もしあの列車・種別が○○だったら/私鉄

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東武鉄道[編集 | ソースを編集]

東上線特急が○○だったら[編集 | ソースを編集]

  • 2019年のダイヤ改正で、「川越特急」として復活するとのことリンク

現在でも続いていたら[編集 | ソースを編集]

  • 史実では2008年に快速急行になる形で廃止。
  1. 今の快速急行がそのまま特急を名乗っていた。
  2. 今の快速が快速急行になっていた。
    • 正直こっちのほうがいい。

有料特急だったら[編集 | ソースを編集]

東武東上線の特急は過去には「フライング東上」という有料特急を運行していたが、短期間の運行にとどまり、それ以来、有料特急は運行していない。もし、特急があくまで有料として運行し続けていたら?

  1. スペーシアは無理でも、200系か300系を使用した特急が走り東上線のイメージは上がっていた。
    • 200系投入で捻出した1800系がこちらに回された可能性が高い。
  2. TJライナーは1990年代後半に運転開始、使用車両は有料特急の車両だった。
    • 「TJライナー」ではなく特急の一種になっていた可能性のほうが高いか(小田急の「ホームウェイ」や京成の「イブニングライナー」のように)。
      • 京急ウィングみたいなものになってた可能性も(川越飛ばし)。
  3. 西武新宿線の小江戸の利用者は減っていた。
  4. 秩父鉄道直通の廃止が遅れた。
    • 但し西武秩父線開通後は圧倒的に距離で不利になるのでいずれ廃止されていた。
    • 長瀞まではライナーという形で残っていた可能性も考えられる。
  5. 「日光・きぬがわ」の運行開始時に、東上特急も新宿への乗り入れ検討がなされていた。
    • えーと、JR新宿にどう乗り入れるんだ?新宿三丁目ならともかく。
      • 北池袋に短絡線作るしかないなぁ。車両もATACSつけなきゃならないから面倒いだろう。

川越特急が有料だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 特急ではなくライナーだったかもしれない。
  2. ライナー送り込みの快速急行も有料化されたかも。
  3. 池袋~朝霞台間のみの利用は出来なかった。
  4. 池袋~川越市のみの運行になっている可能性も。

快速が○○だったら[編集 | ソースを編集]

伊勢崎・日光線[編集 | ソースを編集]

現在でも続いていたら
  1. 南栗橋での分断はなかった。
  2. 日光線に急行と区間急行が設定されることはなかった。
  3. 6050系は現在でも南栗橋以南で運用していた。
  4. 停車駅に新越谷・曳舟が追加された。
  5. 2016年ごろに6050系の置き換え用として50090系が導入される。
    • もちろんトイレ付きとなっていた。寒冷地対策として押しボタン開閉式のドアも導入されていたかも。
史実より早く廃止されていたら

史実では2017年4月21日のダイヤ改正で廃止されましたが、もし、それ以前に廃止されたら?

