もし高校野球全国大会が甲子園球場以外の場所で行われていたら

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高校野球は甲子園のイメージが強いですが、夏の大会は甲子園完成前から行われ、春のセンバツも第1回は名古屋で開催されてました。もし甲子園でなくそれらの球場で継続されていたらどうなっていたか?

首都圏[編集 | ソースを編集]

  1. 会場は後楽園球場→東京ドームになっていた。
    • 神宮の可能性もあり。
    • 後楽園開場までは、関東あるいはその近辺各地の野球場で開催。
      • 後楽園→東京ドームと神宮の平行開催になっていた。
    • ひょっとすると東京スタジアムが高校野球用に現存していたかもしれない。
  2. 甲子園球場は20世紀末か21世紀初頭には解体されていたかも。
  3. 野球も東京一極集中か!とスポーツジャーナリストから批判されたことは間違いない。

後楽園球場→東京ドーム[編集 | ソースを編集]

  1. 東京ドーム開場以後は、雨天中止がない分大会の延長がしやすいので、55校開催が当たり前になっていた。
    • ナイター開催も可能であるので、日5試合運用が普通だった。
  2. あるいは後楽園球場の延命化がなされ、東京ドームが開場しなかった可能性もあり。
    • 逆に甲子園球場がドーム化されていた可能性もある。
  3. 東京ドームの使用料が幾分か下がっていた。
  4. 「甲子園」の名前がつく大会は、当然「後楽園」になっていた。後楽園閉鎖後もそのままになっていたと思う。
    • 東京ドームも「後楽園ドーム」という名称だったかもしれない。
  5. 巨人が「死のロード」と化し、成績もかなり落ち込んでいた可能性大。最下位も20世紀だけで最低あと3~4回は経験していたと思う。
    • ただし、阪神が対照的に好成績を収めたかは疑問。
    • でも暗黒時代は回避され、現実より成績が良かっただろう。
      • 1992年と2008年はおそらくリーグ優勝していた。
    • 巨人のV9はなかった。
    • ヤクルト人気、横浜人気が90年代以外にも高かった。
  6. 都市対抗野球はナゴヤ球場→ナゴヤドームもしくは、西宮球場→大阪ドームでの開催。
    • 代わりに秋の日本選手権が後楽園→東京ドームで開催。
  7. 大会期間中には、神宮球場で巨人ホームのゲームも数試合開催。
    • 横浜スタジアムかも。
    • 京セラドーム大阪でも開催していた可能性もある(現に巨人主催の公式戦がある)。
  8. 「アメリカ横断ウルトラクイズ」の国内一次予選が他会場で実施されていた。
    • 「アメリカ横断ウルトラクイズ」の国内一次予選は、大体高校野球期間中の8月上~中旬に実施されたので、後楽園→東京ドームで高校野球となれば同球場で一次予選ができない。
    • そして、会場は多分神宮になっていた。
      • ただし、仮に甲子園とかナゴヤ球場とかで一次予選になっても、二次予選は成田で行われたことには変わりないと思う。
    • 国立競技場の可能性もある…かな?
  9. フィールドターフになって怪我は少なくなったが、従来の人工芝だとけが人続出で、結局「天然芝球場」を新設する羽目に。
    • 1988年以降入団した実在の有名選手は、高校野球で野球人生が終わっていたかもしれない。
  10. 高校野球全国大会の主催は読売が行っていた。
    • 中継はもちろん、日本テレビ。
    • 逆に高校サッカーは毎日主催で近畿開催のまま。

神宮球場[編集 | ソースを編集]

  1. 明治神宮野球大会高校の部はなかった。
  2. 神宮球場は天然芝のまま。
  3. 大学野球と併せて使用された場合、プロ野球の本拠地にはならず、東映や国鉄は別の球場を本拠地にしていた。
  4. 後楽園同様、主催は読売。
    • 逆に全日本大学野球選手権大会が朝日主催で関西にて開かれていた。
  5. 甲子園より球場サイズが小さいので本塁打の数がさらに多くなる。
    • 大会全体を通して打高投低の傾向が強まる。
    • その代わり高校で活躍した打者がプロで伸び悩むケースが増える。

名古屋[編集 | ソースを編集]

  1. 現在はナゴヤ球場で開催していた。
    • そのため、中日がナゴヤドームに移転した後のスタンド・照明設備の撤去はない。
  2. 中継担当局は毎日と最も縁深いメ~テレ。
  3. 「春の名古屋」と呼ばれていた
    • 史実以上に愛知県勢が選抜で好成績を収めていた。
      • その代わり夏はさらに苦戦していたかも。
  4. 現実ほど地味な大会にならなかった。
  5. 当初の構想どおり、全国各地の球場で持ち回り開催されていた。
    • 甲子園球場という当時の水準をはるかに越える規模と質の球場が出現してしまった結果、そこに安住することになったため。
  6. 春になると全国各地から名古屋に多彩なジョイフルトレインや観光バスが集まる。
    • JR東海は観光列車に対して消極的にならなかった。
  7. 山本球場(現:JR東海八事球場)が改修されてできた球場の名前は山本昌球場。

近畿[編集 | ソースを編集]

寝屋川球場[編集 | ソースを編集]

