大日本帝国海軍の戦艦

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第二次世界大戦以前の戦艦[編集 | ソースを編集]

朝日[編集 | ソースを編集]

  1. 日本海海戦に参加した敷島型戦艦の次女。
    • 海防艦、練習艦、工作艦となった。明石の先輩艦。太平洋戦争で現役工作艦として戦没した。
    • 同名新聞社の所為で嫌われたのか、艦娘には年齢がアレなのか未実装。

三笠[編集 | ソースを編集]

  1. ロシアから日本を守った船。
    • 対馬沖の決戦は海軍の大艦巨砲主義を盛り上げるに至った。(世界的な流れでもあったけど)
  2. 今は横須賀市建物として保存されている。
    • ちゃんと不動産登記もされている。
  3. 戦争中ではなく、日露戦争直後に謎の沈没をした。
    • 水兵の仕業らしい。まったく今も昔も変わりませんなぁ…。
      • アルコールを飲んでたらしいね。
  4. 砲塔の上は装甲版ではなく、換気口。時代ですなぁ。
  5. 丁字戦法をT字戦法だと思い込んでいたことはここだけの話にしてください。
    • 「てい」と「てぃー」だから間違えても仕方ない。どっちにしても通じるし。
    • 「丁字路」は殆どの人が今は「T字路」と認識している。甲乙丙丁戊の時代でなくなったから致し方なし……(甲乙はまだ使われるが)
  6. 復元にはチリ海軍から寄贈された艦砲を使っている。チリ海軍いい人過ぎる。
  7. 太平洋戦争敗戦後に、米軍将兵にいろんな部品を持っていかれたり「キャバレートーゴー」なる物が建ったりひどい目にあった。が、チェスター・ニミッツの尽力によって、元にもっどた。ただし一部がいまだ行方不明。
    • そのせいか未だに一切の文化財指定を受けていない。
  8. 主砲は、横須賀の米軍基地をロックオンしているとか何とか。
  9. なお、現在の三笠の評価額は2円。これは船でも建物でもなく、土地に置かれた構造物(ようはガラクタ)とされているため。

長門型[編集 | ソースを編集]

長門[編集 | ソースを編集]

