もしあの国が枢軸国側で参戦していたら

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ソ連[編集 | ソースを編集]

もしソ連が枢軸国側で参戦していたら

スペイン・トルコ・イラン・アルゼンチン[編集 | ソースを編集]

  1. あっというまに連合軍に攻め込まれ、フランコはドイツへ亡命。
    • しかし、その間にヴィシー・フランスは防衛線構築を行い、西部戦線で連合軍は苦境に立たされる。
  2. 史実では起こらなかったジブラルタル攻略作戦が実行される。
    • ドイツが勝った場合、地中海の制海権が危うくなり、インドとのシーレーンが危機に陥るため、イギリスは大慌て。
    • 王政が復活しないかも。
  3. トルコ義勇軍がアフリカで暴れまわり、一部は極東まで進出。
  4. アメリカ軍がブリキに豆鉄砲と楽観していたところにIV号戦車が現われえらいことに。
  5. コーカサス方面からソ連に侵攻。ソ連もそちらに兵力を割かなければいけなくなるため、史実よりドイツの侵略地域は広くなる。
  6. 結果、トルコはアルメニア人地域とトラブゾン周辺など北東部の領土とクルディスタンをソ連に奪われて共産化している
  7. イランの参戦に呼応する形で南アジア東南アジアイギリス植民地が一斉蜂起。インドではスバス・チャンドラ・ボースによる政権が成立して日本軍に全面協力。
  8. でも油田や資源が豊富にある連合国側が最終的に勝ってしまう。
    • 3B政策が復活し、中東の石油が枢軸国側が発見した場合、逆に枢軸国有利になる。
      • 英軍のイラン・イラク進駐が失敗し、かつトルコ・イランが中東にいる英軍を撃破できればね。
  9. ブラジルに攻められるか内戦になる。
  10. 史実で中立だったがナチスドイツの支援を受けていたアフガニスタンも枢軸国側で参戦していた。
    • 史実でもWW2期にイギリスと戦争したイラクも枢軸国側で参戦していた。

アイルランド[編集 | ソースを編集]

  1. バトル・オブ・ブリテンでは、イギリスはアメリカからの補給路を絶たれ、窮地に陥る。
  2. アイルランドではナチス・ドイツ以上にマイノリティへの迫害が行われる。
  3. ついには、プロテスタント(イギリス国教会)さえもホロコーストの対象になる。
  4. イングランドによるアイルランドの植民地時代の怨恨故に、連合国、特にイギリスへの戦意はどの枢軸国よりも激しかった。
  5. しかし、アメリカの第二次大戦への参戦で状況が激変。
  6. にもかかららず、他のヨーロッパ戦線のどの枢軸国よりも降伏は遅れる。日本の降伏(太平洋戦争の終結)後も頑強に抵抗し、よってアメリカはアイルランドに複数の原子爆弾を投下。
  7. この事と地上戦によって、ようやくアイルランドは降伏する。
  8. 戦後処理がうまくいけば、アイルランドは西ドイツ並みの優等生国家となり、IRAも存在しない。
  9. 戦後処理が失敗すれば、IRAは史実以上に苛烈なテロをイギリスに行う。更にはアメリカもIRAのテロの対象になる。
    • その場合、アイルランド系アメリカ人への差別が横行する。よって、ケネディ、レーガン、オバマはアメリカ大統領になれない。

ギリシャ[編集 | ソースを編集]

  1. 予定通りにバルバロッサ作戦が開始されてモスクワは陥落。イギリスは地中海の覇権を脅かされる。

中華民国[編集 | ソースを編集]

  • 史実でもナチス・ドイツは日独伊同盟まで中華民国を支援していました。
  1. 日本は連合国に回っていた?
    • ただ、当時のアメリカの対日感情を見るに、最悪「挟み撃ち」という最悪の結末もありそう。
    • 日本が連合国になるかは分からないが、そもそも中華民国が枢軸寄りならアメリカの対華感情も史実より悪く、アメリカは中立になる。そして第二次世界大戦が始まると連合国は日華どちらにも支援せず、日本の優勢が続いて中国は日本と単独講和して大戦から離脱。
  2. 共産主義の跋扈が史実より強かった可能性も。
    • 第一次世界大戦のソ連のように離脱していた。
    • 中華ソビエト共和国(後の中華人民共和国)が連合国側で参戦、国共内戦は第二次世界大戦の一部として行われていた。
    • 日独伊華4カ国同盟を組めばインドと中東を占拠してそこからアフリカ戦線に参戦、日本は中国士戦線に回していた兵を太平洋に回せる。
    • トラウトマン工作が成功すれば日華両方が枢軸国となり、広大な戦線からソ連を攻撃。ソ連が崩壊し、中東やアフリカでも枢軸国の快進撃が続けば英米と有利な条件で講和できるかもしれない。

リトアニア[編集 | ソースを編集]

  • リトアニアは戦間期の紛争で首都だったヴィリニスを取られた経緯があり、対ポーランド戦に参戦する動機は十分にありました。
  1. しかしやっぱりクライペダことメーメルはドイツに返還を強要される。

ポーランド[編集 | ソースを編集]

  • 史実でもミュンヘン会談後にナチスがチェコのスデーデン地方を併合する際にといっしょになってチェコ領チェスキー・チェシーンをポーランド領に編入しており、1934年のドイツ・ポーランド不可侵条約締結から1938年10月のポーランド回廊提案までは友好的だった。
  1. ソ連の影響力が史実より強く、ポーランドで共産主義への脅威が高まり、保守層がファシズムを容認していた。
  2. 世界恐慌からドイツがいち早く立ち直ってるのを見て、ポーランド経済を立て直すため親独的な政策がとられた。
  3. ポーランド回廊提案を受け入れ、1939年の開戦を回避。
    • グディニャ港が史実以上に発展しており、ポーランドから見てダンツィヒ港の重要性は低下していた。
  4. ナチスの衛星国化はするが、ソ連との分割はまぬがれる。