もし清原和博があの球団に移籍していたら
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1996年オフ[編集 | ソースを編集]
阪神[編集 | ソースを編集]
清原選手は1996年にFA宣言した際、巨人と阪神からオファーを受けていましたが、結局巨人に移籍しました。もしこのとき巨人ではなく阪神に移籍していたら…
- 阪神の暗黒時代は史実より早く終わっていた。
- うまくいくと20世紀中に優勝していた?
- 村田修一と内川聖一がいた横浜ベイスターズですら2000年代は最下位常連なんだから、Bクラス脱却はできても、優勝は史実通り2003年までずれ込むかも。
- 移籍初年度の1997年も最下位脱出どころかAクラス入りしていた可能性がある。
- ノムさんや仙さんの監督就任がなかったか?
- 流石にそこは史実通りな気がする。
- 仙さんとは意外にも喧嘩っ早い性格から乱闘要員同士意気投合していたかも。
- ノムさんや仙さんと合わなかった場合は、結局(近鉄経由で)現実通りオリックスへ移籍したかも。
- 流石にそこは史実通りな気がする。
- うまくいくと20世紀中に優勝していた?
- 甲子園では「地元の星や」と大歓迎。
- 金本知憲は阪神に入らなかったかも。
- むしろ3番金本、4番清原、5番桧山の最強クリーンナップが実現し、2003年は阪神がダイエーを破って日本一になっていた可能性の方が高い。
- 八木裕の背番号が「7」に変更になり、今岡誠は「4」になっていた。
- 天然芝の本拠地により、身体への負担が多少、軽かったかも。
- デッドボールに当たりすぎない限り、怪我などのアクシデントももう少しマシだった。
- 肉体改造もなかったかも。
- デッドボールに当たりすぎない限り、怪我などのアクシデントももう少しマシだった。
- 通算成績が史実よりよくなっていた。
- 500号本塁打の達成はもっと早かった。
- 当然ながら藤川球児への「チン●コ」発言は無い。
- もしかしたら500号を打った試合の勝ち投手が球児だったかも。
- 当然ながら藤川球児への「チン●コ」発言は無い。
- 500号本塁打の達成はもっと早かった。
- 今の新井などを見ていると、打てなかった場合にはブーイングや野次は巨人に入団した史実以上かもしれない。
- その後数年の巨人の成績は史実より実は良かった?
- 落合は巨人に残留し、「巨人の人」として現役生活を終える。となると後年中日監督に就任しなかった可能性も高い。
- むしろ巨人の監督になっていた。
- そうなっていれば「史上初の外様監督」が実現していた(2015年開幕時点で、巨人以外の球団に所属した経験のある者が巨人監督を務めたことはない)。
- どのみち長嶋茂雄の後任は原辰徳だし、落合は外様だから巨人の監督にはなれず、史実通り中日の監督になっていた可能性が高い。ただ、引退後に巨人で数年間コーチを務めていただろう。
- むしろ巨人の監督になっていた。
- 『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』でキヨハラがメインキャラになる事もなかった。
- 『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』はなかった。
- もしくは野村克也が阪神監督に就任後、悪役キャラとして準レギュラー化していた。
- 中日から大豊をトレードで獲得することはなかった。
- ただそうなると矢野輝弘も阪神に移籍して来ないのでその後の野球人生は大きく変わっていたはず。
- 2012年に真弓明信の後任で阪神監督に就任していた(史実では和田豊が就任)。
- 水樹奈々は清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じることはなく、お情けで阪神を応援することもなく現在も巨人ファンのままだった。
- 2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。
- 吉田義男監督(当時)の発言「縦縞を横にしてでも」が迷言ではなく名言として語り継がれる。
- 言葉通り横縞のユニフォームが作られていただろうか?