  1. 連合艦隊旗艦。
  2. 今はビキニに沈んでいるが、将来は引き上げ、復元し呉市のシンボルになる。
    • 水爆2発食らってもまだ浮かんでいた上、誰にも見られずに沈んでいった。連合艦隊最後の意地を見せたといえよう。
      • 水爆じゃないよ。原爆だよ。
        • ビキニ環礁=水爆 のイメージが強くて混同してしまったようだ…
          • たまには完全に耐えたプリンツ・オイゲンも思い出してあげてね。
            • 二発目の時、沈みやすいように人工的に穴を開けたとか言う話があるね。
              • 長門は穴を開けたり機雷を撒きつけて無理やり撃沈、酒匂は曳航しようとしたら引っ張ろうとした拒否するかのように船を巻き込もうとしながら沈没、プリンツ・オイゲンも拒否するかのように座礁。と「枢軸国最後の勝利」と言われたとか。まあ、米軍艦も沈んでないの結構居るけど
      • 米軍は戦艦に対して核攻撃がどれだけ有効かという実験をしたわけ。んで鉄の塊ってやつは、案外丈夫ということがわかった。
      • 一発目は完全に耐えて、二発目は水中爆破による高波の浸水が原因らしい。
  3. 山口/長門建造ではない。
    • 「陸奥」と対にして、本州の端同士という意味だった模様。
    • 扶桑型以降の旧国名由来の戦艦の名称については、歴代の都があった国や神話に因む国が割と目立つ。
  4. 終戦まで残ったこと、戦前の日本人にとっての代表戦艦というだけあって、一定の人気を持つ。
    • 大和と武蔵は秘密にされていたため。
    • だからこそ、実艦標的にされたわけで。敵国としては、相手のプライドを完全に破壊しないといけないからね。
    • 戦後の各種フィクションでもそれなりに出番がある。
  5. 捕鯨船に改造する計画もあった。
    • というか、終戦直後に某水産会社が捕鯨母船として何か貸し出してくれないかと復員省(もと海軍省)に申し入れたところ、リストの筆頭に挙がっていたとか。
  6. じつは排水量当りの防水区画数は大和よりも多く、世界最多である。
  7. 俺の嫁宣言者多数。
    • あんまり関係ないが、終戦直後に「長門」を米軍へ引き渡す際、居た堪れない気持ちでいた海兵はやはり多いらしい。最後まで残ったこともあって、一心同体だと感じていた人が多い模様。
    • 「長門」と聞いた時、最初に何を思いだすかでその人が何のファンか分かる。(他には長門裕之と山陽本線・山陰本線の急行「ながと」がある)
  8. 乗組員の集合写真があるが圧巻。どこにそんな人数が入ってるのかと……。
  9. タービンがアメリカ製で、砲塔設計は英艦からの流用ってのは意外と知られて……おや?こんな時間に(ry
  10. 「大和は嫌い」「長門の方が均整が取れている」と言う人間も多数居るが、脱条約時代を見据えた改装にいたっても20年は時代遅れのケースメイト式副砲が残され、とうとう終戦まで撤去されなかった事実には目を向けないらしい。
    • まぁ、WWII時の日本海軍でケースメイト式副砲を持たなかったのは大和型だけなんだけどさ。
      • 砲郭式は波を被りやすい上に、水面近くに穴を作ることになりますからなぁ。
  11. 軍事評論家の大西秀明氏いわく、別名朝日新聞号。
  12. 現在大和ミュージアムに展示されているこの艦の軍艦旗は石坂浩二が寄付したもの。
    • 自らが司会を務める鑑定団に出品されていたものを1000万円で買い取った。

陸奥[編集 | ソースを編集]

  1. 長門の姉妹艦。
  2. 軍縮で廃棄予定だったが、建造をごり押し。その代わり米英もコロラド級やネルソン級を追加建造。
    • ゴリ押しをしてなんとか建造したものの、下にあるように大した結果もあげずに爆沈。運命には逆らえなかったようだ。
  3. 何もせぬまま瀬戸内海で爆沈。
    • 長門と対照的。
    • 特に何かしたという訳ではないが、ミッドウェー海戦には一応参戦していたらしい。
    • 陸奥の鉄が引き揚げられた後に利用されたという話を聞くと、むしろ沈んでから活躍したのではと思えてしまう・・・
  4. 「みちのく」と読んではいけない。
  5. 林檎とも旧国名同士であること以上の関係はない。
  6. 山口県周防大島の陸奥記念館に陸奥の艦首やスクリュー、14cm砲などが展示されてある。陸奥ファンなら是非行こう
    • 陸奥なんだから、青森に展示すればいいのにな。山口にはやはり長門のなにかを展示すべきだろ。

大和型[編集 | ソースを編集]

大和[編集 | ソースを編集]

大和_(戦艦)

武蔵[編集 | ソースを編集]

