラ整備にあたり営団日比谷線計画と東京都の地下道路計画がバッティングすることから両者で揉め、東京都が営団に地下空間を譲る代わりに三田線の建設計画を営団からもらったという話がある。
- 大手町から先のルートが全く異なっていたかもしれない。
- どちらにしろ東急との相互直通計画が最初からなかった。
- 営団地下鉄と直通できるならということで東武東上線直通が実現していたかもしれない。
- 仮に実現していても、史実通り目黒起点となった場合は目黒延伸時に営団車の片乗り入れに変更されるためこの時点で直通本数が減少し、史実で2013年に行われた東横線・日比谷線の直通打ち切り同様、2008年6月13日を以て直通運転打ち切りとなっていたと思われる。
- 東急ではなく、国鉄の京浜東北線が品川から6号線に直通する計画になっていた。
- 営団地下鉄と直通できるならということで東武東上線直通が実現していたかもしれない。
- 大手町駅が国鉄の線路沿いに作られ、そこより有楽町、銀座、西新橋を通って三田に至るルートが一番現実的では
- 当初計画や乗り継ぎを考えれば東西線と同一平面上に作られて三田方に5・6号渡り線が設けられると思われ。
- どちらにしろ東急との相互直通計画が最初からなかった。
- 史実通り目黒起点となった場合は後々南北線と車両が統一されていた。
- 営団末期に南北線に合わせてこちらもワンマン化されて発車サイン音が営団ブザーから音無川の流れに変更され、その後南北線と同時期に駅ごとに異なるスイッチ製のメロディにリニューアルされるものと思われるため、メトロの路線で唯一営団ブザーが営団時代に廃止され、唯一発車サイン音が二度変更された路線になっていた。
- 三田線が5番線・6番線を使用するため、千代田線と半蔵門線の大手町駅の番線番号は2つずつずれており、千代田線が7番線・8番線、半蔵門線が9番線・10番線を使用していた。
- 同一平面上なので3・6番線が東西線、4・5番線が三田線。
- 和光市まで開通していた場合、07系の東西線転属回送は有楽町線→和光市駅・和光検車区→三田線→大手町駅構内5・6号渡り線→東西線というメトロ完結のルートで行われていた。
- 大宮西部か上尾まで延伸していたら、新大宮バイパスの真下を走行していた。
- さいたま市桜区にある駅が数駅増えていた。
- 特に西浦和駅がより栄えた駅になっていた。
- 恐らく都営ではなく埼玉高速鉄道などの別の会社して開業していたかもしれない。
- 南埼玉地下鉄みたいな名前で新設していたかもしれない。
- 埼玉大学の学生も使っていた人も多数いるだろう。
- それでも最寄り駅から大学まで徒歩10〜15分はかかっていた可能性が高い。
- 与野や大宮などに初めて東急車が通るようになった。
- 浦和は埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線についで2番目。
- 埼京線や京浜東北線などは現実よりも利用客が少なく、通勤ラッシュ時もかなり混雑することも無かった。
- 湘南新宿ラインや上野東京ラインも。
- それでも埼京線や湘南新宿ラインや上野東京ラインは現実通り開業している。
- 本八幡で京成に乗り入れ、橋本から成田空港への直通列車が走っていた。
- 「スカイライナー」は新宿経由となり、現実より利用客が多かった。
- 逆に成田エクスプレスは品川経由で迂回するルートも災いして、山手線の西側への利用客は現実より少なくなっていた。
- もちろん京王線も標準軌に改軌されている。
- 「スカイライナー」は新宿経由となり、現実より利用客が多かった。
- 本八幡から先の千葉県営鉄道も実現し、成田スカイアクセス開業後はスカイライナーはこちらを経由するようになっていた。
- 千葉ニュータウンは新宿に直通できるのが魅力ということで現実の数倍発展していた。
- 新宿発着のスカイライナーがあれば成田は羽田に対して競争力を維持できていたため、羽田の国際化があまり進まなかった。また、スカイライナーが橋本まで直通していた場合は、横田基地の民航化の議論も存在しなかった可能性が高い。
- 京王が改軌しなかった場合、本八幡側が先に開通していた。
- 新線新宿という駅名もなかった。
- おそらく地下化は時代の流れからされていただろうが、初台・幡ヶ谷は廃止されていた。
- 新宿から笹塚まで3.6kmあるし、駅自体が廃止されることはなかったのでは?
