もしあの鉄道が国有化されていたら/西日本
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買収時期は富山港線(1943年6月1日買収)と同時期を想定。買収対象は、本線(富山~宇奈月温泉)、立山線(寺田~粟巣野)、不二越線・上滝線(稲荷町~岩峅寺)、射水線(新富山~新湊)、加越線(石動~庄川町)。
- 西滑川~魚津間は、買収後すぐに北陸本線に取り込まれる。よって、この区間の北陸本線はさほど労せずして複線電化(直流)される。
- 買収前提ならそもそも開業しなかった。
- 魚津~三日市(現在の黒部駅)間は、北陸本線のルートを旧地鉄線(石田経由)に変更。三日市駅は旧地鉄線との交差地点に移設され、元の北陸本線側の魚津~三日市間は廃止。
- 残った区間は、富山~上市~西滑川間が「上市線」、三日市~宇奈月温泉間が「宇奈月線」となる。
- 歴史的経緯を考えると富山~上市が「富山線」、滑川~上市~立山が「立山線」、黒部~宇奈月温泉が「黒部線」になっていた。
- 中心街に面する「中滑川」「電鉄魚津」両駅をそれぞれ「滑川」「魚津」に改称、代表駅をこちらに移動させたかも。
- その場合、元の「滑川」「魚津」は「東滑川」「東魚津」となり、優等列車は停まらなくなる。
- 電鉄魚津ステーションデパートは建設されない。
- 北陸本線全線電化の際、西滑川~黒部間が既に直流電化されていることが考慮され、黒部以東も全て直流電化となる。
- 富山~水橋~西滑川間は富山操車場があるため交流電化か。デッドセクションは水橋~西滑川間に設けられる。
- 現実の北陸本線東滑川駅は、存在していない(越中中村駅がすぐそばにあるため)。
- 上市駅のスイッチバックは、解消されていた。
- 普通列車は、富山から直江津や宇奈月方面への列車は全て上市経由となる(直流電車だけでまかなえるため)。車両は115系電車を使用。
- 水橋経由は、金沢方面からの滑川or魚津行列車が1時間に1本程度走るだけ(交直両用電車が必要なため)。但し、特急、急行及び貨物列車は全て水橋経由。
- ちょうど長崎本線の諫早~浦上間のような感じになっていた。
- 水橋経由は、金沢方面からの滑川or魚津行列車が1時間に1本程度走るだけ(交直両用電車が必要なため)。但し、特急、急行及び貨物列車は全て水橋経由。
- 黒部峡谷鉄道の運転期間中は、「サンダーバード」富山編成のうち2、3往復程度が3両編成で宇奈月温泉に乗り入れている(オフシーズンは黒部止)。
- 681系、683系は3連ユニットばかりが製造された(6両を富山で更に3両に分割する必要があるため)。
- もしかしたら北陸新幹線の金沢延伸後に「能登かがり火」同様に新しい特急列車が誕生していたかも。
- 史実の富山地方鉄道の「うなづき」辺りか?