  • 2006年3月18日に完全廃止(区間快速もなし)
  1. 6050系が浅草~南栗橋から姿を消していた。
    • 場合によっては浅草~新栃木から姿を消していた。
    • 2006年3月のダイヤ改正直前は6050系の撮影のために多くの鉄道ファンが押しかけていた。
    • さすがに東横線の横浜~桜木町間廃止や渋谷駅地上ホーム廃止のときのようにテレビで大きく取り上げられることはないだろうが、ホームページやブログでは多くの鉄道ファンが写真を載せていた。
  2. 不満は上の「全列車区間快速に格下げ」も越えていた。
    • 新ダイヤ発表日とダイヤ改正初日は東武伊勢崎線スレの勢いが鉄道板史上最大になっていた可能性も。
    • 会津地方の自治体が東京直通列車の復活を求める嘆願書を出していた。
      • JRの臨時特急「あいづ」の運転回数が増やされる。
  3. 特急が満席で乗れなかった人はロングシートの通勤電車の急行に乗り南栗橋での乗り換えを強いられることになっていた。
    • 場合によっては南栗橋、新栃木の2回乗り換え。
    • それを経験した客がJRに流れていた。
  4. 現在では「特別料金不要の伝説の列車」として語り継がれていた。
    • 2ちゃんねる鉄道懐かし板の「懐かしの東武鉄道」スレは快速の話題ばかりになる。
  5. この場合南栗橋以北は特急と普通だけの運行になっていたかも…。
  6. さらに近鉄にもそれらの動きが波及し、大阪線の伊勢直通急行が全て名張駅で系統分割されていた。
    • 南海高野線の大運転も特急以外廃止されたかも。
  7. 500系「リバテイ」の登場が10年以上早まっていた。
  8. 最終日に使用された編成が鉄道コレクションで製品化されることはなかった。
  • 2013年3月16日に完全廃止
  1. 上記と同じく6050系が浅草~南栗橋か浅草~新栃木から姿を消していた。
    • しかし東横線渋谷駅地上ホームの影に隠れあまり話題にならず。
    • 日比谷線の東横線直通廃止程度の認知度。
  2. 既に1度区間快速格下げという改悪(長距離利用者にとって)があったのであまり荒れず。
  3. (有料特急を使わずに)東京都心部へ行くのに時間が掛かる様になり、春日部以北の人口流出が進んでいた。
朝上り、夕方下りにも運転されていたら
  1. 春日部以遠の通勤客に重宝されていた。
    • 埼玉県北部・栃木県南部の人口が増えていた。
  2. 通勤客の遠近分離の列車の1つになっていた。
  3. クロスシートでは混雑するので朝夕のみ6050系ではなく10000系あたりが使用されていたかもしれない。
    • 6050系だったら混雑緩和のために春日部、東武動物公園通過して、南栗橋に停車していたかもしれない。
区間快速設定後に日中も運転されていたら
  1. 特急の利用者が伸び悩んでいた。
    • しかしマイカーには逃げられずに済んだ。
  2. 今でも「特別料金不要の速達列車」として鉄道ファンにもてはやされてる。
  3. 特急が満席だったせいで仕方なく遅い区間快速に乗るという悲劇はなかった。
休日のみ運転だったら
  1. 休日は日中も快速が運転され、区間快速化されることはなかったかも。
  2. 西武池袋線・秩父線直通の快速急行と比べられることが多かった。
2017年以降1日1往復のみの運転になっていたら
  1. 特急が走っていない時間帯で運転されていただろう。
  2. 政治列車だと揶揄されそう。
  3. 浅草駅に6050系が見られる数少ない機会となっていた。
2006年3月18日に全列車区間快速に格下げされていたら
  1. 「区間快速」という種別は存在せず、浅草、北千住、春日部、東武動物公園から各駅に停まる列車が「快速」になる。
    • ただの停車駅増加。
    • 2013年3月16日に史実通り東武動物公園~新大平下の通過運転が復活するかわりに半減する。
  2. 間違いなく不満は史実以上だった。
    • 2ちゃんねるの東武日光線スレはさらに大荒れ。
      • 特急が満席で乗れなかった人の苦情でスレが埋まっていた。
  3. 「快速」は東武伊勢崎線・日光線沿線の禁句になっていた。
  4. 2013年3月に種別名称も「快速急行」に改称されていた。
伊勢崎口にも運転されていたら
  1. 6050系が伊勢崎線でも見られた。
  2. 「りょうもう」の本数が減っていた。
  3. 東武動物公園以北はかつての準急Aの停車駅に停まっていた。
  4. 佐野線・桐生線直通を併結した三階建て列車も存在する。
存在しなかったら
  1. 東武は現実以上に有料列車中心主義を強めていた。
    • 「だいや」「おじか」は毎日運転の急行として存続。1800系がこちらにも投入され、5700系は格下げ改造される。
      • ただ「きりふり」「ゆのさと」に改称したとしても特急格上げはなかった。
    • 史実通り全車指定席を貫くなら繁忙期は通勤形の臨時列車が大増発される。
  2. 6000系→6050系も登場しない。
    • その代わり8000系や10000系と言った通勤形にトイレ付き車両が存在していた。