  1. 戦艦マニア以外は大和とどこが違うのか分からない。
    • 両さんがマッチ棒で模型を作ったが、部長には最後まで大和と間違われた。
    • 改装前は大和とそっくりだが、艦橋の中が少し違うらしい。
  2. 日本もドイツも二番艦はなかなか活躍できないらしい。
  3. 建造したのは三菱重工長崎造船所。
    • 進水したときは高波が起きて周辺の川の水位が上昇、さらに対岸の民家で床上浸水が発生した。
      • そのため津波がきた!とあわてて家を飛び出す住人が続出し、武蔵を目撃。 外出禁止令を出して機密にしようとしてたのに、即日モロバレ。
    • 建造時、建物をシュロ縄で囲ったらしい。そのため、一時期、九州一帯のシュロ縄在庫が払底したのだとか。さらに、進水直前にシュロ縄の一部が火事で焼け落ちたらしい。危ないなぁもう。
    • 建造時に図面が紛失する事件が発生。疑われた工員は厳しい取調べを受け、一部の人は帰ってこなかった(比喩表現)。犯人は本当に帰ってこなかったらしい。
    • 進水の時、そのままでは港が狭く出港不能なため、右側の碇を過剰に重たくすることによって重心をずらして無理矢理出したんだとか。
    • 建造途中、突然船台が割れたらしい。
    • 坂が多い長崎の立地上、防諜には苦労した。高台にあったソ連公使館の隣に倉庫を建てて目隠しするとか。
    • あまりに建造を周囲に隠すあまり、進水式の際には、出席した皇族の伏見宮博恭王ですら、会場入りしてから軍服に着替えるという徹底ぶりだった。
    • 周辺住人は、建造中の造船所を何気なく見ているだけで、憲兵にどつきまわされたとか。
    • 豪華客船を建造したことがある長崎三菱造船所だけあって、司令部区画の内装はかなりよかった。
      • 大和を建造していた呉工廠は、武蔵と同じ調度品を長崎三菱造船所に作らせ、大和に載せていた。
  4. レイテ沖海戦において、軍艦史上最多ともいえる損害を受けて沈没。
    • 米軍による空前絶後の攻撃に曝されてもなお交戦していたところに、どことなく弁慶を彷彿とさせる。
    • 沈没したはずの地点に存在しないことから、海中漂流説があるらしい。
      • 実際のところは正確な沈没地点がわからないというほうが正しい。武蔵の戦闘詳報は沈没時に沈没地点を記載しているわけじゃないし、沈没時近くにいた駆逐艦は航法装置を損傷しており正確な位置を記録できていなかった可能性がある。
        • また大和と違い沈没地点の水深が深いことも理由。
        • つい先日(現在2015/3/9)ついにシブヤン海で発見された。大爆発でバラバラになってしまった大和よりはるかに原型をとどめていたが、海中漂流説の方がロマンがあったと思うのは自分だけではないはずだ。
    • 弁慶って…あぁそうか、「武蔵坊」だしねぇ。
    • 武蔵作って航空機に沈められるくらいならその金を空母造りに回した方が良かったんじゃ……
    • 実はギネス記録に「世界一被弾火薬量の多い軍艦」として認定されている。
      • 他にも「世界最大の戦艦(総排水量)、「最大の艦砲を搭載した軍艦」としてもギネス記録に残っている。
  5. 大和同様に居住性が良かったため「武蔵屋旅館」という愛称を奉られた。
  6. 大和より艦体色(灰色)が濃かった。
    • 艦これの武蔵が褐色肌なのは、これが由来。
      • 髪が銀色なのは下記の銀鼠色が由来だろう。この場合、褐色肌は黒甲板に相当するかと。
    • しかしレイテ沖海戦の直前に、他の艦よりも明るい「銀鼠色」に塗り替えられたとされる。
      • 黒甲板については、レイテ直前に銀鼠色と一緒に塗られたとか、1943年半ば以降から塗られたとか、色々説があるっぽい。
        • 抗菌塗装なので、甲板はろくに清掃されなかったとか。
      • 周囲からは「死装束」として気味悪がられた。

扶桑型[編集 | ソースを編集]

