もしあの列車・種別が○○だったら/国鉄・JR/列車別
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実現していたら[編集 | ソースを編集]
いわき-仙台間の特急列車[編集 | ソースを編集]
常磐線特急はいわきで系統分割する予定で車両愛称も公募されていたが、2020年以降も品川-仙台間の特急は運転されることになった。
- 車両はどうなっていたのか。
- E653系を使う予定だったといわれるが、それともE657系の4両編成タイプでも導入するか。
- 福島県では直通特急復活を要望する。
- 愛称は「いわき」か「はまどおり」だった。
- JR東日本のことだからここでは意表をついて「浜街道」かもしれない。
- 運行本数も震災前と同水準(5~6往復)だった。
くろんぼ[編集 | ソースを編集]
1973年夏頃に長岡 - 鼠ヶ関間を運行する予定だった海水浴臨時急行列車。直前になって運行が中止されたが、もし、運行していたら?
- 人権団体から槍玉が挙がっていた。
- 愛称名変更も余儀なくされていた。
- 予定では気動車だったのでキハ58系で運行していた。
- 電化後も車両需給の関係でキハ58系で運行していた。
- 時代の変化につれて快速に格下げされていた。
ごうかわ[編集 | ソースを編集]
宮脇俊三氏が、三江線全線開業時に福山と浜田を福塩線・三江線で結ぶ急行列車を想定していました。(出典・最長片道切符の旅)
- どこかで列車名が「ごうのかわ」に改められていた。
- 臨時急行「江の川」は別の列車名で三江線内も急行運転だったかも。
- JR化後の三江線内は快速に格下げ→福塩線内も快速化された。
- それでも三江線内の廃止時期は変わらない。
サンライズ瀬戸高知・徳島乗り入れ[編集 | ソースを編集]
電源車を連結して高知・徳島発着の設定も検討されたとか(松山発着は実際に存在した)
- 高知ならともかく徳島は遠回りなので短命に終わっていただろう。
- 逆に松山・高知で一つの列車となる予定だったらしいので所要時間が短くなり松山発着の設定がまだあったかも。
- サンライズ出雲も西出雲以西の運行が検討されたかも。
- 山陰本線経由の出雲も廃止されずに285系電車化されて、豊岡-米子で50系客車改造の電源車を連結してDD51に牽引という形で存続していた。
- 電源車はどうしていたのやら。
- リゾートエクスプレスゆうみたいにマニ50の電源車を改造するとか。この場合ファンからは「サンライズマニ」と呼ばれていた。
たまひこ[編集 | ソースを編集]
2005年3月ダイヤ改正で函館-秋田間に特急「たまひこ」が新設される情報が某掲示板であったが、実現には至らなかった。
- 789系で運行していた。
- 仮に設定しても1日1~2往復の運行だった。
- 臨時特急「さくらエクスプレス」の定期化に際して設定されたものとみなされていた。
- 北海道新幹線開業と同時に廃止され、青森-秋田間は「つがる」に統合されていた。
東海道・山陽新幹線の夜行列車[編集 | ソースを編集]
東海道・山陽新幹線には全通後に夜行列車を運転する計画もあったことは結構有名である。これが実現していたら?