東上線[編集 | ソースを編集]

2017年に廃止されていたら

東武東上線の快速も日光線と同時に廃止されていたら

  1. 快速急行が増やされる。
    • 若葉に停車していたかも。
  2. 快速急行もなくなってTJライナーが日中にも運転されたかも。

有料急行が現在でも続いていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 快速は区間快速化や廃止ではなく、急行に格上げされていた。
    • 車両は6050系では貧弱なので、300系や新車に置き換えられる。
    • 愛称は「きりふり」と「南会津」がそのまま引き継がれる。
      • 「ゆのさと」は南会津に吸収されて廃止。
  2. 伊勢崎線系統にも運転されていたかもしれない。
    • 久喜・加須・羽生に停車する停車駅の多い特急が急行になる。
  3. 現在の半蔵門線直通の通勤電車の急行は、2003年以前のように「準急」か、こちらが「快速」になっていた。
  4. 特急との相違点は自由席が存在する。
    • そのため特急の指定券が取れなかった乗客も利用する。

伊勢崎線の準急Aが現在でも続いていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 2006年3月の種別名変更で急行系の種別名に変更されていると思われるが、どんな名称になっていたのだろうか?
    • そのまま急行Aか
    • 快速急行
      • ただそれだと種別の順列が快速>区間快速>快速急行>急行、と区間快速が快速急行より上という前代未聞の逆転現象が起きてしまう。
      • 快速と快速急行の種別を交換していたかもしれない。
    • あるいは準快速
    • 今の東武の感覚だと準急Bは間違いなく区間急行になっていた筈だから急行になってそう。
      • 急行には浅草発着の便も設定されていた。
        • 半蔵門線直通の急行と住み分けを図るため、浅草-伊勢崎間の旧準急Aは急行、半蔵門線直通の急行は直通急行あたりになっていた。
        • むしろ半蔵門線直通急行が旧準急Aのポジションを継いでいた。
          • 運用は有効長の関係から30000系に限定されていた。
            • 30000系はこの列車のために現在でも地下鉄に乗り入れる運用についていた。
              • 東上線に転出することはなかった。
            • 久喜で付属編成との分割・併合を行っていた。
              • 館林では?
            • 乗車距離が長くなりそうなのでトイレが設置されていた。
          • 西武のS-TRAINの成功を受けて東武でも同種列車の運行を検討していた。
            • 50090系の伊勢崎線版が導入される。
          • 浅草発着は北千住-浅草間は各駅停車となるのでむしろ区間快速急行あたりになってそう。
            • その場合だと東上線の快速急行と快速との種別での逆転現象が起きていた(東上線:快速急行>快速。伊勢崎線:快速>区間快速>区間快速急行)。
  2. この場合日中の館林、太田乗り入れが存続、あるいは朝夕夜間のみの運転という仮定。
    • 後者だと通勤急行あたりになっていた。ただし休日も運転。
    • 一般列車の多くは現在、久喜で分断されているため、旧準急Bは区間急行への格上げとともに久喜までに短縮されるが、準急Aは急行に格上げされ、現在も久喜を直通運転する形で存続していた。
      • むしろ久喜-伊勢崎間の急行として存続。
  3. 乗り入れ先のこの路線と接続してるこの路線の各駅停車に倣って、急行Aと急行Bで違う色の幕やLEDを使用していたかもしれない。
    • 小田急や京王などがやってる最もポピュラーな方法は東武動物公園から各駅に停まる急行は「急行 東武動物公園行き」としそこから「各駅停車 太田行き」にするやり方だが。
      • 旧準急Bは先述の通り、むしろ今の東武の感覚だと区間急行あたりじゃね?
  4. 伊勢崎市による政治列車だと揶揄される。
    • 各支線にも乗り入れさせたというなら群馬県+足利市・佐野市の政治列車となれそうだが…
    • 伊勢崎発着のりょうもうの影が薄くなっていた。
  5. 快速準急を名乗っていた。

伊勢崎線と営団(東京メトロ)半蔵門線の相互直通運転開始時から館林まで乗り入れたら[編集 | ソースを編集]

