ざんねんな音楽関係者事典
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- 1955年にショパン国際ピアノコンクールで10位になり、日本人として初めて入賞した。
- ところが10年後に中村紘子が同じくショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞し、そのことをもって中村自身がショパン国際ピアノコンクールの日本人初入賞者であると言い続けてきたために中村の方がショパン国際ピアノコンクールの日本人初入賞者だと認識されるようになってしまった。
- 自身は30代後半に膠原病を発症してしまい、引退を余儀なくされたこともあり日本ではしばらく忘れ去られていた。
- 1962年11月からしばらくの間、NHK交響楽団に出禁を食らっていた。
- 直接の原因は同年同月の定期演奏会が各方面から大酷評を受ける散々な出来だったことだが、以下のとおり色々な残念エピソードが積み重なった結果であった。
- たびたび寝坊をしリハーサルに遅れてきた。
- 直前の別の公演では当日朝まで酒を飲みまくった状態で本番に挑み、とんでもない出来になった。
- 体調不良を理由に練習を欠席しながら、同じ日に弟が所属する別のオケに顔を出していた事実がバレた。
- この影響で、同年12月のN響定期公演と年末公演が中止になってしまった。
- 翌年になって黛敏郎が仲裁に入り形式的には和解したが、以後32年にわたってN響とは共演しなかった。
- 直接の原因は同年同月の定期演奏会が各方面から大酷評を受ける散々な出来だったことだが、以下のとおり色々な残念エピソードが積み重なった結果であった。
- アメリカを拠点に活動していた時期が長いため、日本以外のメディアでは日系アメリカ人と間違われることがある。
- ドイツ出身の指揮者で古典派・ロマン派から20世紀の音楽まで幅広いレパートリーを持ち、20世紀を代表する指揮者といわれる。
- しかし、ナチスドイツから逃れるためにスイス経由でアメリカに亡命後、脳腫瘍に倒れ言語障害や身体の麻痺などの後遺症を患い、おまけに躁うつ病が悪化して奇行が目立つようになってアメリカでの活動が絶望的になった。
- その後、ヨーロッパに帰還してレコード契約を果たし、忘れられていた状態から巨匠として再評価された。
- とはいえ、躁うつ病や脳腫瘍、ステージから落下して頭を強打し背骨を骨折、モントリオール空港で転倒して足と腰骨を複雑骨折など指揮者生命にかかわるほどのけがや病気も数多く経験しているが、そのつど復活を遂げている。
- あまりにも独特すぎる人間性から数多くの逸話を残している。以下その一例。
- 寝たばこでベッドを焼いてしまい、消火しようとしたら水と間違えてカンフルをばらまいてしまい、大やけどを負う。
- 作曲家のパウル・ヒンデミットが開いた講演でした質問が「トイレはどこですか?」。
- 娘がホテルの部屋をノックしたら父親の部屋に服が散乱し、若い女性がベッドにいる状態でいたためクレンペラーは「紹介しよう、私の娘ロッテだ。ところで君の名前をもう一度教えてくれないか?」と女性に言った。
- 共演した女性歌手にクレンペラーが行き過ぎた行為をしたため歌手が劇場の支配人に苦情を入れ、支配人がクレンペラーを「このオペラハウスは売春宿ではありません」と戒めようとしたが「この売春宿はオペラハウスではありません」と言い間違えてしまい、クレンペラーは納得してその場を立ち去った。
- 作曲家のフランシス・プーランクがクレンペラーの指揮で自作のピアノ協奏曲を演奏した際、コンサートマスターに「シャイセ(ドイツ語で×××××を表す罵倒語)はフランス語で何と言うんですか?」と尋ねた。
- 誰が呼んだか「音楽界の異端児」。既存の理論をブッ壊した作風は、いわゆる「現代音楽」にも影響を与えている。
- 作風もフリーダムながら、作品に付ける題名も極めてフリーダム。
- 有名なところでは「犬のためのぶよぶよした前奏曲」「嫌らしい気取り屋の3つの高雅なワルツ」「官僚的ソナチネ」だが、「いつも片目を開けて眠るよく肥った猿の王様を目覚めさせる為のファンファーレ」っていったい何物だ。
