もしあのF1ドライバーが○○だったら
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ア行[編集 | ソースを編集]
エディ・アーバイン[編集 | ソースを編集]
- 1999年に戴冠したら
- これまで暗黒フェラーリから常勝軍団へと変えつつあったシューマッハの手柄を横取りすることとなったため、2人の関係は最悪なものとなった。
- ティフォシも20年振りのタイトルを祝っていたかは怪しい。
- そのような事態になっていたら、2年前のように全力で妨害していたはず。
ジャン・アレジ[編集 | ソースを編集]
- 1991年からフェラーリではなく、ウィリアムズに移籍していたら
- まず優勝回数は2桁以上に達した。
- おそらくパトレーゼとのコンビになったはずなので、実質的にはNo.1ドライバーとして活躍できた。1992年には史実のマンセル同様、早々に戴冠を決めていた。
- 仮に1993年にプロスト、1994年にセナが移籍してきたとしても、ある程度は拮抗した王座争いに持ち込めた。
- キャリア後半でも優勝していた。
- 少なくとも最終盤にプロストGPに移籍することもなく、その結果プロストとも関係は良好だった。
アレクサンダー・アルボン[編集 | ソースを編集]
- 2019年に当初の予定通りフォーミュラEに参戦することとなったら
2018年にダニエル・リカルドがレッドブルを離脱し、ピエール・ガスリーがレッドブルに昇格したものの、当時のレッドブル育成は人材不足で一時はマクラーレン育成のランド・ノリスのレンタルも検討していました。しかし、最終的には2012年までレッドブル育成に所属していた(家庭の問題で育成を離脱していました)アルボンが起用されました。
- リカルドが起用され続けるので、ガスリーはもう2〜3年トロロッソ、アルファタウリで鍛えられた後満を持してレッドブルに昇格することに。
- その結果、ガスリーの昇格後ダニエル・ティクトゥム、ユーリ・ヴィップスのどちらかはF1デビューを果たせたかもしれない。
- 少なくとも両名とも舌禍でキャリアを台無しにすることはなかった。
- ただ、この両名は史実でもパッとしなかったため、史実通りガスリーの昇格後は角田裕毅が起用された可能性が非常に高い。
- その結果、ガスリーの昇格後ダニエル・ティクトゥム、ユーリ・ヴィップスのどちらかはF1デビューを果たせたかもしれない。
- レッドブルと関わりが全くないため、2021年に角田裕毅のメンターとして支えることはなかった。
- その結果、角田の成績が伸び悩み2年目のどこかで角田は解雇された可能性がある。
- 2022年からウィリアムズで走ることもないので、ニコラス・ラティフィが解雇されることもなかった。
フェルナンド・アロンソ[編集 | ソースを編集]
- 2007年もルノーに残留していたら
- 2007年は王座防衛出来なかった。
- ルノー自体がブリヂストンタイヤに適応できなかったため、過去数年で見せた競争力は発揮できなかった。
- それでもシーズン終盤で優勝したかもしれない(アロンソなら駄目なマシンでも2012年フェラーリの様にそこそこ戦える状態に持っていけるので十分に可能性はある)
- マクラーレンはハミルトンとデ・ラ・ロサのコンビで戦った。
- ハミルトンの序盤の躍進は、アロンソのデータを参考にしていたことに起因していたので、そのデータなしではあれ程の活躍はなし得なかった。
- ただ富士のように初めてのサーキットでも速さを見せていたから、アロンソの妨害がない分史上初のルーキー王者が誕生していた可能性がある。
- 08年のチームメイトはコバライネンになっていた。
- 07年限りでフィジケラが解雇された後釜に座ることとなった。また、ピケjrのf1デビューもなかった。
- クラッシュゲートも発生しなかった。
- その結果、フラビオ・ブリアトーレやパット・シモンズが処分を受けることもないため、ルノーのチーム力低下は避けられた(メインスポンサーのINGが支援を打ち切ることもなかった)。