  1. 史実の「通勤準急」が「直通準急」を名乗り2006年春改定で「急行」に改称される。
    • 東武動物公園以北は当然各駅停車。準急Bの代替も兼ねる。
      • 「館林分断」は半蔵門線直通後に多くなった。
    • 日光線南栗橋発着の半蔵門線直通列車は当初設定が少なかった。
    • 30000系の導入数が史実より多く50050系の導入数も史実以上だった。
      • その代わり50000系の導入数は史実より少ない。
      • 30000系(地上線→)東上線転用は変わらず。
    • 日中の半蔵門線直通列車は当初直通準急だった(JR宇都宮線への対抗もある)。
  2. 群馬県で東急と営団→東京メトロの車両を見られた。
    • 館林市の半蔵門線乗り入れ要望」は勿論現実に。
      • 東の2県を見下ろしていた(地下鉄直通本数が多い意味で)。
      • 久喜~館林間の沿線開発が史実より進んだ。
        • 太田・鬼怒川温泉までの直通を要望する声が出る。
          • そこまで行かずとも日光線側では新栃木までの延伸要望が出ていただろう。
        • 東武特急の半蔵門線への乗り入れが実現していたかもしれない。
          • 東武特急500系「リバティ」は地下鉄直通対応構造(京成AE100形のように)で製造された。
    • うまくいけば鷲宮町は久喜市と合併せず単独で市制した可能性も。

もし、スペーシアが品川乗入を実現したら[編集 | ソースを編集]

  1. 新宿発着は減少する分、羽田空港や東海道新幹線の客を取り込むために、品川発着及び東海道線乗入を実現していた。
    • 『踊り子』号との統合運転もされ、伊豆急下田駅~東武日光駅まで直通する種別も存在していた。
    • 無料列車と有料列車の併結ならJR線内では『特別快速』扱いとなり、有料座席はJR東日本区間では普通列車グリーン車の指定席にしていた可能性が高い。

りょうもうに東小泉経由があったら[編集 | ソースを編集]

  1. 足利市利用者分散のため赤城行きのほとんどに設定される。

京成電鉄[編集 | ソースを編集]

スカイライナーの地下鉄乗り入れが実現していたら[編集 | ソースを編集]

  • 2代目スカイライナーであるAE100形は地下鉄乗り入れが可能な構造でしたが、営業運転が実現することはありませんでした(回送ならば都営フェスタの時に実現)。
  1. 後継であるAE形も地下鉄乗り入れに対応した構造になっていた。
    • 3.3km/h/sの起動加速度と160km/hの最高速度を両立する怪力電車になっていた(史実のAE形(2代)の起動加速度は2.0km/h/s)。
    • ボルスタレス台車ではなかったはず。
  2. 羽田空港-成田空港間を走破するスカイライナーが運転されていた。
    • 横浜方面にも足を延ばして成田エクスプレスに対抗していた可能性もある。
    • エアポート快特の存在が薄れていた。
  3. 浅草線のどこか(史実の計画だと浅草橋か蔵前だったはず)に通過線が新設されていた。
  4. 日暮里駅の改良工事が成されていたかどうか怪しい。
  5. 小田急電鉄よりも先に「地下鉄に乗り入れる有料特急」の座を獲得していた。
    • ロマンスカー乗り入れが営団地下鉄時代に開始していた。
  6. 京急2100系の浅草線乗り入れも真剣に検討されていたかもしれない。
    • むしろ京急も有料特急を走らせていた。
  7. AE100形は当初の目的を生かせる車両になっていた。
    • 113系1000番台初期車や東急9000系の二の舞になることはなかった。
    • 2代目AE形導入後はシティライナーで余生を送ることはなかった。
  8. 京急乗り入れが諸事情でダメだったら成田空港~泉岳寺の運転だっただろう。西馬込まで直通?需要がない。回送ならありうるだろうが
  9. 京王ライナーの都営地下鉄新宿線直通が真剣に検討される。

スカイライナーの種別が特急だったら[編集 | ソースを編集]

