もしあの力士が角界入りしなかったら
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朝青龍明徳[編集 | ソースを編集]
- 魁皇、千代大海、栃東は横綱になっていただろう。
- 若の里は大関昇進。
- 白鵬はもっとはやく横綱になっていた。
- うまくいけば2004年九州場所か2005年初場所で、貴花田以来2人目の10代幕内優勝を達成できた。
- それどころか2005年に大関昇進し、2006年初・春場所を連覇して21歳0ヶ月で最年少横綱となる可能性すらあった。
- 初場所は史実通り栃東優勝では。春・夏の連覇でも昇進だろうが21歳2ヶ月10日を過ぎ、北の湖に数日の差で及ばない。
- それどころか2005年に大関昇進し、2006年初・春場所を連覇して21歳0ヶ月で最年少横綱となる可能性すらあった。
- うまくいけば2004年九州場所か2005年初場所で、貴花田以来2人目の10代幕内優勝を達成できた。
- 北勝力は優勝できた。
- 若の里,雅山,安美錦あたりも1回は優勝できたかもしれない
- 琴欧洲も大関昇進前に優勝を経験しており、当時の師匠・琴櫻と喜びを分かち合った。
- 四股名が琴欧州のままだったかも。
- 貴乃花引退からは朝青龍不在によって話題と盛り上がりに欠け暗黒期が続いたかもしれない。
- もしくは魁皇、千代大海、栃東あたりを軸に毎場所誰が優勝してもおかしくない戦国時代が到来し、それはそれでもっと盛り上がったかもしれない。
- 横綱の出稽古を断る部屋が増えなかった。
- 遠藤聖大も相撲の道に進むことはなかった。
板井圭介[編集 | ソースを編集]
- トンガ出身の力士が全員廃業し、一部の力士がプロレスへ転向することも無かった。
- 福ノ島(ウリウリ・フィフィタ)や幸ノ島(シオネ・ヴァイラヒ)は三役までは昇進していた。
- 福ノ島の息子達も大相撲に入門していたかも。
- 福ノ島(ウリウリ・フィフィタ)や幸ノ島(シオネ・ヴァイラヒ)は三役までは昇進していた。
- 日本人にとってトンガのスポーツは、ラグビーと相撲のイメージが強くなっていた。
- 琉王も相撲協会に残れていた。
- 大鳴戸部屋が再興されることも無かった。
- 大乃国の優勝回数が数回増えていたかも。
久島海啓太[編集 | ソースを編集]
- 間違いなく大横綱になれたはずなのにもったいないと言われた。
- 田子ノ浦部屋は創設されない。
- 田子ノ浦部屋と言えば旧鳴戸部屋のことを指す。
- 「田子ノ浦」の名跡は佐田の海鴻嗣が正式に取得し、1999年以降も協会に残っている。
- 中立部屋(後の境川部屋)の独立時に移籍しなければ息子は出羽海部屋に入門していた。
- 少なくとも犬山や熊本に移住することはなく、東京か大阪が出身地と紹介されていた。
- 中立部屋(後の境川部屋)の独立時に移籍しなければ息子は出羽海部屋に入門していた。
- 期待外れに終わった日大出身の学生横綱といえば北勝森、増健、若圭翔、大翔湖だった。
- 秋本久雄の×××××もなかった。
- 40代で急逝することもなかった。
- 和歌山に帰って教員になっていた。
- 1992年九州場所初日に貴花田を破り「俺だって婚約者だ!」と発言することはなかった。
- 貴ノ花(→貴乃花)の大関昇進が1場所早まった。
- 日本人の横綱・大関が番付上不在となるのは2011年秋場所が初の事例だった。
- そのまま宮沢りえと結婚していた可能性も。
- 貴ノ花(→貴乃花)の大関昇進が1場所早まった。
- 旭道山の現役時代を象徴する一番が別の取組になっていた。
大鵬幸喜[編集 | ソースを編集]
- 柏戸剛、栃ノ海晃嘉、佐田の山晋松の優勝回数が実際より増えていた。
- 北の富士や玉の海正洋も。
- 豊山勝男も優勝し、横綱になっていたかもしれない。
- 栃光正之も1回は優勝できた。
- 優勝31回の千代の富士が優勝回数最多力士になっていた。
- 優勝回数が白鵬に抜かれることは変わらない。
- 「巨人、大鵬、卵焼き」の言葉も生まれなかったか、「大鵬」の部分が別な力士になっていた。
- 巨砲は実父と同じ時津風部屋に入門。
貴ノ岩義司[編集 | ソースを編集]
- 日馬富士による暴行事件は起きなかったため、日馬富士が引退することはなかった。
- 貴乃花が理事を解任されることはなかった。
- 貴乃花の直弟子で初めて関取に昇進したのは貴景勝だった。
- 2017年初場所の幕内優勝争いは千秋楽まで持ち越された。
- 千秋楽結びで1敗の稀勢の里が2敗の白鵬を破って初優勝と横綱昇進を決める。
- 甥の北天海も来日して高校横綱獲得→尾上部屋入門という道は歩んでいない。
千代大龍秀政[編集 | ソースを編集]
- 「斜綱」も「MSP」もなかった。
- 「2代縦綱」の明瀬山がさらにネタにされる。
- 髷を結う前に新入幕した遠藤の注目度は史実以上だった。
白鵬翔[編集 | ソースを編集]
- 朝青龍独走時代はもう少し長く続いていた。
