西日本自治区
西日本自治区は日本国内に存在する治外法権が成立している特別自治区。首都は西京都。
日本国の領土のうち南洋道・南西道・西海道・全慶州・忠江州・京畿特別道・黄平州・咸鏡州・山陽道・山陰道・南海道がこの地域に含まれる。
独自の政府・首都・憲法があり、すでにほぼ別の国のような状態となっている。
なお日本国の経済は西海道・山陽道に集中しているのにも関わらず、日本政府の主権が行き届かない状態となっているため、
なんども西日本自治区の廃止を検討してきたが、西日本人からの反対運動から毎回失敗に終わっている。
自治区誕生の経緯[編集 | ソースを編集]
・2032年、第三次世界大戦の真っ只中、人口減少に歯止めが利かなくなり最終手段として九州・中国・四国地方限定で移民の条件を大幅にさげ、戦争の避難場所としてPRしたことにより、
世界中から第三次世界大戦中、対戦直後の難民が、たった10年で5000万人も押し寄せ、日系人の割合が六分の一程度になったため、
日本政府はこの地域を他民族が共存する西日本自治区として治外法権を承認した。
・戦争によって壊滅的な被害を受けたため日本の保護国となったのちに併合された台湾・韓国・北朝鮮も多民族化が進んでいたため、
2045年に併合と同時に西日本自治区の一部となった。
・2048年に道州制が導入され南洋道・南西道・西海道・全慶州・忠江州・京畿特別道・黄平州・咸鏡州・山陽道・山陰道・南海道が西日本自治区と定められた。
政府による福岡への首都移転計画[編集 | ソースを編集]
・自治区誕生時点では福岡(現在の西京都)・広島・岡山(現在の中京都)は東名阪には及ばない規模だったが、人口は増え続け、あっという間に福岡市は1000万人、広島市は350万人、岡山市は600万人もの人口を抱える都市となり、
同都市圏が日本の三大都市圏になったため、西日本側(特に福岡)を日本の中心地として日本国自体が多民族国家であるとし、首都移転、西日本自治区の廃止を行おうとしたが、
西日本自治区民は西日本はあくまでも日本国とは別であるとし、首都移転につよく反対したため、この計画は白紙となった。
・この後も日本最大都市が政府の管轄外なため、効率よく政治が行えないとし首都移転を求めたが失敗に終わっている。