  • スカイライナーと特急が別々に運転されています
  1. 早い話、通勤特急・特急・アクセス特急・快速特急はすべて特急の部分が「急行」になる。
    • アクセス特急はスピード感を出すため快速になっていた。
  2. 史実で廃止された急行と現在走ってる快速は「準急」になっていた。
  3. 北総線の種別も京成に準ずる。

西武鉄道[編集 | ソースを編集]

S-TRAINが○○だったら[編集 | ソースを編集]

全路線で毎日運転されていたら[編集 | ソースを編集]

平日は西武←→有楽町線、休日は西武←→東急線で運行しています。

  1. 1号、4号は乗車率が高かった。
    • 5号の送り込み回送列車もS-TRAINになっていた。
  2. 有楽町線系統は乗車率が低いかもしれない。
    • 恐らく新木場まで延長していたのではなかろうか。

特急が秩父鉄道に乗り入れていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 001系は4+4両編成になっていた。
  2. かわりに快速急行は廃止された。
    • 特急以外の列車は飯能で系統分割。
  3. さすがに地下鉄直通はない。
  4. 対抗して東武やJRの特急直通を画策しはじめる。

ラビューが地下鉄乗り入れしていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 当然、S-Trainはラビューに置き換えられていた。
  2. 全日通して有楽町線や副都心線、東横線、みなとみらい線の両方で有料特急が運行されていた。
  3. 東急は有料特急の対応が上手くいった場合、東急と相鉄が東武伊勢崎線に直通する特急を走らせていた可能性もありえた。
    • 特に田園都市線は着席需要がほぼないゆえに、スペーシアなどを走らせて混雑問題に対応していた。

東京メトロ[編集 | ソースを編集]

有楽町線の準急が2010年3月で廃止されなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 本数は減少していただろう。
  2. 副都心線急行の件で地下鉄成増〜氷川台間通過率が高まって不満が高まったから廃止されたとみなされることはなかった。
  3. 豊住線開通後は有楽町以南での快速運転も計画されていた。
    • もっとも飛ばせる駅が辰巳くらいしかなさそうな…その気になれば豊洲以外全部通過もできるはず(有楽町以南の新富町/築地を除く接続駅は豊洲のみになるので)。
  4. 副都心線通勤急行が千川・要町に停車して有楽町線準急が朝夕に運行とかになっていたか。

小田急電鉄[編集 | ソースを編集]

快速急行が2018年に廃止されていたら[編集 | ソースを編集]

登戸通過で不満が多かった快速急行が廃止されていたら(史実では登戸停車)

  1. その分急行・準急・特急が増やされていた。
  2. 下手したら2017年の東武ダイヤ改正の二の舞いになっていた。
    • 小田原線は本厚木、江ノ島線は藤沢で特急以外系統分割されていたかもしれない。
      • 本厚木以西の特急停車駅が増やされていた。
        • 少なくとも新松田が停車駅から外されることは無かったはず。
      • 後者は本当にそうなった。

「あさぎり」の沼津乗り入れが現在でも続いていたら[編集 | ソースを編集]

  1. どちらにしろMSE導入とともに一日一往復となる。
    • 2016年以降はラブライブとタイアップしてボロ儲け…とまではいかないんだろうな。増発もおそらくされない。
      • MSEにラブライブラッピングが検討されるが東京都の横槍で(ry
  2. 沼津まで富士山麓と言い切るのは厳しいので、列車名が変更されなかったかもしれない。

快速を運行していたら[編集 | ソースを編集]

種別幕には存在していたものの設定はされなかった。

  1. 急行と準急の中間種別になっていた。
  2. 急行のうち、途中駅から各駅停車に切り替わる便が快速として運行していた。
    • 現実の急行が快速、快速急行が急行を名乗っていた可能性もある。快速急行は大幅に停車駅が削減されていた。
      • 多分快速急行の停車駅は下記の特別快速と同じ。
  3. 快速準急の存在の意義が薄れていた。
    • 上に書いてあるように急行が快速、快速急行が急行を名乗っていた場合この限りではない。
  4. 停車駅は新宿、代々木上原、下北沢、登戸、向ヶ丘遊園、新百合ヶ丘。新百合ヶ丘以西の小田原線と多摩線は各駅に停車していた。
    • それによって多摩線は快速急行を導入されておらず、代わりに快速や急行などをメインにしていた。

