もしあの鉄道路線のルートが○○だったら/JR東海
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高山本線[編集 | ソースを編集]
国道41号線沿いに建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 岐阜駅ではなく名古屋駅が起点となっていた。
- 名古屋~鵜沼間は豊山町・小牧市・犬山市を経由するルートになっていた。
- この区間では名鉄犬山線とライバル関係となる。
- 名鉄小牧線は建設されず、小牧と名古屋の間の鉄道交通は高山本線が担っていた。
- 桃花台新交通もJR小牧駅に接続する形で建設されていた。小牧市が以前から高山本線経由で名古屋駅に直結していたので桃花台新交通の廃止はなかった。
- 名古屋空港駅が出来ていた。
- 名鉄「北アルプス」は運転されなかった。
- 岐阜~鵜沼間は建設されず、同区間は名鉄各務原線の独占となっていた。
- 飛騨細江~猪谷間は神岡経由で開業。
- 現実の神岡線が高山本線となっていたため、第三セクターの神岡鉄道は誕生しなかった。
- 2004年の災害による長期不通はなかった。
- 奥飛騨温泉口~島々の鉄道計画が実現していた。
- 現実の神岡線が高山本線となっていたため、第三セクターの神岡鉄道は誕生しなかった。
- 笹津駅からはまっすぐ北上して富山駅に向かっていた。
- 富山地方鉄道笹津線は建設されず、代わりに越中八尾方面に富山地鉄の路線が開業していた。
- 新富山~速星~八尾の速星線計画が早期に実現し、さらに北陸工業鉄道から免許を買って川沿いに山田村まで延伸されていた。
- 富山地方鉄道笹津線は建設されず、代わりに越中八尾方面に富山地鉄の路線が開業していた。
- 現実より名古屋~富山間の距離が短縮されるため、名古屋~富山・金沢間を結ぶ鉄道は高山本線経由となっていた。
- 史実では実現しなかった電化が実現していたかも。
- 少なくとも名古屋から(濃尾平野の北端となる)中川辺までは高度成長期頃に複線化・電化されてる。中川辺以北は特急ひだを電車化する場合に電化の話が出ていただろう。
- 史実では実現しなかった電化が実現していたかも。
- 越美南線は岐阜を始発駅とし、名鉄美濃町線は存在しなかった。
- 岐阜~関間で利用客が多かったため赤字路線にはならず、現在も「JR越美南線」のまま。
- 史実通り関以北が三セク転換されていた可能性もある。
- 太多線は美濃太田~関とあわせて「関多(かんた)線」なっていた。
- 岐阜~関間で利用客が多かったため赤字路線にはならず、現在も「JR越美南線」のまま。
- 大阪から高山本線への直通優等列車が設定されることはなかった。
- 関西本線経由で大阪からの列車を設定していただろう
- 名古屋から美濃太田に快速が運行されていただろう。
- 停車駅は小田井-小牧-犬山-美濃太田か?
- 豊山町内の駅にも停車していただろう。その駅名は「豊山町駅」か。[「豊山駅」(とよやま-)だと「富山」(とやま-)と紛らわしいので]
- 特急ひだは名古屋-(小牧)-美濃太田になっていた。
- 中川辺までは平野部になっているから名古屋発着の普通・快速は大半が中川辺まで運転されていただろう。
- 停車駅は小田井-小牧-犬山-美濃太田か?
- 尾張(名古屋)と越中(富山)を結ぶので路線名は「尾越本線」(びえつほんせん、略して尾越線)になっていただろう。
- 名古屋と富山から取って「名富本線」(めいふ-、略:名富線)という案もあるが、「めいふ」が「冥府」につながり縁起が悪いのがネック。
- 大阪-高山の特急は関西本線と高山本線経由になっていただろう。
馬瀬経由だったら[編集 | ソースを編集]
飛騨金山~飛騨萩原のルートには現在のルート案の他に馬瀬経由の案もありました。もしこちらが採用されていたら。
- 下呂温泉は現在のような発展がなかった。
- おそらく飛騨萩原~下呂に小規模な私鉄があった。
- 岐阜〜太田町〜下呂間には中濃電気鉄道という会社が免許を保有していました。
- この私鉄が国有化されて下呂線として北恵那鉄道と連結されていたかも知れない。
- 岩屋ダム建設時はそれなりに賑わっていた。
- ただ、高山本線もダム建設で路線を付け替えていた。
袋坂峠経由だったら[編集 | ソースを編集]
上麻生~飛騨金山間は当初飛騨街道に沿ったルートが計画されていました。もし変更されなかったら。
- 高山本線の貨物輸送量は史実よりもふるわなかった。
- 現在のルートにしたことで当時現ルート沿線にあった多数の資源を運ぶことができたため。
- 七宗町はより栄えていた。
- 室兼で七宗森林鉄道と接続していた。
- 現ルートは名鉄系が進出していた。
- 名鉄はかつて子会社を設立して上麻生まで鉄道を敷こうとしていたとされるため。
飯田線[編集 | ソースを編集]
国道151号線沿いに建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 佐久間ダム建設の影響を受けることはなかった。
- 遠美線はまったく進まなかった。
- 豊根村の財政ももう少しましになっていた。
- 茶臼山高原の観光開発が進んでいた。
- JR東海がそこにスキー場を運営していたかもしれない。
参信鉄道ルートだったら[編集 | ソースを編集]
三信鉄道出願時、同時に参信鉄道の大海~田口~上津具~売木~富草~下篠~飯田のルートで申請があった。もしこちらが採択されていたら。
- 田口に鉄道が来ているので田口鉄道は存在しなかった。
- 史実での田口鉄道廃止時にあった田口~明知新線はかなり進んでいた。
- 逆に遠美線の中の佐久間線の計画はダムの建設もあってほとんど進んでいなかった。
- 史実での佐久間線建設時に建設されていたのは遠三線となっていた。
新野経由だったら[編集 | ソースを編集]
三信鉄道は当初富山村から新野、富草、下條経由のルートを計画していましたがもしこのルートで建設されたら。
- 富山村は村の中央に鉄道があったため「離島以外で人口が最も少ない」なんて事にはならなかった。
- それでも村名を誤読する人は後を絶たない。
- 佐久間ダム建設に伴う新線は史実の水窪経由ではなく大入線(愛知県側のルート)が採用されていた。
- 新野経由の場合水窪経由だったらかなりの距離になるため。
関西本線[編集 | ソースを編集]
津島経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 名鉄津島線は存在しなかった。
- それどころか尾西鉄道も設立されなかった。
- 現蟹江ルートは近鉄の独占となっていた。
- 近鉄との競合では完全に勝ち目がなかった。
- 枇杷島駅から分岐する形になっていた。
- 中央本線と関西本線の直通運転が行われた。