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もしあの国鉄路線が廃止されていなかったら/西日本

  1. 芦原-三国港間は史実通り京福に移管されていた。
    • もしくは歴史的経緯から線路を共用する形になっていた。
      • この場合だと京福が衝突事故を起こして運行を休止した時にも、あわら湯のまち-三国港だけは列車が走っていた。
    • どのみち京福三国芦原線の東尋坊口方面への区間は廃止されていた。
  2. 金津-芦原間を電化しようにも、京福→えちぜん鉄道が直流600Vなので現在でも非電化のまま。
    • 現在ではキハ120が単行で芦原温泉と三国港を往復している。
    • 流石に600V電化の上で京福→えちぜん鉄道の車両しか走らない路線にはならないはず。永平寺線(東古市以北)が残っていたら経営移管されていたかもしれないけど。
      • 但し北陸新幹線開業後にはJR単独の区間が金津―芦原間だけになってしまうので、北陸本線の3セク移管と同時に経営移管を実行する案が急浮上していた可能性もなくはない。
  3. 金津駅は芦原温泉駅に改称されなかった。
    • JR化後「新芦原」駅に改称されていた。
  4. 芦原〜三国港間が京福に移管していた場合、同区間は私鉄と国鉄(JR)の共用区間である以上に、かつて国鉄だった私鉄(私鉄由来の三セク)路線に国鉄(JR)の列車が乗り入れるという全国的に極めて珍しい光景が見られることに。ただ実際は京福の三セク移管と同時に直通運転をやめて全列車が金津〜芦原間の折り返し運転になってそう。正直これだけでもサンダーバードでやってきた観光客をあわら温泉・東尋坊まで運ぶのに一役買えそう。
  5. 北陸新幹線は芦原駅を通っていたか・・・?

柳ヶ瀬線

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  1. キハ120による単行運行。
    • 電化エリアの関係で、管轄は金沢支社。
    • 小浜線非電化時代は共通運用もあった。
    • 敦賀地域鉄道部は忠実より早くから存在した。
    • 2003年以降は平日通学時間帯のみの運行に削減・縮小され、同時に極端なスピードダウンが実施される。
  2. 本線からの直通もなさそうなので、ラインカラーはグレーでICOCAも導入の話もなく放置。
  3. 2006年の本線敦賀以南の直流化の時に廃止されていた可能性も。
    • その時残ったとしても北陸新幹線敦賀延伸時に廃止される可能性がある。
  4. 新快速乗り入れが要望される。
    • 乗り入れるとしたら中ノ郷、良くて柳ヶ瀬までか。
  5. 北陸本線の支線という扱いになっていた。
  6. =敦賀までの直通運転を続行できていたら、である。(事実では、鳩原ループ開通時に、北陸線下り線に柳ヶ瀬線上下線を走らせるわけにいかなかったため、疋田-敦賀間でバス代行を行うも、それに伴い利用客が激減した。)
  7. 場合によっては敦賀-今庄の杉津経由の旧線も存続していたかもしれない(史実で北陸トンネル開通後、杉津経由の旧線が廃止されたのは、柳ケ瀬線が超赤字だったことも原因とされている)。

福知山線(塚口・尼崎港)

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尼崎
あまがさき Amagasaki
つかぐち
Tsukaguchi
きんらくじ
Kinrakuji
  1. 現在はもちろん電化されている。
  2. 運行は塚口~尼崎港間で、1時間に3本程度に増発されている。
  3. 現在もJR尼崎駅の西方に立体交差があり、尼崎港線専用のホームが設けられている。
    • あるいは尼崎港線のホームが現JR尼崎駅に並行する位置に移設されていた。
  4. 阪神本線との交点の近くに「JR大物」駅が新設されている。
  5. 湾岸地区の開発に伴い、松下PDPの工場まで延長されている。
  6. 2005/5の脱線事故が無かった。
    • つまりあの事故は廃止された尼崎港線の怨念だったのか…
    • 速度超過で分岐器進入&泣き別れで脱線していた。
  7. 尼崎臨時乗降場(3.の専用ホーム?)から本線の尼崎駅まで自由通路が建設される。
  8. 尼崎市を南北に移動する鉄道路線として重要な存在となっていた。
  9. 「西の南武線浜川崎支線」と呼ばれていた。
    • むしろ関西人なら、南武線支線を「東の福知山支線」と言いそう。
  10. 車両は和田岬線と共通運用か、または207系3~4両編成が使われている。
  11. もしかしたらJR東西線のルートに組み込まれていたかも。

播但線(姫路・飾磨港)