- 北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅は「新黒部」を名乗っていた。
- 買収当時は、富山から粟巣野までは上滝経由で運転されていた。よって、現実の不二越線・上滝線と立山線岩峅寺~粟巣野間が「立山線」、寺田~岩峅寺間が「五百石線」となる。
- いや旧立山鉄道の名残で寺田~五百石が開業せず上市から岩峅寺(~立山)が立山線。
- 立山開発鉄道が戦後に建設した粟巣野~千寿ヶ原(現在の立山駅)は、立山開発鉄道のままだったかも(国鉄が立山開発鉄道に直通乗り入れ)。
- その場合、立山開発鉄道独自の特急、急行料金が設定されていた。
- 富山地鉄が立山開発鉄道を傘下に収めたうえで、立山の観光開発の足掛かりとして確保しようとしたため。
- 当然利用客からの評判は悪い(1駅間だけボラれるので)。
- あるいは岩峅寺~粟巣野間は、富山県営鉄道(→日本発送電)のまま戦後立山開発鉄道に吸収。地鉄の存在自体が怪しいと関西電力系の会社になっていたか。
- こちらも「サンダーバード」富山編成の昼間のダイヤの2時間に1本程度が、3両編成で立山まで乗り入れ。「しらさぎ」「ワイドビューひだ」の直通もある。
- こちらはスキー需要もあるので通年乗り入れ。
- こちらも北陸新幹線の金沢延伸後に新しい特急列車が設定され、「たてやま」辺りになっているか。
- 立山行列車が上滝経由のままの場合、「五百石線」(寺田~岩峅寺)はローカル化が進み、国鉄末期に廃止対象路線に指定されてしまう。
- 第三セクター「たてやま鉄道」として再出発するが、富山に直通していないこともあり苦戦。
- 立山行列車が五百石経由に変更されていた場合、「立山線」「五百石線」とも廃止基準はクリア。
- が、ローカル列車のみとなった上滝経由線は富山市の通勤圏として宅地化が進むもJRのダイヤが十分対応できず、稲荷町~岩峅寺間は富山港線と同時期に富山ライトレールに移管。
- 南富山~岩峅寺間は富山市内軌道線と直通乗り入れ。車両は「ポートラム」と同タイプのLRVが使用される。
- が、ローカル列車のみとなった上滝経由線は富山市の通勤圏として宅地化が進むもJRのダイヤが十分対応できず、稲荷町~岩峅寺間は富山港線と同時期に富山ライトレールに移管。
| 新港東口 | ||
| しんこうひがしぐち Shinkō Higashiguchi | ||
| ほりおか Horioka |
→ | |
- 買収後、国鉄富山駅まで路線延長。新富山駅は廃止。
- 新湊にて国鉄新湊線に接続。新湊線は、高岡軌道線への旅客輸送移譲は行われず、今も旅客列車が走っている。
- 但し、新湊線は非電化のため、直通運転は行われず、新湊乗換となる。
- 富山新港建設による路線分断により、新港東口~越ノ潟間に国鉄により連絡船が運航される。名前は「富山新港連絡船」。
- 但し、赤字続きのため国鉄末期に廃止、結局県営の渡し船になった。
- 分断後、越ノ潟~新湊間は新湊線に統合、新湊線に合わせて非電化に戻されてしまう。
- 分断後の射水線は輸送密度が3,000人程に下がってしまい、国鉄末期に第三次廃止対象路線に指定されてしまう。
- 一旦第三セクター「富山湾鉄道」として再スタートするが、富山港線の富山ライトレール移管時に富山ライトレールに合併され、LRVによる運転となる。
- 新湊線も旅客は少ないが、現実同様貨物の輸送量のおかげで幹線扱いとなったため存続、JR線に。
- ただ旅客列車は氷見線レベルかそれより少し劣る本数で、現実よりも不便。
- 鉄道が不便なため、新湊市(→射水市)は現実以上にコミュニティバスに力を入れていた。
- 国鉄末期に廃止対象路線に指定、第三セクター「庄川鉄道」として再スタート。
- が、城端線と違って流動にあまり即していないため、苦戦。全線または石動~福野間のみが廃止されていたかも。
- 買収前提なら高山本線の笹津~富山間は開業しなかった。
- 神岡軌道(東)猪谷~笹津まで国鉄線になったかは微妙。
- 上滝線がLRT化した後は現実の不二越線と運用が一体化。
- 富山地方鉄道は残った富山市内軌道線と、県内全域の路線バスのみの会社として存続。
- 名前も「富山交通」とかになっているのでは?
