もしあの政党にあの政治家が所属していたら
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改革結集の会[編集 | ソースを編集]
- 山田太郎(参議院議員)
- 史実通り、民進党にはいなかった。
- 個人としては強く参院比例の党内順位は1位になるだろうが、党として議席は獲得できないだろう。
希望の党[編集 | ソースを編集]
- 山田太郎(参議院議員)
- 2017年の衆議院選挙には当然出馬していた。
- 仮に当選していたら、共同代表に就任していた?
国民民主党[編集 | ソースを編集]
- 山本太郎
無所属から生活の党と山本太郎と仲間たちを経て、一時国民民主党の会派に所属していたことも。そのまま入党していたら
- 電力労組との関係が悪化していた。
- 嘉田由紀子氏と共闘し、党内で脱原発を主張していた。
- 柿沢未途
長らく非自民だったものの、2021年自民党総裁選後の首班指名選挙では岸田文雄自民党総裁に投票し、年内に自民入党。もし岸田ではなく玉木雄一郎に投じていたら、
- 今村洋史は2位で敗れるも、比例復活当選していた。(柿沢が自民党入りしてなければ自民党から公認が得られた為。)
- それでも井戸正枝は東京15区に国替えしていた。
自由民主党[編集 | ソースを編集]
自由連合[編集 | ソースを編集]
- 橋本龍太郎
- 1996年衆院選の際には創価学会に対するネガティブキャンペーンを展開。もし公明党の連立政権入りに反対して自民党を離党し、自由連合に移籍していたら。
- 自民党では離党ドミノが起きていた。
- 江田憲司は自民党ではなく、自由連合からの初出馬になっていた。
- 2001年自民党総裁選は史実通り小泉純一郎が選出されていた。
- 2005年衆院選では次男の岳は落選していた。
社会民主党[編集 | ソースを編集]
- 大橋巨泉
議員辞職時には社民党の議員たちが辞職を止める場面も。もし社民党に所属していたら。
- 土井たか子党首辞任後に党首に就任していた。社民党の衰退はこれほど進まず、一定の勢力を維持できていた。
- 福島みずほは、党首になれなかったかも知れない。
- 山田太郎(参議院議員)
- 表現規制反対という点では主要政党の中でもっとも強く掲げているところだが・・・
- ネットからの支持は低かった。
- 2016年の参議院選挙では、党首・副党首が落選しながら彼が当選するという異例の事態になっていた。
- 山田太郎の得票率を足しても獲得議席は増えない。
- 事実上乗っ取って「表現の自由を守る党」にしていたか?
- 山本太郎
- 気づいたら福島瑞穂の後継として党首になってそう。
- 蓮舫
- もしかしたら、今頃は社民党の党首として活躍していたかも。
- 勿論、民進党の代表にはなっていない。
- 場合によっては、社民党は民進党に吸収合併されてたかも知れない?
改革クラブ[編集 | ソースを編集]
- 姫井由美子
- 生活の党には参加せず2013年の任期満了まで参議院議員だった。
- たちあがれ日本と会派を組んでいたら「姫と虎のツーショット」が見られたか。
- 維新の会に移籍していた。
新党改革[編集 | ソースを編集]
- 小泉純一郎
- 荒井広幸は脱退していた。
- 代表に就任していたら、公約はやはり「改革を止めるな」。
- 舛添要一は代表に就任していなかった。
新進党[編集 | ソースを編集]
- 小泉純一郎
- 新自由主義者として大いに活躍していた。
- 1995年自民党総裁選には当然出馬していない。
- 扇千景辞任後の保守党党首になっていた。
- 2001年自由民主党総裁選挙では橋本龍太郎が返り咲き、その後も亀井静香・石破茂・茂木敏充といった経世会支配が続いていた。
- 亀井は清和会系なので。
- 民主党から政権を奪還した後の首相になっていた。
- 中曾根康弘
- 首相時代に数々の民営化を行った新自由主義者として有名。
- 元自民党総裁の元首相が2人在籍していた。
- 中曽根派は丸ごと新進党入りしていた。
- 自社さ政権誕生時の首班指名で、社会党委員長の村山富市に投票することに反対していた。この時非自民側が海部俊樹ではなく中曽根を担いでいればあり得たのでは。
- 群馬4区では自民党の福田氏vs新進党→自由党→保守党の中曾根康弘との激戦区。
- 参議院群馬選挙区では息子の弘文と自民党とで定数2を分け合っていた。
- 自民党を出たことが尾を引き、2021年の衆院選でも中曽根康隆は比例北関東ブロックに回っていた。(史実では希望通り小選挙区で公認・当選)。
- 前原誠司
- 日本新党に在籍していたものの、新進党結党には参加せず新党さきがけに移籍。もし新進党結党に参加していたら、
- 解党後は何処に属していただろうか。
- 1996年衆院選の結果はどうなっていただろうか。
- 渡辺美智雄
- 社会党との連立政権に反対し、羽田内閣退陣後の首班指名では同じく連立に反対した海部俊樹元首相に投票。もしこれに応じて海部と共に自民党を離党し、新進党結成に参加していたら、
- 自民党から新進党への移籍ドミノは間違い無く起きていた。
- "自民離党ドミノ"の間違いでは?
