ざんねんなラジオ局事典
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日本[編集 | ソースを編集]
AM[編集 | ソースを編集]
- NHKラジオ第二放送
- 同じ教育系のEテレよりも放送開始時刻が遅く、放送終了も早い。
- 放送開始時刻は午前6時がほとんどで、放送終了は午前0時前後。
- ニッポン放送
- かつて、横浜ベイスターズ(当時)を買収しようとしたら、怒られたことがある。
- ライブドアに買収されそうになったことがある。
- パーソナリティーを務めるタレントの人気が落ち目になると、番組を降板させることから『いいときばかりのニッポン放送』と揶揄される。
- スタッフのチェックの甘さから問題発言が根絶されない。
- 文化放送
- フジサンケイグループの一員なのに、目玉マークが使えない。
- かつて四谷にあった旧社屋は、元々教会だった。
- なので、心霊スポットだったらしい(OBの吉田照美・談)。
- 文化放送の前身は、聖パウロ女子修道会を運営主体とする放送局を計画していた。
- ラジオショッピングの元祖なのに、自社の通販から撤退した。
- TBSラジオ
- 最近、パーソナリティーの高齢化が激しく、ちょっと前にリストラを敢行した。
- ちょっと前まで、プロ野球チームの親会社だったことがあるのに、プロ野球中継から撤退した。
- RFラジオ日本
- 神奈川県域放送という扱いだが、ほとんどの番組が東京にしか向いていない。
- アンテナが多摩川の河川敷だからねぇ。東京まで数百メートルだし。
- 日本テレビ傘下のため巨人戦を放送しているが、土日デイゲームは競馬優先のため生中継できない。
- 局名を巡ってニッポン放送やNHK国際放送と揉めたことがあった。
- かつての社長遠山景久のワンマン経営のせいでつぶれかけたことがある。
- 人気を誇っていた若者向け番組排除や右翼的な番組編成、恣意的なリストラや配置転換など独裁者としてやりたい放題だった。
- 社長を追い出したものの、後押したのが読売新聞だったため論調は相変わらず。
- その遠山氏は遠山の金さんの末裔。百歳以上長生きした
- 社長を追い出したものの、後押したのが読売新聞だったため論調は相変わらず。
- 取締役会を遅刻すると連絡したものの「取締役会は定刻通り開始せよ」と命じたことが命取りになり本人到着前に解任動議が出され全員一致で可決され解任された。
- そして「乱脈経営によって会社に損害を与えた」として告訴され、家屋敷を差し押さえられた。
- 人気を誇っていた若者向け番組排除や右翼的な番組編成、恣意的なリストラや配置転換など独裁者としてやりたい放題だった。
- かつての社名は、株式会社ラジオ関東。TBSラジオの開局当時の名称と同じ(TBSラジオの開局当時の略称はKRT)。
- ざんねん、TBSラジオの開局当時の名称は「ラジオ東京」。
- STVラジオ
- ファイターズが北海道移転した当初は、自社制作の中継でファイターズをプッシュしたライバル・HBCラジオに対して、STVは…。
- やはり、北海道は巨人ファンも多いため「日ハムもいいけど、巨人もね。」というスタンスを崩さなかった。
- しかし、2006年にファイターズが日本一になると、面白いように手のひらを返し、ファイターズメインになった。
- ただ、土日の中継では、競馬をメインとするため、いかにファイターズ戦の試合中であっても、競馬中継が挿入される。
- ちょっと前までは、土曜日のデーゲームが「日高晤郞ショー」のおかげで、放送できなかった。
- 挙句の果て、土日祝日の試合中継はHBCに丸投げして、自社製作のワイド番組を優先させる始末。
- ただ、土日の中継では、競馬をメインとするため、いかにファイターズ戦の試合中であっても、競馬中継が挿入される。
- IBC岩手放送
- 岩手県は山がちなため、特に沿岸部で難聴な地域が多い。