- むしろ富山市営軌道のままで北陸唯一の公営の路面電車になっていた。
- 戦後、笹津線を復活させて鉄道線に再参入。南富山~富山駅前間で富山市内軌道線に直通乗り入れ。
- 鉄道線はこれしかないので、現実よりも廃止まで粘ったかも。場合によっては今も存続していて、昨今の富山市の公共交通見直しの動きにうまく乗っかっている。
- 射水線がないので高岡軌道線は建設されず、万葉線も実在しない。加越能鉄道という会社も誕生しなかったかも。
- 立山黒部アルペンルートのバスやケーブルカーなどを運営する「立山黒部貫光」は関西電力の子会社となっていた。
- 買収区間は、新西金沢~鶴来~白山下間。白菊町~野町~新西金沢間は北陸鉄道に残され、金沢市内軌道線に取り込まれる。
- 線名は、石川線・金名線を一体化して「白山線」となる。あるいは「鶴来線」かも。
- 国鉄の手で越前大野までの延長が計画されるが、実現はしなかっただろう。
- 樽見線とつなげて大垣~金沢を直結させようとしていた。
- ただ、特定地方交通線入りは免れなかった。鶴来~白山下の過疎区間が輸送密度を下げてしまうため。
- 生き残ってJR線となった場合、90年代のスキーバブル期に、京阪神から白山下までスキー列車「シュプール白山」が運転された(西金沢でスイッチバック)。
- 全線電化(直流)されているので、車両は485系か583系が使用されたかも。
- 新西金沢駅は西金沢駅に吸収合併された。
- この線に既に野々市駅があったため、北陸本線の駅は「野々市」ではなく「北野々市」か「新野々市」駅となった。
- 松金線の野々市~松任間も取り込んでいれば「野々市」ではなく「御経塚」か「二日市」という駅名になるかも。
- 松金線は駅間が短いので野々市~野町間は金沢市内軌道線と一体化。国有化された場合野々市~松任の駅が削減される。
- 松金線の野々市~松任間も取り込んでいれば「野々市」ではなく「御経塚」か「二日市」という駅名になるかも。
- 線名はそのまま「能美線」。
- 国鉄末期に特定地方交通線入りし、第三セクター「能美鉄道」となった。
- 線名は、大聖寺~山中が「山中線」、河南~粟津温泉~粟津が「粟津線」、宇和野~動橋~片山津が「片山津線」?
- 北陸本線の特急停車駅は、作見駅(現:加賀温泉駅)ではなく、大聖寺駅に整理された。
- 作見駅は改称されることなく、現在は無人駅になっている。
- むしろ大聖寺駅が「加賀市駅」に改称されていた可能性も。加賀市役所や加賀市中心部の最寄駅だから。
- ただ、北陸新幹線の駅は史実通り作見駅に建設され、新幹線開業後は史実と同じ「加賀温泉」かもしくは「新加賀」を名乗る。
- 大聖寺から山中、片山津(動橋経由)、粟津温泉(山代経由)まで特急接続の普通列車を運転。
- 1965年~1982年には大阪直通の475系急行の付属編成が大聖寺駅(加賀市駅?)で分割されて加南線に乗り入れ、片山津・粟津温泉まで直通していたが、1982年急行の特急格上げに伴い廃止。
- 国鉄末期〜JR初期に485系の3両編成(クモハ485含む)が登場して、特急「雷鳥」による直通が実現する。
- 21世紀には681・683系「サンダーバード」に置き換わるが、2024年の北陸新幹線敦賀延伸で廃止される。
- 国鉄末期〜JR初期に485系の3両編成(クモハ485含む)が登場して、特急「雷鳥」による直通が実現する。
- 1965年~1982年には大阪直通の475系急行の付属編成が大聖寺駅(加賀市駅?)で分割されて加南線に乗り入れ、片山津・粟津温泉まで直通していたが、1982年急行の特急格上げに伴い廃止。
