もしあの遊園地・テーマパークが別の時期に開業していたら

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日本[編集 | ソースを編集]

メッツァ[編集 | ソースを編集]

1990年代
  1. 西武グループによる開発は史実通り。
    • 立川市に建設される計画が浮上することはなかった。
  2. 西武有楽町線の開業と営団地下鉄有楽町線との乗り入れが史実よりも早まっていた。
  3. 名称としては「ムーミンバレーパーク」の方が前面に出されていた。
  4. フィンランド企業のノキアが資本参加していた可能性も否定できない。
2017年

当初の開業予定年でした。

  1. 同じ年に開業していた「西武秩父駅前温泉 祭の湯」とのコラボレーション企画されていた。
  2. S-TRAINの登場が若干史実よりも早く登場していた。

東京ディズニーランド[編集 | ソースを編集]

1940年代
  1. 進駐軍の福利厚生施設としての側面が強かった。
    • キャストは大半がアメリカ人で案内表記も英語中心。
    • サンフランシスコ講和条約発効まで日本人の入園は制限された。
  2. アナハイムの本家(1955年誕生)よりオープンが早いことになってしまうので時代考証がおかしい。
    • しかもウォルト・ディズニーがアメリカ本国ではなく貧乏な敗戦国(かつ元敵国)にわざわざ自らの夢の結晶を作り上げるとは想像できない。
    • 日本の文化産業が軍国主義を支援したとしてこれを潰すためにアメリカ政府の全面的なバックアップで開園した…でも難しいか。
1960年代
  1. 浦安市ではなく、横浜市か静岡県清水市に建設されていた。
    • おそらく史実で横浜ドリームランドがあった場所がディズニーランドになっていた。
      • ドリームランド運営会社の社長だった松尾國三は日本にディズニーランドを作ることを目標にしていた。
      • この場合中途半端な偽物とディズニー社に非難されていた奈良ドリームランドは早々に潰されていた。
      • あの1年で消えたモノレールも何らかの形で再興されていたはず。
    • 清水は当時ちょうどいい土地の出物がなかったような気がする。
  2. ウォルト・ディズニー(1966年没)をオープニングセレモニーに呼べていたかもしれない。
  3. 場合によっては手賀沼に出来ていた?
  4. 戦後の日本人(特に東日本)にとって「テーマパーク=ディズニーランド」という認識だった。
    • 首都圏にある私鉄系の遊園地は早々と閉鎖され、富士急ハイランドも建設されなかった。
    • むしろ変に日本化されそこまで魅力的なものになっていなかった可能性も否定できない。
  5. 誘致を巡る争いにおいて、三菱グループが有利を進めていたかもしれない。
    • ディズニーランドの誘致を巡って、三井グループと三菱グループが対立していたため。
1970年代
  1. 京葉線は1980年代に東京までに開業していた。
    • 場合によっては当初の計画通り京成の路線(東陽町-舞浜-千葉寺)ができていた可能性も否定できない。
    • 関西や北陸からも臨時列車が乗り入れていた。
  2. 東京ディズニーシーの開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
    • バブル期に開業できていたらより中身が本格的なものに。
      • SSコロンビア号は本物の古い客船を買い取って改装。
        • 青函連絡船の大雪丸か十和田丸あたりが使われていてもおかしくない。
      • プロメテウス火山は実際の火山岩で作っていた。
    • あるいは史実で没になった映画モチーフのパークができていた。
  3. 浦安市における開発が史実よりも進んでいた。
1990年代
  1. 入場者が史実よりも少なくなっていた。
  2. 京葉線の開業は史実通り。
  3. 第2パークが東京オリンピック・パラリンピックを見据えた事業として計画されている。
  4. 完成時期によっては阪神淡路大震災での被害を踏まえ液状化対策工事などがさらに大規模になっていた。
2000年代
  1. 最初から東京ディズニーリゾートの一部として開業していた。
    • 東京ディズニーシーと同時開業。
  2. ディズニーリゾートラインは開業当初から走っていた。
  3. 京葉線の路線名が現実と違っていたかもしれない。
  4. ディズニーランド建設が決まるまでに同じ場所を使うはずだった幻の開発計画がいくつも出ていた。
  5. ある程度は自然との共生を意識する必要に迫られていた。

サンリオピューロランド[編集 | ソースを編集]

