トーク:国鉄113系電車
話題を追加表示
最新のコメント:2019年1月8日 (火) | トピック:「活躍している(した)路線」節について | 投稿者:I.T.Revolution
- 103系等にも同様の節が見られますが、目次等でも非常に煩雑なので、非アーカイブとして、当ノート送りを提案します。または容量には余裕がありますが、有志の方で分割して頂いても構いません。一定処置または意見等無ければ、移設させて頂きますので、お願いします。--I.T.Revolution 2018年11月22日 (木) 22:08 (JST)
- 意見がありませんので、ノートに移動しました。国鉄103系電車、国鉄115系電車についても同様の処理を行いましたので、報告させて頂きます。尚、新規投稿や分割処理等は、禁止ではありませんので、行いたい方がいれば、どうぞ行って下さい。--I.T.Revolution 2019年1月8日 (火) 21:16 (JST)
東海道本線(東京地区)・伊東線
[編集 | ソースを編集]- 113系発祥の地
- 2004年まではJR東海のT編成が増結編成として乗り入れていた。
- 民営化以降は4号車に2階建てサロを連結して、異彩を放っていた。
- ロングシートに改造された車両もいた。
- 但しトイレ付近はセミクロスシートのまま。
- うずらや雀のような模様であった。
- 晩年は横須賀線からの転属編成もいた。
- それの2階建てサロはオレンジ、オレンジ、緑の横線であった。
- トミックスでは新湘南色と言われている。
- それの2階建てサロはオレンジ、オレンジ、緑の横線であった。
- S編成、T編成では国府津で切り離し後、御殿場線の山北(一部御殿場)に乗り入れる列車もあった。
- 最初は湘南色で運行していたが、東海道線と間違えるため急遽青と肌色のスカ色に。
- 当初は湘南色と同じ窓まわりの帯が太かった色であったが締まりが悪いので、窓まわりの帯を少し細めにし晩年まで至った。
- 東京駅が地下化された際に乗り入れた車両の多くは警笛が真下にあった。
- 後に増備されたのはヘッドライト、警笛共に上に上げられていた。
- ここもロングシート車を走らせていた。
- E217系投入により東海道線よりも早く引退。その後は東海道線、房総などへ。
- 東海道線では全編成2階建て車両連結に統一されていたものの、ここではそれな少なく2両共に平サロを連結していた編成が多かった。
- 国鉄時代からのブルーシートを最後まで維持していた車両もいた(それも東日本に継承された113系で)。
- アコモが改良された113系のお初はここの1000番台全車と1000'番台の大半の車両。
- 黒Hゴム支持ドアの車両更新車はすべてここの所属であった。
- 東日本最後の113系活躍先区。
- 大半は横須賀線の中古であったが、2006年より東海道線の中古がスカ色に塗り変えられ転入。
- 東海道線からの移籍車や211系が転入される前は1000番台の初期型分散冷房車もいた。
- こちらも当初は横須賀線に入れる予定であったがATC化された関係で、廃車までここで活躍していた。
- 2009年までは新聞輸送列車として両国駅旧総武線快速ホームまで走っていた。
- 横須賀線から去った1500番台や一部の1000'番台を中心にパイプ&枕タイプの座席に交換されたリニューアル車も登場していた。
- 晩年はマリ117(元東海道)が湘南色に戻されていた。
- 懐かしの113系号など団体イベント列車にも使われていた。
- 横須賀線から追い出された1000'番台を2本ここに。
- 何れも白に青色の帯ではあるが、中間車は115系からのグループとは違う配色であった。
- 2006年頃より8000系に置き換えられ、房総よりも早く生贄にされた。
- 115系もだけど、元は東急8000系譲受までの繋ぎだったらしい。100系を置き換えたいけど2000年当時東急に譲受に適した車両がなかったためとのとこと。
- 115系300番台が納車される前は東海のT編成も伊豆急下田までの乗り入れ運用があった。
東海道本線(静岡地区)
[編集 | ソースを編集]- 313系ロングが導入される前の主であった。
- 座席は新造時からの青色であるが、牛革のシートカバーが付いていた。
- 下回りがグレーに塗り替えられていた。
- 前面も行先表示を掲示していた。
- 3両編成に短縮された編成もいた。
- 211系5000番台で有名なトイレ無し電車は実はこれの半分以上のクハにも存在していた。
- 主に2000番台の多くが211系と同じ白色の化粧板に張り替えられていた。
- ドアエンジンも211系と同じ物に変えられていた(それは化粧板を変えていない113系も)。
- ピスー!ガラガラッ…ドンッ!