- 作見駅は改称されることなく、現在は無人駅になっている。
- 買収後、中橋~金沢間を延長、金沢駅に乗り入れを果たす。
- 金沢市の郊外の住宅地を走るので、通勤・通学に結構利用され、特定地方交通線入りは免れた可能性も。
- 終点が港(金沢新港)なので、旅客が振るわなくても、新湊線のように貨物の輸送量だけで幹線入りし、存続できたかも。
| 三明 | ||
| さんみょう Sanmyo | ||
| のうみ Noumi |
→ | |
- 線名は「西能登線」か。
- 輪島を目指して延長工事が行われるが、富来町辺りで力尽きる。
- 急行「能登路」が一部乗り入れていたかもしれない。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定。
- 廃止されてもおかしくない状況だったが、原発交付金が見込めた志賀町が尽力し、第三セクター「能登金剛鉄道」となる。
- 当然、北陸電力も資本参加。
- 最終的に国鉄能登線+七尾線(電化区間含む)もここの路線に収まる。
- 廃止されてもおかしくない状況だったが、原発交付金が見込めた志賀町が尽力し、第三セクター「能登金剛鉄道」となる。
- 七尾線経由で金沢駅まで直通。
| 内灘 | ||
| うちなだ Uchinada | ||
| あわがさき Awagasaki |
→ | |
- 北鉄金沢駅と金沢駅は統合。
- 現実に浅野川線が北陸鉄道に合流したのは戦後なので、浅野川電気鉄道として買収された可能性が高い。
- 流石に駅間距離が短すぎるので駅は幾つか減らされたかも。
- JR化後、JR西よりライトレール化の提案がなされる。
- が、富山市の真似をする(風下に立つ)のを潔しとしない金沢市が見事にスルー。
- 北陸鉄道は残った上記の白菊町~野町~新西金沢間と金沢市内軌道線、路線県内全域の路線バスのみの会社として存続。
- 現実同様S30年代に労使紛争に見舞われ、経営立て直しのために金沢市内軌道線を全廃、鉄道のない会社となる。
- これにより社名を「北陸バス」に変更したかも(「北陸交通」は既に存在したらしいので)。
- 戦時中の配電統制令による会社解散時に、鉄道部門を国鉄が買い取ることに。但し、買収対象は福井県側(福井~大野三番)のみ。
- 嵐山線は軌道線だし、叡山線は離れ小島なので国鉄が所有する意味がないため。
- 現実の越美北線の南福井~越前大野間は、建設されない。
- 一乗谷に鉄道が通らず、福井市街からのアクセス手段はバスだけになる。
- 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館は、もっと復元街並に近い場所に建てられた。
- 一乗谷に鉄道が通らず、福井市街からのアクセス手段はバスだけになる。
- 上の建設費が越美線の九頭竜湖~北濃間に回るため、越美線は国鉄時代に全通していた。
- その場合、急行「おくみの」は福井行きの列車となる。当然越美線内も急行運転化。
- 越美線内の停車駅は、美濃関、美濃市、郡上八幡、美濃白鳥、九頭竜湖、越前大野(大野三番から改称)、勝山、東古市、松岡あたりか。
- 全通後の越美線は、輸送密度的にはアウトだったと思われるが、冬季の道路事情を理由に廃止対象路線入りを免れ、JRに引き継がれている。
- JRの会社境界は、越前大野を境に西側がJR西日本、東側がJR東海となっていた。
- 福井~越前大野間が直流電化されていることが、考慮されたため。
