峡南帝国
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2012年に日本国から独立
- 国名:正式名称は峡南帝国(きょうなんていこく)。通称「峡南」。
- 国の範囲:日本国旧峡南地区全域(南巨摩郡)
- 首都:南部県南部市
- 国旗:峡南統一籏
- 国歌:山梨、魂の歌(旧山梨県の歌のアレンジ)
- 民族:山梨人、甲州人
- 公用語:甲州弁、共通語
- 通貨:円
- 宗教:神道、仏教(仏教が一番多い)
- インターネットのドメイン: .kp(.jp も引き続き使用可能)
- それ、よりにもよってあの国のドメインなんですが…
- 国是:一応首都圏です。
政治[編集 | ソースを編集]
- 旧南巨摩郡諸地域(南部県、身延県、早川県、富士川県)の県知事4人が共同で治めている。また地方分権が進んでおり国会、総務、陸空軍は南部県、文部、気象、法務、治安は身延県、内政、財政、厚生が早川県、産業、通信、謀略が富士川県である。
外交[編集 | ソースを編集]
- 山梨県とは戦争状態にある。
- 何故かインド、インドネシア、マレーシア、台湾、アメリカ、千葉共和国、日本国、静岡、神奈川、長野と同盟を結んでいる。
交通[編集 | ソースを編集]
- 自動車道 峡南縦貫道、南延自動車道、西富士道、峡南環状道路
- 鉄道 峡南鉄道、南武線、峡南山岳鉄道
- バス 峡南バス、南部県営バス、身延県営バス、富士川県営バス、早川県営バス、峡南環状バス
- 空港 南部空港、身延空港、峡南北空港
自治体[編集 | ソースを編集]
- 県は以下の4つ存在する。
南部県[編集 | ソースを編集]
国の中心地、産業は主に南部茶の生産と竹である。
- 南部市(なんぶし)
南部県の県庁所在地、南部県で数少ない平地の一つである南部平野を抱え、人口は県内最大、国内では都会
- 佐野市(さのし)
南部県北部の市、南部基地所在地別名、南部の軍都人口は県内3位、南部3市内では最も田舎、しかし国の電力の6割は佐野で作られている。
- 万沢市(まんざわし)
南部県南部の市、県内最南端にして帝国最南端、人口は県内2位、県内での竹の生産はシェア7割、国内でも5割
身延県[編集 | ソースを編集]
仏都身延で知られ、県内には国内外から人がやってくる。
- 身延市(みのぶし)
身延県の県庁所在地、日本国でいう奈良や京都のような観光都市であり国内外でも珍しい仏教の大学がある。
- 下部市(しもべし)
県内第二の都市、温泉が名物でこちらも国内外から客が集まってくる観光都市である。
- 大島市(おおしまし)
身延県南部、面積は国内最小、これといった産業はないが気象観測所があり国中に毎朝発信される天気は大島市が担当している。
早川県[編集 | ソースを編集]
4県の内一番人口が少ない、冬には豪雪地帯と化す。 国内で一番の田舎なので県の存在自体が危うくなっている。なかなか改善しない
- 早川市(はやかわし)
早川県の県庁所在地、県内では一番都会だが大島市にも遠く及ばない
- 雨畑市(あまはたし)
早川県西部の市、田舎だが国内の電力の4割が雨畑で作られている。
富士川県[編集 | ソースを編集]
富士川水運で栄える。現在は古都富士川として国中に知られる。
- 富士川市(ふじがわし)
富士川県の県庁所在地、富士川市が古都として有名なのは富士川市が身延に負けていない証拠
- 北峡南市(きたきょうなんし)
富士川県最北部にして帝国最北端の市、ある程度発展はしたが市制時には「北か南かはっきりしろ!」という批判があったが現在は定着済み。
海軍[編集 | ソースを編集]
海がないので未結成、いずれ海に接したら海軍を結成する予定
陸軍[編集 | ソースを編集]
- 勝手国最強、山梨県との戦争では連戦連勝
- 戦車 12式機動戦車 12式重火力戦車 12式高機動戦車 12式装甲車
- 銃、ミサイル 12式峡南弾道ミサイル 13式高機能機関砲 13式高機能機関銃
- 陣地 南部基地 身延南基地 早川基地 北峡南基地
空軍[編集 | ソースを編集]
- こちらも強力
- 戦闘機 南部型戦闘機 南部、佐野、十島、戦闘襲撃機万沢
- 爆撃機 身延型爆撃機 身延、大島、塩之沢
- 輸送機 下部
歴史[編集 | ソースを編集]
建国前[編集 | ソースを編集]
建国前[編集 | ソースを編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い22の村が成立。(22村)
- 1890年(明治23年)4月1日 - 奈良田村が西山村に改称。
- 1892年(明治25年)4月1日 - 増穂村から穂積村が分立。 (23村)
- 1892年(明治25年)9月1日 - 切石村が静川村に改称。
- 1896年(明治29年)3月7日 - 福居村が下山村に改称。
- 1896年(明治29年)8月1日 - 鰍沢村が町制施行し鰍沢町となる。(1町22村)
- 1931年(昭和6年)1月1日 - 身延村が町制施行し身延町となる。(2町21村)
- 1933年(昭和8年)7月1日 - 八日市場村,伊沼村,飯富村が合併して原村が発足。(2町19村)
- 1951年(昭和26年)4月3日 - 増穂村が町制施行し増穂町となる。(3町18村)
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 増穂町が中巨摩郡平林村を編入。
- 1954年(昭和29年)8月17日 - 西島村・大須成村・静川村・曙村が合併し、中富町が発足。(4町14村)
- 1955年(昭和30年)2月11日(5町10村)
- 身延町・下山村・豊岡村が西八代郡大河内村と合併し、身延町が発足。
- 富河村・万沢村が合併し、富沢町が発足。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 増穂町が穂積村を編入。(5町9村)
- 1955年(昭和30年)4月1日(6町7村)
- 鰍沢町・五開村が合併し、鰍沢町が発足。
- 睦合村が西八代郡栄村と合併し、南部町が発足。
- 1955年(昭和30年)8月1日 - 中富町が原村を編入。 (6町6村)
- 1956年(昭和31年)9月30日(7町)
- 鰍沢町が西八代郡大同村の一部を編入。
- 五箇村・都川村・三里村・硯島村・本建村・西山村が合併し、早川町が発足。
- 2003年(平成15年)3月1日 - 南部町・富沢町が合併し、南部町が発足。(6町)
- 2004年(平成16年)9月13日 - 身延町・中富町が西八代郡下部町と合併し、身延町が発足。(5町)
建国後[編集 | ソースを編集]
- 2012年7月1日 県と国が構ってくれないので独立
- 山梨県民(おもに甲府市民)から失地回復運動展開
2012年7月4日山梨県、南巨摩郡地域に対し県へ戻るように勧告、帝国側、拒否を表明 2012年7月5日山梨県は峡南帝国富士川県北峡南市に侵攻開始