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もし民主党にあの政治家が所属していたら

  • 1994年に自民党を離党、新進党を経て1997年に自民党に復党しました。もし自民党に復党せず、違う政党に所属し続けていたら。
  1. 小沢一郎と行動を共にし続けていたら、自由党を経て民主党所属となっていた。民主党内の保守系議員の代表格として頭角を現していた。
  2. 鳥取1区は無風区ではなく激戦区。
  3. 民主→民進→希望→国民民主党というルートをたどっていた。立憲民主党には入らなかったかも。現在は新・国民民主党に所属。
    • 2012年に民主党を離党し、それ以降は維新の会→維新の党→民進党になっていた可能性も有り得る。
  4. 民主党政権時代に首相になったかは微妙か。
    • 代表選には出馬したかもしれないが。
      • 1年早く高市早苗政権が誕生したかもしれない。

川田龍平

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  • 2009年、江田憲司に誘われみんなの党に入党。もしこれが「民主党側から誘われて民主入党。」になっていたら、
  1. 果たしてどのグループに属していたのか?
  2. 2012年に離党し、日本維新の会結成に参加。それ以降は維新の党→民進党→立憲民主党と渡り歩いていた。
    • それ以降は概ね史実通りだろう。

小池百合子

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  • 2000年、政権側に付く事で小沢一郎一派と袂を分かち、以降、保守党→自民党→都民ファーストの会というルートを辿る。もし小沢一派と行動を共にしていたら、
  1. 小沢グループに属するも、後に脱会していた。
  2. 東京に国替えする事は無かったので、後に都知事に就く事は無かった。
    • 増田寛也が知事になったか。
  3. 鳩山由紀夫政権下では行政刷新相に就いていた。
    • 環境相では?
  4. クールビズの導入が、少なくとも民主党政権誕生後の2009年以降まで遅れていた。
    • クールビズで国会に出席する閣僚に対し、野党自民党が品位を汚すなどと猛批判を展開していた。
  5. 当然ながら都民ファーストの会や希望の党は、存在しなかった。
    • 民進党の分裂はなかったか。

小泉龍司

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  • 2009年衆院選では連合埼玉推薦だったものの、民主党入りせず。もし民主党入りしていたら、
  1. 党内では右派という扱いになっていた。
  2. 史実通り消費増税法案には賛成票を投じていた。
    • 場合によっては反対票も有り得る。
      • その場合は未来の党結成に参加していたかも?
  3. いつの間にか自民党会派に復帰し、自民党に復党する事も無かった。
    • 当然だが、自民系分裂戦(追加公認対決を含む)は無かった。
    • 希望の党分裂後は二階派に引き込まれているような。

小坂憲次

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  • 羽田孜に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、民主党に入らず自民党に復党した
  1. 2009年に落選せず、参議院議員転身はなかった。
  2. 小坂家と関係が深い信濃毎日新聞は民主党の広報紙と揶揄されるような論調になっていた。
  3. 篠原孝は別の選挙区から出馬していた。
    • 死去に伴う補欠選挙で長野1区に鞍替え。
  4. 若林正俊→若林健太が長野1区の自民党候補。
    • 井出庸生が参議院長野選挙区の自由民主党候補になっていた。
  5. 民主党政権時代に入閣できたか。
  1. 娘婿の左藤章も民主党から出馬していた。
    • それでも2012年衆院選は林原由佳(維新)に議席をとられていた。
    • 2014衆院選、2017衆院選では、維新との候補者調整の結果、無所属で出馬していた。
      • 2017では立憲民主党から出馬して比例復活していたかも。
  2. 川条志嘉は2012年衆院選も自民党から出馬していた。
    • 2014では勝てていた可能性も。

杉村太蔵

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  • 学生時代に民主党議員の事務所でのアルバイト経験があり。自民党ではなく民主党で議員になっていたら。
  1. 当選後の軽はずみな発言に対し、当時の岡田克也代表が激怒していた。

鈴木宗男

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  • 自民党から新党大地結党を経て、現在日本維新の会所属ですが、一時期は民主党に接近した時期もありました。民主党に所属していたら。
  1. 田中真紀子・辻元清美ら、鈴木宗男疑惑追及の中心だった人たちと同じ政党に所属することになる。
  2. 結局、有罪確定・失職・公民権停止で民主党を離党していた。
    • それ以降は概ね史実通りだろうか。

武村正義

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  1. つまり「排除の論理」が無かったらである。
    • 流行語にはならなかった。
    • さきがけが話題になる事は無かった。
  2. さきがけの解党が早まったか。
    • さきがけ自体が民主党に正式合流していた。
      • 従って緑の党グリーンズジャパンは存在しない(正式には新党さきがけはさきがけ→みどりの会議→みどりのテーブル→みどりの未来を経て緑の党グリーンズジャパンとなっている)。

橋本龍太郎

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  • 1996年衆院選では創価学会に対するネガティブキャンペーンを展開してました。もし公明党との連立政権に反対して自民を離党し,民主党入りしていたら、
  1. 自民党から民主党への移籍ドミノが起きていた。
  2. 江田憲司は民主党からの初出馬だった。
  3. 自由党との合併が決まった時点で離党していた。その後は自民党に復党せず、亡くなる迄ずっと無所属。
    • 息子の岳は最初から自民党から出馬できたか。
  4. 当然ながら2001年の自民党総裁選に出馬することはなかった。

東国原英夫

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  1. もしかしたら、代表にまで上り積めていたかも知れない。
    • その場合、民進党の迷走はなかった・・・?
    • 2016年の民進党代表選挙で、かつてタレント時代の同僚だった蓮舫と対決していたかも。
  • 新進離党後、鳩山由紀夫と共に新党を結成するという噂が上がるも結局実現せず。もし民主党結成に加わっていたら、
  1. 自民に復党してなかったかもしれない。
  2. 2000年と2009年の総選挙では落選しなかったか。
  3. 少なくとも民主党政権時代に入閣できていた。
  4. 保守新党の結成に参加して、そこから自民党に復党した可能性も。

舛添要一

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  • もし自民党ではなく民主党に入党していたら、
  1. 何となく党内右派だっただろうか。
  2. 民国政権下では閣僚入りを果たしていた。
  3. 民主党下野を前にとっとと離党。
    • 日本維新の会あたりに入っていた。
    • 2014の都知事選は自民維相乗りで推されていた。
  4. 菅直人辞任後、当時支持率低下に苦しんでいた民主党が舛添人気に頼り首相に推した可能性も。憲政史上初の参議院議員の首相が誕生していた。