1980年代
  1. 1985年以降に開業していた。
  2. 1990年3月に京王相模原線が開業したのを機に、特急の運行が開始された。(史実では、1992年5月に運行が開始された。)
  3. 世界初の屋内型テーマパークになっていた。
    • 史実で世界初のロッテワールドがピューロランドのパチモノ呼ばわりされている。
  4. 「サンボ・アンド・ハンナ」や「ビビンバ」といった黒人モチーフのキャラクターが問題になった際には撤去のため数日間の閉園を強いられた。
  5. それでもハーモニーランドの開園時期は史実通りと思われる。
    • 大分県当局が絡んでいるためバブル期でなければ実現しなかった気がする。

鎌倉シネマワールド[編集 | ソースを編集]

1980年
  1. 東映太秦映画村に触発されての開園であった。
  2. 敷地の面積が史実よりも広くなっていた。
    • ショッピングセンターができることはなかった。
  3. それでも、閉鎖を免れることはできなかったであろう。
  4. 歌舞伎や新喜劇に関するエリアもそれなりにあった。
    • ひょっとすると松竹ロビンス関連の内容もあったかもしれない。
  5. 「男はつらいよ」シリーズの新作が公開されるたびに渥美清や倍賞千恵子が出るイベントが行われた。
  6. バブル期に京都撮影所の敷地を使って分園を作る計画も出るが頓挫。

レゴランド・ジャパン[編集 | ソースを編集]

2000年代
  1. 2005年までに開業していた場合、愛知万博を機に入場者が増えていた。
    • 入場者が史実よりも多くなっていた。
  2. 入場料が高く設定されることはなかった。
  3. ささしまライブ24における再開発が史実よりも進んでいた。
    • 中京テレビ放送の移転も史実よりも早まっていたかもしれない。
      • あの土地が売りに出されたのは2011年なのでむしろ他の企業が落札していたのでは。
    • 金城ふ頭の施設が栄えたからといって10kmくらい離れたささしまライブ地区にそこまで影響があるとは考えにくい。
  4. リニア・鉄道館の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
  5. 場合によっては「日本デンマーク」を自称する安城市が誘致に乗り出していた。
    • それ以前に03年に誘致を断念した千葉市が実現にこぎつけていた可能性もある。
  6. 05年に名古屋市が姉妹提携をした相手がトリノ(イタリア)ではなくデンマークのビルン(レゴ本社所在地)だったかもしれない。
  7. 2010年には南アフリカW杯の日本vsデンマークに便乗したキャンペーンを実施した。
  8. 2004年までに開業した場合、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の開業が史実よりも早まっていた。
2010年代前半
  1. リニア・鉄道館の開館と同時期に開園していた。
  2. 2011年に開園した場合、東日本大震災の影響により、オープニングセレモニーは自粛されていた可能性が高い。
    • 場合によっては、開園が史実よりもずれ込んでいた可能性もあり得る。
  3. 2011年に開園した場合、アメリカのフロリダ州にあるレゴランド・フロリダ・リゾートは別の年に開園していた可能性が高い。
  4. 名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の利用客が史実よりも多くなっていた。
  5. 金城ふ頭における再開発が史実よりも進んでいた。
    • レゴランド・ジャパン・ホテルとシーライフ名古屋の開業とレゴニンジャゴー・ワールドのオープンが史実よりも早まっていた。
    • メイカーズピアの開業も史実よりも早まっていたかもしれないが、場合によっては、金城ふ頭駅付近に建設されていた可能性もあり得る。
  6. レゴランド・ジャパンはアジアで最初に開設された最初のレゴランドテーマパークになっていた。(ちなみに、アジア最初のレゴランドのレゴランド・マレーシアは2012年9月に開業。)
    • 2012年に開業した場合、レゴランド・マレーシアは2013年以降に開業していた。
1988年
  1. 同年の夏季オリンピックに名古屋が当選していたら考えられた。
  2. 「日本デンマーク」を自称する安城市が誘致に乗り出していたかも。
  3. (史実通り名古屋が同年の夏季オリンピックに落選していた場合)翌年のデザイン博開催期に入場者数が増えていた。

リトルワールド[編集 | ソースを編集]

