日活
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- 日本活動写真、略して日活。
- 創業当時は「映画」ではなく「活動写真」と呼ばれた時代だった。
- かつては、ここも日本五大映画会社(松竹・東映・東宝・大映・日活)のひとつだった。
- 新東宝も含めて六大映画会社であり(1953~1958年の5年間)、大手同士で過当競争を防ぐための六者協定を締結。だが、大概大手と云えば東宝・松竹・東映・大映(角川)のことを指し、日活・新東宝は中堅にあたる。
- ちなみに松竹が東映・大映に対する牽制球として「日映」を京王・ドリーム観光などにつくらせようとしたが、妨害が入り中堅会社としては頓挫している。
- 五・六社協定時代、ほかにも「にんじんクラブ」という映画会社が存在した。プロダクションが母体であったが、独自の配給網と劇場が無く、資本力も弱かったことから、ほかの映画会社にあまり相手にされず倒産した。
- 新東宝も含めて六大映画会社であり(1953~1958年の5年間)、大手同士で過当競争を防ぐための六者協定を締結。だが、大概大手と云えば東宝・松竹・東映・大映(角川)のことを指し、日活・新東宝は中堅にあたる。
- 1942~1953年の10年超、戦時統合で大映に制作部門を吸収され、事実上は大映の傘下に入っていた。その後、独立したが…そういう経緯もあって、新・日活の社長になった堀は大映(特に社長の永田)に対してあまりいい感情が無く、五・六社協定など以外では衝突していた。永田の頑固さを逆に利用して石原と三船敏郎は「黒部の太陽」のOKサインを堀に出させた。
- 永田と堀が東宝、松竹に対抗して配給映画を統合しての協調路線をとったことがあったが、決裂してしまい…日活が撤退して独立したので、「ダイニチ配給」は「大映配給」となった。
- ここを支えた大スターといえば石原裕次郎。
- ほかにも、小林旭・浅丘ルリ子・宍戸錠ら若手スターが黄金時代をけん引。
- 吉永小百合もいるのですが。
- 70年代には「日活ロマンポルノ」で息を吹き返した。
- AVが隆盛を極める前は王道だった。
- それと並行して「日活児童映画」と言う子ども向けの映画も作ってた。
- しかも児童映画のほうでも定評があった。
- 製作費が1本あたり300万円と当時でも安く、作り手側が色々と知恵を絞り出した結果多くの監督や名優を生み出すこととなった。
- 短編のセールスプロモーション映画を製作。代表的なのが春日八郎の「赤いランプの終列車」、ザ・ピーナッツの「可愛い花」である。いずれも、コミックリリーフ的ポジション岡田真澄と岡田に突っ込む白木マリ、平尾昌晃などが脇を固めていた。
- 90年代にはかつての活気あった時代の面影がなくなり、倒産。
- やはり、AVの普及は痛かった。
- 倒産後、経営母体が何度も変わり、現在は日テレとスカパーJSATが大株主。
- 東映の荒波や松竹の富士山などに比べて、ここはどんなオープニングだったかは正直印象が薄い。
- 石原時代はともかく、セールスプロモーション映画のはマルケーであった。
- 東京12チャンネル(現:テレビ東京)と組んで、時代劇を製作したことがある。
- その作品こそ『大江戸捜査網』シリーズである。