もしあの鉄道路線が廃止されていなかったら/海外
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アジア[編集 | ソースを編集]
泰緬鉄道(タイ・ミャンマー)[編集 | ソースを編集]
第2次大戦中に日本軍がタイとビルマを繋ぐために建設した鉄道だが終戦後すぐイギリス軍によりかなりの部分が撤去された。
- 建設の模様は映画『戦場にかける橋』の題材になった。
- Wikipediaの記事
- 関連項目:もし日本が太平洋戦争で勝っていたら/戦勝日本の戦後/鉄道#泰緬鉄道
- 負の遺産として世界遺産にされている。
- 「東南アジアの架け橋」「日本が東南アジアに残したもの」として教科書に載るかも(但し左翼の圧力で日本には真実が伝わらず)。
- 「つくる会」系の教科書なら普通に載せている。
- なぜか韓国が「戦争犯罪として謝罪と賠償を云々」と言い出す。
- おそらく「日本人将校が汚れ役をもっぱら朝鮮人兵士に押し付けた」という感じの主張がなされる。
- 「東南アジアの架け橋」「日本が東南アジアに残したもの」として教科書に載るかも(但し左翼の圧力で日本には真実が伝わらず)。
- マラッカ海峡を通る船は現在より少なかった。
- ミャンマーのクーデター等で国境部分は閉鎖されるが、民主化後に復旧。
- 21世紀になって高速化が図られる。
- 日本のODAで行われていたら戦後補償としての側面も持たされている。
- 国境近くの史実でダムが建設された付近ではかなり早い時期に長大トンネルが続く新線が開業している。
- クエー川にかかる橋は、実史では観光地になって気軽に橋上を歩けるが、この場合は観光地ではあっても高速の旅客や貨物列車が走るため橋の上には行けないだろう。
- 代わりに観光列車が運行されているか(史実でもトロッコ列車が運行されている)。
金剛山電気鉄道(韓国・北朝鮮)[編集 | ソースを編集]
昭和初期に朝鮮有数の景勝地だった金剛山へのアクセス鉄道として開業したが朝鮮戦争により沿線が韓国と北朝鮮に分断されてしまったため廃止。
- 軍事境界線にかかる区間はさすがに残っていない。
- 韓国側は長く軍人しか乗れなかったが、最近は戦跡めぐりのツアー列車も乗り入れるようになった。
- 電化設備は復旧時に撤去されている気がする。
- この路線との接続のため京元線はもともとの鉄原経由で復旧されていた。
- 北朝鮮側は孤立路線になってしまうため山岳地帯を貫いて他の路線と無理やりつないでいた。
- 「偉大なる将軍様の卓越した指導による人民と主体思想の偉大な勝利」としてプロパガンダに多用された。
- 接続部分(内金剛-金剛山青年?)の開業時には記念切手も発売された。
- 金剛山という土地柄故外国人旅行客の利用も認められている。
- さすがに北側は廃止じゃなかろうか?
- 「偉大なる将軍様の卓越した指導による人民と主体思想の偉大な勝利」としてプロパガンダに多用された。
- いわゆる「南北分断路線」の中では最も復活の気配が薄い。
- 統一後は観光需要がかなり増大すると思われる。
- 金剛山自体もあるが、軍事境界線跡も観光地化されそう。
上海市電(中国)[編集 | ソースを編集]
清朝末期に開業し中国最大の都市の足として活躍したが老朽化やモータリゼーションにより1975年に全線廃止。
- 2010年に開業した「張江有軌電車」とは別物。
- 参考
- 中ソ対立が表面化するまでに近代化できていたら…。
- 1971年ごろの電車の写真を見ると戦前製と思しきかなりボロボロの車両が使われていた。
- 改革解放後は西側製の電車も導入。
- 規模次第では日本の車両メーカーにとって重要なお得意さんになっていた。
- それでも地下鉄開業に伴ってかなり路線が縮小した。
- 2010年の万博の際には会場内を電車が走った。
- その路線は万博終了後も存続。
- 香港並みに全面広告車が多い路線になっていた。
- 一部路線が現実の張江有軌電車と同じゴムタイヤを使った方式に変更されている。
スマトラ横断鉄道(インドネシア)[編集 | ソースを編集]
泰緬鉄道同様日本軍の強制労働で建設され、終戦日の1945年8月15日に開通したが、インドネシア独立後数年で使われなくなった。
- 泰緬鉄道とセットで世界遺産にされている。
- 日本のODAでメダン・パダン・パレンバンといったスマトラ島の大きな都市と接続させていた。
- パダン以外の都市とはかなり距離があるのでODAだけでは厳しい気がする。
- 電化はされない。
- 日本の中古客車やDL・DCがここで再活躍したかも。
マニラ市電(フィリピン)[編集 | ソースを編集]
- 第二次大戦で被害が大きくそのまま廃止された。
パークナーム鉄道(タイ)[編集 | ソースを編集]
- タイ最初の鉄道であったが1960年に廃止。
サイゴン市電(ベトナム)[編集 | ソースを編集]