- 喜美は新進党からの初出馬だった。
日本維新の会[編集 | ソースを編集]
- 安倍晋三
- 2012年の自民党総裁選では石破茂あたりが選ばれていた。
- 安倍氏に入っていた票が同じ町村派の町村氏に流れていただろうから、首相は町村氏では?
- 石原慎太郎は維新の会に合流せず。
- 太陽の党は自民党に合流していた。
- 場合によっては自維み連立が実現していた。
- みんなの党にも維新の会にも消費増税反対派がいたからそれは無いのでは?(自民党は消費増税賛成。)
- 「維新の党」は結成されず「日本維新の会」のままだった。
- 山口4区では自民党から林参議院議員が鞍替えして安倍氏と対決していた。
- 山口3区では河村氏が2021年衆議院議員選挙でも公認されていた。
- 小泉純一郎
- 顧問格に就任していた。
- 太陽の党は合流派と反維新派に分裂していた。
- 果たして当選しただろうか?
- 菅義偉
- 安倍晋三が2012年の自民党総裁選に出馬していなければこうなっていた。
- 令和おじさんとして親しまれていなかった。
- 2014年の分党の際は次世代の党側だった。
- 維新の党ではないか?
- 無所属を経て、自民党に復党していたかもしれない。
- 鳩山由紀夫
- 代表代行か顧問格に就任していた。
- 太陽の党は合流しなかった。
- 橋下徹の所謂「慰安婦発言」を機に離党していた。
- 松原仁
- 2014年分党の際は橋下側だった。
日本のこころ[編集 | ソースを編集]
- 松原仁
- 元々民主党での数少ない保守派議員なので、それなりの地位も得ていた。
- 以降、玄葉・野田・前原などの政経塾会派も日本の(略)に移籍するかもしれない。
- この方が彼の能力を発揮できただろう。もっとも党勢の衰退自体を防げたかどうかは分からないが。
- むしろたちあがれ日本の頃に参加していた。
- 片山虎之助
- 2014年分党の際に旧太陽の党側に付いていたらこうなっていた。
- 2016年参院選では間違い無く落選し、この時点で政界引退を表明していた。
- 維新の会共同代表にはなっていない。
日本未来の党[編集 | ソースを編集]
- 海江田万里
- 消費増税法案に反対票を投じていたらこうなっていた。
- 恐らく次の民主党代表は馬淵澄夫。
- 2012年衆院選では比例復活ならずの落選になっていた。
- 鳩山由紀夫
- 消費増税法案には反対したものの、結局民主党を離党せずに政界引退。もし離党し、結成に参加していたら、
- 恐らく顧問格に就任していた。
- 2012年衆院選も引き続き出馬していた。
- 分裂の際は何方側に付いていたのか?
民主党[編集 | ソースを編集]
民進党[編集 | ソースを編集]
- 山本太郎
- やはり無派閥。
- 国民民主党結党前に離党し、立憲民主党に入党。
- 東京選挙区から比例区への転出は史実通りか。
みんなの党[編集 | ソースを編集]
- 石破茂
- 新進党路線を受け継ぐ数少ない存在になっていた。
- 解党後はどうしていただろうか?
- 小泉純一郎
- 2010年参院選では比例区から出馬していた。
- 顧問格に就任していた。
- 2013年の分裂の際はどちら側に付いていただろうか?
- 恐らく江田側。
- 杉村太蔵
- 青年局長に就任していた。
- たちあがれ日本にはいなかった。
- 2020年現在も議員活動を続けているだろうか。
- 長崎幸太郎
- 所謂小泉チルドレンの一人。2009年に自民党離党し、以後無所属。(後の山梨県知事)
- 当然だが2010年、2013年の参議院選挙では自民党候補を応援していなかった。
- 2010年の方では寧ろ出馬していた。
- 仮に当選していたら、山梨2区に戻る事は無かった筈。
- 解党後は日本を元気にする会結成に参加していたかもしれない。
- 2019年山梨県知事選挙では与野党相乗りで現職が当選していた。
- 中村喜四郎(2代目)
- 当然、最強の無所属議員とは呼ばれていなかった。
- いつの間にか自民党会派入りする事は無かった。
- 代表代行か副代表に就任していた。
- まさかの2代目代表就任?
- 解党後はやはり無所属か?
- 2022年現在は史実通り立憲民主党にいた。