急行が有料だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 「あさぎり」は小田急線内でも急行だった。
    • 準特急は急行列車として運行された。
  2. かつての東武伊勢崎線のような運行形態だった
    • 現実の快速急行が快速、急行が準急を名乗っていた。
  3. おそらく「あさぎり」特急格上げ時に有料としての急行は廃止された(この場合快速急行は史実通りかも)。
  4. 料金不要の最上位種別として快速を運行していたかも。

特別快速が運行されたら[編集 | ソースを編集]

  1. 快速急行から下北沢駅と登戸駅が停車駅から外される。
    • 小田原方面が快速急行、江ノ島線方面は特別快速が主流になる。
    • 小田原線内では愛甲石田、鶴巻温泉、東海大学前、渋沢が停車駅から外される。
  2. 夕方は快速急行の集中が酷いゆえに全ての快速急行は特別快速に置き換えられる。
    • 但し、平日のみ。休日は快速急行も勿論、走る。
    • 相模大野駅で快速急行や急行に変わる列車も出る。
  3. 快速急行は停車駅が多いし、特急はロマンスカーがあるので無料種別が出来ない故に特別快速で妥協される。
    • もし、運行された場合、JR以外では初めての特別快速となる。
  4. 実現した場合、大手私鉄では初めての特別快速の運行となる。
  5. 代々木上原駅~新百合ヶ丘駅間が無停車という種別も実現する。
  6. JR湘南新宿ラインでも特別快速が運行されているので特別快速同士が新宿〜小田原間での競合があり得た。

ロマンスカーのスーパーシートが廃止されなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. VSEのサルーン席はスーパーシートに変更されたかも。
  2. EXEαやMSEには設けられることはなかろう。
    • MSEにもあったら御殿場線内はグリーン車扱いだろうか。
  3. GSEあたりから前面展望部分はスーパーシートになっていたかもしれない。

複々線完成後、準急の種別が変わらなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 代わりに現在の準急が区間準急となり、千代田線直通になる。
    • 通勤準急は存在しなかった可能性も。
    • 区間準急は複々線完成以前の種別とは全く異なる状態で生まれ変わっていた。
      • 通勤急行は区間急行になっていた。

快速急行が下北沢駅を通過していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 下手すれば、京急蒲田駅の二の舞が起こる。
    • 「蒲田飛ばし」ならぬ「下北沢飛ばし」と揶揄されていた。
      • 当初は下北沢駅停車でも速達性と下北沢の乗換客減少によって登戸駅停車と引き換えに下北沢駅通過が起きていた可能性も。
    • 特に夕方ラッシュは下北沢駅の利用者集中を避けるために新宿と千代田線の利用者を多摩川以遠に運ぶためにやっていた可能性も。
      • その後の問題から区間急行にて代々木上原通過で下北沢停車の種別もラッシュ時には設定されていた。
  2. 相鉄・JR直通線の利用者が現実以上に増える恐れも。
    • 渋谷駅東口方面は井の頭線よりそちらの方が便利だったから猶更。
  3. 下北沢駅の利用者減少や速達性も相まって夕方ラッシュ時の下北沢駅通過は快速急行を停車させない故に逆に好感が持たれた。
  4. 下北沢駅や渋谷駅を利用するには不評だが、千代田線や新宿駅に向かう人には逆に好まれていた可能性も存在した。
    • 登戸駅~代々木上原駅間が無停車になる事で、速達性と混雑緩和が両立できて逆に喜んだ人も。
  5. 上り列車が下北沢駅を通過する際には代々木上原駅分岐の手前なので割とゆっくりと通過する。
    • 京急蒲田駅みたいな動きになって通過する。
    • 逆に下りは割と早い速度で通過を行う。
  6. 千代田線直通は下北沢駅通過する快速急行のみ急行線を通過していた。
  7. 井の頭線沿線民はプチ暴動を起こすが小田急沿線及び本体は通過によって遠近分離の恩恵とれるので小田急沿線民にとっては逆に評価高かった。
    • 井の頭民「ロマンスカー停車出来ないどころか快速急行まで見放された。小田急嫌い。」
    • 小田急民「既に相鉄新横浜線や田園都市線などある上、地下鉄沿線も渋谷以外は千代田線や新宿経由がメインだから混雑緩和されて助かった。」