  1. 設計自体に致命的欠陥を抱えていたらしい。
    • 砲塔をつけすぎたため、被弾に弱い箇所が多かった。おまけに居住空間や機関室も圧迫している。
      • 超弩級戦艦の開発ノウハウが皆無の日本が、イギリス設計の金剛型巡洋戦艦を参考に設計したんだから、そりゃ無茶苦茶なことになる。
      • 砲塔配置も欠陥があり、主砲一斉射撃時に爆風で散布界が広くなった。
        • 山城では第3砲塔を後ろ向き配置に変更したが、それでも解決しなかった。
    • 発射速度向上と防炎対策で、主砲には固定装填方式を日本の戦艦で初めて採用したが、機構が複雑で故障が多かった。
      • 改良型の伊勢型戦艦では、従来の自由装填方式へ逆戻りしてしまった。
    • 日本の戦艦の中でも操艦が最も難しいとされ、真っ直ぐ走らせることすら大変だったとか。
  2. 艦橋の形がずれて積み上がった積み木のようで、見るだけで不安になる。
    • 特に扶桑は砲身が艦橋にめり込んでいるように見えて怖い。
    • 海外の軍艦ファンには「パゴダ・マスト」「違法建築」とか言われ結構人気。
  3. 艦船ファンお馴染み(多分)のウォーターラインシリーズでは真ん中の砲塔が艦橋に引っ掛かってきちんと旋回しなかった。
    • かなり昔の事なので現在は改修されていると思う。思いたい…
    • 今(2009年)は新キットが出ているのでそんなことはなくなった。
  4. 最後は敵の艦隊に殴り込みをかけたが、何の戦果もなく沈められた。
    • 扶桑は魚雷を2~3本食らって真っ二つになって沈んだので、やはり防御には欠陥があったのだろう。
    • 何の戦果もないと言うのは間違い。魚雷艇を数隻沈めた。しかも、西村艦隊が米艦隊の砲弾、弾薬を消費させたのでもし、栗田艦隊がレイテに突入できていたら、レイテ戦はもっと良かったかもしれない。
      • 数隻の魚雷艇や米艦隊の弾薬消費とでは、死んだ将兵達と引き合わんだろ。
        • 無駄に全否定するから揚げ足を取られる。「魚雷艇を数隻沈めた程度で戦果はほぼ無かった」くらいの説明で良かった。
        • オルデンドルフの戦艦部隊がスリガオ海峡海戦で徹甲弾をほぼ射耗していたと言われているが、実はもう一度海戦をするだけの徹甲弾は残っていたらしい。なので栗田艦隊が反転せずにオルデンドルフ艦隊とぶつかっていた場合、いかに大和を擁するといえども苦戦は必至で、戦力差からしても(栗田の傷ついた戦艦4隻に対してほぼ無傷の6隻、巡洋艦以下は圧倒的多数)栗田艦隊はレイテ湾を見ることもなく全滅していたという主張も存在する。
        • それでも山城の「各艦ハ我ヲ鑑ミズ前進セヨ」は感動した
    • 火達磨となって沈みゆく扶桑の映像が残っているが、戦時中の日本ニュースでは「敵艦」として虚偽の報道がされた[1]
  5. ずっとドックに引篭もった挙句、開戦後も出撃させる機会が無く浮かんでいるだけだった。
    • 発電機は回ってるし、訓練のために移動もするので油だけはガブガブ消費しますw
      • あまりにアレな性能だったので、開戦後も練習戦艦として使用されてたが、艦隊戦力がどんどん減っていったので、仕方がなく戦場へ引っ張り出された。そしてこの始末。
        • 扶桑艦長だった鶴岡信道からは「結果的には、扶桑、山城という戦艦は、本来、太平洋戦争で使ってはならないフネだったわけですね」と言われてしまっている。
  6. 最終的な改装のあと、どこに被害を一発受けても沈みかねないだとか、鈍足過ぎるとかなんとかいわれていたらしい。
  7. 最後の戦い、スリガオ沖海戦にて最上に誤射してしまい、最上乗員から「あれは扶桑でない、クソーだ」という悲しいアダ名を付けられた
  8. 航空戦艦に改造する計画もあった。
    • 伊勢型戦艦改造後に改造予定だったが、伊勢型よりも工事が複雑になって時間がかかるのでとりやめになった。
  9. 平賀譲による改造案があったが没になっている。
    • 新型装甲を後付けして防御力を増強、主砲を16インチ砲に換装したりする計画だった。
  10. 山城は一時期お召し艦になったことがある。
  11. 2017年、アメリカの調査チームが海底に眠る扶桑・山城を発見したと発表した。
    • あれだけの大爆発を起こした扶桑だが、案外原形はとどめている模様。

