もしあのプロ野球選手にアクシデントがなかったら/あ・か行
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- 2007年、広島戦でダイビングキャッチを試みた際に首を強打しなかったら
- 2011年現在も現役を続けている。
- 城島・藤井・新井などと1976年度生まれの同級生集団を形成していた。
- マートンを獲得することもなかったか?
- 左から鉢、赤星そしてマートンと言う布陣が組めたかも。
- 現役の限り、盗塁数だけ車椅子を寄贈している。
- 2015年あたりまで現役を続けていた。
- 現役期間中に結婚していただろう(史実では引退後に結婚)。
- 2008年以降の阪神の成績も史実よりは良かった。
- リーグ優勝を果たしていた可能性もある。
- うまくいけば2010年・2014年にもリーグ優勝を果たしていたかもしれない。
- 2000本安打を達成するまで活躍を続ければ、間違いなく「通算本塁打最少での記録達成者」になっていた。おそらく通算で一桁本塁打のままでの達成だっただろう。
- 2009年にも同じアクシデントに見舞われなかっただろう。
- 現場職に就けない理由の一つとされているため、これがなかったら阪神のコーチを担当していたであろう。
- 2016年の金本知憲あるいは2019年の矢野燿大の監督就任と同時に外野守備走塁コーチに就任していた。
- 1991年のオールスターゲームで自打球を顔面に当てなかったら
- 野茂英雄が代打、工藤公康が守備でそれぞれ秋山の交代で出場することもなかった。
- 野茂が打席でオリックス・ブルーウェーブのヘルメットを着用したところが「オリックス・バファローズの予言」と話題にされることもなかった。
- オールスターゲームが9回規定引き分けになることもなかった。
- 右肩の故障に悩まされなかったら
- 現在も現役。
- 山口鉄也に通算ホールド数を抜かれることもなかった。
- 200ホールド達成も早かった。
- 中継ぎのMVPももう少し多かった。
- 名球会の規定にホールドが追加された。
- 潰瘍性大腸炎にならなかったら
- 2016年以降は全試合出場したシーズンが何度かあった。
- オリックスの成績ももう少しまともだった。
- 2021年と2022年のリーグ優勝、2022年の日本一にも大きく貢献していた。
- 2021年頃から若手の紅林弘太郎にショートのレギュラーを譲るも、セカンドでも大活躍していた。
- 大城滉二のブレイクが遅れていた。
- 源田壮亮や今宮健太を抑えてゴールデングラブ賞を受賞するシーズンも何度かあった。
- 小学生の時に交通事故で右足に人口骨を埋める手術をしていなかったら
- プロに入ってから怪我で苦しめられることが史実より減っていた。
- 通算100勝していた可能性もあった。(史実では通算64勝)
- 現役生活ももう少し長かった。
- 史実より暴投数は少なかった。
- 「暴投王」と呼ばれることもなかったかもしれない。
- 「ARAKAKI」と揶揄されることもなかったかもしれない。
- ドラフトでは、ダイエーとオリックス以外にも1位指名されていたかも。
- しかし、ダイエーじゃない限りいずれも入団拒否していただろう。
- 2006年第一回WBCの第一次ラウンドの韓国戦で左肩症を発症しなかったら。
- 馬原孝浩が代理で召集されることもなかった。
- メジャー移籍を断念することもなかった。
- 上手くいけば250セーブを達成していたかもしれない。
- 40代まで現役を続けていたかもしれない。
- 1999年に下柳剛から死球を受けなかったら