- ベトナム初の鉄道だった。
- ドイモイでメーターゲージから標準軌への改軌などの改良や郊外部への延長が実施された。
- 主に西欧メーカー製のLRVを導入するためといわれた。
ソウル市電(韓国)[編集 | ソースを編集]
- 老朽化や自動車普及などの理由で上海市電の約7年前に全廃。
- 地下鉄に置き換わる路線があったが郊外部に延長される。
バンコク市電(タイ)[編集 | ソースを編集]
- 老朽化や自動車普及などの理由でソウル市電と同年に全廃。
- 1990年代まで郊外への延長で辛うじて生き延びる状態だった。
ヨーロッパ[編集 | ソースを編集]
ブライトン・アンド・ロッティングディーン・シーショアー電気鉄道(イギリス)[編集 | ソースを編集]
世界で唯一海中に線路を敷き櫓型の電車を運行した。
- 現在はギネス認定で多くの人が訪れるも台風の度に長期運休を繰り返していた。
- イギリスにハリケーンが来ることはほとんどないのでそこまで運休の頻度が高くなることはなかったかもしれない。
- 余りに費用がかさむので純粋な観光用として公営化されていた。
- ドイツ軍による攻撃の危険もあり第2次大戦中には完全に休止状態だった。
- ブライトンを代表する観光名所となっていた。
- いわゆる「大英帝国」の一部だったインドやオーストラリアにも似たような路線が建設された。
- おそらく現在はほとんど廃止されている。
- 日本でも湘南あたりで同じ方式の導入が検討されるが免許が下りなかった。
- 各種フィクションでこの鉄道の影響を受けたと思われる奇抜な海上鉄道が描かれていた。
- ONE PIECEの海列車もここをモデルにしていた。
プティト・サンチュール(フランス)[編集 | ソースを編集]
パリ市街地の外周を囲み市内の各ターミナル駅から出る路線同士をつなぐ役割も果たす環状線だったがメトロの開通や貨物輸送の衰退により廃止。
- 史実では第2次大戦前に一度廃止された旅客輸送が戦後に交通渋滞対策として復活している。
- 現実同様SLなどの復活運転にも用いられている。
- 在留邦人に「パリの山手線」と呼ばれることもある。
- 日本人向けの旅行ガイドでは「パリ環状線」と表記されることも。
- 現実にはない完全な環状鉄道が存在することになるためパリっ子の空間認識に影響があったかもしれない。
- この路線の内側と外側はやや違った地域として認識されている。
- 場合によってはフランス国鉄の手を離れていた可能性あり。
- その場合はおそらくメトロと同じ法人が運営している。
西ベルリン市電(ドイツ)[編集 | ソースを編集]
東西に分断されたベルリン市電のうち西ベルリン部分は市当局が地下鉄やバスの整備に力を入れたため1968年までに順次廃止された。
- なお旧東ベルリンの部分は現在も運行されている。
- ベルリン市電全体についてのWikipediaの記事
- 存続できた理由は「より少ない資源でたくさんの人を輸送でき「陸の孤島」向きだから」。
- 東側から見えそうな路線の電車にはこれ見よがしにコカコーラやフォードなどの広告が貼られた。
- ベルリンの壁建設理由の一つに「西側の広告を東独人民に見せたくない」というものがあった。
- 80年代に入ってから日本製の車両も使われるようになった。
- 冷房など一部装置だけならありそう。
- ベルリンの壁建設以前に東西の路線が分断されたため東西の市電の完全な再接続はまだ実現していない気がする。
- その一方でベルリンの隣町であるポツダムの市電とつなぐという計画も浮上する。
- 現実において旧東ベルリン市電が西側に延伸されたそうだから、やはり再接続するのでは。
ヴェズヴィアナ鋼索線(イタリア)[編集 | ソースを編集]
ヴェスヴィオ火山を登るケーブルカーで「フニクリ・フニクラ」をCMソングとして使ったことで知られる路線だったが、1944年の大噴火で設備が壊滅し廃止された。
- 史実で廃止原因となった大噴火後は位置を微妙にずらして再建された。
- 溶岩に埋もれた旧線の発電所なども見所になっている。
- やはり「フニクリ・フニクラ」が随所でかかっている。
- 世界遺産であるポンペイ遺跡の近所だが特にそれっぽい装飾はされないと思われる。
- 史実では展望台くらいしかなかった山頂駅にレストランなどが建設されていた。
- FS(旧国鉄)線とケーブルカーの山麓駅をつなぐ登山電車も現存していたら氷河特急並みの人気路線になっていた。
アメリカ[編集 | ソースを編集]
プリンス・エドワード島鉄道(カナダ)[編集 | ソースを編集]
『赤毛のアン』の舞台として知られる島を横断する路線だったが自動車の発達により廃止された。
- どのみち貨物輸送はトラックにかなわないはずなので観光に特化していた。
- 『赤毛のアン』関連の列車は確実に走っている。
- 現実では廃線跡を利用した遊歩道が人気となっているため沿線の景色を堪能できるオープン列車も運転された気がする。