- 同じ内容を840回繰り返させる構造のピアノ曲がある。しかも題名の日本語訳は「嫌がらせ」。
- 26歳のときにできた彼女へ、合計300通もの手紙を送りつけた。それが関係あるかは定かでないが、半年で別れた。
- ちなみにこの女性は、後に別の男性と交際し画家のモーリス・ユトリロを産んだシュザンヌ・ヴァラドンである。
- 傘を武器にして決闘騒ぎを起こし、警察にしょっぴかれたことがある。
- 没年齢が59歳と比較的若年だったが、その原因はアル中。
- チェコ国民楽派を代表する作曲家。「スラヴ舞曲」「新世界より」「アメリカ」で知られる。
- 鉄ヲタでありチェコ~オーストリア間を運行する国際特急列車「レイルジェット」の愛称の一つに「アントニン・ドヴォルザーク号」と名付けられている。
- 幼い頃ウィーンとドレスデンを結ぶ鉄道が開通し、この路線が彼の生まれ故郷のネラホゼヴェスを通っていたことから鉄ヲタになった。
- プラハ本駅からほど近くのアパートに住んでいたこともあり、作曲中に煮詰まると駅で列車を眺め、時間があれば模型を作り、また列車の時刻表やシリーズ番号、さらには運転士の名前までも暗記していたとか。
- 自分が行けない時は弟子に記録をさせていたという弟子にとって迷惑な話だった。
- 本物の機関車を手に入れるためには、自作の曲を手放してもいいと言った。
- ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてニューヨークに住んでいた時もグランド・セントラル駅へ足繫く通い、シカゴ特急の車体番号を記録していた。
- ニューヨークでも自分が行けない時は弟子に記録をさせていた。
- ある日、新しい機関車が入線するとの情報が入り、製造番号を確認したいが当日はどうしても外せない用事があったため弟子で娘の恋人であるヨセフ・スークに任せたところ、鉄道には全く興味がないスークは間違った番号を書いてしまい、それを見たドヴォルザークは娘に「お前は本当にあんなアホと結婚するつもりなのか!!」とブチギレて破談させようとした。
- ニューヨークへは当初行く気が無かったが、プラハ音楽院の25倍の年俸を提示され、既に6人の子持ちだったドヴォルザークは背に腹は代えられないとばかりに契約書にサインしたが、それは理由の半分に過ぎない。
- 残りの半分はアメリカの鉄道を体験するためだった。
- ニューヨークでも自分が行けない時は弟子に記録をさせていた。
- オーストリアの作曲家兼オルガニスト。宗教音楽の分野でも名高いのだが・・・
- 既に完成・発表した曲であっても、他人の意見に右顧左眄して何度も内容変更を行うことがあった。
- 弟子が勝手に忖度して「一般ウケする内容にしよう」と構造を思いっきり変えてしまった事例もある。
- このややこしい状況をどうにかしようと、作曲者オリジナルの状態の譜面を集めた全集の編纂が行われ、1944年までに一応の完成を見た。
- しかし、その責任編集者がナチスに所属していたことを理由に戦後になって更迭され、後任者は前任者の仕事を思いっきり否定して全く別の全集を仕上げてしまった。
- このため、オリジナル全集とて2つあるという複雑な状況が生まれた。
- 特に交響曲ではやたらと長大な作品が目立ち、ブラームスに「大蛇」(=ただデカくて長いだけ)と揶揄された。
- のちに、好きな食べ物が共通しているというつながりで関係は改善されるが、仕事について厳しい批判を向けられるのは変わらなかったという。
- 「俺の尻をなめろ」という歌(文字通りの意味ではなく単に「死ね!クソ野郎」という意味だったという説も)を作曲したり、姉に「おなら」の事ばかり書いた手紙を書いたりとやたら下品。
- 従姉には「大便」のことばかり書いた手紙を送っている。当時のヨーロッパでは下ネタを織り込む手紙が流行していたらしい。
- それでいて『俺の尻をなめろ』は6声カノン形式と、音だけ聴けば格調高く感じられるのだから始末が悪い。