- シーズン終了までフル出場出来ており、94年開幕戦からの連続試合出場を翌年以降も続けられていた。
- のちの松井秀喜のように、連続試合出場を続けながら渡米していた。
- 最多安打も6年連続で記録出来ていた。
- 翌2000年も現実以上に活躍できた。
- 2000年にファウルボールを打って右脇腹を痛めなかったら
- 史実の離脱直前で打率.392だったので、よっぽどの不振あるいは相手からのマークがない限り4割を記録出来ていたかも。
- そして4割到達しなくても、ランディ・バースの最高打率記録を少なからず超えていた。
- 2000年のオリックスはAクラス入りできていた。
- メジャー移籍は現実通りとしても、あと1、2年オリックスに残りFA権で移籍していた。
- 仰木監督の勇退を見届けていた。
- ひじ痛とルーズショルダーに悩まされなかったら
- 1990年代ヤクルトはさらなる黄金時代になっていた。優勝回数がいっそう増えていたか、V逸年でもBクラス転落はしなかった。
- その分阪神の成績は目も当てられない状態になっていた。
- あのお化けスライダーはルーズショルダーが生んだ産物だからただの速球派Pと終っていたと思う。
- その分阪神の成績は目も当てられない状態になっていた。
- 21世紀を迎えた頃にメジャーに移籍し活躍。
- ブレークした1989年、夏場に阪神キーオから頭部死球を受けなかったら
- 規定打席到達の年度が数度はあったろう。
- 主軸を打つのは無理でも、末次くらいの存在にはなった可能性も。
- 20本塁打以上放っていた。
- 主軸を打つのは無理でも、末次くらいの存在にはなった可能性も。
- 90年代前半の巨人の外野陣が悲惨なことにはなっていなかった。
- 上皮角膜ヘルペスがなかったら
- 2009年の初めグアムに自主トレに行った際に目の腫れや痛みを訴え、帰国後の医師による診断で上皮角膜ヘルペスによるものだと判明した。
- ドーピングをすることはなかった。
- 2010年の燃えよドラゴンズは「2番井端がヒットエンドラン」になってた。
- 「きっと井端がよみがえる」という歌詞はなかった。
- 2000本安打達成してから引退した。
- 巨人移籍はなかった。
- 中日一筋で引退し、日本代表コーチ→監督になる前に中日でもコーチを務めていた。
- 左肩の故障がなかったら
- 中日は一時、野口・山本昌・岩瀬とともにスーパー左腕王国を形成。
- 1999年の優勝貢献を置き土産にメジャー移籍し、日米通算200勝を達成。
- 1990年代に中日のダブルエースとして共に活躍した山本昌と合わせて名球会入りしていた。
- 現役晩年は2009年オフに中日ドラゴンズに復帰し、2010年と2011年のリーグ連覇に貢献した後、2012年頃に引退していた。
- 2010年か2011年のどちらかは中日が日本一になっていただろう。
- 中日に残留していれば、2006年の優勝ぐらいまで貢献し、最近までプレーしていた。その間にもう1-2度中日の優勝が増えていた可能性もあり、いずれかの年で10.8の借りを返していたかも。
- 著書の題名は『悔いは、ありません』になっていた。
- 門真市を代表する有名人となっていた。(今中は門真市出身)
- 市のPR大使にも選ばれていた。
- 「燃えよドラゴンズ!2000」で「きっと今中よみがえれ」という歌詞はなかった。
- 1987年にアキレス腱を切らなかったら
- 80年代末期~1990年代の大洋(横浜)は史実よりマシな成績を残していたかもしれない。
- 場合によっては古葉竹織監督ももう少し長く勤めていた。
- 石井琢朗は入団当初から野手でプレーしていたか?
- その場合は93年の大量解雇事件の時に別の選手が解雇されていた可能性も?