- 2015年にマクラーレンに移籍しなかったら(フェラーリに残留していたら)
- 2015年、2016年はベッテル、もしくはビアンキ(存命なら)とコンビを組んでいた
- ハミルトン(メルセデス)打倒とまではいかなかったが、互角に渡り合えた。
- その後2016年オフのロズベルグ電撃引退に伴い、メルセデスに移籍した
- もっとも、2007年のハミルトンとの確執を考慮した結果移籍しなかった可能性もある。メルセデス首脳陣も、ハミルトン・ロズベルグのジョイントナンバーワン体制で苦労したことで、(言い方は悪いが)そこそこ速くかつハミルトンの邪魔をしないポチドライバー探しを方針としていた。
- GP2エンジン発言はなかった
- ストフェル・バンドーンのキャリアが史実の様に悲惨なことにはなっていなかった。
- 2016年からマグヌッセンと交代でデビューしていた。もしくはバトン引退(予定より1年早く)に伴いマグヌッセンとコンビを組むこととなった。
- 史実ではバンドーンはスーパーフォーミュラに参戦していたが、マクラーレンのシートが自動的に一つ開くためすんなりデビュー出来ていた。そして日本で余計な時間を過ごすこともなかったため、ヨーロッパでのレース勘が失われず、史実よりも良い成績を挙げられた。
- 2023年現在もランド・ノリスと共にコンビを組んでF1に残っていただろう。
- 2016年からマグヌッセンと交代でデビューしていた。もしくはバトン引退(予定より1年早く)に伴いマグヌッセンとコンビを組むこととなった。
エステバン・オコン[編集 | ソースを編集]
- 2019年に浪人せず、ウィリアムズに移籍できていたら
史実では、2019年にランス・ストロールの実父ローレンス・ストロールらの企業グループによりフォースインディアが買収されたことで、オコンはストロールに押し出される格好でシートを失いました。その後、ウィリアムズ移籍の可能性もありましたが(オコンのマネジメントがメルセデスであったことから、メルセデスエンジンを使用するウィリアムズに押し込むプランもあった様です)、結果的に浪人し、2020年からルノーでF1に復帰しました。
- どこかしらでポイント獲得できていた。
- 手負いのクビサよりかは確実に能力はあるので、波乱に乗じて大量ポイント獲得の可能性も十分にあった。
- 場合によっては2022年にメルセデスに移籍していた
- ジョージ・ラッセルを大差で打ち負かしていたら可能性としてはあり得た。
- ただ2021年ハンガリーGPでの優勝はなくなり、現時点でも未勝利のままである。
カ行[編集 | ソースを編集]
片山右京[編集 | ソースを編集]
- 1995年にベネトンに移籍していた場合
1994年のティレルで活躍した片山選手には、ベネトンから1995年のミハエル・シューマッハのチームメイトとしてオファーが来ていたそうです。シューマッハも片山選手を歓迎していたそうですが、片山選手はティレルとの契約を優先し残留することになり、移籍は破談となりました。
- 複数回表彰台を獲得していた
- 得意の高速コース(ホッケンハイムやモンツァ)では特に可能性が高かった。ただ、シューマッハスペシャルと形容されるマシンに手こずり、ヨス・フェルスタッペン、J.J.レート同様優勝は果たせなかった。
- 95年限りで放出された可能性が高い。史実同様にシューマッハがフェラーリに移籍した場合、チャンピオン防衛のためにも放出されていた。その場合、最悪のケースとして史実よりも早いタイミングでの引退を強いられたかもしれない。
ロバート・クビサ[編集 | ソースを編集]
- 2011年オフにラリーで大事故を起こさなかったら
- 2012年にフェラーリに移籍していた
- 低迷していたマッサの後任として加入し、複数回優勝していた。
- アロンソとも親友であったため(2010年のルノー移籍もアロンソの推薦によるところが大きい)、史実とは異なりアロンソは2012年戴冠し、チームタイトルも獲得できていた。
- ハミルトンとロズベルグのように、親友だったものの完全に決裂状態になっていた可能性もある。