- しかも親局は684kHzの周波数のため、東京のNHK第2(693kHz)と特に夜間は盛岡市内でも混信しやすい。
- 二戸周辺ではコミュニティFMのカシオペアFMで再送信をしていた程。
- 2015年以降にradiko開始やFM中継局が整備されるまでこれらに悩まされていた。
- ラジオ福島
- 1953年12月1日に福島民報主導で開局。
- 50年代後半にテレビを開局しようとしたら、福島民友から横やりが入りテレビ開局を断念した。(後福島テレビ開局)
- その後ラジオ局で頑張っていたけど、95年ふくしまエフエムが開局した後下降線になる。
- アナウンサーの定着率が悪くてだいたい三年で退職する。定年退職までいたアナウンサーは数人しかない。
- 残念でないのはフリーで活躍したアナウンサーもいる。例八塚浩、倉敷保雄、吉田暁央、ラジオ日本の加藤裕介、NACK5の渥美佳代子、NHKFMの深沢彩子各氏始め数知れず。
- 茨城放送
- 21世紀に入るまで深夜は原則放送休止であったため、オールナイトニッポンが聴けなかった。
- テレビ放送の免許申請もしていたが、不況のため断念し取り下げ。
- 阿部ちゃんはドラちゃんにはなれなかった。
- FM補完局が整備されるまで、県南では難聴な地区が多かった。
- 整備された後も県外のラジオ局が多数受信できる電波銀座のため苦戦を強いられている。
- 東海ラジオ
- 東海テレビと同じビルに入っているため、同一企業と勘違いされることがある。
- 実は、東海テレビと東海ラジオは別会社。
- ただし東海テレビ主催のイベントのCMを流すこともある(その逆もあり)。
- 実は、東海テレビと東海ラジオは別会社。
- RKB毎日放送
- かつては日産自動車のわがままのため、土曜日のホークス戦デイゲームが中継できなかった。
- 現在は中継できるようにはなったが、13時開始だと途中からの中継になってしまう。
- 九州朝日放送
- ホークス戦全試合試合終了まで中継を売りにしているがかつての土日のホークス戦デーゲーム中継は放送中に競馬中継を挿入されていたためにホークスファンからの評判は低かった。2017年に野球中継を優先するようになったものの春のG1シーズンや夏の小倉開催シーズンと被っていたために今度は競馬ファンから猛反発をくらった。結局福岡での競馬中継は2019年からRKBラジオ(基本的に10月頃から3月末頃)とLOVEFM(基本的に4月頃から10月中旬頃)で放送することになった。
- KBCで中継していた頃は小倉開催時は自社制作を行っていたもののRKBに移動してからはRKBが競馬中継を自社制作で行う体制が整っておらず、小倉開催でもMBS制作となった。
- 熊本放送
- AMラジオは全局1197kHzで統一されているが、そう遠くない場所に1kW送信所が2つ(RKB毎日放送の北九州局とRKC高知放送の中村局)もあるせいで、昼間でも混信が発生する地域がある。
- FM放送開始の理由に混信対策を真っ先に挙げるほどなので、熊本県内でも混信があったのかも。
- アナログ放送のサービスエリアはテレビよりもラジオが広範囲になる傾向があったが、RKKは2局混信の影響でテレビのほうが広範囲だった。
- これはアナログテレビが山頂からの全方向フルパワー送信だったことも影響している。
- FM放送でようやく混信から解放されると思いきや、またしてもRKB北九州局と周波数が被ってしまった(0.1MHz違い)
- そのせいか、熊本FM局の出力はNHK-FMやFMK(いずれも1kW)より低めの810Wに抑えられている。
- 南日本放送
- 南西諸島をカバーするためにAM親局はローカル局としては異例の高出力(京都や広島と同じ20kW)で送信しているが、1978年の周波数再編後の増力だったせいで、同一周波数を使用するラジオ局が併存する形となってしまった。
- 日本では出力20kW以上の局が使用する周波数は基本的に1社のみに割り当てられているが、MBCの1107kHzが唯一の例外となっている。
