ロンドン橋崩落 (E)

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外国人の見た世界
Chakuwiki英語版「London_Bridge_falling_down」の翻訳

ロンドン橋は紀元前200年にローマ人によって建造された。その目的は、テムズ川を渡って、北ユーロッパにおける最初の文明に数えられるブーディカ及び古代ブリッツ民族を野蛮化することにあった。だがローマ人らが橋の北端に辿り着く頃には、南端の側で塗装に少々補修が必要となっていたため、彼らはまた最初からペンキ塗りをやり直さねばならなかった。そうして始まったペンキ塗りは永遠に終わることが無く、ローマ人が北岸に辿り着くことは無かった。これが今日、ロンドン北部がロンドン南部に比べて開けていて、テムズ以南にすべてのペンキ屋が集中している理由である。しかしながら18世紀、ひとりのアメリカ人旅行客がやって来て、半分塗りかけのロンドン橋をパーリーキング一族の者から2シリングと焼き栗で買い上げた。アメリカ人が橋を解体しようとしたところ、橋は川に落ち込み、ロンドンも共に地下に引きずり込まれてしまった。