- 史実通り91年に中山裕章がわいせつ事件を起こしていれば92年で辞任となった可能性もある。
- 史実よりもう少し長く現役を全うしてたかもしれないがそれでも通算200勝を達成したかどうかは微妙。
- クローザーに転向することもなく、スライダー習得もなかった。
- 高校にまじめに通っていたら
- 入部早々四番に定着(史実通り)。秋田県のレベルを考えると甲子園に最低1回は出て独特の打法が注目を浴びる。
- 高卒後に、ドラフト指名されるが、OBに打法をけなされて自身をなくす。
- 史実通り東洋大学に進学したとしても、すぐに中退することはなかった。
- 1975年のドラフト会議で指名され、大卒でプロ入りしていた。ただし、プロ入りが史実よりも3年早くなっていたため、史実通りにロッテに指名されるとは限らない。
- プロ入りが史実よりも3年早くなる分通算成績が伸び、通算2500本安打と600本塁打を達成していた。
- 金本知憲より先に大卒初の通算2500本安打の達成者となっていた。また、山本浩二に次ぐ2人目の大卒で通算500本塁打の達成者となっていた。
- 以下史実通りロッテに指名されたとして、1977年と1980年にロッテを優勝に導いていたかも。その後は、三冠王達成や中日、巨人、日本ハムへの移籍、中日の監督への就任は史実通りだろう。
- 史実よりもプロ入りが3年早くなるので、三冠王達成回数がもう1回増えていたかも。
- 1996年に野口の死球で手首を骨折しなかったら
- もう少し長く現役を続けていた。
- 1996年の日本シリーズも巨人が勝っていた。
- その場合、オリックスは平成時代は一度も日本一を経験できずに終わっていた。
- 全球団からホームランを達成していた(史実ではロッテからはホームランを打つことが出来なかった)。
- 落合監督就任時に野口が干されることはなく、FAで巨人へ行くこともなかった。
- 小田は中日に移籍せず、「やりましたー」という名言もなかった。
- 2004-5年の成績を見ればわかるが干されたのではなく力が落ちて使われなくなっただけ。史実と変わらなかった可能性も高い。
- 黄色靭帯骨化症になっていなかったら
- 西村がストッパーに転向することはなかった。
- もし1986年に斉藤学投手から死球を受けなかったら
- 1986年、優勝は無理でも優勝争いぐらいはできていた。翌87年も阪神の成績はあんな悲惨なものにはならなかった。
- どこかで同様のアクシデントに見舞われた可能性もあるが、それがなければ2000本安打・450本塁打ぐらいまで達成していたか。
- 上手くいけば、90年代半ばまで現役を続けて2500本安打・600本塁打を達成していた。
- もちろん、名球会入りと野球殿堂入りを果たしていた。
- もしかしたら、掛布雅之の現役時代の背番号31が阪神タイガースの永久欠番となっていたかも。
- 阪神の暗黒時代の到来ももう少し遅れていた。結局は訪れたのは間違いないと思われるが…。
- 掛布が年齢による衰えを隠しきれなくなった頃から最下位に転落し始め、掛布の引退後は2003年の優勝まで史実通りになっていた。
- 翌年に飲酒運転で検挙されることはなかったかもしれない。
- そのため阪神フロントとの軋轢は生まれず、引退後は監督に就任していた。
- ひいては野村監督、星野監督の招聘もなかったか。
- 2軍監督就任も早まっていた。
- あるいは千葉市出身なので、千葉市に本拠地を置くロッテの監督に就任していた。
- 2005年の日本シリーズのときのロッテの監督は、ボビー・バレンタインではなく掛布雅之だった。
- その場合、対戦相手の阪神の監督が岡田彰布なので、同年の日本シリーズはON対決以来となる現役時代チームメイト同士の対決として注目されていた。
- 後年の阪神2軍監督就任は史実通りで、もしかしたら2019年~2022年の阪神1軍監督は、矢野燿大ではなく掛布雅之だったかも。
- それ以前に千葉のよしみで現役のままロッテに移籍していたら、引退後ロッテでコーチを務めるかも。
