もしあの歌手の生前・活動期に紅白歌合戦があったら
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NHK紅白歌合戦開始以前に他界・解散したあの歌手・グループの生前あるいは活動期に紅白歌合戦が存在していたら、何年ごろ出場し、どの順番でいかなる曲を歌い、誰と対戦するのか、また彼らが出場したという事実が周囲にいかなる影響を与えるのかを妄想してみる。
- 歌手としての活動実績を持ち、NHK紅白歌合戦に正規の出場歌手として(司会・審査員・応援としての登場は出場とはみなさない)出場するのにふさわしい知名度を有している個人・グループのうち、「もしあの歌手がNHK紅白歌合戦に出場したら」では対象外となっている、第1回開催時点で故人となっている歌手および、第1回開催以後活動実績のないグループを、ラジオ放送開始時点での現役・解散もしくは既引退、生存・物故を問わず当ページにおける対象範囲内とする。
- 歌手なら没年、グループなら解散年を明記すること。
- 項目の新規追加は歌手の没年又はグループの解散年の順(同じ年の場合は五十音順)でお願いします。
- 日本人・外国人は問いません。
- 1919年没。
- 歌う曲目は『カチューシャの唄』以外考えられない。
- いやいや『ゴンドラの唄』もある。↓を考え合わせれば1914年に『カチューシャの唄』、1915年に『ゴンドラの唄』が妥当か。
- 『ゴンドラの唄』を1915年に歌っていたら、史上初の"紅白で歌われた事が大ヒットにつながった曲"になった可能性もある。
- 1917年には「さすらいの唄」を歌っていた。
- いやいや『ゴンドラの唄』もある。↓を考え合わせれば1914年に『カチューシャの唄』、1915年に『ゴンドラの唄』が妥当か。
- 出場は1914年か1915年になっていた。
- 1917年も。
- 歌う順番は初めのほう。
- トップバッターの可能性大。
- 1930年(レコード吹き込みの)活動停止。
- 出場はヒットを連発していた1929年が最有力。
- 1942年頃、満州に渡る。帰国後も歌手復帰せず。
- 曲目は「ザッツ・オーケー」「麗人の唄」「月の浜辺」「海の行進曲」など。
- 出場は1930年~1931年あたりが有力。
- 1946年没。
- 出場は1922年(凱旋帰朝記念)とか1936年(『蝶々夫人』出演2000回達成後の帰朝)とかかなあ。
- 歌うのは勿論『ある晴れた日に』・・・になるんだろうなあ。
- 1936年の場合だと『船頭可愛や』の可能性もある。
- その場合作曲者の古関裕而夫妻が応援で登場する。
- 実際のレコーディングは1939年だからそちらの可能性もある。
- その場合作曲者の古関裕而夫妻が応援で登場する。
- 1936年の場合だと『船頭可愛や』の可能性もある。
- ここまでのビッグネームになるとトリは確実かな?
- 徳山璉との同時出場なら「たまき対決」となっていたかも。
- 1946年活動停止(没年は1952年)。アメリカの黒人ジャズ歌手。
- 来日した1934年に出場。曲目は日本語で歌った「レイジー・ボーンズ」だろう。
- 1948年没。
- 出場は1933年。曲目は『十五夜の娘』。(大外で『蒙古の唄』)
- 歌う順番は初めのほう。トップバッターもあり得る。
- 最初は紅組で出るように要請されるも、本人は「ボクは女性を捨てているので、白組で出させてくれ」とゴネ、結局未だかつて実現していない「女性のソロ・女性のみのグループでの白組出場」を果たす。(詳細は、川島芳子を参照)
- 男性のバックコーラスorバックバンドを従え「川島芳子と合唱隊」「川島芳子楽団」などの名前で白組で出場。
- 1948年引退(その後1981年の霧島昇「妻よ」に台詞を吹き込む)。
- 1933年~1947年に複数回出場していただろう。
- 1936年活動停止(本業はジャーナリスト。没年は1963年)。
- 1931年に出場。曲は勿論『酒がのみたい』。
- 本人の活動時期・ジャンルから考えて、恐らく紅白史上最初の出場外国人歌手になっていただろう。
- 紅組の項の川島芳子にしてもそうだが、数少ない芸能人を本業としない出場歌手にもなっていただろう。
- 1941年(レコード吹き込みの)活動停止。
- 曲目は、1934年『山の人気者』1935年『小さな喫茶店』1936年『村の鍛冶屋』1937年『山寺の和尚さん』1938年『バンヂョーで唄えば』1939年『チャイナ・タンゴ』だろうか。
- 1932年と1936年は『走れ大地を』を歌っていたかも。
- 流石に『大阪タイガースの歌』を歌うことはないだろう。
- 1942年活動停止。
- 曲目は『地球の上に朝が来る』。
- 1939年か1940年出場。
- 1942年没。
- 曲目は『侍ニッポン』が有力。『ルンペン節』や『隣組』も考えられる。
- 1931年、1940年辺りに出場。
- 三浦環との同時出場なら「たまき対決」となっていたかも。
- 1944年没。
- 曲目は『妻恋道中』か『裏町人生』。
- 1937年か1938年の出場が濃厚だった。
- トリを務める可能性もあり得た。
- 1948年引退。
- 曲目は「男なら」「チンライぶし」「戦友の唄」「幻の戦車隊」「長崎シャンソン」など。
- 1939年あたりには「ラジオ体操の歌 朝日を浴びて」を歌っていた可能性も高い。
- 1948年没。
- 曲目:1928年『アラビヤの唄』1929年『君恋し』1930年『洒落男』。