- 混信相手である北陸放送(MRO)は、開局当初からMBCと同一周波数である。
- MBC側は100kWで送信しないと与論島まで十分にカバーできないと考えていたが、そこまでの増力は認められなかった。
- 20kWでも徳之島以南にはまともに届いていないらしく、沖縄のラジオ局が地元局扱いされているとか。
- 「昼間はそこそこ良好に受信できるから」とAMの鹿屋中継局を2003年に廃止してしまった。
- このせいでradikoが始まる2011年10月までの8年半、地上波に限ればFM中継局が開局した2015年11月までの12年半の間、鹿屋のリスナーは夜間混信との闘いを強いられる羽目に。
- 当時の鹿屋市は人口8万人とはいえ鹿児島第2の都市である。そこもざんねんポイント。
- 国からも鹿屋局の1kW増力が認められていたのに、実現できなかったのもざんねんポイント。
- 地元企業が提供し鹿屋支社から放送していたラジオ番組も、中継局廃止と前後して終了。
- 鹿屋市の広報番組までコミュニティFM局開局後しばらくして完全移行してしまった。
- そもそもMBCのAM中継局廃止がコミュニティFM開局の一因でもある。
- 鹿屋市の広報番組までコミュニティFM局開局後しばらくして完全移行してしまった。
- 実は5kW時代に「どうせ奄美まで十分に電波が届いていないから」と、指向性を南西諸島ではなく北西と南東(当時の川内市と高山町)に向けていたことがある。
FM[編集 | ソースを編集]
- AIR-G'・FMノースウェーブ共通
- どちらも北海道全域まではカバーできていない。根室や稚内(ノースウェーブは北見、網走も)などではradikoなどネットでなければ聴くことができない。
- そのため、道東のある町で違法で電波を中継する事件が起きた。
- FMノースウェーブ
- 東名阪のJFL系列は聴取率が好調だが、こっちは最下位がほぼ定位置になってしまっている。
- 加えて、かつての親会社だった地崎建設の経営不振にも巻き込まれ、身売りを繰り返した。
- 2010年頃からDJを相次いでHBCに引き抜かれた。
- 新千歳空港にサテライトスタジオがあったが、いつの間にか撤退してしまった。
- 愛知国際放送
- 2000年に開局、中京広域圏を放送エリアにしていたFM放送局。通称RADIO-i。三重県や岐阜県でも受信可能なほどに広い放送範囲だった。
- Mega-Net系列に加盟していた国際放送局でもあったため、日本語だけでなく英語・中国語・韓国語・ポルトガル語などの番組もあった。
- 地元財界の支援を受けていたが当時はラジオ離れが続いている時代の開局だったために初年度から赤字が続く。親会社がどうにか支えていたが・・・。
- 2008年のリーマンショックで一層広告収入が減少し親会社でも支えるのが厳しくなってしまう。
- 2010年初頭に大規模な番組改編を行い広告収入の回復とリスナー数の増加を狙うも2010年3月期までの累積赤字は約29億円。もはや黒字回復は不可能となりこの年の9月30日をもって放送終了、閉局を決定した。
- 県域民放放送局が閉局するのは合併や統合や移行などを除いては初の出来事であった。
- FM愛媛
- 民放FMでは5番目の開局(向かいの広島はおろか北海道よりも早い)だが、終夜放送は原則行っておらず深夜3時に放送休止になってしまう。
- 岐阜エフエム放送
- 岐阜新聞社と中日新聞社がお互いに出資して開局したものの...。
- 当時、中日と岐阜新聞社が犬猿の仲だったため、赤字が続いた。
- 新潟県民エフエム放送(FM PORT)
- 2000年に開局した新潟県域のFM放送局。五大都市圏以外の地域で初めて開局した2局目の民間ラジオ局であり、ネットワークに所属していない独立放送局だった。
- 開局当初はJFLに属していたが、ほどなくして脱退した。
- トヨタ自動車や中越グループと縁が深くこれらのグループの提供番組が多かった。だが、年を追うごとにスポンサーが減っていき慢性的な債務超過に陥った。
