一式戦闘機

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隼の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 疾風と同じく、陸軍が海軍の零戦をコピーした機。
    • 性能は、零戦と同じかそれ以下
      • でも、上昇力、加速力は零戦よりも当機のほうが上
    • コピーでもなんでもない。と、いうかどこを見ればそんな結論になるのか?
    • 試作機の完成はキ-43の方が先だから、明らかにガセ。逆に12試艦戦の試作機は、キ-43の試作機が完成してからモックアップ審査を受けている。怪しい・・・
    • そもそも隼と零戦は設計コンセプトからして違う。見た目は似ていることは事実だが、どっちがどっちをコピーしたというのは考えにくい。
    • コンセプトが97戦を引っ込み脚にして速度を向上させた機体だから、むしろ97戦に近い、ていうかほぼそのまま大型化したもの。
      • ただ、試作機は97に対して速度があまり変わらず、旋回性能で劣っているため採用見送りになりかけたことがある。
  2. 零戦と同じく防御力が低い。
    • その性能の悪さから一式戦闘機に残された道は特攻しかなかった。
    • 後期型は防御使用だし、ムスタングを落しているよ
      • 防弾は最初から想定していた。陸軍機は九七式の途中から全部防弾仕様。ブローニングM2(12.7mm)程度なら不意打ちぐらいは堪えられる。これ重要。
        • 始めから燃料タンクに防弾ゴム、巻いてあったんだよね。
        • P-51の奇襲に耐える事もしばしば。
        • 陸軍は12.7ミリを導入予定だったんで防弾を想定できた。海軍は20ミリが世界の趨勢になると読んだんで防弾を放棄した。問題はアメリカが12.7ミリを主用してしまった点。
          • でも実際問題、この当時の20ミリじゃ米軍機相手に力不足でしたよね……
            • まあ、隼、二式単戦の防弾装備は米軍にテストで「12.7mm相手には無意味」と言われてしまっているが。まあ、無いよりは僅かにマシかもしれない。と言う程度。
              • 確かに何もないよりはマシ。撃たれても角度の関係で防弾板が弾いてくれて生き残れれば、そのパイロットは反省することもできるが、死んでは反省すらできない。この当時、経験を積んだパイロットほど怖いものはない。
        • さらなるところを言えば、ノモンハンでソ連機が防弾面で意外と手ごわかったのも日本陸軍機に防弾を意識させるようになった一因。
        • そんなこんなで、零戦より打たれ強く、機体の軽さもあって低空での加速が良いので、ある意味厄介な敵。
  3. タイ軍でも使用された。
  4. 加藤建夫率いる飛行第64戦隊で有名。
    • 映画にもなった。
  5. 零戦のコピーじゃない。まったくの別設計。
    • と言うより、計画が零戦よりも前。
      • 試作の指示が出たのは零戦の方が先だが、試作機が出来たのは一式戦の方が先。
        • そして後から完成した零戦の試作機は、何故か一式戦の試作機にそっくりでした。
  6. 武装も貧弱。機首両側にしか機銃を装備できない。
    • まぁ零戦が対戦闘機で7.7㎜しか使えなかったのに比べれば幾分マシかと。
      • でも上記の加藤氏を始め、爆撃機相手に攻撃しようとして、12.7mmだと効果が薄いからとにかく数を打ち込もうと肉薄して返り討ちに会うなんてパターンも多かった。この点は陸海どっちもどっち。
    • 20mm砲はプロペラ内部から撃てないので翼につけただけ、プロペラ軸近くに設置した方が命中率は良い。
      • 航空機用20mm砲でプロペラ同調装置を持っていたのはドイツのMG151/20と日本のホー5だけ。ただホ-5は弾等重量80gと20mm砲にしてはだいぶ小さい(参考:九九式二号FFLで128g)。
        • ソ連のShVAKもプロペラ同調対応の20mm砲
      • 隼III型にホ-5を搭載する計画もあったがボツになったらしい。
    • 爆弾搭載量は隼の方が多く、250kgを2発も積めた。
    • 主翼内部に構造材が3本通っているため翼内機銃は搭載不可。
      • 翼の下にぶら下げるガンポッドも計画されたが、飛行性能が低下するためボツに。
    • コンセプトが「徹底的に対戦闘機戦闘」だったため。対大型機も考えた零戦は20ミリを積み、隼は主翼を頑丈にして機体強度を求めた。
      • ただし、急降下制限速度は零戦より100km遅く、初期には敵機を急降下で追って空中分解した機体もあった。
  7. 1943年の時点で「P-38に翻弄され、もはや一式戦の時代に非ず」と嘆く軍人がいたらしい。
    • 初戦のように相手を格闘戦に引き込むのが難しくなったからね。
    • そういや南郷さんはその発言の後にP-38を落としてなかったっけ?