- その場合、急行「おくみの」は福井行きの列車となる。当然越美線内も急行運転化。
- 京都電燈の鉄道事業の継承会社は、福井県内に基盤を持たなくなるため、社名は「京福」ではなく、「京都電気鉄道」となった。
- 北陸本線が交流電化された際に、列車運用の関係から交流に変更されていた。
- 富山港線や仙石線を思うと、独立線区として残り、72系→交直流車投入の可能性の方が大。
- 南海11001系は1973年の昇圧時に全車冷房化・電気機器交換が施されて1000系に改造され、譲渡されることなく1987年まで南海本線で活躍していた。貫通型の車両は全車中間T車に改造されていた。
- 北陸線の直流電化化は米原~敦賀間でなく、福井までとなった可能性も。
- 富山港線や仙石線を思うと、独立線区として残り、72系→交直流車投入の可能性の方が大。
- 京都電燈の福井~大野三番間も買収されていた場合、国鉄時代に大阪や米原から松岡経由永平寺行の急行列車が運転されていた。
- 単独買収だった場合は、ただのローカル線。
- 流石に単独買収はありえず、永平寺鉄道との同時買収となる。
- 三国芦原電鉄を買収しなかった場合、西長田~丸岡間は買収時に廃止されていたかも。
- 買収後、芦原~三国間は国鉄三国線を統合し、福井口~三国港間が「国鉄三国芦原線」となる。
- 元の三国線は史実同様金津~芦原間に短縮(この区間だけ非電化で性格が異なるため)。線名も金津線に変わったかも。
- 北陸本線とほぼ並行状態で中間に大きな街もないため、下手すると戦争末期に福井口~芦原間が休止(金属供出)の憂き目に遭ったかも。
- 戦後も復活しなかった場合、その跡地を使って福井鉄道が田原町から新田塚まで軌道線として進出。
- 残った芦原~三国港間は芦原~金津に合わせて一旦非電化になるが、戦後すぐに金津まで含めて直流で再電化されたかも。
- 特に永平寺鉄道を買収していた場合は、その可能性が強い。その場合三国港~永平寺間の直通運転が行われていた。
- 現実の芦原温泉駅は未だに金津駅のままで、昭和50年代に芦原駅が「芦原温泉」駅に改称される。
- 北陸新幹線の駅は金津に建設されるが、駅名は平仮名で「あわら温泉」となり、「芦原温泉」に改称された旧芦原駅の方は新幹線開業後、「あわら湯のまち」と再度改称される。
- 武生で北陸本線と乗り入れて敦賀まで列車が運転されていた。
- 岡本新以遠はスイッチバックがネックとなり廃止されていた。
- 北陸新幹線の越前たけふ駅は当路線との交点に設けられた。
- 赤穂線が建設されなかった。
- 赤穂鉄道の廃止は史実より遅れていた。
- あるいは山陽電鉄が網干から相生、赤穂を経て岡山まで延伸されていた。
- 西大寺と赤穂が繁栄している限り現実通りに赤穂線ができていたのでは。
- 「JR片上線」になっていた。
- あるいは下記の延伸構想を加味して「備作線」と改称されるかも。
- キハ120によるワンマン運転。
- 国鉄時代にはキハ45系あたりが走っていた。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定されて廃止されていたかも。
- おそらく貨物の大幅縮小により命脈を絶たれ平成になる直前に廃止か。
- 国有化後に林野経由で大原までの延伸が計画されるが実現する可能性は低い。
- おそらく戦時買収で国有化されていた。
- 路線名は「島根線」か「松雲線」になっていた。
- 「北宍道線」なんてどう?
- 戦後に鉄建公団が作った路線ならともかく戦前・戦中では考えにくい。
- 「北宍道線」なんてどう?