- 現実で鉄道廃止と引き換えに行われたハイウェイの整備が遅れていた。
- 本土と島を結ぶコンステレーション橋は道路と鉄道の併用橋として整備された。
- モントリオールから直通の夜行列車が乗り入れていた。
- 現在はカナディアン・ナショナル鉄道(旧カナダ国鉄)から分離され独立会社になっている。
パシフィック電鉄(アメリカ)[編集 | ソースを編集]
ロサンゼルスやその周辺に郊外電車の路線網を張り巡らせていたがモータリゼーションにより廃止。
- 沿線での宅地開発や通勤輸送の重視といった手法は日本の私鉄に影響を与えた。
- Wikipediaの記事
- ロサンゼルスの大気汚染はある程度抑えられたはず。
- そのためカリフォルニア・スモッグチェックは現実より緩いか、あるいは環境意識が現実より高まって厳しくなるのか。
- 次第に銀色の電車が幅を利かせてきた。
- だが伝統の赤色は帯として残った。
- おそらく副業の不動産などの収益で鉄道事業を維持している。
- 「塗装を参考にした」というつながりで日本の京急あたりと姉妹提携を結んでいた。
- だがさすがに羽田空港の国際線ターミナルで切符が買えるようなことはないと思う。
- キャンペーンの企画切符ならありそう。
- 羽田〜ロサンゼルス便就航を記念して両社でキャンペーンが行われていた。
- キャンペーンの企画切符ならありそう。
- いつの間にか日本と立場が逆転し、日本製の車両も走っている。
- だがさすがに羽田空港の国際線ターミナルで切符が買えるようなことはないと思う。
- 一部路線では車内が無法地帯と化しかけている。
- ハリウッドにも路線があったため映画への登場回数は数知れず。
- 「大地震」「ボルケーノ」「2012」などでは破壊シーンも描かれた。
- 「インデペンデンス・デイ」、「カリフォルニア・ダウン」でも破壊シーンがあった。
- 映画以外ならGTAシリーズでも「サンアンドレアス電鉄」あたりの名称で登場していた。
- 「大地震」「ボルケーノ」「2012」などでは破壊シーンも描かれた。
- 1970~80年代にエドモントンやカルガリーでLRTが導入されて以降、車両やシステムが同様の規格に改良される。
- 今では4~6両編成程度のLRVが多く導入されている。
- 車との共存を図る為に地下化・高架化される区間も多くあった。
- 現在はロサンゼルス郡都市圏交通局の路線になってそう。
- 旧ロサンゼルス鉄道が運行していた路面電車の一部区間がこの会社により復活していた。
オアフ鉄道(アメリカ)[編集 | ソースを編集]
第2次大戦直後までハワイのオアフ島を走っていた鉄道。
- ホノルルを起点に島の西側に路線があり農産物の輸送や真珠湾で働く軍人・工員などの通勤に活躍した。
- 参考
- 現在は観光客の利用と軍事輸送が頼みの綱。
- 主要駅には英語・ハワイ語に加え日本語や中国語の表示もあった。
- 同時多発テロ直後は異様なまでの厳戒態勢だった。
- 離島ということで燃料代を抑えるため電化された可能性あり。
- ホノルル付近では通勤客の輸送にも活躍していた。
- 現在建設中のライトレールは計画されなかったかもしれない。
- バブル期に日本の私鉄による買収計画が噂される。
- 実現せずとも、日本製の車両が走っていそう。
- 日本人観光客をターゲットとしたアメリカ唯一の駅弁が売られていた。
キー・システム(アメリカ)[編集 | ソースを編集]
サンフランシスコ・ベイエリアを走っていたインターアーバンのひとつ。
- 本路線の代替として建設されたBARTは存在しなかった。
- その代わり当路線の拡張がなされていない。
- ベイブリッジは未だに瀬戸大橋のような鉄道と道路が通る橋のまま。
- サンフランシスコ湾海底トンネルは道路トンネルとなっていたかも知れない。
- カルトレインは電化やトランスベイターミナル延伸がもっと速く実現していた。
- ベイブリッジ乗り入れ用連接車の設計がその後の鉄道車両に大きく影響していた。
- 日本では広島電鉄あたりがそっくりさんを導入していたかもしれない。
オセアニア[編集 | ソースを編集]
シドニーモノレール(オーストラリア)[編集 | ソースを編集]
シドニー中心部を走る環状運転のモノレールだったが高すぎる運行コストや利用者数低迷のため廃止に追い込まれた。
- 今なお多くの市民による批判にさらされ続けている。
- 海外のマスコミも「失敗した交通システム」の実例としてしばしば批判的に取り上げていた。
- 日本のテレビ番組で「走らせるのにオリエント急行より金がかかるモノレール」として面白半分に取材される可能性もあった。
- 大幅な減便や一部車両の廃車といったなりふり構わぬコスト削減が行われていた。
- 乗り放題パスの特典もさらに増えたが利用者はほとんど増えなかった。
- 結局残存理由は「撤去費用も高額なので下手に壊さない方が安上がりだから」。