区間急行を設定していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 新松田駅~小田原駅間で開成以外の列車を停車させる為、この種別を通していた可能性も。
    • 10両化に併せて改正と本数を合わせる為にこのような種別を設定した。
  2. 多摩線内に運行する場合も多摩線内各停の場合はこの種別が該当していた。
  3. 停車駅は新宿駅~新松田駅は急行と同じ。
    • 新松田駅以西と多摩線内は各駅に停車する。

京王電鉄[編集 | ソースを編集]

有料特急が運転されていたら[編集 | ソースを編集]

座席指定型特急
  1. 現行の特急・準特急は「快速急行」になる。
    • 特急誘導のために快速急行の本数は少なかったかもしれない。
  2. 京王相模原線の延伸が実現してたらあったかもしれない。
  3. 「高尾」「陣馬」などの愛称が有料特急用に残っていた。
  4. 併結が得意?な京王の特性を考えると、名鉄や南海のように一部座席指定の特急になっていた可能性が高い。
    • 指定席(専用車両)2~4両+自由席(既存の通勤車)6~8両といった感じの編成になっていた。
      • 8000系4連を専用車両に改造していた。場合によっては10両貫通化改造はなかった。
クロスシートの通勤型特急
  • 京王ライナーとして実現しましたが、あくまでもそれ以前からあったら、という想定で。
  1. 停車駅は現行の特急と同じ。
  2. 夕方のラッシュ時には京急ウィング号やTJライナーのようなホームライナーが運転されていた。
  3. 京急とよく比較されていた。

準特急が廃止されてなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 千歳烏山駅に対して批判が殺到しなかった。
  2. 京王ライナー誘導ダイヤが今より露骨な姿勢にはならなかった。
  3. 遠近分離崩壊を起こさず京王の経営陣への批判が起きなかった。

東急電鉄[編集 | ソースを編集]

田園都市線に特急電車が走っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 現在の急行停車駅から三軒茶屋とたまプラーザが外されていた。
    • 南町田グランベリーパークも。
    • 現実より急行が大混雑していた。

東横線にラビューが走っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 特急の上位互換としてラビューという種別を付ける。
    • S-TRAIN元町・中華街発着便はラビュー運行開始後廃止された。
  2. 東急が今より有料特急に力を入れるようになる。
  3. 停車駅は渋谷、自由が丘駅、武蔵小杉駅、横浜、みなとみらい、元町・中華街。
    • 勿論、副都心線に直通する。

京浜急行電鉄[編集 | ソースを編集]

もし、本線快特が京急蒲田駅を通過していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 逆に蒲田に停車する列車をエアポート快特と名乗っていた。
    • エア快はその影響で10分間隔になる。
  2. 横浜方面のエアポート急行が現実より増加していた。
    • 逆に快特とエアポート快特が反対になるので横浜方面にもエアポート快特が運行されていた。
    • 基本的にラッシュ時のみの運用になる。でも、そのお陰で通勤も楽になる。
  3. 蒲田要塞が完成したら蒲田駅の2・5番乗り場で退避していた。
  4. 東海道本線と停車駅が同じになるので、競争性も上がってたかも。
    • 本線快特はものすごい速度で蒲田を通過する。

「ウィング・シート」サービスを行う列車が増えたら[編集 | ソースを編集]

  1. 泉岳寺始発の快特には必ずついていた。
  2. もしかしたらウィング・シート車がリクライニングシートに改装される一方、それ以外の車両はロングシートorデュアルシートに格下げされてオタクが嘆く。
    • 京急ウイング号も料金に差が出る。