伊勢型[編集 | ソースを編集]

  1. 改扶桑型。しかし根本的な問題は解決されていない。
    • 扶桑型の弱点を克服すべく再設計したが、そのせいで居住環境がさらに悪化。
    • 見た目も相変わらず。
      • いや、第3砲塔の位置が変わったでしょ。でも、そのせいでなおさら前面が手薄という本末転倒に。
  2. 航空戦艦型は漢の浪漫。
    • 艦載機を載せたまま砲撃すると、全部ぶっ壊れるなどと言ってはいけない。
    • 飛行甲板に増設した対空兵器の方が役に立ったというのも言ってはいけない。
    • ましてや、艦載機の格納庫が資源を運ぶ倉庫にしか使われなかったのは禁句。
    • 艦載機も発進はできても着陸ができないことも禁句。
      • これについては、「彗星」を発艦させて使い捨てる(着水させるか別の空母の飛行甲板に一旦下ろして搭乗員だけ回収する)方法と、水上機の「瑞雲」「晴嵐」を使う案とがあった。
        • 前者も、別に、特攻を前提にしていたわけではないし、他の国でも同様の例は見られる。
        • 補足。「彗星」は、着水させるのではなく、もよりの陸上基地に着陸させる、または別の空母に着艦させるが正しいのではないかと思われます。
          • 上について、彗星は「機体を不時着水させてパイロットを回収する」と言う意味で「着水させる」とかかれたものと思われます。
    • 「飛行機運用したこと無いじゃん!航空戦艦じゃなくて防空戦艦だよw」なんて口が裂けても言わないで下さい(泣)。
    • 米軍からは「両棲生物」とか言われていたらしい。
  3. 伊勢と日向のレイテでの爆弾、航空魚雷回避はもはや、神業…(しかも、一発も被弾(被雷)していないし・・・)。
    • 北号作戦もそうだが、アメリカは本気で沈めに行ったが、どうやっても無理だった。あの艦はどうなっていたんだとか言われたらしい。
    • 松田千秋第四航空戦隊司令が標的艦攝津艦長時代に考案した爆撃回避マニュアルを作って訓練させた。人事畑の、中瀬泝伊勢艦長も教えを受けて回避運動を覚えたとかで、練習で出来る業らしい。
  4. 後に「航空機搭載型護衛艦」として名前が復活する。海自も洒落が聞いてるじゃないか
    • ちなみにその「ひゅうが」艦内には、「日向」と「ひゅうが」が邂逅している姿を描いた画が飾られている
      • この絵画、実はロッキードマーチンからプレゼントされた物である。嘗ての敵艦を絵画にして送るなんて粋。
  5. 通称「最強の輸送艦」。理由は北号作戦での僚艦との攻撃の回避っぷり。この作戦、皆ノーダメージで帰還してしまった。数隻沈むかもと思ったらみんな無傷で帰ってくるとは、海軍は思わなかったらしい。
  6. 伊勢・日向ともに、最後は軍港近辺で浮き砲台となり、米軍の航空攻撃で大破着底。戦後に解体された。
    • 伊勢の総員退艦のときマストから軍艦旗を降ろそうとしたが、何かに引っ掛かったように降りてこない。乗組員は「伊勢はまだ戦うつもりなんだ……」と涙したという。
  7. 戦後、伊勢の艦橋に数世帯ほど、住み着いていたらしい。
  8. 2018年、1/20フルハルモデル航空戦艦日向が進水。

金剛型[編集 | ソースを編集]