- 国有化と同時に小境灘~一畑間が廃止された。
- それでもスイッチバックは解消されない。
- 当然ながら北松江~松江間が建設され松江側でも山陰本線と接続している。
- この場合、1982年電化時の山陰本線の電化区間は伯耆大山~松江間のみにしたかも(国鉄の財政難による工事費節約のため)。
- 「やくも」は松江~出雲市間で、既に直流電化されていた旧一畑線に乗り入れるかたちとなる。
- この場合、1982年電化時の山陰本線の電化区間は伯耆大山~松江間のみにしたかも(国鉄の財政難による工事費節約のため)。
- 川跡~大社神門間は「大社支線」になっていた。
- 広瀬線、立久恵線は独立したまま史実と同じような時期に廃止された。
- 私鉄時代の車両が1960年代まで使われていた。
- その後は旧型国電の墓場となった。
- 現在は115系が使われている。
- 史実の「国鉄大社線」は一体どのような運命をたどったことか…。
- 現実の一畑電鉄大社線の方が廃止されていたかもしれない。
- 雲州平田駅は「出雲平田」駅に改称されていた。
- 古江駅が「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」駅に改称されることは、絶対にない。
- 何らかの理由で3セク化されてしまった場合は十分ありえるが。
- そもそも鹿児島県の古江駅(旧大隅線)との兼ね合いで国有化時に「出雲古江」に改名されていた。
- 当然ながら買収と同時に1067ミリに改軌。
- 線名は「下津井線」になっていた。
- 仮に史実では未成線に終わった茶屋町~倉敷間が開業していた場合その区間のみ分離され両備線と名乗っていた。
- 両備線は優遇される一方下津井線は瀬戸大橋建設まで冷遇されていた。
- 仮に史実では未成線に終わった茶屋町~倉敷間が開業していた場合その区間のみ分離され両備線と名乗っていた。
- 宇野線と同時に電化された。
- 本四備讃線は児島~宇多津間の路線になっていた。
- 茶屋町~児島間は高速化のためルート変更などが行われている。
- その一方児島~下津井間は放置状態。
- 下津井や鷲羽山を訪れる観光客の数が増えていた。
- それでも準急→急行「鷲羽」はこの路線に乗り入れてくれなかった。
- 街並みが変に開発され魅力が損なわれていた恐れもある。
- 国鉄時代に宇高航路救済のために、下津井~丸亀間に国鉄により「下丸(かがん)連絡船」が運航されたかも。
- ただ、仁堀航路のようなマイナー航路になってしまい、国鉄末期に赤字のため廃止。
- 残ったバス会社の社名は「下電バス」になっていた。
- 電化は戦後のことなので「下津井バス」だったのでは。
- 両備鉄道(現福塩線)と同時に国有化。
- 同時に改軌・電化も行われた。
- 運転系統上は福塩線と一体化されている。
- 現在の福山駅の構造は史実と大幅に異なっていた。
- 確実に駅の統廃合が行われていた。
- おそらく昭和のうちに廃止されている。
- 奇跡的に現在まで生き延びていた場合は「崖の上のポニョ」塗装の電車が走っていた。
- 鞆駅の駅スタンプには常夜燈と保命酒の入れ物があしらわれていた。
- 改正鉄道敷設法別表第91号による買収。
- 特定地方交通線に指定されて廃止か3セク化されていた。
- 三江北線の代わりに浜原まで延伸されていた可能性も否定できない。
- 立久恵峡だけでなく三瓶山の麓も通るので観光路線として一時期まではにぎわっていた。
- その代わり江津から伸びていた路線(史実の三江北線)は赤字83線あたりで消えていた。
- 買収直後に堀から徳佐へ延伸される。
- 防府から三田尻中関港への臨港線が建設される。
- 山口線の勾配緩和路線として機関車牽引時代は重宝される。
- 気動車の普及で赤字に転落、特定地方交通線に指定され廃止、もしくは3セク化されていた。
- 「最終試験くじら」に登場している。これを客寄せに利用しようと痛気動車を走らせる。
- 両備鉄道(史実の福塩線福山-府中)の代わりに買収される。
- 買収されなかった両備鉄道は地味なローカル私鉄として現存している。
- 両備鉄道だけに両備グループに入っていそう。
- 買収されなかった両備鉄道は地味なローカル私鉄として現存している。
- 当初の線名は「尾塩南線」。
- 後に上下まで延伸され「尾塩線」の一部になる。
- この場合電化区間と非電化区間の境目は上下駅。
- ルート次第では世羅町の中心部に鉄道が通っていた。
- 市駅は後に「御調」に改称されたかもしれない。
- 福山発着の列車も多そう。
- 一部の線形の悪い区間は戦後に改良される。
- 新幹線駅設置後に栗原駅は「新尾道」と名乗る。