- 961形ベースの寝台車が製造される。
- 当初は機関車牽引の客車列車のみで運行され、その後は新幹線電車寝台特急の新設に合わせて史実の200系及び100系ベースの寝台車が製造された。さらに最近ではE4系ベースの寝台車に移行している。
- 西明石と相生の渡り線は健在。
- 博多あさかぜは新幹線に移行。
- 九州新幹線が博多側から開業していた可能性もある。
- 小倉で日豊本線から乗り換えることができるので、現実のサンライズ瀬戸・みずほ、ソニックの乗り換えよりも乗り換え回数が少ない。
- 騒音問題のため、昼行列車より速度は遅い。
- だいたい110Km/hくらいで、そこら辺の在来線と変わらない。
- 九州発の東京往復割引切符は在来線寝台、新幹線夜行列車、新幹線昼行列車が利用できた。
- 2009年の富士、はやぶさ廃止後は新幹線夜行列車と新幹線昼行列車のみに。
- SLやまぐち号の指定席券とセットになった企画乗車券やツアーが発売されていた。
- 列車名は昼の新幹線とは異なったものが用いられていた。
- 東京-新大阪間:「ぎんが」
- 東京-博多間:「あさかぜ」
- 新大阪-博多間:「あかつき」
- 九州新幹線にも夜行列車が設定されていればこうなっていた。
- 東京-鹿児島中央間:「はやぶさ」
- 東北新幹線で走っているはやぶさは「はつかり」辺りになっていた。
- 新大阪-鹿児島中央間:「なは」
- 東京-鹿児島中央間:「はやぶさ」
- 東海道・山陽新幹線と東北・北海道新幹線との直通列車も設定されていた。
- 北海道新幹線札幌開通後は東北・北海道新幹線にも検討されるが、ベースになる車両がCRH2E型そっくりになる。
- もし導入されていた場合、列車名はこうなっていた。
- 東京-札幌:「ほくとせい」
- 東京-新青森:「あけぼの」
- 東京-新函館北斗:「にほんかい」
- もし導入されていた場合、列車名はこうなっていた。
長野-飯田間の特急列車[編集 | ソースを編集]
2004年頃に長野-飯田間に特急列車を試験運行するという情報があったが、未だに実現には至っていない。
- =JR東日本が地方交通線を主体とする優等列車の設定の意欲的だったら、である。
- むしろJR東日本とJR東海の仲が良好だったら、かもしれない。
- 列車愛称は「天竜」だった。
- 「みすず」は快速、「かもしか」は当時、奥羽本線の特急で使用されていたため。
- 189系が使用されていた。
- 定期化が実現した場合は「みすず」は廃止されていた。
- そして「特急誘導だ」と叩かれていた。
奈良線の特急列車[編集 | ソースを編集]
- かつて京都-奈良間に特急列車を運転する構想がありましたが、結局実現しませんでした。
- 愛称は「古都」あたりになっていた。
- 新幹線からの乗継客が主なターゲットだった。
- しかし近鉄京都駅も新幹線からの乗り換えが便利な上、利便性も高いのであえなく完敗…。
- 新幹線との乗継割引が適用されて特急料金が半額になるため。
- むしろ通勤特急として運行していたかもしれない。
- 車両は山陰本線京都発の特急と共通の183系が運用されていた。
- もし長続きしていたらこちらもやはり287・289系に置き換えられていた。
- 奈良県がJR特急の走らない県と言われることはなかった。
- 天理教の大祭がある時は天理まで延長運転されていた。
ビーチイン大洗ひたち[編集 | ソースを編集]
- 海水浴客輸送の臨時列車を水戸からDL牽引で大洗まで乗り入れさせる計画があり、実際に試運転まで行われたが、信楽高原鐵道の事故による不測の事態の際の不安から取りやめとなった。
- 試運転の際とは異なり控車が連結されていた。
- その後は控車の連結を解消するために先頭車の双頭連結器化・発電機設置がされていた。
- 使用車両は1998年以降は651系になっていたんだろうか?
- 2010年代まで残っている可能性は低い気がする。
- 直通運転が恒例化した場合は00年代前半ごろに水戸~大洗間の電化が真剣に検討されていた。
- 乗り入れ設備+DLへの連結対応車両が残っていた場合、大洗あんこう祭に合わせて設定される「ときわ98号」は大洗始発の運転となっていた。
- 乗車率次第では下り(上野→大洗)も設定されているはず。
- 上手くいけば大宮発水戸線経由大洗行の「大洗エメラルド」が復活していた。
- あいつらの影響があるので鹿島方からの直通は困難そう。
北斗星旭川乗り入れ[編集 | ソースを編集]
旭川市が要望していた
- 発着が昼ごろになるので北斗星にもランチタイムが設けられていた。
- 「夢空間北斗星」では函館本線札幌以東の設定もそれなりにあった。
- 滝川から根室線経由で富良野に向かう列車もあったかもしれない。
- 石北線や宗谷線まで来たかは微妙なところ。
- 編成の半分ほどは札幌で分割併合し、旭川に直通するのは電源車を含めて6両程度となっていた。
- 札幌-旭川ではED76形500番台が牽引していた。
廃止されていたら[編集 | ソースを編集]
エアポート成田[編集 | ソースを編集]
- 2018年に廃止
エアポート成田は2018年に列車愛称が廃止され、それ以来、成田空港行の列車として存続していますが、もし、列車そのものが廃止されていたら。
- 成田発着の快速になっていた。
- 成田-成田空港間にシャトル列車が設定されていた。
- 「成田エクスプレス」への誘導だと叩かれていた。
- 北総アクセス特急がもっと強かった。
仙山[編集 | ソースを編集]
- 2004年に廃止
仙山は2004年に列車愛称が廃止され、それ以来、列車愛称なしの快速として存続していますが、もし、列車そのものが廃止されたら?