- 高校の後輩の福浦和也に影響を与えていた。
- のちに同じく阪神からロッテに移籍する今岡誠や鳥谷敬も掛布の影響を受けていた。
- 2005年の日本シリーズのときのロッテの監督は、ボビー・バレンタインではなく掛布雅之だった。
- そのため阪神フロントとの軋轢は生まれず、引退後は監督に就任していた。
- もう少し長く現役を続けているので、上手くいけば1992年にチームを優勝させて優勝を置き土産に引退していたかも。
- 90年代半ばまで現役だったか。
- その場合、萩原誠(史実では1992年から背番号31を着用)の背番号は別の番号になっていた可能性が高い。
- 掛布のファンを公言していた松井秀喜とグラウンド上で顔を合わせていた。そして自身が新人時代に憧れの長嶋茂雄とグラウンドで顔を合わせた時のことを引き合いに出された。
- 90年代半ばまで現役だったか。
- もしかしたら、王貞治の持つ55本塁打のシーズン本塁打記録を更新していたかも。その場合、ライバルの巨人に在籍していた世界の王が持つ日本記録を阪神の選手が更新したことで、阪神ファンが誇りに思うようになる。
- 上手くいけば、昭和最後か平成最初の三冠王にも輝き、巨人と阪神の選手ということもあり、世界の王こと王貞治とはかなり比較されていた。
- 平成の三冠王は松中信彦が唯一ではなかったかも。それでも平成のパ・リーグ唯一の三冠王ではあるが。
- 日本プロ野球史上最高のホームランバッターは誰かと聞かれれば、巨人ファンは王貞治と、阪神ファンは掛布雅之と、中日ファンは落合博満と答えていた。
- 松井秀喜や村上宗隆は、背番号を55にしなかった。掛布の本塁打数に因んだ背番号にしていただろう。
- 上手くいけば、昭和最後か平成最初の三冠王にも輝き、巨人と阪神の選手ということもあり、世界の王こと王貞治とはかなり比較されていた。
- 1979年のキャンプで右足のアキレス腱を断裂しなかったら
- アキレス腱断裂からの復帰後「走らずに済む方法」としてホームランを追求することもなかったので、故障前と同様の中距離の巧打者として大成。本塁打王ではなく首位打者のタイトルを何度も獲っていた。
- 打点王の受賞回数も史実より増えた。
- 少なくとも背番号44は付けていない。
- オリックスブレーブス時代の石嶺和彦は指名打者に専念していた。
- 1989年にブーマー・ウェルズとのハイタッチで右腕を脱臼していなかったら
- (当時、門田が在籍していた)オリックスが1989年度のリーグ優勝を近鉄にさらわれることはなかった。
- 門田の戦線離脱が、近鉄の巻き返しにつながったため。
- そうなれば後にブルーウェーブに改名することもなかっただろう。
- つまり西宮→神戸への移転もなかったか遅れている。
- 門田がホークスに復帰することもなく、現役引退までオリックスでプレーしていただろう。
- 上手くいけば引退が1、2年遅れていた。
- 最低1年福岡ドームでもプレイしていた。
- 2010年に右肩を傷めなかったら
- 連続試合フルイニング出場、連続試合出場をそれぞれもっと続けられた。
- それらが途絶えるきっかけが異なっていた。
- 途絶えた後も、桧山進次郎と共に「代打の切り札」として現実以上に活躍していたかも。
- それらが途絶えるきっかけが異なっていた。
- 2010年に阪神が優勝し、11年以降ももう少しまともな成績を残せた。
- 大和の外野へのコンバートはなかった。
- 福留孝介の獲得もなかった。あるいは福留の入団後に追われるように出番を減らしていた。
- 引退直前にコーチ兼任→引退翌年に監督就任していたかも。
- 史実より1,2年遅く引退ししばらくコーチを務めてから監督就任。
- 某野球掲示板で付けられてた蔑称の数が大幅に減ってた
- ヤニキと呼ばれることはなかった。また、金本の後任監督である矢野燿大がヤノキと呼ばれることもなかった。