- その結果2020年の3月に、6月30日で閉局することを発表。奇しくも開局20周年を迎える半年前に閉局することになってしまった。
- Radio NEO
- 愛知国際放送(RADIO-i)の閉局に伴いMegaNetの空白地帯となった名古屋エリアの穴を埋めるために免許申請し、受理。
- 2014年4月に「InterFM NAGOYA」として放送開始。周波数などは閉局したRADIO-iと同じものが使われた。翌年にステーション名を「Radio NEO」に変更した。
- 2016年に独立を果たすも、InterFMの経費削減による改編に合わせて改編を行い、自社制作の番組を終了させInterFMの番組をネットするなど、完全な独立とは言えない状態だった。
- 2019年以降は経営状態の不振が続き、2020年6月30日に閉局した。同じ周波数のRADIO-iと同じ運命をたどった結果に・・・。
- それどころか最後の番組は同時ネットしている通販番組でありRADIO-iや同日に閉局したFM PORT(新潟)と違い閉局特番を組むことなく最後は閉局アナウンスを流し、停波した。
- かまくらFM
- 鎌倉市とその周辺をカバーするコミュニティFM局。
- 2020年1月、「33&ゴンパパのミュージック・バラエティー」のパーソナリティ(男女各1名ずつ)が某フィギュアスケート選手とそのファンに対しSNS上で誹謗中傷の書き込みをするという不祥事を起こす。
- 抗議が本人達のみならず番組のアカウントにまで来てしまい、それを見たアルバイトスタッフが抗議してきたアカウントをブロックしてしまい事を大きくしてしまった。
- リスナーからの抗議は、地元の鎌倉市議会議員、果ては鎌倉市長の耳まで届いたことから(鎌倉市も主要株主の一つ)局側も看過できなくなってしまい、パーソナリティの降板、番組の打ち切り、社長名義での謝罪文の公式HP上への掲載という事態に至った。
- 当の本人達からの謝罪は一切なく、女性パーソナリティはアカウントに鍵をかけて雲隠れ、男性パーソナリティは逆ギレを起こした上に番組打ち切り後もSNS上で「アベガー」や左向きの発言を繰り返しているため、「あぁ、やっぱりな」という意見が出ている。
- 抗議が本人達のみならず番組のアカウントにまで来てしまい、それを見たアルバイトスタッフが抗議してきたアカウントをブロックしてしまい事を大きくしてしまった。
- 外国語放送局
- 上記のRadio-i→RADIO NEOに限らず、ターゲットがあまりにニッチなためどこも経営が不安定で親会社がコロコロ変わってる。
- FM沖縄
- 伊良部島以外の離島には中継局がなく、radiko以外ではほとんど聴取が困難になっている。
- 福岡コミュニティ放送
- 2000年に開局した福岡市で2番目のコミュニティFM局だった。
- 当初は「FM MiMi」というステーションネームで地域に根差した放送局を目指すが、経営が悪化。
- 2005年に、市内のコンサルタント会社に売却し、「StyleFM」として再出発したが…。
- 女性をターゲットにしたラジオ局に変貌し、ほとんどの番組が突如打ち切られ、パーソナリティもほとんどが契約解除された。
- 2010年4月、親会社の金融商品取引法違反容疑で局も家宅捜索を受けた。
- 放送されていた金融情報番組が放送法に触れると指摘されてしまった。
- この煽りで、6月には生放送の大半が打ち切られ、以降は終日フィラー番組が放送されていた。
- そして、閉局が決まったが、告知が行われないまま、10月31日15時35分頃に突如停波。
- 閉局後、社長は逮捕され服役。
デジタル・短波[編集 | ソースを編集]
- セント・ギガ
- 世界初の衛星デジタルラジオ放送だが、契約者が伸び悩んだ上、任天堂との提携も失敗に終わり倒産。
- その後、クラブコスモ、WINJと形を変え、閉局。
- World Independent Networks Japan