  8. 大戦中期を過ぎた頃には機体の長所を最大限に活かせるベテランパイロットでなければまともに戦えなかったらしい。
  9. 乗員の保護、という点では零戦よりは考えていた。「被弾し、発火した時の事を考慮して」胴体内に燃料タンクを設置しなかった。
    • 零戦の胴体タンクはエンジンの後ろ側に小さいのがあるのだが、栄一二型から二一型への換装によってスペースが圧迫され何の為にあるのかわからない生産性を阻害するだけの存在になっていた。
  10. 隼三型ではムスタングを圧倒できると豪語したパイロットもいた。
    • 逆に連合軍ではP-51やスピットファイアMk.XIであっても隼と格闘戦は厳禁とされていた。
      • つまり、それだけ陸軍には腕のいいパイロットが残っていたのである。そこまでの経緯も違うだろうが、やはり一番大きいのは、零戦と隼(を含めた陸軍戦闘機全般)の決定的な差、つまり防弾の有無だろう。最初はヘボでも出撃を繰り返せばベテランだ。
        • どっちかと言うと撃墜された後帰ってこれるかどうかと言うのもあるのではなかろうか。海軍ではパイロット救出はあんまり考えてなかったし、海だったし。陸だったら歩いて帰還できる。ルーデル閣下だって徒歩で帰還したんだから。
        • なぜ陸軍には腕のいいパイロットが「残って」いたのか? それは航空消耗戦を経験しなかったから。「機位を失ったら鉄道線路を探せ」程度の航法能力しかない、沖縄への特攻だって海軍機の先導を要した陸軍機のパイロットに、近代的な航空戦は無理があって、海軍と比較した場合、ベテランが残っていたから。防弾装備の有無は本質的な問題ではない。
      • スピットファイアMk.XIって何ですか?あんなもの太平洋戦線に存在しない。後期南方戦線に存在した新鋭スピットはMk.VIIIとMk.XIV。
  11. 隼二型でB-29に火を吹かせた豪の者もいる。
  12. 加速性能が良かったためP-47やP-51といった米英の新鋭機にも劣らず、低空においてP-47が急加速した一式戦に引き離された、という事例も報告されている。
    • 三型になると零戦より防弾・上昇力・運動性が優越した機体になり、米軍から「零戦よりも手強く油断のならない機体」と評価された。ただ火力が不足・・・
    • 二型の時点で米軍のM2ブローニング.050cal(12.7mm)ではやや力不足だった。これは同時期の陸軍機全般に言える。
    • そもそも陸軍は三式戦、四式戦と隼・鍾馗の後継機をちゃんと開発させている。米軍だってF4F(性格にはゼネラルモータースFMだけど)を終戦間際まで生産している。
  13. 名パイロット檜與平氏は有名だよね。生前のお言葉。
    • この動画の一番最後の部分、ホントに防弾がどれだけ重要か証明してるよなぁ……
  14. 戦後の評価はあまり芳しくないものが多い。零戦のほうが単純に有名なのと、カタログスペックをぱっと見ると火力のなさが目立ってしまうこと。二式戦や四式戦がありながら終戦まで隼の生産を続けていたことを「陸軍の無能」と表現されることがあったから。