- 各駅停車に格下げされていた。
- 高速バスに大打撃を被られて廃止に追い込まれたとみなされていた。
- JR東日本は高速バスへの対抗にやる気がないとみなされていた。
- ややこしい存在が減っていた。
- 駅によって種類が相違する存在がなくなっていた。
仙台シティラビット[編集 | ソースを編集]
- 2016年に廃止
仙台シティラビットは2016年3月のダイヤ改正で停車駅が追加されましたが、もし、停車駅追加ではなく廃止されたら?
- 各駅停車に格下げされていた。
- 各駅停車への格下げは利便性向上のためとみなされていた。
- 2021年3月に現実に…。
- 各駅停車への格下げは利便性向上のためとみなされていた。
- 同時期のダイヤ改正で設定された広島地区の快速といい意味で比べられていた。
あさぎり[編集 | ソースを編集]
- 2012年に廃止
- 20000形の引退と共に廃止されていたら?
- 当然、60000形がJRに乗り入れることはなかった。
- 急行に格下げされていたかもしれない。
廃止されたら[編集 | ソースを編集]
- 廃止が考えられたケースについては#廃止されていたらへ。
サンライズ出雲・瀬戸[編集 | ソースを編集]
- 日本から寝台特急が全滅する。
- 名古屋駅を通過する旅客列車もなくなる。
- 鉄道の神ことスーツは大泣きする。
ひだ[編集 | ソースを編集]
- 富山県からJRの特急列車が消滅。
- 快速に格下げされる可能性が高い。
べにばな[編集 | ソースを編集]
- 羽越本線は快速列車、米坂線は普通列車として独立。
- 送り込み運用はどうするのだろう。
- 普通列車として別途新津 - 坂町間に増便されると思われる。
みすず[編集 | ソースを編集]
- 各駅停車に格下げ。
- 飯田線と篠ノ井線との直通運転がなくなる。
- JR東日本とJR東海との直通運転がさらに減る。
- 313系がJR東日本管内で見られなくなる。
あかぎ[編集 | ソースを編集]
- 651系がすべてE257系に置き換えられたら可能性は否定できない。
- 草津は高崎発着になっている。
所有会社が○○だったら[編集 | ソースを編集]
海峡[編集 | ソースを編集]
JR東日本だったら[編集 | ソースを編集]
- 運行開始当初は史実と同様に50系だった。
- 2002年頃に485系に置き換え。
- そちらに485系を回すため、E751系が更に増備されていた。
- JR東日本は地方交通線への優等列車設定に消極的な体質なので北海道新幹線開業まで運行していた。
- (スーパー)白鳥はなかった。
しらさぎ[編集 | ソースを編集]
JR東海だったら[編集 | ソースを編集]
- 383系がしなのと共通で使われていた。
- よって史実よりも早く485系が置き換えられ、スーパー雷鳥の編成が転用されることもなかった。
- ホームライナー大垣も383系による運行で「他社所有の車両を自社管内だけで運行するホームライナー」は2010年3月12日に489系がホームライナー鴻巣3号・ホームライナー古河3号から撤退したのを最後に消滅していた。
- 北陸本線には交流電化区間があるので、むしろ交直両用の特急型電車をJR東海が作っていた。形式は671系だったかも。
- 北陸本線の線形を考えると振り子も搭載されなかっただろう。
- JR東海も交直流電車を保有していた。
- 「ワイドビューしらさぎ」という愛称が与えられていた。
- 米原発着(旧加越)はJR西日本が運行していた。
- 北陸新幹線の敦賀開業でいきなりJR東海持ち替えになる可能性も否定できない。
東海[編集 | ソースを編集]
JR東日本だったら[編集 | ソースを編集]
- 急行時代は史実と同様、165系で運用されていた。
- 特急格上げは史実より早く行われていた。
- 185系で運行していた。
- よって373系は「ふじかわ」だけの投入に留まっていた。
- 「ワイドビュー」がつくこともなかった。
車両が○○だったら[編集 | ソースを編集]
旭山動物園号[編集 | ソースを編集]
電車で使用されたら[編集 | ソースを編集]
- おそらく使用車両は789系だろう。
- 設定時期的に781系だったかもしれない。
- フラノラベンダーエクスプレスは普通のキハ183系で使用されることはない。
きのくに[編集 | ソースを編集]
電車化されていたら[編集 | ソースを編集]
「きのくに」は紀勢本線電化後も一部区間で非電化線区を運行していたため、廃止まで気動車で運行されましたが、もし、電車化されていたら?