- 2023年現在もF1で活躍し続けている
- 史実でライコネンがアルファロメオでいぶし銀の走りをしたように、若手の模範となっていたかもしれない。
ロマン・グロージャン[編集 | ソースを編集]
- 2009年オフにルノーのシートを失った際にレースから引退していたら
2009年ハンガリーGPからピケjrの代役として走ったグロージャンですが、アロンソと比較してもパフォーマンスが低調であったことからルノーから解雇されました。史実では、2011年にGP2で大差で勝利し2012年よりロータスでF1に復帰しましたが、当時は真剣に料理人への転身を考えていたそうです(料理学校に入学しようとしたものの、年齢制限に引っかかり断念したそうです)。
- 2012年、2013年のロータスは史実よりも成績が下回った。
- ハイドフェルドもしくはBセナが残留したため、グロージャン程の成績は残せなかった。ライコネンの活躍は史実通り。
- オープニングラップでの犠牲者が少なかったので、マーク・ウェバーがオープニングラップの狂人と非難することもなかった。
- ダヴィデ・バルセッキもF1で走ることが出来た
- 史実ではテストドライバー止まりで、2013年アメリカでライコネンが欠場した際も代役としても起用されなかったが、2013年からハイドフェルド、あるいはBセナの代役として少なくとも正ドライバーとして2015年までは走ることが出来た。
- 成績が低調だったら、ジョリオン・パーマーもしくはエステバン・オコンに取って代わられたかもしれない。
サ行[編集 | ソースを編集]
ミハエル・シューマッハ[編集 | ソースを編集]
- 1991年ベルギーGP以降ベネトンと契約せず、ジョーダンと契約していたら
- 1992年もジョーダンで走ることはなかった。
- ベネトン自体がロベルト・モレノの戦闘力に不満だったため、92年から満を持してベネトンに移籍していた。
- その後は史実通り。
- モレノもアンドレア・モーダで悲惨な目にあうことはなかった。
- ベネトン自体がロベルト・モレノの戦闘力に不満だったため、92年から満を持してベネトンに移籍していた。
- 1996年にフェラーリではなくマクラーレンに移籍していた場合
- F3時代から因縁のハッキネンとコンビを組むことに。
- ハッキネンは人柄が良いことで有名だったことから、セナプロのようにチーム内紛争が起こる可能性は低かったはず。
- エイドリアン・ニューウェイがマクラーレンにいなかった。(シューマッハが来ることでクルサードが入り込む余地は無くなるため)。
- ミハエルならフェラーリにロス・ブラウン、ロリー・バーンを呼び込んだかも知れないので、史実のフェラーリ時代と同様の成績を残したかも知れない。
- ハッキネンとは王座を分け合うことになったため、史実よりも記録は伸ばせなかった可能性もある。ある意味チーム仲の良いセナプロ状態になったかも。
- ハッキネンが燃え尽きたとしても2002年に後釜としてライコネンが加入するため、フェラーリ王朝時代よりもマンネリ化したかもしれない。
- ミハエルならフェラーリにロス・ブラウン、ロリー・バーンを呼び込んだかも知れないので、史実のフェラーリ時代と同様の成績を残したかも知れない。
- 2010年にメルセデスからF1に復帰しなかったら
- 2010年から2012年まではロズベルグとハイドフェルドのコンビで戦うことに。
- 史実での2013年以降の躍進はシューマッハがチームを戦う集団に変えたことも要因として挙げられるので、ミハエルが不在であることでメルセデス王朝自体が到来しなかったかも知れない。
- スキー事故に遭わなかったら、もしくは後遺症も療養の必要もなかったら。
- 息子のミックをハースのピットから応援する様子が見られた。直接指導もあったかも(ハースのマシンに乗り込み「直接手本を見せてやる!」と言ってドライブすることも)。
- 息子のシート確保のために奔走したかもしれない。それこそトッドに依頼してアルファロメオあたりに押し込み、時期次第ではフェラーリに売り込んだかも?
