もし長崎本線が○○を通っていたら
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久留米が起点だったら[編集 | ソースを編集]
- 鳥栖駅は鹿児島本線のただの途中駅になっていた。
- 特急の半数近くは鳥栖を通過していた。
- 普通列車の鳥栖行きは設定されることはなかった。
- 博多方面からの鳥栖行きは全て久留米行きになっていた。
- 福岡近郊区間の南端が久留米になっている。
- 逆に筑後・熊本方面からの鳥栖行きも全て久留米行きになっていた。
- 鹿児島本線筑後地区のワンマン運転の北限は久留米駅になっていた。
- 熊本地区の815系・817系の北限も久留米駅になっていた。
- 久大本線普通の鳥栖乗り入れもなかった。
- 現実の長崎本線普通の鳥栖発着も当然久留米発着になっていた。
- 博多方面からの鳥栖行きは全て久留米行きになっていた。
- 鳥栖市の新幹線駅設置(新鳥栖駅設置)は当然無かった。
- 機関区と操車場も鳥栖ではなく久留米に設けられた。
- 久留米は国鉄の街となり、工業と交通の便が合わさりかなり発展していた。
- 機関区廃止後は再開発が行われ、未来的なビルが立ち並ぶ。
- 鳥栖スタジアムが建設されず、サガン鳥栖も誕生しなかった。
- 代わりに久留米にJリーグクラブが出来たかは微妙。参入したとしても21世紀に入ってからになる。
- 久留米は国鉄の街となり、工業と交通の便が合わさりかなり発展していた。
- 明治時代は田代の方が発展していたので、田代に市街地が出来、快速は田代に停まる(特急は多分無理)。
- みやき町役場(旧北茂安町役場)や上峰町役場の近くを通っていた。吉野ヶ里公園から現実の長崎本線と同じルートになっていた。
- 肥前麓駅と中原駅は存在しなかった。
- 代わりに北茂安駅と上峰駅ができていた。
- 長崎本線は福岡県を通る路線になっていた(但し久留米駅だけ)。
- そのため鳥栖から佐賀県の他市町村まで鉄道移動するとき(その逆も可)、必ず福岡県(久留米市)を通ることになっていた。
- 博多~長崎間の直流列車(特急かもめ・みどり等)は、福岡県-佐賀県-福岡県-佐賀県-長崎県を経由することになっていた(福岡県と佐賀県の間で3回も県境越え)。
- 東北本線石越~一ノ関間における、宮城県-岩手県-宮城県-岩手県と同じ状態。
- 長崎本線・久大本線経由で長崎~大分間直通の特急が運行されていた。
- 新鳥栖駅は造られなかった。
- 今の久留米駅の位置では博多方面から長崎線へはスイッチバックしないといけなくなるので、別の位置に建設されていた。
嬉野町を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 武雄温泉から嬉野町を経て、大村を経由し、長崎へ至るルート。
- 史実より嬉野温泉に来る観光客が増加していた。
- 嬉野は1950年代までに市制施行していた。
- 肥前鹿島経由の海岸ルートの開通は史実通り。
- 明治時代の技術では西九州新幹線の俵坂トンネルに匹敵する長大トンネルは掘削できなかっただろうから、勾配や曲線の多い区間になっていた。
- 現在では大村線の一部となっている早岐〜大村間はそもそも建設されない。
- 佐世保線は武雄温泉〜佐世保間のみの路線となり、早岐駅のスイッチバックは存在しない。
- 長崎〜佐世保間を結ぶ列車は遠回りかつ武雄温泉でのスイッチバックが災いし、所要時間が伸びる。
- 彼杵~早岐間は「彼杵線」として戦時中に開通していた。
- 長崎~佐世保間の短絡線として建設されていた。
- ハウステンボスへのアクセスが不便になる。
- 「南風崎」が地元住民しか知らない難読地名に。
- 佐世保線は武雄温泉〜佐世保間のみの路線となり、早岐駅のスイッチバックは存在しない。
- 肥前電気軌道は開業しなかった。
- 西九州新幹線は基本計画線止まりだった可能性が高い。