春の選抜は寝屋川球場で開催する構想がありましたが、鉄道会社の事情により実現しませんでした。

  1. 電鉄リーグが実現したかも。
  2. 「春の寝屋川、夏の甲子園」が高校野球関係者の合言葉になっていた。
  3. 京阪がプロ野球に参入していた。
  4. 寝屋川市~香里園間に「運動場前」駅が現存している。
    • あるいはこちらが「寝屋川市」駅を名乗っていた。寝屋川市役所へもこちらの方が近いし。
      • もちろん急行停車駅で、市の中心街もこちらにあった。
      • 現実の寝屋川市駅は「木田」か「大利」駅となり、現実よりも大阪寄りに移設されていた。
    • 複々線化はこの駅まで行われている。
  5. 毎年春になると京阪の車両に「センバツ」ヘッドマークが取り付けられていた。
  6. 京阪が梅田に乗入れていた可能性もある。

豊中球場[編集 | ソースを編集]

  1. 豊中球場で続けていたら甲子園は作られなかった可能性が高い。
    • 現在は豊中ローズ球場で開催していた。
    • 阪急ブレーブスの本拠地も豊中。阪神タイガースの本拠地は鳴尾。
      • 阪神は大阪ドーム完成後に移転、阪急もスカイマークへの移転が早まっていた。
      • 近鉄は合併まで藤井寺
  2. 「甲子園」の名が付く大会は別の名前になっていた。
    • 「まんが甲子園」→「まんがローズ」など
  3. 阪神タイガースの「死のロード」は存在しなかった。
  4. 戦後は高校総体の中の一競技として一緒に開催されるようになっていた。

西宮球場[編集 | ソースを編集]

甲子園がGHQに接収されていた時期の代替や記念大会の併催として使用されていた時期がありました。

  1. 西宮球場は天然芝を維持したまま老朽化後も改修しながら使用していた可能性があった。
    • 阪急阪神経営統合後も存続した場合、甲子園第二球場に改称されたかもしれない。
  2. 記念大会の甲子園・西宮併催が続いた場合
    • 抽選会でどっちに振り分けられるかで悲喜こもごも。
    • テレビ・ラジオ中継は甲子園メインとなり、西宮の分は出場校の地元局が裏送りに差し替える対応を採っていただろう。
      • デジタル化後はサブチャンネルも活用。
    • 評判次第では常時55校を希望する声が大きくなっていた。
  3. 西宮単独開催が続いた場合
    • 阪神に代わって阪急が死のロードを経験していた。身売り前に本拠地移転した可能性も。
    • 記念大会では西宮第二球場も使用。
    • 選抜も西宮になっていたかもしれない。もし選抜のみ甲子園のままだったら所在地に因み「春の甲子園、夏の高松町」と呼ばれていただろう。
  4. 史実通り閉鎖に至った場合、GS神戸辺りに移っていた。

持ち回り[編集 | ソースを編集]

上で示されているように春の選抜は持ち回りで行う構想がありました。

  1. 各都道府県に一定水準以上の球場が少なくとも1箇所作られた。
  2. 兵庫県開催はやはり甲子園?
    • のじぎく兵庫国体がそうだったように、あえて別の球場にしたかも。
  3. 国体に高校野球はないか、あっても軟式のみだった。
  4. 近畿地方の学校の優勝回数が減っていた。
    • 東北や北海道・北信越の学校が現実よりも早く優勝していた。
  5. おそらく3年以上前には開催地が決定するため、開催県の(特に私立)高校には野球留学生が多数押し寄せることになる。
  6. 「開催地枠」として開催県は1校多く出場していた。

旭川スタルヒン[編集 | ソースを編集]

  1. 日ハムの札幌移転は史実より早かった。もしくは別の球団が先に札幌移転していた。
  2. 北北海道の学校が現実ほどアンパイ扱いされなかった。
  3. 旭川は夏の昼間は結構暑いとはいえ、甲子園ほどの酷暑にはならなくだいぶパフォーマンスを発揮しやすい天候になっていた。
    • そのため選手の怪我も減っており熱中症が心配されることもなかった。
      • 球数制限やタイブレークの議論はごく一部でしか発生していなかったかも。
        • そうなっていれば、返って問題が温存されてしまっていたかもしれない。
  4. 東北や南北海道の学校も史実よりはるかに高いパフォーマンスを発揮していた。
  5. 甲子園のようにプロ球団と日程を調節しなくてもよいため、甲子園の開催日数が少し延びてゆとりができていたかも
    • 休養日の導入が早まっていたかもしれない。
  6. もちろん死のロードもなかった。
  7. ディベート甲子園はディベートスタルヒンになっていた。
    • その他も◯◯甲子園という名前は◯◯スタルヒンになっていた。
  8. 甲子園が空振りやバントを推奨するような精神論主義になることはなかった。
    • むしろスタルヒンの人生と野球と戦争の歴史を通した平和教育になっていた。
      • 朝日新聞がいつもの論調と甲子園の保守性との矛盾を指摘されることもなかった。

札幌ドーム[編集 | ソースを編集]

  1. 日ハムの本拠地移転で空いた札幌ドームの有効活用策とされていた。
  2. 旭川スタルヒンの場合と同様、ほとんどの球児が飛行機を使って球場入りすることになっていた。