- あるいは才能がないと判断したら、レースを諦めるように促した可能性もある。
- ハミルトンの7度目のチャンピオン獲得を見てコメントしていた。
- ただどのような発言をするかはわからない。かつて「記録は破られるためにある」とした上で、自らの記録を破るドライバーの筆頭としてハミルトンを挙げていたことから、彼を讃える発言をしただろう。
- あるいは、かつてのヒルに向けたように、車と運に恵まれたと認めない可能性もある。
- ただどのような発言をするかはわからない。かつて「記録は破られるためにある」とした上で、自らの記録を破るドライバーの筆頭としてハミルトンを挙げていたことから、彼を讃える発言をしただろう。
ナ行[編集 | ソースを編集]
アレッサンドロ・ナニーニ[編集 | ソースを編集]
- 1990年日本GP直前で手首切断の大怪我を負わなかったら
- 日本GPかオーストラリアGPで自身2度目の優勝を挙げたかもしれない。
- ロベルト・モレノが日本GPで表彰台に登ることも、91年前半にベネトンで走ることもなかった。
- その場合、ベネトンは91年からフェラーリ入りが内定していたナニーニの代役として別のドライバーを乗せたため、ミハエル・シューマッハの91年中の起用は考えにくかった。
- ロベルト・モレノが日本GPで表彰台に登ることも、91年前半にベネトンで走ることもなかった。
- 怪我することなく、1991年からフェラーリから出走していたら
- ジャン・アレジに代わり、フェラーリ暗黒期を象徴するドライバーになっていたかもしれない。そしてアレジはウィリアムズに移籍することとなるが、その後は前述の予想の通り
- それでもとあるフランス人ドライバーのように「赤いカミオン」と暴言を吐くことはない。
- ただ本人はフェラーリ入りを望んでいたこともあるので、最終的にはフェラーリで95年頃に引退したかもしれない。その後シューマッハ、アーバインの時代になるのは史実通り。
ランド・ノリス[編集 | ソースを編集]
- 2019年マクラーレンではなくトロロッソからデビューしていたら
2018年、レッドブル育成は極度の人材不足であり、マクラーレン育成のノリスをレンタルすることも検討していたようです。
- ダニール・クビアトがチームメイトとなったため、史実のアルボンと同じ立場となった。
- ガスリーの降格に伴い、2019年後半にレッドブルに昇格していたかもしれない。
- 少なくとも2023年現在、複数回優勝を経験しており、引き続きマックスの僚友としてレッドブルに所属している。
- ガスリーの降格に伴い、2019年後半にレッドブルに昇格していたかもしれない。
- マクラーレンはバンドーンとサインツJrのコンビに。
- 史実通りバンドーンが活躍できなかったら、2020年でマクラーレンに戻ってサインツとコンビを組んだかもしれない。
- その場合、トロロッソ(アルファタウリ)は2020年はガスリーとクビアト、2021年以降は史実通りクビアトに代わり角田裕毅がF1デビューを果たしていた。
- 史実通りバンドーンが活躍できなかったら、2020年でマクラーレンに戻ってサインツとコンビを組んだかもしれない。
ハ行[編集 | ソースを編集]
ジョニー・ハーバート[編集 | ソースを編集]
- 1988年の国際F3000での大怪我がなかったら
この怪我の後遺症で右足首が曲がらなくなり、アクセル操作を膝の屈伸で行わなければならなくなったそうです。
- 1989年に途中で解雇されることもなかった。
- シーズン6戦のみで代役のエマニュエル・ピロを圧倒していたので、万全の状態なら後半戦以降チームメイトのナニーニに迫ることができた。
- 当然1990年はベネトンに残留できたので、90年、91年はF1から離れることもなかった。
- 従って、マツダ787Bでのルマン制覇に関わることはなかった。
- シューマッハが91年からベネトンで走っていたかも怪しい。
- 当然1990年はベネトンに残留できたので、90年、91年はF1から離れることもなかった。
- シーズン6戦のみで代役のエマニュエル・ピロを圧倒していたので、万全の状態なら後半戦以降チームメイトのナニーニに迫ることができた。
ジェンソン・バトン[編集 | ソースを編集]
- 2005年もしくは2006年にウィリアムズへ移籍した場合
当時所属していたBARホンダの将来を考慮し、一時は「来年は100%ウィリアムズで走るだろう」とまで発言しましたが、CRBがウィリアムズとの契約を認めなかったこともあり、残留するなど物議を醸しました。
- 佐藤琢磨選手のキャリアが多少なり延命することとなった。
- 2005年の成績を考えると厳しかったかも知れないが、代役がアンソニー・デビッドソンしかいないことも考えると残留の可能性は高かった。