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  1. 姫路リバーシティ開業の時に大増発されていた。本数は1時間に2本。
    • 姫路港発の船に合わせたダイヤになっている。
  2. 姫路駅高架化の時に、山陽電鉄と路盤を交換していた。
  3. 山陽電鉄亀山駅の駅名は「山陽亀山」となっていた。
    • 当然、飾磨も「山陽飾磨」。
    • JR化後に播但線の亀山駅も「播磨亀山」もしくは「JR亀山」に改称されていた。
      • 三重県に亀山駅があるからいっそ「JR播磨亀山」なんて可能性も。
  4. 姫路~寺前間の電化時にこの区間も電化されていた。
    • その後、山陽電鉄との競合対策で一部の新快速の始発駅になる。
      • 山陽網干線から本線に乗り換えて神戸・大阪方面に向かっていた客がJR新快速に流れていた。
  5. 富山港線や吉備線と同様にLRT化が検討される。
福住
ふくずみ Fukuzumi

むらくも
Murakumo
  1. 電化され、「丹波路快速」やJR東西線直通の快速電車が直通している。
    • 丹波路快速は全便が篠山乗り入れ。半数が福住まで直通。
    • 線内完結の鈍行はサンパチが担当して最後の活躍線区となり、マニアの注目を浴びる。
    • 大阪-篠山には特急「デカンショ」も定期1往復、臨時1往復が運転されていた。
    • 本格開発はJRになってから…では競合路線もないから開発するのは謎。国鉄時代にちゃんと手入れされているのが前提。
    • 逆に篠山口、篠山まで4ドア車は乗り入れず、直通するのは丹波路快速だけだったかも。
    • 路線記号は大阪-福住は「G」、福知山-篠山口間は「L」、舞鶴線は「M」だった。
  2. 篠山駅は篠山市の中心部に移設される。
    • 現実には今一つ交通が不便な篠山の町が大阪から身近な観光地として一気に注目される。
    • 急カーブ+人口密集地ということで現実的ではない。
    • 実際の廃止当時は寒村だった沿線がやがて住宅地として発展し逆転現象が起こる。
    • 篠山町は平成の大合併を待たずして市制を施行していたかも。
      • 平成の大合併で周辺町村と合併し、その時点で「丹波篠山市」になっていたかも。
    • 恐らく丹波日置駅は黒岡駅になってたであろう
    • 逆に篠山の市街地が篠山駅近くまで広がっていた。篠山駅は観光地への玄関口として脚光を浴びていた。
  3. 間違いなく大阪近郊区間に含まれていた。
  4. 福住までの全区間が残っていたら福住駅近くにある小倉商事の保養所を訪れる鉄道マニアが増えていた。

鍛冶屋線

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中村町
なかむらまち Nakamura-machi
そがい
Sogai
かじや
Kajiya
  1. 加古川線と同時に電化される。
  2. 西脇市の玄関口は今も西脇駅。
    • 西脇市駅は現在も野村駅を名乗っている。
  3. 西脇市~谷川間は廃止されていた。
    • 阪神淡路大震災前に廃止されていた場合は震災直後の迂回輸送で播但線がパンクした危険がある。
  4. 加古川線は大阪近郊区間に含まれなかったかもしれない。
    • 福知山線の大阪近郊区間も篠山口までだった。
高砂
たかさご Takasago