- 1995年開幕直後、外野守備中にグレン・デービスと衝突し腰椎骨折していなかったら
- 不動の一番打者として阪神打線を牽引し、20代で引退することはなかった。
- もう少し長く阪神で現役を続けていたら、2003年・2005年のリーグ優勝に貢献していたかも。
- 赤星憲広のブレイクが遅れていた。
- それ以前に坪井智哉も。
- 怪我を恐れない思い切りのいい守備でゴールデングラブの常連となっていた。
- 1995年はチームが最下位になっていなかったかも。
- 阪神がリーグ優勝を果たし、オリックスとの日本シリーズになった場合、史上稀に見る盛り上がりを見せていた。
- チームの低迷は史実ほどのものにはならなかった。
- 1992年に阪神が優勝できていた、あるいは1993年,94年にAクラス入りできていた場合と同様、1995年以降も少しはまともな成績を残せていたかも。
- 少なくとも引退後、一度はコーチに就任している。
- あそこまで激太りすることもなさそう。
- 1999年、枚方リトルはリトルリーグ世界一になっていなかった。
- 彼が「1992年だけの一発屋」と見なされることもなかった。
- 同い年で誕生日が1日違いの桧山進次郎と比較されることもなかった。
- 桧山のブレイクが遅れていた。
- 睡眠時無呼吸症候群で寝坊の常習にならなかったかも。
- 1992年に阪神が優勝出来ていた場合と同様、彼のヘッドスライディングの真似が阪神ファンの間で現実以上に流行っていた。
- 1995〜97年の活躍次第では、史実で引退した1997年オフの近鉄移籍が実現したかも。
- そして2001年のリーグ優勝に貢献し、初期のオリックスバファローズでコーチに就任した。
- 1991年8月9日の対近鉄戦でジム・トレーバーの打球にダイビングキャッチを試みた際に左膝半月板を損傷していなかったら
- 自己新ペースで30本塁打以上放っていた。
- 通算本塁打も200本以上放っていた。
- 1994年はリーグ優勝していたかもしれない。
- 6月に吉田修司との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍することはなかった。
- 佐藤真一、広永益隆が巨人へ移籍していたかも。
- いずれにしても根本陸夫を監督を勇退している。
- 6月に吉田修司との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍することはなかった。
- 移籍して来た秋山と4番の争いをしていた。
- ケビン・ライマーが入団することはなかった。
- もしくはブライアン・トラックスラーが入団せず、一塁手へコンバートされていた。
- 小久保裕紀のブレイクが遅れていた。
- もし1989年にバット投げ事件を起こさなかったら
- 連続試合出場記録が途切れることはなかった。
- この年も西武が優勝しV10を成し遂げていた。
- つまりこうなっていた。
- 近鉄が日本シリーズに出場することがないので、「巨人はロッテより弱い」という迷言は誕生しなかった。
- 平沼定晴の知名度は上がらなかった。
- ちゃんとした調整ができていたら
- 2007年は一軍出場無しで終わることはなかった。
- そもそもオリックスに在籍した2006年からの3年間も1年間フルで1軍の戦力となれていた。
- そしてオリックスももう少しまともな成績を残しており2008年に優勝できていたかも。
- そもそもオリックスに在籍した2006年からの3年間も1年間フルで1軍の戦力となれていた。
- 最高出塁率だけでなく本塁打王や打点王も獲得できてた。
- もちろん「無冠の帝王」と呼ばれなかった。
- 上手くいけば、西武時代に1度は首位打者も獲得し、落合博満と同様三冠王に輝いていた。
- ただし、西武時代末期は首位打者を獲得したイチローに三冠王を阻止されていた可能性大。
- 巨人時代も同じセ・リーグに松井秀喜やロバート・ローズ、ペタジーニがいるので厳しいだろう。