- 京王が改軌しなかった場合でも京王新線のみが標準軌で建設されていた。この場合は京王本線と京王新線の軌間が異なるため新宿線から来る列車は全て笹塚折り返しとなり、調布方面に行く人は笹塚で乗り換えが必要になっていた。京王新線内には車庫を作るスペースがないため、京王新線用の標準軌の車両は都営の大島車庫を使用していた可能性が高い。
- 狭軌の井の頭線を含めれば京王は首都圏で唯一、3種類の軌間の鉄道を持つ鉄道会社になっていた。一方、都営地下鉄は標準軌と狭軌の2種類のみとなっていた。都電荒川線は鉄道ではないためここでは考慮しない。
- おそらく地下化は時代の流れからされていただろうが、初台・幡ヶ谷は廃止されていた。
- 新線新宿という駅名もなかった。
- 京王は現在も、両開きドアにこそなるものの、車両規格は18m級3ドア車のまま。その代わり優等列車は11~12両編成で運転されていた。
- 京王は関東大手私鉄で唯一地下鉄直通がない会社に。
- 大江戸線と直通すべきという声が上がるが実現せず。
- 史実では1997年に急行が導入された(京王乗り入れは2001年から)。
- おそらく東西線のように都心部は各駅、途中から数駅を通過するスタイルになっていた。
- 初期の京王直通列車が岩本町止まりだった事を考えると、隣の馬喰横山までは各駅停車になっていた。
- この為本八幡開業までは追い抜きが出来なかった可能性が高い(後に停車駅見直しで史実のような停車駅に変更されていれば話は別)。
- 初期の京王直通列車が岩本町止まりだった事を考えると、隣の馬喰横山までは各駅停車になっていた。
- 万が一停車駅が史実とほとんど同じものだとしても、九段下や曙橋(但しフジテレビのお台場移転まで)にも停車していたかもしれない。
- 大江戸線開業まで森下が通過駅になっているのは史実通り。
- 間違いなく本八幡開業までは大島止まりだった。
- 急行利用が定着しており、史実のように大幅減便されることはなかった。
- 三田線とつながっていた。
- もちろん京王線も狭軌に改軌されている。
- 都営10-000・10-300R形は、引退後インドネシアに譲渡されていた。
- 本八幡で総武本線とつながっていた。
12号線(大江戸線)は当初、新宿線と同程度の20m級車両10両編成で建設される計画でした。これが小型車両・リニアモーター車方式に変更されずに建設・開業となっていたら。
- 軌間はおそらく1067mmとなり、赤羽橋付近か春日で三田線と線路をつなげていたであろう。そのため車両の大規模検査は志村で実施。
- 軌間が標準軌だったら浅草線とつないで浅草線と大江戸線の直通運転が計画されていた。
- 但し浅草線の乗り入れは押上まで。京成には乗り入れない。
- 元々の計画では馬車軌で新宿線の代わりに京王と相互直通を行う予定だったらしい。
- 三田線だったら8両が限界では。
- 軌間が標準軌だったら浅草線とつないで浅草線と大江戸線の直通運転が計画されていた。
- 12-000形は6300形と色だけが違う車両になっていた。
- 少なくとも開業当初の段階では車掌が乗務していた。
- 地下鉄で唯一の電気機関車E5000形は製造されなかった。
- トンネルが大型化するため、史実よりさらに深くなっていた。
- 史実では路線名:東京環状線、愛称:ゆめもぐらになるはずが、石原都知事の横槍で大江戸線にさせられた。
- どのみち環状運転を行っていないのは事実なので、愛称であるゆめもぐらが優先的に使われていた。
- 汐留駅ではゆりかもめに誤乗しないよう何かしらの対策が取られていた。