たかさごきたぐち
Takasago-Kitaguchi
  1. 本数は1時間に2本。
  2. 山陽高砂・尾上の松の利用客数は現実より少ない。
    • 山陽電鉄の高砂駅はJRに「高砂」駅があったので「山陽高砂」が正式駅名となっていた。
      • JR化後に高砂北口駅が「JR高砂」に、高砂駅が「本高砂」に駅名改称されていた。
  3. 山陽電鉄は、高砂~神戸方面の客をいかにして(加古川でなく)明石で乗り換えさせるかを重要視する。
    • 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も史実よりも早く運転開始していたかもしれない。
  4. 高砂の中心アーケード街は、寂れてはいるものの照明は明るかった。
  5. 加古川線と同時に電化されていた。
  6. 場合によっては別府鉄道も残っていた。
  7. 路線記号は「J」。他の路線もずれる。
  8. 機関車、気動車用の高砂総合車両センターも存在していた…か。
    • 広大な土地を生かし、JR西日本全体の気動車客車を引き受ける基地となっていたかも。
      • その場合、トワイライトエクスプレスの客車や瑞風の所属基地となっている。
    • そのため加古川線や播但線は電化されなかった。
      • だが周辺自治体からはずっと電化しろという文章が送られてくるため2010年代電化されていた。
  1. 福知山線から直通していた。
    • 国鉄時代は大阪から気動車が直通していて、大阪-三田は篠山口発着の快速列車に併結運転していた。
    • 週末及び観光シーズンには臨時気動車急行「ありま」(大阪-三田は急行「丹波」に併結)も運行されていた。
      • 1975年の中国道開通後は利用者が激減したため大阪からの臨時急行の運行は1980年10月に廃止されていた。
      • 2000年代以降は有馬線利用の観光客を対象とした往復割引きっぷ「有馬温泉きっぷ」が発売されていた。特急「こうのとり」(新大阪・大阪・尼崎-三田間)の自由席も利用でき、有馬温泉地区の主要施設が割引で利用できるようになっていた。
  2. 113系が使われていた。
    • JR化後は221系による「有馬快速」(大阪-三田は丹波路快速に併結)が運行されていた。通勤時間帯には207系による東西線直通の快速も運行されていた。
    • 2010年代に入ると昼間の線内普通は223系6000番台2両編成に置き換えられた。
    • 場合によれば大和路線で使用されていた。221系の2両編成を転属してきて使用した可能性もある。
  3. その名前からして、「現存するのに『ありません(有馬線)』とはこれいかに」という具合に鉄道小咄に使われてる。
  4. 1986年の福知山線電化と同時に電化され、JR化後は列車の増発や大阪直通の拡充などで沿線は急速に大阪のベッドタウン化が進んで利用者が激増した。神戸三田アウトレットモール開業後はアクセスにも利用されていた。
    • その反面神鉄三田線は現実ほど利用客が増えず、公園都市線が乗り入れる横山~三田間を除くとローカル線のままだった。
      • 現実の粟生線志染以西と同レベルの運行状況になっている。
      • 岡場~田尾寺の複線化もなかった。
      • むしろ公園都市線はこちらにつながっていたかも(現実でも福知山線の線路移設計画はあった)。
  5. JR化後は大阪から有馬温泉へはJRを利用するのが常識になっていた。
    • 阪急バスの梅田~有馬温泉間の高速バスもなかった。
      • 1975年の中国道開通で梅田発着の高速バスは史実同様に設定されていた。特に1976年の国鉄運賃値上げから1986年の電化までの間(国鉄時代末期)は対大阪での輸送はむしろ高速バスに完敗していた。
      • JR高速バス「有馬エクスプレス号」は当然ながら設定されなかった。
  6. 神戸電鉄の有馬口駅は唐櫃駅のままだった(こちらの有馬線にも有馬口駅があったため)。
    • その場合、隣の唐櫃台駅は別の駅名を名乗っていた可能性が高い。
  7. 国鉄→JRの有馬駅が存続しているため、ミントリゾートインというホテルは別の場所に建設されていた。また、有馬駅舎はJR化後に建て替えられ、足湯などの観光施設も併設されていた。
    • JR化後に駅名も「JR有馬温泉」駅に改称されていた。
      • 場合によっては駅を神鉄有馬温泉駅により近い場所に移転し、同時に駅名も「JR有馬温泉」となっていた。
  8. 兵庫県道98号有馬山口線バイパスの建設にあたっては一部区間でトンネルを掘って対応していたかもしれない(史実では旧有馬線の路盤を転用しているが)。
大社
たいしゃ Taisha

あらかや
Arakaya
  1. 電化されて岡山から特急「やくも」が乗り入れていた。
    • 東京から寝台特急「出雲」も来るはず。車両は現実の285系だろうけど。
      • サンライズエクスプレスも大社まで乗り入れる
        • WESTEXPRESS銀河の山陰ルートの発着駅も大社駅だった。
    • 特急はさすがに途中駅無停車か。
  2. 逆に一畑電車出雲大社線が廃止になっていた。
    • こっちのほうが大社に近いからどっこいどっこいでは。
      • 確かに大社駅より出雲大社前駅の方が出雲大社までの距離は近いけど、ばたでんは遠回りだし基本乗換えが必要になるし運賃も高いからかなり厳しい状況になりそう。やくもやサンライズでやってきた観光客は皆大社線を使うだろうし尚更。
  3. 「出雲大社口」の駅名問題は起こらなかった。
    • 大社駅舎が重文から国宝になってたかも。
    • 実際に大社駅舎は重文になっている。
    • 「大社」駅は観光客にわかりやすくするために「出雲大社」駅に駅名が変更されていた。
      • あえてそのままになっていた気がする。
      • こっちが「出雲大社口」を名乗っていたかも。
  4. 通常ダイヤに加えて「10月ダイヤ」ができる。
    • JR西日本米子支社により「神在月ダイヤ」と命名される。
  5. 出雲大社の正式名称が「いずもおおやしろ」であることから、読みを「たいしゃせん」から「おおやしろせん」に変更する要望が出る。
    • 大社駅を出雲大社(いずもおおやしろ)駅にする要望も。(出雲大社前駅とややこしいか?)
  6. 車両基地も多分この沿線に出来ている。
    • 西出雲駅は電化されなかった。
  7. 大社駅は史実通り重要文化財に指定されている。
    • 現役の駅であることから史実以上に人気が高かった。
    • しかし、実際の出雲大社からはやや遠いのでバスが出ていた(あえて歩く人も少なくなさそうだが)。
    • 「瑞風」登場時点で大規模整備された可能性も。
  8. ここにもキハ120系が導入されていた。
    • 電化されていた場合、やくもやサンライズが電車なのは勿論だが、普通は気動車が多くなりそう。伯備線直通の普通は電車だろうけど。
  9. 路線記号は「E」で木次線は「F」になる。
    • (浜坂~)米子~出雲市~大社が「A」で、出雲市~益田が「D」になるというパターンも。
宇品
うじな Ujina