- ドアエンジンも211系と同じ物に変えられていた(それは化粧板を変えていない113系も)。
- 18きっぱーの愛車の一つ。
- 俺は18きっぷを利用しない時でも乗ったことがある(勿論静岡県内)。
- 俺的には懐かしのブルーシートと爆音が消えたので非常に恋しい。
- 俺は18きっぷを利用しない時でも乗ったことがある(勿論静岡県内)。
- 東海道線東京口から山北(一部御殿場)まで東日本のS編成、東海のT編成乗り入れていた。
- 沼津、伊東方面へ向かう11両の後に連結され、国府津で切り離されて分岐運転をしていた。
- JR東海エリアで唯一東日本のグリーン車なしの113系を見ることができた。
- 静岡よりは本数は少なめであったがここでも活躍していた。
- 愛・地球博の際、エキスポシャトルにも使われていた。
- 313系が導入されてから静岡に移籍した。
- 米原発熱海行きの超長距離の列車にも使われた。
- 晩年静岡に左遷された3両編成の発祥はここであった。
- 元々は6両編成であり、運用の効率化を図るための措置であった。
- 国鉄時代、旧型国電の置き換えに使用されるも、165系に置き換えられてしまった。
- 時は流れ、愛・地球博開催中、先述のエキスポシャトルのみならず線内普通列車としてJR東海から113系を借りて100系の代走として使用された。実質、国鉄時代の復活運転。
- 2004年頃までデカ目のグロベンの大きな骨董品がいた。
- 高速化に対応させるため、5000番台に改造されていた。
- 唯一、サハの体質改善車がいた。
- 115系の車体を持つ車両が存在している。
- 一部はボタン化された車両も。
- 700番台。113系でありながら寒冷地仕様として当初から半自動ドアを装備していた。これのシートピッチ拡大仕様が2700番台。
- 湖西・草津線のみならず京阪神の快速でも運用されていた。
- 国鉄時代前面の方向幕は赤地に白抜き文字で「湖西線」「草津線」と書かれていた。
- 側面は黒地化される前は薄緑色の幕であった。
- 貫通構造のはずなのに編成間の通り抜けができない。
- 嵯峨野線からは湖西線、草津線よりも早めに撤退。
- 新造の2700番台自体は6両編成2本だったため、大方は改造によって生まれた。
- 湘南色に白い線が入っていた。
- 通称カボチャスイカ。
- 白帯はワンマン対応車の識別のために塗られていた。
- 電化開業の際に、グロベン初期車を改造して転属させていた。
- 当初は黄色に青帯の塗装であったが、後に117系と同じ塗装に変わった(但し緑色の細帯がある)。
- 半自動ドア取っ手は外側が引き出しタイプ、内側が115系タイプであった。
- これは後にサンパチに改造された。
- 221系が転入された際に福知山色が消えた。
- その後、リニューアル車と湘南色車が225系増備まで活躍していた。
- 一編成だけ抹茶色になった。
- 京都丹後鉄道宮福線で、昼下がりの2往復に入っている。列車番号にMがあるのですぐわかる。車掌が乗務。
- うち1本は快速大江山。113・115系充当列車では通過駅は3駅だけだが、意外なところに本形式の快速運用が残っている。
- 灰色に朱色帯
- 春日大社が由来なので春日塗りと呼ばれていた。
- 広島か岡山でこのカラーを復活してもらいたい
- 221系投入により103系より早く撤退
- 横須賀線の地下化準備によって要らなくなった0番台が非冷房のまま転用して塗り替えられたことがお初。
- 灰色に青22号(緑系)の帯
- このカラーリングは153系時代の京阪神地区の新快速でも塗られていたが、京阪神地区から阪和線に転属した113系も同じ配色に塗り替えられたことから、阪和色と定着したそう。
- 晩年はきのくに線が主体であったが、早朝の新大阪〜城東貨物線〜天王寺〜和歌山〜紀伊田辺の快速にも使われていた。
- 稀に湘南色もいた。
- 今は103系顔に改造された2000番台のみ単色にて現存。
- 103系を置き換えるため、嵯峨野線から5700番台を数本借入。
- 後に阪和線と福知山線からの移籍組によって解体された。
- 一部は115系のボロクハ潰しのため115系に改造された。
- 後に阪和線と福知山線からの移籍組によって解体された。
- 瀬戸大橋線と予讃線をメインに充当。
- JR東日本から譲渡され大幅に改造。
- 簡易運転台装備のモハを連結しているため、中間車でも連絡ブザーの聞ける車両がある。
- 黄色編成が離脱した。
- 2019年、ついに引退。