  1. 巡洋戦艦を改造した戦艦。そのため、30ノットで航行でき、機動艦隊の護衛に使われた。
    • そのため、架空戦記などでは高速戦艦と言われることも。
      • そのせいで「巡洋戦艦は戦艦の火力を持つ巡洋艦」であるにもかかわらず「戦艦と巡洋艦の中間種」と思い込む人多数。
        • まぁ、巡洋艦と戦艦の主砲に大差なかった頃はともかく、金剛型や、『レパルス』『フッド』あたりになると自身が搭載する主砲の能力から言って、巡洋艦と同じ防御力ってわけにも行かなかったからね。
  2. ユトランド海戦以前の艦である為、開戦時には相当ガタがきていた。
    • だが機動艦隊に随伴できる唯一の戦艦だったため、日本海軍の戦艦の中で一番使われた。
      • それは間違い。アメリカは真珠湾で沈んだ鈍足戦艦を修理して機動部隊の護衛に使ってたりする。
        • 間違いと言うより、当時のアメリカにはそれしか戦艦を空母の護衛につける方法が無かったというのが正しく、機動部隊の足を引っ張らないで随伴できるという意味では確かに日本で唯一の戦艦だった。
    • 悪く言えば、(その古さ故に)沈められても仕方がないと思われていた節もあったとか。
      • 航空戦主体になってしまったとはいえ、出し渋りであんまり活躍の出来なかった他の戦艦とは対照的。
  3. 金剛は英国で、以降は金剛を参考に日本で建造された。
  4. 砲塔や煙突、後艦橋をみると簡単に見分けがつく
  5. 大和の影に隠れがちだが、米戦艦とガチでボコりあったり、ガダルカナルの飛行場を砲撃で滅茶苦茶にしたりと、日本の戦艦で一番戦果をあげていると思う。ただし、のちに後者のような作戦を行ったのは日本軍ではなく米軍というおまけつき。
  6. 米海軍が一番恐れていた戦艦らしい。アイオワもこいつに対抗するために建造した。
    • 「あいつらだけ速度速いしなー。ま、対抗して高速戦艦作っちゃえばいいや」という金持ち発想。
  7. 『金剛と榛名』だったら歌手でいたなぁ。
  8. 初代の金剛と初代の比叡は、エルトゥールル号遭難事件の生存者の本国送還のために、ともにイスタンブールまで赴いている。

金剛[編集 | ソースを編集]

  1. 後の改装工事のとき、ほかの艦では甲板にドリルが通ったのに、金剛ではドリルのほうが折れてしまった。材質は同じでも製造技術にはだいぶ開きがあったようだ。
    • 同じ鉄でも添加される成分によって粘り強くなったり脆くなったりする。ひょっとすると製鉄技術の差が出たのかもしれない。
      • ヴィッカース社GJ。
      • ちなみにこのVC鋼板と後のVHやNVNCは作り方が違うだけで中身は同じ。茶葉が加工によって緑茶になったり紅茶になったりするようなイメージ。
    • 「金剛」という名前の軍艦は常に海外にタイプシップを求めている。初代と2代目がイギリス、3代目(海上自衛隊「こんごう」)はアメリカ。
  2. 完成した当時の世界最高最新の技術をふんだんにつかった世界最強の戦艦だった。
    • 当時建造中だったライオン級4番艦の設計を変更するほど革新的だった。
    • 設計・建造したヴィッカース社いわく、「(制約なしに好き勝手できたので)実に楽し、いや興味深い仕事だった」
  3. 進水式の時に薬玉を使ったらイギリス人が珍しがって喜んだらしい。
  4. 初代金剛の甲板は、海軍兵学校(現在の海上自衛隊幹部候補生学校)の玄関に再利用されているらしい。
    • 見学しようと思っても、残念ながら一般人の立入禁止区域内です。

比叡[編集 | ソースを編集]