- 165系に置き換えられていた。
- 廃止後は普通列車に転用されていた。
- 難波乗り入れは列車は廃止まで気動車のままだった。
銀河[編集 | ソースを編集]
電車化されたら[編集 | ソースを編集]
実際に、583系電車に銀河用のヘッドマークと側面方向幕が準備されており、583系電車による電車化計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現したら、
- 1982年11月頃か1985年3月頃から運用され始めていた。
- 筑波科学万博開催中は大阪〜万博中央間に「エキスポ銀河」が運行される。
- 1990年に開催されていた国際花と緑の博覧会の際には、臨時列車が運行されていた。
- 大阪~新潟間を結ぶ「きたぐに」と同様に、JR西日本の京都総合運転所に所属する583系電車が使用されていた。
- 1994年12月のダイヤ改正で「つるぎ」で使用されていた24系25形客車が「銀河」に転用されていたかもしれない。
- 「きたぐに」の583系電車による運用が1982年11月or1984年2月に早まっていた可能性がある。(史実では、1985年3月に運用され始めた。)
- 銀河も14系客車での運用が1982年11月or1984年2月に早まっていた。
- 夏季・冬季・GWなどの多客期には、臨時列車が運用されていた。
- 583系電車において、廃車となる車両が史実よりも少なくなっていた。
- 「銀河」が史実よりも長く存続していたかもしれない。
- 新大阪~都城間を結ぶ「彗星」は24系25形客車で運用されていた。(史実では、1986年11月に14系15形客車に置き換え。)
- 東京駅では、583系電車が停車する光景を撮影しようとする鉄道ファンで賑わっていた。
座席車が残っていたら[編集 | ソースを編集]
1976年に20系が投入されるまで普通座席指定車が連結されていました。もし20系化以降も座席車の連結を継続していたら?
- 宮原客車区にナハ21が配置されていた。
- 14系への置き換え後はオハ14とスハフ14が組み込まれる。
- 24系25形は投入されなかった。
- 大垣夜行の利用者が減っていた。
- 「ムーンライトながら」の臨時化が早まった。
くろしお[編集 | ソースを編集]
485系を投入していなかったら[編集 | ソースを編集]
くろしおは一時期、一部の列車に485系を投入していましたが、もし、投入されなかったら?
- きのくにがもう少し長く続いていた。
- 理由はやくもの短編成化で捻出される381系が回されるまでのつなぎであるため。
- その分、きのくには電車化されていたかも。
- クハ480は登場しなかった。
- ひたちが485系ボンネット車オンリーになることはなかった。
- 485系ボンネット車はこの時点で廃車が始まっていた。
京葉線通勤快速[編集 | ソースを編集]
近郊型車両で運行されていたら[編集 | ソースを編集]
東京開業の際に新設された通勤快速は、京葉線内の停車駅が少ないことから当時房総各線で使用されていた113系を使用する噂がありました。
- 房総用113系に10両固定編成がないため暫くは6+4両編成で運用されていた。
- 少なくとも京葉線から103系が撤退する前には205系での運用となっている。
- 乗車率次第では京葉線にE217系がある程度投入されていたかもしれない。
- 現実でも外房・東金線直通の2階建て列車運用があるので、こちらについては113系で運行していた。
- 乗車率次第では京葉線にE217系がある程度投入されていたかもしれない。
- 少なくとも京葉線から103系が撤退する前には205系での運用となっている。
- 所属が当時の京葉電車区でない以上、送り込み列車として通勤快速以外の運用についていた。
- 仮にこの運用体制が現在まで続いていた場合、東京駅で500番台以外の209系を見られる貴重な機会となっていた。
- 京葉線に201系が転入することはなかった。
- E233系5000番代の導入は史実と変わらないが、209系500番代が1本だけ残留し続けることもなかった。
さくら(寝台特急)[編集 | ソースを編集]
14系15形客車で運行されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、1986年11月に一部が「さくら」に投入されましたが、ここでは、1970年代後半に、「あかつき」とともに投入された場合として考えます。
- 当然ながら、「みずほ」にも投入されていた。
- 余剰となった14系客車は急行「銀河」に史実よりも早く投入されていた。
- 急行「ちくま」・「だいせん」もしくは、急行「かいもん」、「日南」辺りに投入されていた可能性が高い。
- 20系客車の廃車が史実よりも早まっていた。
- 国鉄時代に全廃となっていたかもしれない。
しらゆき(急行時代)[編集 | ソースを編集]
電車化されていたら[編集 | ソースを編集]
しらゆきは日本海縦貫線全線電化後も白馬と併結する関係から廃止まで気動車で運行されましたが、もし、電車化されていたら?
