ザールラント
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- 現フランス領のアルザス・ロレーヌとともに歴史的独仏係争地域。
- 原因は石炭の産地だったから。
- 第一次世界大戦後はドイツから切り離されて国際管理地域に。1936年にナチスドイツ軍が進駐するまでは別扱い。
- 第二次世界大戦後は勿論フランスの占領下。それも他のフランス占領地域(ラインラント=プファルツやバーデン=ヴュルテンベルクの一部)とも切り離され、フランス本国への併合まで取り沙汰されていた。
- 住民投票でドイツ復帰が圧倒的多数だったので、フランスは
しぶしぶ返還。この返還地域のみで1州を構成することになった。 - とはいえこの地はフランス革命後の革命戦争においてフランス領になった地で、ナポレオンの部下のネイ元帥もこの地出身。ナポレオン没落後もザールラントの一部は普仏戦争までフランス統治下にあったので、歴史的にもあきらめられない地域ではある。
- ドイツへの返還は1957年。米国による沖縄占領とまったく同じような経過を辿ったが、ザールの方が遙かに速く返還されていた。
- 「フランスとドイツで共同管理ってことにしようぜ」というシューマンプランはまあいいとして、親ドイツ政党は結成禁止という民主主義の仮面すらかなぐり捨てた辺りはなかなかのド外道である。
- 住民投票でドイツ復帰が圧倒的多数だったので、フランスは
- 現在のEUの前身の1つ、ECSCができたのはこれら独仏国境地帯の石炭や鉄鉱石といった資源の争奪戦を避けて共同管理するのが目的だった。旗振り役の当時のフランス首相はルクセンブルク生まれのドイツ系。
- 19世紀のドイツの某音楽家と「同姓同名」です。但し、フランス人なので姓の語尾の「n」は重ねません。それだけの違い。
- アルザス・ロレーヌやオーストリアが特にドイツ復帰を望まなかったことを考えると、ザールラント住民の愛国心は相当なものなのかもしれない。
- 中心都市はザールブリュッケン。市街地が既にフランス国境に位置している。
- ノインキルヒェン(九つの教会、の意味)は、某殺人鬼(失礼)の出身地。
- 東西デタントで、首相自ら出身地を訪問。このことが東ドイツの一般市民の感情をひどく刺激し、西側への脱出に拍車がかかる一因ともなった。