  1. 日本で最初の戦艦での喪失艦に…。
    • 国民にとってもショックだったようで、戦艦献納募金運動が盛んになった。
  2. なぜか、比叡は某架空戦記で連合艦隊の旗艦になっている。(長門他もっと、強力なのがいたのに…)
    • 砲戦能力よりも改装されて通信設備が充実してたからだろ、あれは。
      • 実は、それもちょっと……だったりする。と言うのは、金剛型はもともと連合艦隊旗艦として使う予定のない設計だったので、そう言ったものを詰め込む余裕はなかった。それなら扶桑型か、伊勢型を改造したほうが良かった。
      • お召し艦やってたからじゃないのかなぁ?
  3. 天皇の御召艦となったり、大和型戦艦のテストベッドになったりして、他の姉妹艦と比べて変化が激しかった。
    • 軍縮条約のあおりを受けて練習戦艦に格下げ、主砲や装甲も大部分が撤去された。それが転じて空いたスペースに御召艦用装備を。
  4. 艦長の退艦時に、情報が錯綜していなければ、喪失はもっと後だったかもしれない。
    • たしか機関室全滅の報告で総員離艦を決断したんだけど実は誤報だったんだっけ?

霧島[編集 | ソースを編集]

  1. サウスダコタとワシントン相手にサウスダコタをボロボロにした。が、ワシントンの砲撃で沈没。その後、サウスダコタはワシントンの乗組員に罵倒されたとか。
    • 上部構造物が中破しただけなのに、電気系統の操作ミスで兵装が使用不能になってスゴスゴ後方へ退避したから。
    • 飛行場攻撃用の焼夷弾(三式弾だったかな)で攻撃したせいで、その二隻を撃ち漏らしたんだとか。多少被害受けても徹甲弾に変えてから攻撃すべきだって言う意見もちらほら。
  2. 新兵として乗務していた坂井三郎によると艦底の内側は錆だらけだったらしい。
    • ある部分ではハンマーで叩くとドサドサと海水の染みた錆の塊が落ちてくるほどだったという。
  3. ジパングの草加少佐が乗っていた船。

その他[編集 | ソースを編集]

土佐[編集 | ソースを編集]

  1. 航空母艦へと改装されたことで有名な加賀の姉妹艦。
    • 加賀共々元々は長門型戦艦の発展型として計画されていた。
  2. 軍縮条約の煽りを受け、廃艦となり標的艦にされる。
    • この事を知った関係者は「トサがドザになってしまった」と言ったとか言わなかったとか。
    • その後は、文鎮などに再加工されたそうだ。
  3. 軍艦島の名で有名な端島は島のシルエットがこの艦に似ていた事に由来する。
  4. 進水式の際にはくす玉が割れなかったらしい。
    • 個人的にはもし廃艦にならず戦艦として使われていたとしても、陸奥と同じような顛末を辿っていた気がする・・・
      • 長門型は近代化改装で、土佐型の砲塔を流用して主砲仰角の引き上げをしている。土佐型が戦艦として完成していたら。扶桑型が廃艦になり大改装されない陸奥は事故を免れて、スリガオ海峡に行ったのかも知れない。

天城[編集 | ソースを編集]

  1. 航空母艦へと改装されたことで有名な赤城の姉妹艦。
    • 赤城共々元々は長門型戦艦と同様に、八八艦隊の巡洋戦艦として計画されていた。
  2. 軍縮条約の煽りを受け、赤城と共に速力の速い巡洋戦艦は、空母として建造されることになり。
  3. 横須賀で建造を開始されたが、建造中に関東大震災でキールを損傷。廃艦にされ、代わりに加賀が空母に改装された。
    • 解体された船体の一部が浮き桟橋になり。護衛艦かがの進水を見守ったとか。

平沼[編集 | ソースを編集]

  1. 太平洋戦争における大日本帝国海軍最初の損失戦艦。超ウルトラ軍機のため日本国内にも詳細なデータは残っていないらしいぞ。同型艦その他もまったく不明なんだ!
  2. 実際は米軍が仕留め損ねた軽巡洋艦「名取」の戦果を誇大報告したものだぞ!軽巡から超弩級戦艦という空前絶後の大躍進のせいで最近まで誰も気が付かなかったんだ!