- 457系で運行していた。
- 457系は3電源方式を生かせる運用ができていた。
- 長距離運行のため、ビュフェが連結されていた。
- 白馬は単独運行となっていた。
彗星[編集 | ソースを編集]
24系25形客車のままだったら[編集 | ソースを編集]
史実では、1986年11月には、14系15形客車に変更し、1994年12月には、24系25形客車に変更しました。1986年11月以降、24系25形客車で運用されていたら
- 24系25形客車は史実より多く製造されていた。
- 急行「銀河」は14系15形客車で運用されていたかもしれない。
- それとも、急行「銀河」は史実通りに24系25形客車に置き換えられて、特急「出雲2・3号」か特急「北陸」か特急「さくら・みずほ」が14系15形客車に置き換えられていたかもしれない。
- それとも、特急「明星」と特急「あかつき」の併結運転はなかったかもしれない。ただし、1986年11月のダイヤ改正で廃止されたのは史実通り。
- いや、特急「明星」と特急「あかつき」の併結運転は史実通りで1994年12月までに運行されていたかもしれない。
- 特急「彗星」は2007年3月or2008年3月までに運行されていたかもしれない。
- そのあたりで大分~都城が廃止されて大分どまりだったかも。さすがに宮崎止めになって宮崎~都城廃止はないだろうしね。
583系電車のままだったら[編集 | ソースを編集]
1975年から1978年まで大分発着は583系電車での運行だった。
- 最後まで都城発着だった。
- 「なは」も583系のままだったかも。
- 廃止時期は現実通り。
川内エクスプレス[編集 | ソースを編集]
出水駅発着だったら[編集 | ソースを編集]
前身のこの区間の「さわやかライナー」・「ホームライナー」は九州新幹線開業まで出水発着でしたが
- 列車名は出水エクスプレスになっていた。
- おれんじ鉄道に電車が走る稀有な例になっていた。
- ちょうど糸魚川快速みたいな感じになるか。おれんじ鉄道線内は快速扱い・グリーン車自由席扱いだったかも。
- 廃止は史実通り。
宗谷(急行時代)[編集 | ソースを編集]
客車化されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 大幅なスピードダウンはなかった。
- 寝台車を座席車として開放することもなかった。
- キハ400への置き換えは史実通りだった。
ななつ星in九州[編集 | ソースを編集]
動力分散方式だったら[編集 | ソースを編集]
- 気動車になっていた。
- 車両形式は現実通り77系だった。
- 現実以上にE655系と比較されている。
- 車両はステンレス製になっている。
- DF200-7000は製作されず、北海道以外にDF200が進出する事もなかった。
- 黒塗りのDE10も増えなかった。
はくたか[編集 | ソースを編集]
489系が通常に使われていたら[編集 | ソースを編集]
- 681系の不具合の場合、代走は683系0番台を使っていた。
- おそらく1往復のみの運転になっていた。
- 489系の引退は北陸新幹線開業後になり遅れていた。
- どこかの段階でキトの485系をこっちに持ってきて、それが代替になっていたのでは。
- 160km/h運転を行う列車には「はくたかホワイトウィング」の愛称がついていた。
はるか[編集 | ソースを編集]
全列車9両編成化されるのが史実よりも早まっていたら[編集 | ソースを編集]
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業が史実よりも早まっているか、2008年に大阪オリンピックが開催されていたら、確実にあり得た。
- 草津・米原発着の列車が設定されるのが史実よりも早まっていた。
- 1998年3月頃に行われていた。
- 草津発着の列車が野洲までに延長していた。
- 2019年に271系電車が登場することはなかった。
- その代わりマイナーチェンジ車である281系1000番台が登場していたかも。
- 制御装置は223系1000番台などと同じくIGBT-VVVFになっていた。
- その代わりマイナーチェンジ車である281系1000番台が登場していたかも。