- 2000本安打達成も史実より早かった。
- うまくいけば、通算で2500本安打、600本塁打、1800打点、生涯打率3割を達成し、史実以上に記憶にも記録にも残る名選手となっていた。
- 日本プロ野球で王貞治に次ぐホームランバッターといえば、落合博満ではなく清原和博だった。
- 2010年代のうちには野球殿堂入りを果たしていた。候補1年目での殿堂入りもありえた。
- 野村貴仁からグリーニーを受け取ることもなかった。
- 覚醒剤所持もなかった。
- 逮捕されなかったので、引退後の彼の人生が大きく変わっていた。
- 遅かれ早かれ西武かオリックスでコーチや監督に就任していたかも。
- 逮捕されなかったので、引退後の彼の人生が大きく変わっていた。
- 覚醒剤所持もなかった。
- 巨人が2002年オフにヤクルトを自由契約になったペタジーニ(清原とはファーストでポジションが被る)を獲得することはなく、堀内政権でもレギュラー選手として活躍していた。
- 史上最強打線でもタフィ・ローズや高橋由伸、小久保裕紀と強力なクリーンアップを形成していた。
- ただ、いずれは世代交代のためにかつての落合博満のように巨人を自由契約になっていたか、そうなる前に出場機会を求めて2度目のFA宣言をしていた。
- その後、史実通りオリックスに移籍し、前述の通りになっていた。
- オリックス移籍が史実より1年早い2004年オフの場合、2005年のオリックスはAクラス入りを果たしていた。その場合、西武の連続Aクラス入り記録が史実より2年早く途切れていた。
- あるいは、古巣西武への復帰もありえた。
- 現役晩年はオリックス、西武のどちらに移籍した場合でも、2008年にはチームのリーグ優勝に貢献し、有終の美を飾って引退していた。
- その後、史実通りオリックスに移籍し、前述の通りになっていた。
- 持病の薬で書類送検されなかったら
- 史実より活躍できていたかもしれない。
- その場合、ADHDへの理解が高まっていた。
- 4月の自閉症啓発デーにイベントをやっていた。
- とはいえ、3Aでの三振率はNPB時代より低いとはいえそれでも高い方なのであまり変わらなかったかもしれない。
- 史実でも2016年にオリックスに入ったときは活躍できなかった。
- 落合GMと仲良くなって、打撃を改善していたかもしれない。
- その場合、ADHDへの理解が高まっていた。
- 翌年度も中日でプレーできていただろう。
- とはいえ、ホームランと四球が稼げるとはいえ三振率が高すぎるのでいずれ攻略されていたかもしれない。
- 当時のゾーン系守備指標はわからないがマイナーのレンジファクターからして平均よりは守備もよくないだろう。
- 落合GMと仲良くなって打撃を改善しても、年俸が高騰したら当時の中日新聞の斜陽っぷりだといずれにせよ放出してオリックスにいっていたかも。
- 難しいとは思うがオリックスでも長期間活躍できていれば、バファローズのクラークといえばいてまえ打線の近鉄のフィル・クラークではなくADHDをコントロールしてがんばるマット・クラークになっていた。
- その場合プレミア12メキシコ代表でも大活躍した。東京五輪にも来ていた。
- 難しいとは思うがオリックスでも長期間活躍できていれば、バファローズのクラークといえばいてまえ打線の近鉄のフィル・クラークではなくADHDをコントロールしてがんばるマット・クラークになっていた。
- 年齢的に20年代もまだプレーしていてもおかしくはないが、当然、立浪とは相性が激悪いことが予想される。そのため、その場合でも現在は中日を離れて史実通り中日は最下位を続けていただろう。
- 中日はバルデス、ルナ、エルナンデスなどを考慮すると外国人枠の都合上ナニータは入団しなかった。
- 長く中日にいればビシエドは取らなかった。その場合、退団後は中日の暗黒時代は史実より激しくなっていた。
- 森野の引退も早まっていた。
- オリックスで活躍していた場合、モレルかマレーロのどっちかは取らなかった。