- 暴行事件の際ももしかしたら引退を免れたかもしれない。
- 優勝回数も大鵬の32回に限りなく近づき場合によっては抜いていた可能性も
- 史実通り朝青龍が引退した場合,誰が優勝してもおかしくない戦国時代に突入し日本人力士の優勝がここまで遠ざかることはなかった。
- 相撲人気というか白鵬の独走によって薄れている世間の相撲に対する関心も今ほど落ちることはなかったかもしれない。
- もしくはレベルの低下によって相撲人気は今よりも酷かった可能性も
- 強い横綱待望論がでていた
- 11勝4敗でも十分優勝を目指せる時代に突入していた。
- むしろ平幕力士の13勝以上での優勝が増えていた。
- 史実以上に今の大相撲はレベルが低いと言われていた。
- ただし日本人横綱が複数人誕生していた場合はその限りではない。
- 把瑠都と稀勢の里は横綱に昇進できた。
- 稀勢の里の横綱昇進が史実より早まった。
- 史実では優勝経験のない何人もの力士が初優勝を経験できた。
- 八百長問題や賭博問題のときに相撲界はもっとやばかったかもしれない。
- 北勝力は優勝できた。
- 旭天鵬の優勝も早まり、最年長初優勝の記録は更新されなかった。
- 宮城野部屋の師匠問題はあまり騒がれない。
- 外国出身力士の年寄取得のための国籍変更問題は史実より騒がれない。
- 豊ノ島や逸ノ城の初優勝が見られた。
- 史実(2022年名古屋場所)より早く、逸ノ城は新入幕で初優勝を成し遂げていた。
双羽黒光司[編集 | ソースを編集]
- 歴代横綱は全員優勝経験がありとなる。
- 横綱昇進の条件が今より厳しくなることはなかった。
- 小錦は北尾戦での膝の故障がなく、初の外国人横綱になっていた。
- 立浪部屋が史実より早く大卒中心路線に傾倒した。
舞の海秀平[編集 | ソースを編集]
- そのまま高校教師になっていた。
- もちろんタレントになることもなかった。
- 朝青龍に下の名前を覚えてもらう事もなかった。
- NHKの相撲解説者は旭道山あたりが務めていた。
- 出身高校である青森県立木造高等学校の相撲部監督に就任?
- もちろんタレントになることもなかった。
- 智乃花の角界入りもなかった。
- 相撲の決まり手「三所攻め」が、幻の技になっていた可能性がある。さらに旭鷲山が技能派力士になることもなかっただろう。
- 新弟子入門検査の規定が緩和されることも無かったハズ。
- 「技のデパート」は開店されないままだった。
- 巨砲が一艘跳びを繰り出さなかった。
- 貴ノ花は1994年秋場所後に横綱昇進した。
- 千秋楽に12勝差での対戦が実現することはない。
増位山太志郎[編集 | ソースを編集]
- おそらく水泳選手になっていた。
- 旭國引退後は貴ノ花の一人大関が1年以上続いた。
- 栃赤城が史実以上に大関候補として期待されるが、結局昇進できず。
- 貴ノ花の引退直後に昇進した千代の富士は、在位3場所がすべて一人大関だった。
- 1984年に増位山大志郎が没した後は、大竜川か播竜山が三保ヶ関部屋を継承していた。
- 増健も角界入りしていないか、別の部屋に入門していた。
増健亘志[編集 | ソースを編集]
- 某大型掲示板の相撲板は現実よりも荒らしが少なくなっている。
- 関取でのつきひざ第1号は2004年9月場所での旭天鵬-栃東になっていた。
若孜浩気[編集 | ソースを編集]
- 現在も日本通運の社員。
- 「ジンギスカンゆきだるま」は存在しなかった。
- 玉ノ国は証券会社員のままだった。
- 「ジンギスカンゆきだるま」は存在しなかった。
- アマ横綱になれたかもしれない。
- 貴乃花の横綱時代だったら「中学の同級生が両方横綱」と言われる。
- 7勝8敗で番付上昇と言えば武州山。
若乃花勝[編集 | ソースを編集]
- 弟貴乃花の四股名が「若乃花」になっていた可能性あり。
- 栗尾美恵子と結婚することは無かった。
- 兄弟間の確執はもちろんなかった。
- 「Chanko dining 若」は存在しなかった。
- 現実より地味な存在になっていた。もちろんタレント転身もなかった。
- 「週刊えみぃSHOW」の司会は今も上沼恵美子と三田村邦彦。
- ただし2018年5月はワイドショーに引っ張りだこ。
- 日本におけるアメリカンフットボールの人気がもう少し上がっていた。
- 「アイシールド21」にも登場していたか?
- 明大中野から明治大学アメフト部に入団して、日大アメフト部を脅かしていた。
- 稀勢の里との対談・共演があったかもしれない。
- 幕内で優勝決定戦の同体取り直しは起きていない。
輪島大士[編集 | ソースを編集]
- 学生相撲出身の横綱はまだ誕生しない。
- 魁傑が花籠部屋を継承した。
- その後魁傑の停年により大乃国が花籠部屋を継承する。
- 太寿山は花籠部屋を再興しない。したがって別の年寄名で部屋を興す。
- 輪島と同じ石川県出身の輝が下の名前を「大士」にすることはなかった。