183・283・287・289・381・485・681・683系も運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- おそらく臨時列車のみ運用された。
- 281系代走で見られたかも。
- 「雷鳥・サンダーバード・北近畿の関空乗り入れ」の前哨と言われる。
大和路快速[編集 | ソースを編集]
史実よりも早く全ての列車が8両編成で運行されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、2020年3月にダイヤ改正で、全列車が8両編成で運行される予定。
- 221系電車が史実よりも多く製造されていた。
- みやこ路快速の全列車が6両編成で運行されるのが史実よりも早まっていた。
- 大阪環状線の混雑が緩和されていた。
- 2020年3月のダイヤ改正で日中の和歌山線直通の快速列車が廃止されることはなかった。
よねしろ[編集 | ソースを編集]
電車だったら[編集 | ソースを編集]
- 花輪線と直通運転することはなかった。
- 当時、急行形電車はその多くが普通列車で運用されていたため、485系で運用され、たざわと共通運用だった。
- その後はE751系に置き換えられていた。
- グリーン車が連結されていた。
- 快速格下げは史実通りだが、指定席設定のため、愛称は堅持されていた。
- かもしか→つがるに統合されていた可能性もある。
- 大館発着の列車につがるはおかしいのでかもしかのままだったかも。
- JR東日本の感覚では行先別愛称が徹底されるだろうから。
- 大館発着の列車につがるはおかしいのでかもしかのままだったかも。
- かもしか→つがるに統合されていた可能性もある。
ホームライナー化したら[編集 | ソースを編集]
あいづ・あいづライナー[編集 | ソースを編集]
- 485系時代は史実と変わらない。
- 現在はE721系で運行しているが、史実の指定席改造車のような設備に改装した編成が使われていた。
アテルイ[編集 | ソースを編集]
- 愛称はアテルイではなく、もりおかライナーだった。
- ライナー列車として運行する性質上、キハ110系0番代で運用されていた。
- あるいは485系がこちらにも回されていた。
かいおう[編集 | ソースを編集]
- 愛称は筑豊ライナーだった。
- 車両はほぼ現実と変わらない。
通勤ライナー(JR西日本)[編集 | ソースを編集]
中国地方で運行している快速「通勤ライナー」は料金不要ですが、もし、ホームライナーとして運行していたら?
- 山陰本線や山口線はキハ187系で運行していた。
- 381系も(現実でも運行されていた)。ただしグリーン車は料金を徴収。
- 山陽本線や呉線は通勤ライナー仕様の227系を投入していた。
- 新快速のAシートに近い設備を持つ車両を投入していた。
- 芸備線はキハ47形を改装した車両を投入していた。
はまゆり[編集 | ソースを編集]
- 車両はほぼ現実と変わらなかった。
- 愛称ははまゆりではなく、陸中ライナーだった。
ふじかわ[編集 | ソースを編集]
- 観光列車のイメージが無くなる以外そんなに変わらないかもしれない。
- 安く静岡と甲府を行き来できると18きっぱーに重宝される。
- 列車の性質上、日中の運行はなかった。
- 日中は料金不要の快速を運行していた。
よねしろ[編集 | ソースを編集]
よねしろは1986年に秋田-大館間を急行運転し、大館-陸中花輪間は普通列車として直通運転を行う列車として設定され、通勤輸送の役割も果たす観点から急行として設定されましたが、もし、ライナー列車だったら?
- 国鉄が地方にもライナー列車の設定に意欲的だったらこうなっていた。
- 列車名はホームライナー秋田だった。
- 車両は485系が使用され、たざわと共通運用だった。
- その代わり、花輪線と直通運転を行っていなかった。
- グリーン車も連結していた。
- 快速しらかみとの逆転現象も起きなかった。
その他[編集 | ソースを編集]
いしかりライナー[編集 | ソースを編集]
快速のままだったら[編集 | ソースを編集]
- 2001年に「いしかりライナー」は快速から区間快速に変更されました。もし、現在も快速のままだったら?