- T-岡田が外野に回るとオリックスの外野が過当競争気味になるので誰かが大型トレードに出されていた。
- 福田周平は外野に回らず二塁専門だった。
- T-岡田が外野に回るとオリックスの外野が過当競争気味になるので誰かが大型トレードに出されていた。
- 1997年、自打球で足を骨折しなかったら
- もちろん「神のお告げ」発言からの途中退団はなかった。
- 阪神が同年途中にシークリスト、コールズを獲得することもなかった。
- 翌年に中日からパウエルを獲得することもなかった。
- 阪神が同年途中にシークリスト、コールズを獲得することもなかった。
- この年の阪神がAクラス入り出来ていたかもしれない。
- 勢い次第では20世紀中に優勝出来ていたかもしれない。
- 2012年、変形性肘関節症にならなかったら
- 堂林翔太のブレイクが遅れていた。
- 引退まで広島でプレー。
- 最多二塁打の打者として注目され続けた。
- それでも無冠の帝王で終わっていた可能性はある。
- 新井貴浩の広島復帰もなかったかもしれない。
- 2022年3月30日の対ロッテ戦、9回裏の守備で上林誠知と交錯して左膝前十字靭帯断裂および左外側半月板損傷の大けがを負わなかったら
- 2022年のパリーグはソフトバンクがリーグ優勝を果たしていた。
- 柳町達はブレイクしていなかった。
- 翌年の外野から三塁へのコンバートは恐らく史実通り。
- もし1995年のダイビングキャッチ事故がなかったら
- まず通算200勝は達成して名球界入りしていた。
- 1996年はメークドラマではなく巨人の独走優勝。日本シリーズに勝てたかどうかはわからないが…。
- 1995年もヤクルト、広島と僅差の戦いになっていた可能性も。
- メジャーリーグ入りも史実より早く実現できていた。
- メジャー行けなかったのは借金のせいだから、巨人で活躍している(=見放されない)限り無理だったのでは?
- むしろケガなく活躍し続けていたら、史実よりも返済は早まったのではなかろうか。年俸もいい具合に上がり続けただろうし。
- メジャー行けなかったのは借金のせいだから、巨人で活躍している(=見放されない)限り無理だったのでは?
- 河合じゅんじの漫画でクワタは金儲けキャラにならなかった。
- これこそケガじゃなく借金のせいだろ。
- 2019年4月に死球を受けなかったら
- もちろん連続試合フルイニング出場を続けられていた。
- 同時期に交際を公表した衛藤美彩が西武ファン特に源田ファンから叩かれることはなかった。
- 「愛のない雑音は気になりません」発言自体なかった。
- 乃木坂46ファンからの熱愛報道を惜しむ声は現実通りかもしれないが…。
- 二人の結婚が現実以上に祝福されていた。
- 「愛のない雑音は気になりません」発言自体なかった。
- 上手くいけば西武が前年のリベンジで日本シリーズに出場できていた。
- もし2003年のオープン戦で大怪我をしなかったら
- もちろんあの「小久保事件」は起きなかった。
- もちろんホークスの4番は小久保のまま。
- 松中信彦の出番は少なかった。
- 某球団へ移籍しないので、松田宣浩のブレイクも遅れていたかも。
- 吉武真太郎が巨人に移籍することは無かった。
- 2003年の強力打線が無かったことにされ、同年の日本一も無かった。
- あるいは史実どおり日本一になっていて、彼がいる分打線が尚更えげつなかったかも。
- 日本一は18年ぶりにリーグ優勝を果たした某球団に持っていかれた。
- もしかするとこの年はダイエーではなく、西武か近鉄が優勝していたかもしれない。
- 前者の場合、同年の日本シリーズは1985年以来の顔合わせになっていた。
- 後者の場合、同年の日本シリーズは稀に見る関西ダービーになっていた。
- 川崎宗則のブレイクも1年遅れていた。
- 2000本安打は2011年の内に達成できた。
- フリオ・ズレータが入団することはなかった。