1970年代

1960年代に構想が練られており、1973年2月に着工しましたが、オイルショックの影響により、一時中断したために、1983年3月にずれ込みました。

  1. 1977年3月までに開業していたら、当テーマパークが日本最初の民族学博物館として、大胆に宣伝していた。
    • むしろお堅いイメージが付き現在までに消えていた危険もある。
  2. ちょうど、名鉄の歴史において、新線開業ラッシュと名古屋市内の拠点整備と言った拡張期に当たる中での開園であった。

志摩スペイン村[編集 | ソースを編集]

1980年代

構想は1970年代に練られていました。

  1. テーマがスペインでなかったかもしれない。
    • 日本人によりなじみがあるアメリカ西海岸かイタリアあたりがモチーフにされていた。
  2. 近鉄23000系電車の登場は史実通りだが、史実と異なるものになっていた。
  3. 当初の計画通りに、リゾートマンションやペンションやゴルフ場などが建設されていた。
    • 間違いなく一部がバブル崩壊のせいで廃墟化している。
    • 最悪の場合近鉄グループの巨大な不良債権と化し全面閉鎖or身売りの憂き目に。
  4. 開園が1988年だったらこの年の近鉄グループは10・19決戦(近鉄×ロッテのダブルヘッダー)やアーバンライナーのデビュー、近鉄百貨店阿倍野店の増床と合わせて後々まで語り継がれていた。
1992年
  1. 式年遷宮と時期が重なるので利用客数は多かったと思われるが、伊勢神宮関係者はどう思ったのか。
    • 時流に流されないイメージなので「我々にも感謝してほしいものだ」程度に悠々と構えていたのでは。
  2. 近鉄23000系「伊勢志摩ライナー」も数年早く登場していた。
    • 走行機器は22000系とほぼ同じ。22000系は予定通り112両製造された。
  3. まだバブルの余韻が残っていたので現実より規模が大きかった。
  4. バルセロナオリンピックが開催された年でもあるので、それとタイアップしたイベントが行われていた。
  5. 近鉄志摩線の複線化が史実よりも早まっていた。
    • 志摩磯部駅の橋上駅化も史実よりも早まっていた。
  6. 開園が1991年に前倒しされていた可能性もあり得る。

東映太秦映画村[編集 | ソースを編集]

1969年
  1. 翌年に開催される大阪万博に控えての開業であった。
  2. 東映フライヤーズとのコラボレーションが企画されていた。
    • 球団本拠地は東京(後楽園)なので関西人にはほとんど受けず黒歴史と化している。
  3. JR山陰本線(京都~園部)の電化及び複線化が史実よりも早まっていたかもしれない。
    • それが実現した場合、園部~福知山間の電化も早まっていた。
    • 太秦駅の開業も史実よりも早まっていたかもしれない。
    • 用地云々などの問題もあるのでその可能性は低い。
      • 国鉄時代に京都-嵯峨間の複線電化を実現したかも。円町駅が太秦駅より先に開業したかも。
  4. 早くから軌道に乗せることができていたら先見の明を称えられていた。
    • 実録ヤクザ映画やピンク映画といった際物的な作品にそこまで傾斜する必要もなかった。
1990年代
  1. 開業時からJR太秦駅から来る来場者向けに「撮影所口」のゲートが開設されていた。
  2. おそらく面積自体は現実より狭い。
    • 開園時期が遅れたため敷地のかなりの部分が売り払われていた可能性大。
    • オープンセット+α程度の施設しかなく戦略を間違えて潰れた公算も小さくない。
  3. 最もありそうな開園時期は平安遷都1200年にあたる1994年。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン[編集 | ソースを編集]