- 快速のままでも乗客は誰も気にしない。ただし、「快速運転区間である札幌~江別間しか走行しないのに区間快速を名乗っている」という矛盾がある列車は設定されなかった。
オリエント・エクスプレス'88[編集 | ソースを編集]
実現しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 北斗星の北海道編成・夢空間・トワイライト・カシオペアは存在しなかった。
- それどころか日本の寝台列車は全滅していたかも。
- 或いは寝台列車がカートレイン化されていた可能性がある。
- 「日本海」の西日本編成が予定通り食堂車(青塗装のスシ24形0番台)を連結し、札幌に延長されていた。
- JR九州のななつ星やJR各社のクルーズトレイン計画も無かった。
- それどころか日本の寝台列車は全滅していたかも。
- 箱根のラリック美術館も無かったかもしれない。
- フジテレビの沼田氏は大バッシングを受けていた。
- 昭和の鉄道史が地味に終わっていた。
- フジテレビ開局30周年記念の際も地味な企画が行われていた。
- オリエント急行って何ですか?
- 本家に行けば分かるさ。
- KATOがオリエント急行のNゲージ模型を売る事もなかった。
こだま[編集 | ソースを編集]
急行として運転されていたら[編集 | ソースを編集]
- 当初は急行列車として運転する案があり、実際に1000形B編成にはボックスシートが用意されていたそうです。
- 試験車同様ボックスシートが設置されていた場合、「ひかり」との編成共用が出来なくなっていた。
- 史実よりも早く100系のような車両が開発され、「ひかり」用編成として使われる事になっていたかもしれない。
- 「こだま」用車両もその頃にはボックスシートから転換クロスシートにグレードアップされていた。
- ボックスシートは史実の583系と同様のものになっていた。
- 史実よりも早く100系のような車両が開発され、「ひかり」用編成として使われる事になっていたかもしれない。
- 流石に民営化までには特急になっていた…はず。
- 今でも急行のままだったら特急誘導が露骨になっていた。
- 「スピードアップしたのに種別は特急から急行に格下げ」という珍しい事態になっていた。
- 東北・上越新幹線でも「あおば」「とき」が急行になっていた可能性もある。
- 但し民営化後の行先別種別への変更で全列車特急に変更される。
- Maxの座席はまともな評判だった。
- 東海道本線の昼行急行削減が早まった。
- 山陽新幹線内各停停車の「ひかり」はなかった。
- 東海道・山陽新幹線の駅はさらに増えていた。新横浜-小田原間、米原-京都間には確実に駅が造られていた。
- 繁忙期に周遊券族が多数押し寄せる。
- 「こだま=急行 ひかり=特急」ということに。
- ちなみに史実ではひかり=「超特急」。
- 電車は使用されず、機関車牽引の客車列車で運転されていた。
しらゆき (3代目)[編集 | ソースを編集]
糸魚川発着だったら[編集 | ソースを編集]
- 2015年より上越妙高 - 新潟間で運行されている特急ですが、上越妙高ではなく糸魚川の発着だったら?
- 日本海ひすいラインを通る唯一の電車列車として当初より注目されていた。
- E653系の交直流機能が存分に活かされていた。
- 噂によると50/60Hz両用と言われているので。
- 北陸新幹線の会社の境界が上越妙高駅ではなく糸魚川駅だった。
- 新井までの延長運転がない代わりに、泊までの延長運転が設定された。
- えちご押上ひすい海岸駅の設置は史実通りだった。
セントラルライナー[編集 | ソースを編集]
設定時期が早かったら[編集 | ソースを編集]
- 165系で運転されていた。
- 途中で373系に代替されていた。
- もちろん、373系の寒冷地対応2次車も存在した。
- 2013年の廃止後、373系は大垣に転用され新快速が特急「あいち」となり、代わりに311系が神領に来ている。
のぞみ[編集 | ソースを編集]
誕生しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 東海道・山陽の最高位種別は今でも「ひかり」。
- もしくは史実の「のぞみ」が「スーパーひかり」になっていた。
- 山陽に「ひかりレールスター」は登場しなかった。
- 桃太郎電鉄で「のぞみカード」、「のぞみ周遊カード」は誕生しなかった。
- 「ひかりカード」になっていた?