- ホンダ撤退まではホンダワークスに所属できた。ただ、2009年ブラウンで走れたかどうかは怪しい。
- 候補として、Bセナ、ルーカス・ディ・グラッシがいた。
- ブラウンに所属できたか怪しいので、史実のように戴冠できず、未完の大器としてキャリアを終えていた可能性が高い
- 当時のウィリアムズはBMWワークスエンジンを失うといったように、明るい話題が少なかった。
マックス・フェルスタッペン[編集 | ソースを編集]
- 2014年にレッドブル育成ではなく、メルセデス育成を選択した場合
当時弱冠16歳ながら素晴らしい成果を出していたフェルスタッペンには、メルセデスとレッドブルからオファーがありました。メルセデスは若さゆえの経験不足を考慮し、GP2等下位カテゴリ参戦を通じて経験値を積ませようとしたそうですが、レッドブルはトロロッソからのF1参戦を提示したことで、フェルスタッペンとの契約締結に成功しました。
- 2015年のトロロッソはサインツと別の育成ドライバーで戦った。
- アントニオ・フェリックス・ダ・コスタにもチャンスはあっただろう。ただ、ダ・コスタが駄目だったなら史実では解雇されたベルニュを残留させた可能性もある。
- ダニール・クビアトのキャリアが史実よりも遥かによいものになっていた。少なくとも翌年のスペインでの交代劇はあり得なかった。
- フェルスタッペンに彼女をNTRれることもなかったかもしれない。
- その後のレッドブルの歴史が途方もないレベルで変わっていた。
- ガスリーも伸び伸びとレッドブルで成果を残すことが出来、リカルドも明確なNo.2待遇が待っていることもなかったので残留していたかも知れない。
- そうなった場合は、間違いなく2021年のタイトルはあり得ない。
- ガスリーも伸び伸びとレッドブルで成果を残すことが出来、リカルドも明確なNo.2待遇が待っていることもなかったので残留していたかも知れない。
- 2015、2016年とGP2参戦を経て、2017年より満を持してF1に参戦した。
- 恐らくジョージ・ラッセル同様、メルセデスエンジンを使うフォースインディア、ウィリアムズからのデビューになった。
- フォースインディアの場合、ペレスと組むことになったかも知れない。
- 流石にもう1人のあるフランス人と組んでいたらチーム関係的に最悪なことに...
- フォースインディアの場合、ペレスと組むことになったかも知れない。
- ウィリアムズならすんなりとデビューできていたので、こちらの方が可能性としては高かったと思われる。
- 2017年のマッサは、ボッタスがメルセデスに徴兵されたことに伴い引退を1年伸ばしたことを考えると、マッサがすんなり引退して穴埋めの流れ。
- ただ、当時のメインスポンサーのマルティニがストロールの相方として,25歳以上の経験あるドライバーを求めていたことを考慮すると、他のチームからのデビューの可能性もあった。
- 2017年のマッサは、ボッタスがメルセデスに徴兵されたことに伴い引退を1年伸ばしたことを考えると、マッサがすんなり引退して穴埋めの流れ。
- 恐らくジョージ・ラッセル同様、メルセデスエンジンを使うフォースインディア、ウィリアムズからのデビューになった。
セルジオ・ペレス[編集 | ソースを編集]
- 2013年にマクラーレンではなく、フェラーリに移籍した場合
- 史実でバトンに完敗したように、アロンソに完膚なきまでに叩き潰されただろう。当時のペレスはレッドブル時代と異なり荒い性格だったこともあり、アロンソとの関係は冷え切ったものになっていた。
- マクラーレンはヒュルケンベルグが穴埋めすることになった。
- ハミルトンはメルセデス行きになるため、その後の流れは史実通り。
- それでもカムイはザウバーに残留できたかは怪しい。マッサがザウバー入りを目指した場合、資金面で太刀打ちできないため状況としては非常に厳しかったと思われる。
星野一義[編集 | ソースを編集]
- 1990年の日本GPにスポット参戦していたら
前戦スペインGP後、ヘリコプター事故で手首切断の重傷を負ったアレッサンドロ・ナニーニの代役として、星野選手にはベネトンから出走するチャンスがありました(持参金を持ち込めばという条件があったそうです)。しかし、星野選手自身が「プロレーサーとして金を払ってまで乗るつもりはない」と断ったことで話は流れ、ロベルト・モレノにチャンスが巡り、モレノは2位表彰台に上りました。
- 表彰台とはいかなくとも、ポイント獲得は果たせた。
- 万が一モレノ同様2位フィニッシュなら、日本人ファンにとってはこれ以上ない瞬間となった。
- 後年星野選手が「あれだけすごいのなら金を払ってでも乗っておけばよかった」とぼやくこともなかった。