- キー局系のBSデジタル音声放送が2006年3月までにすべて撤退してからは唯一のBSデジタルラジオ局となっていたが…。
- 閉局前に他3社(BS11、TwellV、スターチャンネル)と共にBSデジタルテレビ放送への参入を総務省に申請した事があったものの、WINJのみ何故か拒否された。
- 末期は放送中断やノイズ等のトラブルが頻発し、サイトの番組表も6月を最後に更新されていなかった。電話やメール連絡もつかなくなったりもした。
- 2006年11月より放送休止。その後休止期間を何度か延長したのち、総務省によりWINJの委託放送業務の認定が取り消され、廃局。これによりBSデジタル音声放送のチャンネルは一旦姿を消した。
- ラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)
- どうしても、競馬のイメージしかない。
- 嘗ては終夜放送を行っていたが、2002年以降大幅に内容が縮小されてしまった。
- 放送終了も比較的早く第1放送は平日は24:00まで放送するが土曜は19:30、日曜は19:30に、第2放送は平日18:00、土日は17:00に放送終了する
- 1980年代前半に成人向け番組(セクシー・オールナイト)を土曜深夜に放送していたことがある。
- かつては、野球中継もやっていた。
- 事実、後楽園球場に日本短波放送(当時)のゴンドラ席があった。
- 現在もこの時の名残で東京ドームの放送ブース(6局共用部分)の使用権を持っている。
- 事実、後楽園球場に日本短波放送(当時)のゴンドラ席があった。
- 地上波放送局でありながら短波ラジオ受信機がそこまで普及していないこともあり、実質インターネット放送局となってしまっている。
旧外地[編集 | ソースを編集]
- 台湾放送協会
- 戦前の日本領だった台湾をエリアとしていた局のためここで取り扱います。
- 日本の放送史上初めてコマーシャルを流したが総督府や日本放送協会、現地の新聞社などの圧力により1か月で中止に追い込まれた。
- 朝鮮放送協会
- 上記の台湾放送協会同様に日本領だった外地の局のためあえてこちらに記載。
- 基幹局だった京城中央放送局は内地と同じ「JO」で始まるコールサインを使えたが他は「JB」で始まるものにされた。
- OBの証言を読む限り「内鮮一体の精神を体現できなかった」として痛恨事ととらえられている模様。
- 清津放送局は終戦間際のソ連軍侵攻により戦場と化し複数の職員が射殺された。
- しかも最終的には自爆し局内にいた全員が命を落とした。
海外[編集 | ソースを編集]
- 救国の声放送
- 「韓国の地下革命組織による放送」ということになっていたが発信地は北朝鮮だった。
- 出力1000kw越えという驚異的な大電力局だったため同じ周波数のCBCに全力で混信していた。
- CBCのお膝元の名古屋市内でも混信したという記録があるほど。
- バチカン放送
- 領域外のローマ市内にある送信所から送信しているが周囲の住民に電磁波による健康被害が多発し出力低下を強いられた。
- そのあおりで日本語放送などが中止に追い込まれた。
- ロシアの声
- 旧ソ連による「モスクワ放送」時代から日本語放送を長く続けてきたが2015年ごろに中止された。
- かつては鉄のカーテンの向こうの文化や生活を伝えてくれる貴重な存在だったがネットの普及には勝てなかった。
- 『ラジオ・スプートニク』となってからも、しばらくはインターネットで日本語のラジオ放送を放送していたが、2016年の5月頃に、インターネットのラジオによる日本語放送は中止となり、モスクワ放送時代から続いた日本向けの日本語ラジオ放送は事実上の廃止となってしまった。
- かつては鉄のカーテンの向こうの文化や生活を伝えてくれる貴重な存在だったがネットの普及には勝てなかった。
- 90年代前半にあのオウム真理教に周波数を使わせプロパガンダ放送に協力してしまったことがある。