- もしくは「はやてカード」になっていた。
- 「崖の上のポニョ」の主題歌は違う子が歌っていた。
- それとこれとは関係ないんじゃない?
- いずれにせよ、「のぞみ」という名前の子供は現実よりも少なくなっていた。
- それとこれとは関係ないんじゃない?
- 日本に「望み」がなくなる。
- 絶望の国・ニッポン・・・。
- のぞみ料金もないのでJR東海・JR西日本の収益が現実より少し低かった。
- シャトルひかり・グランドひかりが今も走っている。
- 2011年3月の九州新幹線全通の際にも「みずほ」は誕生しなかった。
- 東北新幹線に「はやぶさ」が誕生しなかったかもしれない。
- この場合「はやぶさ」の愛称は九州新幹線で使われていた可能性がある。
- 寝台特急「はやぶさ」が電車化のうえ存続している可能性だってあるはず。
- 東北新幹線に「はやぶさ」が誕生しなかったかもしれない。
- 東京~大阪間では現実よりも航空機を利用する人が増えていた。
- 神戸空港の開港が早まっていた。
- 東京~岡山・広島間では圧倒的に航空機が有利になっている。東京~福岡は言わずもがな。
- 山陽新幹線限定で史実ののぞみに当たる種別が導入されていた。
- もちろん500系使用。
- 近鉄名阪甲特急は現在も全列車が鶴橋~名古屋間がノンストップ運転を行なっている。
- 名阪間はのぞみも速達ひかりも速さは変わらないから、あまり関係ないと思うが。
- 寝台急行「銀河」は285系電車化・特急格上げのうえ存続していた。
- 京阪神~福岡間の夜行バス「ムーンライト」が廃止されることはなかった。
のぞみより早い愛称があったら[編集 | ソースを編集]
- 愛称は何になっているだろうが…。
- 「きぼう」かもしれない?
- 東海道新幹線と九州新幹線直通運転が実現していたかもしれない。
- 停車駅は「東京-名古屋-新大阪-広島-博多-熊本-鹿児島中央」か。
- リニア開業でもちろん廃止に。
- リニアの方に使用されるでしょう。
- もちろん、現実の「のぞみ」・「みずほ」にはJR全線乗り放題系の乗車券やレール&レンタカーとジパング倶楽部の特急料金の割引が使えるようになっていたか?
静岡に停車する列車が設定されていたら[編集 | ソースを編集]
- 静岡県側からよく要望が出ていますが、速達性の問題などから実現は夢のまた夢だそうです。
- 「のぞみ」中心のダイヤになるまではまだ何とかなっただろうが、現行のダイヤだと「のぞみ」が「のぞみ」を追い抜く事態が発生する可能性が……。
- 他の停車駅の案内では静岡を通過するのぞみの方が早く着く事をしきりに訴えていた。
- 下手すると代わりに「ひかり」がある程度削減されるという事になりかねない。
- 浜松側からの停車要望も張り合うかの如く加熱していた。
- 場合によってはどちらかに千鳥停車する事で妥結していたかもしれない。
- もっと早くから設定されていたら特急「東海」は急行時代に廃止されていた。
- 東京〜九州間の寝台特急も廃止が早まった。
- 静岡空港駅設置の要望は現実より弱い。
全て名古屋を通過していたら[編集 | ソースを編集]
- 「東京と大阪を早く結ぶため」とされていた。
- JR東海の本社は東京に出てけ。という運動が行われていたかもしれない。
- 「ひかり」の本数が増加していた。
- 名古屋市民と横浜市民の関係が険悪になっていた。
- リニア中央新幹線は最初から全区間を着工することになった。
- 名古屋が現実よりも衰退していた。
- 日本の3大都市圏は東京・大阪・福岡圏になっていたかも。
ひかり[編集 | ソースを編集]
静岡県内の駅に停車しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 静岡県内の駅は「こだま」しか停まらなかった。
- 究極の静岡いじめだと言われていた。
- 小田原駅・豊橋駅に停まる列車が存在したら尚更。
- こだまの1時間当たりの本数が増加していた。