しもたんな
Shimo-Tanna
  1. 電化されている。
  2. 富山ライトレールのようになっていた。
    • おそらく、営業が行き詰ったら広島電鉄に買い取ってもらい、宇品への第2ルートとしていた。
  3. マツダスタジアムへのアクセス駅ができていた。
    • 駅名は「球場前」か?
    • この場合山陽線からの直通電車が運転されることも考えられる。
    • そもそもマツダスタジアムは別の場所にできていたかもしれない。できたとしたら安芸愛宕駅を移転して「球場前」に改称かな。
  4. 國鐵廣島の路線だった。
    • 電化されていた場合、末期色の車両が日常的に走っていた。
    • 非電化だったら朱色のディーゼルカーが運用されていた。
  5. 「山陽本線・可部線との直通運転を行うべきだ」という提言が出る。
    • しかし実現には広島駅構内の改修工事が必要なので実現の見込みは皆無。
    • どの道サティやマツダスタジアムが出来たので、黒字には転換できたかもしれない。
  6. 松山まで国鉄の連絡船があれば残っていた可能性が高い。
  7. 宇野駅と混同されないよう宇品駅の「広島港」駅への改称が検討される。山陽新幹線全通後も松山連絡の為東京-宇品(広島港)の寝台特急が運行される。これが「安芸」を名乗るか
山守
やまもり Yamamori

たいきゅうじ
Taikyuji
  1. 鳥取からの直通列車がある。
    • その場合は米子への直通列車もあっただろう。どっちが多いかは分からないが。
  2. 山守まで残っているかどうか・・・
    • 特急乗り入れと引き換えに打吹以南廃止。
  3. 関金温泉の観光客が多く利用している。
  4. 特急「スーパーはくと」も乗り入れている。
    • それに伴い路盤や線路の改良も行われていた。
  5. 打吹駅が「本倉吉」駅に改称されていた。
  6. 路線記号は「C」で境線と山陰線安来~益田、木次線はずれる。

可部線(可部・三段峡)

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河戸
こうど Kōdo
かべ
Kabe
いまいだ
Imaida
  1. 三段峡が大河原に改称され、三段峡の手前まで線路が延びる。
    • 大河原駅はJRで全国に3駅(残りの2つは関西本線東北本線にある)あることになっていた。このため切符には「(可)大河原」と印字されるようになっていた。
    • 「安芸大河原」かもよ。
  2. 三段峡行きの観光列車が増発されて、一気にクロになる。
  3. 周遊きっぷに加わる。
  4. 河戸まで電化されている。
    • 可部駅から旧河戸駅の少し先までの1.6キロが電化復活正式決定。河戸駅までの間に中間駅1つが新設で2015年開業予定だと。
    • もしかしたら一部電車が可部発着で残っていた。
  5. 北広島町が芸北までの延長を要望している。
    • そもそも北広島町と安芸太田町が誕生しなかった可能性がある。
      • 山県郡全町村が合併して「安芸太田市」あるいは「山県町」が誕生していたかもしれない。
  6. ICOCAのエリアには入っていない。
    • 河戸までは電化開業時に入ったのでは。
  7. 特定都区市内の広島市内に安野、水内駅が追加されていた。
  8. 「あの問題」が発覚してから加計駅が何かと注目されていた。
    • 「風評被害だ」と反発される。
  9. あき亀山駅、河戸帆待川駅は存在しない。
    • 可部~河戸~今井田間に駅ができるにしても、少なくとも「安芸亀山」ではなかった。
    • 現実のあき亀山駅は河戸駅の移転扱いされていた。
  10. 河戸駅以北にラインカラーは設定されない。
  11. おニャン子クラブファン大喜び。