- 裕福な暮らしだったためお金の管理が全くできず、嫁さんが途轍もない乱費バカだったため結婚してからはいつも赤字だった。
- 初期のニコニコで中村イネという名前で演奏してみた動画を投稿していた
- 矢吹健太朗の元嫁(柏木志保、詳細はざんねんな漫画家事典あ、か行を参照)と不倫していたことと同時に未成年×××××と×××××をしていた。
- ついでに柏木が持ってきた矢吹健太朗のクレジットカードとキャッシュカードを使って豪遊していたとも。
- 矢吹健太朗の元嫁(柏木志保、詳細はざんねんな漫画家事典あ、か行を参照)と不倫していたことと同時に未成年×××××と×××××をしていた。
- 上記の不倫および未成年×××××と×××××が発覚して中村イネとしての活動は終了。
- この時並行して別名義でも活動しているが引退したのは中村イネということで継続していた。
- 2年後にkemuと名を変えてニコニコでボカロPとして活動。
- この時使用していた機材は矢吹のキャッシュとクレカで買ったと噂されている
- その後堀江晶太としてアニメやエロゲの作編曲者として活動。今は堀江/kemuと認めている。中村イネは黒歴史として隠し通している。
- 名義についてはエロゲ声優並にコロコロ変えている
- 2022年に強制わいせつ罪で逮捕。その後の調べで盗撮・露出・わいせつの常習犯であることも判明。
- 結婚したいと思っていないと言っておきながら実は結婚していた。なお現在は離婚している。
- 詳細は言えないが相手を見る目がなかったという意味でざんねんといえる。
- その相手はネットで特級呪物と揶揄されるほどの危険人物である。
- 作曲家だけではなく劇作家や音楽理論研究家としても一流の結果を残し、ルートヴィヒ2世をパトロンとして壮大な規模の「楽劇」をプロデュースするなど時代を超えた実績を挙げている。しかし……
- 極めて尊大な性格だった。
- スポンサーを依頼する手紙いわく、「貴方に私の楽劇に出資する名誉を与えよう」。
- 「自分より優れている作曲家はベートーヴェンだけ」と臆面もなく公言。
- 重々しく荘厳な作りの作品に、わざわざ「ここで拍手するな」と指示を付け加える。
- その影響で『パルジファル』という楽劇では、現代でも第一幕終了時に拍手してはならないという慣習がある。
- 女性関係がざんねん過ぎるほどだらしなかった。
- 実際に結婚式でよく使われる「婚礼の行進」に対しても、作曲者自身の女性問題の多さや、出典である楽劇があまりに救いのない悲劇的ストーリーであることを理由として「縁起が悪いBGM」とみなす向きがある。
- 本人はガチガチのプロテスタントだったので、カトリック形式の結婚式では上記の事情以前の問題で使用不可。
- はっきり証拠が残っている件だけでも、3回不倫している。
- これは「トリビアの泉」に取り上げられ、解説映像のナレーションを東海林のり子がスキャンダル報道のような形式で行った。
- 実際に結婚式でよく使われる「婚礼の行進」に対しても、作曲者自身の女性問題の多さや、出典である楽劇があまりに救いのない悲劇的ストーリーであることを理由として「縁起が悪いBGM」とみなす向きがある。
- 仮に第二次大戦以後の時代に生きていたとしたら、極右文化人扱いされることが確実。
- ユダヤ民族に向けたヘイトスピーチをしまくっていた。
- ドイツではワーグナーの音楽性を評価するのは良いとしても、対ユダヤ人関係の思想を肯定するようなことを言ってしまうとヒトラー賛美のように受け取られる。
- イスラエルでは、数十年にわたって演奏自粛音楽の対象になっている。
- 一応フォローしておくと、当時のヨーロッパではどこでも基本的にユダヤ人が嫌われており、ワーグナーがすごく偏っていたわけではない。というか「ユダヤ人を絶滅させろ」みないな連中からは距離をおいていて、ドイツ人は自らを高めて純粋なドイツを取り戻せみたいな立場なので反ユダヤ的主張としてはおとなしい方である。ただ影響力がでかいので話がややこしくなってしまうのだ。
- ユダヤ民族に向けたヘイトスピーチをしまくっていた。