- どっちみち「神のお告げ」のグリーンウェルの存在が若干薄れていた。
- グリーンウェル以降、四番候補の助っ人外国人を獲得しては失敗することはなかった。
- あるいは清原が活躍できなかった場合、史実での巨人のようにポジションの被る助っ人外国人に追いやられ代打要員になるかあるいは二軍落ちを経験していた。
- そして、史実通りオリックスに移籍していた。
- あるいは清原が活躍できなかった場合、史実での巨人のようにポジションの被る助っ人外国人に追いやられ代打要員になるかあるいは二軍落ちを経験していた。
- グリーンウェル以降、四番候補の助っ人外国人を獲得しては失敗することはなかった。
- 1985年のドラフト会議の件を引き合いに出し、「猛虎魂を感じる巨人ファン」とか「ほんまは巨人に入りたかったんやないのか?」などとネタにされていたかも。
- 実際には父親が阪神ファンだった影響でドラフト会議の際に第二希望としていた球団だったこともネタにされていた。
- 引退後読売テレビの解説者になっていたら、掛布雅之同様「やっぱり巨人ファンやなぁ」「読売に魂売りよった」とネタにされている。
- 2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
- この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。
- 2005年の優勝にも貢献していた。
- 野村貴仁と知り合わなかったため、引退後に覚醒剤所持で逮捕されることもなかった。
- 新庄とチームメイトとなって良い関係を築いていたため、新庄の日ハム就任の記者会見のファッションを批判することはなかった。
- 阪神は巨人ほど選手層が厚くないので、現実よりも活躍できていた可能性が高い。
- その後の薬物事件もなかっただろう。
- 奥さんと離婚することもなかったかもしれない。
- 奥さんはかつて工藤静香と同じアイドルグループに所属していたので、バラエティ番組なんかで共演していたかも。
- そもそも結婚相手が別の人で、2人の息子は存在しなかったかも。
- 仮に結婚して息子が生まれても、大阪or兵庫の高校で甲子園に出ていた。
- 奥さんと離婚することもなかったかもしれない。
- その後の薬物事件もなかっただろう。
- 2003年・2005年のリーグ優勝に貢献した後、現役晩年は出場機会を求めて史実通りオリックスに移籍していた。
- 同じ在阪球団なので、史実以上に歓迎されていた。
2003年オフ[編集 | ソースを編集]
中日[編集 | ソースを編集]
2004年に野口茂樹投手とのトレードがあったようですが、タイロン・ウッズ選手の獲得により流れました。
- ≒阪神がウッズを獲得していたらである。
- ウッズが史実レベルの活躍をした場合、中日は2004、2006年に優勝できたのだろうか。
- 史実通り2007年に日本一になった際に引退していたかも。
- 1985年のドラフト会議で中日が清原の交渉権を獲得できなかった経緯もあり、“18年越しのドラゴンズ入り”と言われていた。
2005年オフ[編集 | ソースを編集]
西武[編集 | ソースを編集]
清原は巨人を自由契約になった時にコーチ兼任で西武に復帰するプランもありました。もしこれが実現していたら…
- 西武は2007年にBクラスに転落することはなかったかもしれない。
- その場合伊東監督は辞任することはなかった。
- 桑田がメジャーに行くことはなかったかもしれない。
- その場合桑田は現役引退まで巨人でプレーし、2008年のメークレジェンドを置き土産に引退していたかも。
- 史実通り2008年に西武が優勝していた場合、巨人との日本シリーズで有終の美を飾って引退していた可能性も。
- そうなれば「古巣を見返した」と話題にされていた。
- 中島裕之から背番号3を、あるいは和田一浩から背番号5を譲られていた。
- 中村紀洋やローズがオリックスに移籍しなかったかも。
- 引退後、西武ドームでのOBトークショーや始球式に現実以上に出演していた。
ホークス[編集 | ソースを編集]
ソフトバンクホークス初年度の目玉として獲得したバティスタが年俸の割には物足りない扇風機だったため、新たな新規ファン獲得施策として清原を獲得していたら・・・?
- ホークスの優れた環境、コンプライアンス、資金力により更生に成功していた。
- 共に西武黄金期を過ごした秋山幸二が丁度首脳入りしていたため、秋山がうまく清原を飼い慣らすことに成功したかも。
- 秋山がすっかりホークスのレジェンドとしてなじんだように、清原もホークスのレジェンドとしてなじんでいたかもしれない。首脳陣入りもあり得た。
- とはいえ、一塁と指名打者しかできないし、年齢的に下り坂なのが問題点。
- 2006年は一塁がズレータで盤石、三塁が微妙だったため、ズレータに無理してでも三塁をやらせて一塁で起用していたかも。
- 小久保が復帰し松田が成長してきた2007年は、逆に三塁がガチガチ。松中と二人で指名打者・一塁を隔日でやらせていたかも。
- 2008年は後半から一塁小久保・三塁松田・指名松中の体制ができあがっていたため、厳しいかも。前半のDH田上のころなら、田上との競争ならなんとかなったかもしれないが。
- 無理して起用すれば真ん中中央併殺打併殺をこえる失敗をしてしまい、後世に残る叩かれ方をしただろう。
- 結局、ガス壊疽に苦しむ松中のバックアップ、疲労回復要因というのがいいかも。
- 史実で似たような地位だったハズレ外人野手たちに無理に枠を割かず、外国人投手を増やせたら、まぁ意味はある。