相模鉄道[編集 | ソースを編集]

夕ラッシュ時に特急が運行されていたら[編集 | ソースを編集]

新横浜線開業に伴い、同時間帯において海老名~羽沢横浜国大(~新宿)間には特急が設定されますが、あくまでも本線系統のこととして。

  1. 大和止まりは存在しなかった。
    • 各停は特急が海老名まで走る都合上、海老名まで走っていた。
  2. 利用者が特急に集中する。
  3. 瀬谷駅で一部急行が待避していた。

いずみ野線にJR直通特急が走っていたら[編集 | ソースを編集]

  1. いずみ野線の価値は現実より高まっていた。
  2. いずみ野線はJR直通開始後も特急が残っていた。
    • 利用率も以前よりは増えていた。
  3. 湘南台駅〜新宿間も小田急と競合していた。
    • 相鉄の方が遅すぎて勝負にならないと思うからどうだろうか。
  4. 平塚駅か倉見駅までの延伸が出来て、需要が高まるかも。
    • 平塚延伸の場合、今度は東海道本線と競争しちゃうかも。

東急直通線開業後に急行が存続していたら[編集 | ソースを編集]

東急直通線開業後になって休止した急行電車ですが、存続していたら。

  1. 遠近分離を名目に本線は瀬谷駅以西並びに大和駅以西を各駅に停車していた。
    • 下りは瀬谷駅で緩急接続を行っていた可能性も。

富山地方鉄道[編集 | ソースを編集]

料金不要特急が運転されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 120円(240円)の追加料金がないので逆に特別感が無いかもしれない。
  2. フリーきっぷの対象外にすることで実質運賃を多く取るようにしてたかも。

特急立山が不二越・上滝線経由だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 立山線の寺田~岩峅寺間はアルペン特急しか走らない。
    • 車両限界の関係でJR・名鉄直通も立山線回りか。
  2. 閉園前までは大川寺遊園駅にも停車していた。
    • 南富山や不二越は微妙だが。
  3. とりあえず電鉄富山から岩峅寺までの停車駅は南富山と上滝くらいでよさそう。

長野電鉄[編集 | ソースを編集]

特急の一部車両が無料だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 長野駅〜須坂駅間は無料車両が異様に混んでいた。
  2. 現実程、利用者減少にはならなかった。
  3. 現在でも信州中野~湯田中間各駅の特急があったかも。

名古屋鉄道[編集 | ソースを編集]

小牧線に急行列車が運行していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 現実よりも小牧線の利用者が増えていた。
  2. ピーチライナー廃止は免れていたかも。
    • ピーチライナーの廃止は小牧線の立地条件の悪さが起因しているので史実と変わらない。

弥富駅方面にミュースカイが運行されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 関西本線や近鉄の客が名古屋駅から弥富駅にシフトするかも。
    • 中部国際空港の利用者が名鉄名古屋駅の構造を嫌って移行していたかも。

現在でも各線に特急があったら[編集 | ソースを編集]

もし現在でも名古屋本線・西尾線・蒲郡線・三河線・常滑線・河和線・各務原線・広見線・犬山線・津島線・尾西線・瀬戸線・小牧線・知多新線・空港線(・挙母線・八百津線)で多数特急が運転されていたら

  1. それでも停車駅は増えて急行並みに増えていると思う。
    • 末端は普通列車と統合されて各駅に停車していた。
  2. 廃止になる駅が史実以上に増えていたかも。
  3. オールロングシート車が少なくなっていた。
    • さすがに特別車しか走らないというのは少ない気がする。

一畑電気鉄道[編集 | ソースを編集]

現在でも有料特急を運行していたら[編集 | ソースを編集]

史実では1973年まで運転されていた

  1. 停車駅も少なめだった。
  2. どこかの段階で大手私鉄の本格的な特急車両を走らせていた。(南海21000系は特急型か微妙なので)
    • 縁結びにかけて小田急ロマンスカーを譲受して「ロマンス特急」とか。

西日本鉄道[編集 | ソースを編集]