- 路線名自体が長いので、愛称だけ没になっていたとしても「環状線」と略されていたのは間違いないだろう。
- 何かと愛知環状鉄道と比較されるようになっていたかもしれない。
- 都庁前駅の構造共々、8の字運転構想の為の布石と噂されるようになっていた。
- 山手線も昔似たような運用を採っていた事が「環状運転ではないから環状線ではない」という批判への反論の根拠になっていたかもしれない。
- ロンドン地下鉄の環状線も現在は大江戸線みたいな運行形態に変わってるから、おかしな話ではないんだがね。
- 環状部で完全な環状運転を行う案も計画初期にはあったそうですが、新宿近辺の工事が困難なことから6の字運転に計画が変更されたそうです。
- おそらく都庁前ではなく新宿が2面4線になっていた。
- 名古屋市営地下鉄名城線・名港線のように、光が丘-新宿間は別の路線名になっていた。
- 場合によっては「12号線」を名乗ることはなかったかもしれない。
- 駅ナンバリングは光が丘が起点になっていたかもしれない。
- 名古屋市営地下鉄名城線・名港線のように、光が丘-新宿間は別の路線名になっていた。
- 環状部の路線名は東京環状線で即決していた。
- 史実の車両は小さすぎると判断されるものの、10両は輸送力過剰と判断され6両編成で開業。
- 軌間はおそらく1067mmとなり、南北線と直通運転を行っていた。
- 90年代半ばに大江戸線の先行開業区間と南北線の先行開業区間を合わせ、赤羽岩淵ー飯田橋ー光が丘の直通ルートで先行開業していた。(史実と違い、都庁前駅から光が丘方面にはどちら側の電車も直通できるようになっていた)
- 王子ー練馬のエイトライナー代わりにもなるといはいえ結構遠回りで時間がかかるルートなので、全線開業後は麻布十番から南北線、東急電鉄に直通するルートに変える。そのほうが需要に則しているだろう。とはいえ朝ラッシュ時などはあってもいいかもしれない。
- 90年代半ばに大江戸線の先行開業区間と南北線の先行開業区間を合わせ、赤羽岩淵ー飯田橋ー光が丘の直通ルートで先行開業していた。(史実と違い、都庁前駅から光が丘方面にはどちら側の電車も直通できるようになっていた)
- 史実より車両が大きく余裕ができていた。
- トンネルの断面は大きくなるが、ホームの長さは史実より少し短くすんでいた。
- 全線開業以降は、完全環状運転の便と、光が丘ー都庁前ー麻布十番ー南北線直通の便の2系統が走っていた。
- その場合、環状系統が東京環状線ゆめもぐら、放射系統が西江戸線になっていた。
- 飯田橋ー新宿西口ー麻布十番までの両系統が乗り入れるエリアは史実よりも本数が増えていたが、環状部東側の飯田橋ー麻布十番までのエリアは史実より本数が減っていた。
- 都庁前駅の配線は史実より複雑になっており、環状線のどちら側からも放射部分に乗り入れられる上、放射部分の折り返し(都庁前ー光が丘)運転も可能になっていた。
- 史実の混雑区間である練馬ー麻布十番のうち都庁前ー麻布十番あたりの輸送力が強化され、閑散区間である飯田橋ー門前仲町あたりの輸送力が減少していた。
- その場合、環状系統が東京環状線ゆめもぐら、放射系統が西江戸線になっていた。
- 都心よりは土地に余裕がある郊外部は、将来的な東西線、西武新宿線、西武池袋線との直通や10両化を見据えていたかもしれない。
- とりあえず郊外部のホームを8両にしていれば、南北線から新横浜線に直通していたかも。
- 史実より早く延伸計画は進んでいた。
- と思いきや、史実よりも赤字に苦しんでいたかも。