もし阪神タイガース球団社長の「優勝すると金がかかるから」発言が表沙汰になっていたら

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当時タイガースのエースとして活躍していた江夏豊投手は、あるスポーツ新聞社から依頼されたパ・リーグのプレーオフの観戦記を書く為に、現地へ向かう前に球団から呼び出され、球団社長からこの事を告げられた時、ブチ切れしてそのスポーツ新聞社にバラしてしまいましたが、記者の一人に「この事が表沙汰になったら、大変な事になってしまう。俺が墓場まで持ち込んでやるから、俺の目が黒いうちは絶対に話してはいけない」と言われたそうです。もしもこの時点で発言が表沙汰になっていたら?

  1. 日本プロ野球は、「真剣勝負のスポーツ」から、プロレスと同じく「ショー的な見世物」になり下がっていただろう。
    • また、それと同時に(暴力団絡みではなかったとはいえ、)「プロ野球八百長論」が、再び取り沙汰されていただろう(その当時は、「黒い霧事件」が過ぎ去ってまだ間もない頃だったので)。
      • 阪神タイガースは、この年の10月20日に中日(現・ナゴヤ)球場で行われた対中日戦と、その2日後に行われた甲子園球場での対巨人戦が、「敗退行為」とみなされ、コミッショナーから厳重注意を受けていたかもしれないが、最悪の場合それだけでは済まされず、チームが身売り、解散という結果になっていただろう(多くの阪神ファンだけでなく、アンチ巨人も含めた多くのプロ野球ファンを裏切ったという事で)。
        • この場合、関西における人気球団は阪神ではなく南海になり、こちらは身売りされずに済んだ。
          • 1960年代の終わり頃からだんだん力を付けてきた阪急も人気球団になっていた可能性も捨て切れないし、この球団も身売りされずに済んだかもしれない。
      • しかし、「プロ野球八百長論」はパ・リーグにも飛び火し、この年に前期優勝した南海は後期では阪急に1つ引き分けただけで12連敗、成績も3位に入ったとはいえ、借金を2つ背負っていたにもかかわらず、リーグ優勝を決めるプレーオフでは後期優勝の阪急を3勝2敗で下し、見事にリーグ優勝を果たしたものの、多くのプロ野球ファンやマスコミから「ポストシーズン(プレーオフ・日本シリーズ)の事ばかり考えて、ペナントレースでは手を抜いた」と史実以上に叩かれていた。
        • 南海の「後期ペナントレースでの手抜き行為」が発覚した場合は、コミッショナーからの厳重注意だけで済んでいただろう。
      • 結局、1973年のプロ野球ペナントレースは、それぞれの優勝チームは両リーグとも、最低の貯金(巨人は6、南海は10)での日本シリーズだったので、盛り上がりに欠けていただろう(史実に反して、阪神が優勝しても同様だったと思う)。
          • 史実に反して、セ・リーグとパ・リーグの人気が逆転し、パ・リーグ後期優勝チームの「手抜き行為」が発覚した場合、前後期制は僅か1年で廃止になっていたかもしれない。
            • 「野球は巨人、司会は巨泉」を売りにしていたタレントの大橋巨泉氏は、史実よりも早く巨人ファン、日本プロ野球ファンをやめていただろう。
        • 伝統の一戦は巨人×中日or広島になっていた。
          • 広島の場合、当時は球団が誕生してまだ二十数年しか経っておらず、成績もほとんどがBクラスだったので、対巨人戦を「伝統の一戦」と呼ぶにはまだ時期尚早だっただろう(広島が人気球団になるのは、史実通り帽子の色が赤くなった昭和50年代からになってからである)。
        • 阪神電鉄自体阪急を始め在阪大手私鉄他社に吸収合併されていただろう。
          • 実際に2006年10月、阪神と阪急は経営統合して「阪神阪急ホールディングス」に生まれ変わったが、最悪の場合、それが早まっていたかもしれない。
        • 最悪の場合身売りで球団が関西から撤退していた。
    • 人気もおそらく急降下していたかもしれない。
      • その場合プロ野球人気自体の低下も早まっていた。
    • 当然、試合結果などは一般の新聞には載らず、スポーツ紙だけに載るだけに終わっていたかもしれない。
    • 同じく、テレビのスポーツニュースにも取り上げられなくなっていただろう。
      • しかし、巨人軍の親会社である読売新聞だけはプロ野球の試合結果を伝え、およびそのグループ企業である日本テレビ、ラジオ関東(現・ラジオ日本)だけは、巨人主催試合に限って試合を中継していた。
    • プロ野球とアマチュア野球(特に高校野球)の関係は、余計に悪くなっていた。
  2. 野球は、長嶋茂雄氏がプロ入りする前に逆戻りし、「野球というスポーツは、子供や学生がやるもの。あんなものを職業にするなんて野蛮に事」と呼ばれていただろう。
  3. 1973年10月22日、甲子園球場で行われた阪神との直接対決に快勝して、見事にリーグ9連覇を達成した巨人軍にとっても、この試合は「後味の悪い試合」になっていた。
    • その試合でリーグ優勝を決めたものの、心ない阪神ファンのグラウンド乱入で胴上げができなくなったりしたのは史実通りだが、ファンの暴徒化は更に酷いものになっていただろう。
      • 最悪の場合、甲子園球場のあちこちが破壊され、死傷者も出ていたかもしれない。
        • それがきっかけで甲子園球場の改修工事が早まっていた。
    • 実際、当時の巨人ファンは、「優勝を決めた試合」があまりにも呆気ない結末だったので、同じ阪神戦でも、後楽園球場で行われた「0対7でリードされていた試合を10対10の引き分けに持ち込んだ試合」を1973年のベストバウトにしているファンの方が多いという。
  4. 阪神タイガースが、「お金には厳しいが、野球には甘い」などとマスコミや世間体から批判される事はなかった。
  5. 前述の「黒い霧事件」の「6」の項目にあるような「(日本)サッカー(リーグ)のプロ化」は、多分さすがに起きなかっただろう(昭和40年代後半はテレビドラマやアニメによる「スポ根ブーム」が既に過ぎてしまっていた為)。
    • 「サッカーのプロ化」が起きるのは、この時代から約10年後の事であり、漫画やアニメの「キャプテン翼」の大ブームと、平成初期から始まった衛星放送の普及で海外サッカーが気軽に見られるようになってからになるのは史実通りである。
  6. プロ野球に代わって、大相撲が「プロスポーツの人気No.1」になっていたかもしれない。