1970年
  1. 言うまでもなく大阪万博が開業のきっかけだった。
    • 開業初年は万博と一緒に行く来園者が多かっただろう。
    • 1970年は大阪にとっては現実以上に忘れられない年になっていた。
1980年代
  1. 前半に開園していた場合、人口の多い団塊ジュニア世代あたりが小中学生時代にアトラクションを楽しむことができた。
    • 言うまでもなく格好の遠足スポットとなっている。
    • 場合によっては東京ディズニーランドよりも開園が早かった。
  2. 関西の私鉄系遊園地の多くはバブル崩壊直後あたりで閉園に追い込まれていた。
  3. 1987年3月までに開園していた場合、ユニバーサルシティ駅は国鉄時代に開業していた。
    • 大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)の路線をUSJまで延伸する計画も出ていた。
  4. 所在地は史実の日立造船工場跡地ではなく咲洲あたりだった。
    • この場合ニュートラムが主要な交通手段として位置づけられている。
      • 若しくは地下鉄中央線を直接USJまで延伸したかも。
  5. 「ジョーズ」が最大の目玉アトラクションだった。
  6. 阪神なんば線の開業が1980年代後半にまで早まっていた。
1990年代
  1. 日立造船の有明工場への移転が史実よりも早まっていた。
    • あるいは史実で破談になった堺の新日鉄(現日本製鉄)社有地にUSJができていた。
  2. 1990年頃か1994年頃か1997年頃に開業していた可能性が高い。
    • バブル期と震災直前と不況真っただ中ではそれぞれ状況が全く異なっているが…。
    • 1990年頃の場合、国際花と緑の博覧会の開催と重なり、史実以上の賑わいであった。
    • 1994年頃の場合、関西国際空港の開港により、一時的に来場者が増えていた。
      • しかし、1995年の阪神淡路大震災により、その後は伸び悩む。
    • 1997年頃の場合、大阪ドームの開業と重なっていた。
      • 大阪ドームを本拠地としていた近鉄バファローズの試合で、ウッドペッカーなどのキャラクターが始球式を務めていた。
      • 阪神なんば線は2003年頃に開業していた。
  3. 阪神なんば線の開業が史実よりも早まっていた。
    • 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路)が確実に開業していた。
      • 大阪万博があっても開業できなかった路線がそう簡単にできるようには思えない。
    • 京阪中之島線の開業も史実よりも早まり、新桜島まで延伸開業していたかもしれない。
      • そこまでいかなくても最低でも西九条まで開業していただろう。
    • ユニバーサルシティ駅の開業も史実よりも早まり、北陸地方から運行される臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」の運行も史実よりも早まっていた。
      • 特急「はるか」は2001年辺りで全列車9両編成になっていた。
    • 阪神梅田(現大阪梅田)~山陽姫路間直通特急運転開始も早まっていた。
      • 阪神特急は現実よりも早く尼崎駅に停車していた。
      • 阪神1000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
    • 近鉄の名阪乙特急の増発が史実よりも早まっていた。
      • 21020系電車は増備として、製造されていたかもしれない。
      • 5820系電車、9820系電車の登場が史実よりも早まっていた。
  4. 阪神甲子園住宅パーク、神戸ポートピアランド、宝塚ファミリーランド、近鉄あやめ池遊園地の閉園が史実よりも早まっていたかもしれない。
    • フェスティバルゲートも。
    • 南海電鉄が経営するみさき公園も閉鎖になっていたかもしれない。
  5. ここをモチーフにしたゲームは史実のゲームキューブではなく初代PSあたりで出ていた。
  6. 1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の影響で数日間休園を余儀なくされていた(ただし、1994年までに開業していた場合に限る)。
2003年
  1. 宝塚ファミリーランド、神戸ポートピアランド、阪神甲子園住宅パーク、近鉄あやめ池遊園地の閉園が史実よりも遅れていた。
    • この年に阪神なんば線が開業していたら、さらに賑わっていた。
  2. 阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を遂げた年でもあるから、この年の関西はとても賑わいのある年だった。
2011年
  1. 2003年に開業した場合と同様に宝塚ファミリーランド、神戸ポートピアランド、阪神甲子園住宅パーク、近鉄あやめ池遊園地の閉園が史実よりも遅れていた。
  2. 開園時期が3月末だった場合、東日本大震災の影響でオープニングセレモニーは自粛されていた可能性が高い。
    • 最悪、開園が史実よりもずれ込んでいた可能性もあった。

倉敷チボリ公園[編集 | ソースを編集]

1980年代後半
  1. 1988年の瀬戸大橋の開業を機に賑わっていた。
  2. 1985年に開局したテレビせとうちが開業セレモニーに関わっていた可能性が高い。
    • 絡むならぽっと出の新局よりも同じ資本のRSKの方がありそう。
1990年代初頭(1995年頃まで)
  1. 運営会社に阪急電鉄が途中で離脱することはなかった。
    • 阪神淡路大震災の影響を考慮するとそうは言い切れない。
    • 史実のように、開園する前に離脱することはないにしても、神戸ポートピアランドと同様に、2000年代になって、撤退した。
  2. 入場者が史実よりも多くなっていた。
  3. 閉園が史実よりも遅れていたかもしれない。
    • 00年代の経営状況は変わらなかったと思われるのでそれはない気がする。
  4. 当初の計画通り岡山操車場跡地にできていた可能性も皆無ではない。

おもちゃ王国[編集 | ソースを編集]

元々は、閉園した王子ファンシーランド跡地を利用して、1995年に開業したテーマパークです。もし初めから1989年からおもちゃ王国として、開業していたら…

  1. 1995年の阪神・淡路大震災の影響を受けていた。
    • その後に、経営を立て直すことができたかどうかで左右されていた。
  2. 経営が成功していたら、軽井沢おもちゃ王国と東条湖おもちゃ王国と南知多おもちゃ王国の開園が史実よりも早まっていた。
  3. そもそも運営会社は居抜き戦略を得意とする企業なので一からの建設ならおそらく開園できていない。
    • その親会社は単なる岡山ローカルの玩具店なのでこれまた十分な資金力があるようには思えない。
    • 仮に開園できていたとしても史実と全く異なる資本だった。

スペースワールド[編集 | ソースを編集]

1980年代
  1. 東京ディズニーランドに強い対抗心をもって、建設された。
    • 位置もテーマも親会社の業種もかけ離れているのでそれはなさそう。
  2. 東田地区における再開発計画が史実よりも早く進んでいた。
    • 鹿児島本線枝光~八幡間の経路変更も史実よりも早まっていた。
    • スペースワールドの開業も史実よりも早まっていた。
  3. 西日本鉄道も運営に加わっていたかもしれない。
  4. それでも、2017年末に閉園になっていたのは史実通り。
  5. ここがユニバーサル・スタジオ・ジャパンになっていたかもしれない。
  6. 新日鐵(当時)は以降,経営の多角化を現実以上に進めた。その後他社に譲渡した部門も。ここも同じようになったかもしれない。
  7. 北九州空港は移転ではなく,滑走路延長で済ませたかも。
    • あるいは移転自体が20年程度早い。

ハウステンボス[編集 | ソースを編集]

1980年代
  1. 長崎オランダ村が開業することはなかった。
  2. 「ハウステンボス」用塗装の国鉄485系電車の登場が史実よりも早まっていた。
    • むしろ専用特急の乗り入れがなかった方が自然。
      • 最寄り駅の名称も「新南風崎」あたりにされていた。
      • かわりに「ハウステンボスエクスプレス」みたいなジョイフルトレインが登場していた。(オランダ村特急のように車両新製したか微妙だが)
    • 夜行普通「ながさき」が廃止されず、JR化後は臨時快速として繁忙期に設定される。
  3. 入場者が史実よりも多くなっていた。
  4. 会社更生法の適用により、破産するのは史実通り。
    • ただ経営再建を行う相手はH.I.S.ではなかったかも。
  5. 昭和のうちに開業していたらオランダ王室の宮殿と同じ「ハウステンボス」という名称は使えなかった。
    • オランダ人(特に戦争経験者)の対日感情からして昭和天皇の国に王宮の名前を使わせるというのは反発されてもおかしくない。

海外[編集 | ソースを編集]

上海ディズニーランド[編集 | ソースを編集]

1980年代
  1. 中国国民党が中国共産党に勝っていたらあり得た。
  2. 共産化が現実通りだったら、改革開放の一環で北京に建設されたかも
2000年代

構想自体は1990年代からありました。

  1. 香港ディズニーランドはなかったか史実よりも遅れて開業していた。
    • 史実での経緯から推測するに香港の構想が実現しなかった場合と考えるのが自然。
      • 上海での開園が遅れたのは香港ディズニーランドを育てたいという中国政府の意向があったからとされている。
  2. 上海での都市開発が史実よりも早く進んでいた。
    • 改革開放が始まった70年代終わりから既に凄まじい成長だったのであまり変わらなかったような気がする。

ユニバーサルスタジオ北京[編集 | ソースを編集]

1988年
  1. 中国に建設されるとしたら国民党が共産党に勝っていたら有り得た。
  2. 中国ではなく韓国のソウルに建設されたかも
2000年頃
  1. 国民党が共産党に勝っていた文化大革命がなかったらあり得た。

関連項目[編集 | ソースを編集]