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もし京都市電が廃止されていなかったら

日本で最も早く開業した路面電車だった京都市電は1978年9月30日の運転を最後に全廃されました。もし全廃されていなければ…

平成21年現在の京都市電路線図
  1. 京都市の空気はもう少しきれいだった。
    • COP3で好印象。
  2. 修学旅行シーズンに市バスが混みあわなかった。
    • 代わりに市電が混んでいた。
    • 修学旅行生専用の市電が運行されている。
    • バス・地下鉄に加え、市電の一日乗車券が登場。
    • 修学旅行のしおりにも京都市電の料金や路線図が掲載される。
    • 2010年代以降インバウンドによる外国人で市電が混雑するようになり、その対策として連接車が導入されていた。
  3. 「レトロ調電車」が走っていた。
    • 市電で最初に使われた車両がイベントなどで走る。
  4. 京都といえば「神社仏閣と大文字。それと路面電車」というイメージに。
    • 広島・長崎なんか目じゃないぜw
    • 当然「日本最大の路線網」を誇る。
    • そのせいで、「大津市内まで路線を持っている」とChakuwikiに書かれてしまう。
      • 京津線が京都市電扱いされた。
    • 主な入洛目的が「市電の撮影」という観光客も少なからずいた。
  5. 嵐電や叡山と直通を行うようになり、日本におけるLRT普及の旗手になる。
    • 京津線も地下鉄への乗り入れではなく、市電との直通が検討された。
      • 800系の導入や600形・700形への改造は行われず、石山坂本線と共に超低床電車に統一されていた。
        • 嵐電と叡山も市電に合わせて低床化が行われていた。
    • 叡山との直通は確か実際にあったはず。
      • 競馬輸送ですね。あれは臨時で市電側の片乗り入れだったので、恒久的なものとして。
    • こうした直通用に通常より豪華な設備の車両が導入されていた。
    • 京阪宇治線は京都市電と直通すべきという案が出ていた。
    • 今出川線と嵐電北野線の相互直通が行われ、京阪沿線から嵐山への足となっていた。
    • ともに京都の都心部である四条界隈や京都駅前などに直通するようになり、利用客は現実ほど減らなかった。
      • 運賃値上げも史実ほどではなかった。
  6. 新線建設も行われていた。
    • 下に書かれた路線のどれかができていた。
  7. 現在も路面電車に「急行」という種別が存在していた。
    • そして広電や土佐電にも急行が存在した。
    • 連結運転も存続している。
      • 現在では連接車が標準に。広電と同じ。
        • JTRAMがここにも導入されていた。
          • なので広電でAPEX増備打ち切りが検討されることもなかった。
    • そして遂に「特急」が登場。
    • バス同様に地元住民向けと観光客向けで「快速」と「急行」に分けられていた。
      • 観光客向けの種別には急行料金が設定されていたかも。もしそうなっていたら全国の路面電車では唯一の有料種別となっていた。
  8. 連続テレビ小説に頻繁に登場している。
    • 「都の風」「京、ふたり」「あすか」「だんだん」には確実に登場する。
      • 「カムカムエヴリバディ」も追加で。
  9. それでも東大路通の渋滞は変わらない。
    • もっと渋滞がひどくなっていた可能性もある。
      • このため観光シーズンにはマイカー規制が実施される。
        • 南にある古都では現実に実施しているので、あり得ない話ではない。
          • というか、市電が無くてもやればいいのに。
      • 北大路通、西大路通、九条通、東山通を結ぶ区域(所謂洛中)は京都市外からの自家用車の乗り入れが全面規制されている。
  10. 2000年代末期には彼らの聖地になっていた。
  11. なぜかICカードの導入が大幅に遅れている。
    • それでも史実の市バスでの導入よりは早くなっていたはず。
  12. おそらく駅ナンバリングが行なわれている。
    • 東西幹線と南北幹線それぞれに対してA, B, C, …, P, Q, R, …のように割り振られ、北から南、東から西の順番で番号が付けられる。
  13. 1994年に平安遷都1200年を記念した花電車が運転された。
    • 翌年に市電開業100周年記念のイベントを企画するも阪神大震災の影響で大幅に規模縮小。
    • 2012年の市営交通100周年の際にも大規模なイベントを行っていた。
  14. 某配管工アクションゲームや某軽音楽アニメのラッピング電車が走っていた。
    • 京アニの新作アニメの広告電車が運行される。
      • アニメにも市電が登場していた。
    • 叡山電鉄の代わりに芳文社作品の広告電車を走らせていた。
    • 更に自局自ら「市電に乗るっ」キャンペーンを展開。
  15. 一般企業の広告電車は市の景観条例があるのでなかった。あってもとても地味。
    • 市バスが普通にやってるからそれはない。
  16. 現実よりも四条通はにぎわう。
    • 阪急百貨店も撤退しない。
    • 阪急大宮駅が特急通過駅になることもなかった。
      • 逆に西院駅が特急停車駅になっていた。
        • 東側の改札口も現実より早く開設されていた。
      • 京阪七条駅が特急停車駅である意味が現実よりも知られていた。
      • 三大祭の巡航ルートと被る路線はバッテリー駆動か片持ち式の架線柱で折りたたみ可能に。
        • 山鉾巡行の時に架線を取り外すのが風物詩となっていた。
  17. 乗務員の質は×××××。バスといい勝負。
    • 一般車やトラックに向かって警笛を鳴らしながら「どかんかい」と乗務員が怒鳴る様子が新聞に掲載される。
    • 乗客を引きずったまま走る事件も何回か発生する。
    • 海外のガイドブックに「京都は路面電車とバスに気をつけろ」と掲載されている。
  18. ひょっとしたらオーストラリアのメルボルンと姉妹都市関係になっていたかも?と言うのも京都大とメルボルン大の提携関係がある。更には2都市共に昔の(それぞれの国の)首都だった。(現オーストラリア首都キャンベラが造られたのはメルボルンのずっと後。)ここで路面電車を持ち込めたら…。
  19. 広島・長崎同様に軌道敷内進入禁止になる。
    • 軌道敷に入った一般車は勿論、トラックや暴走族にも容赦無く警笛を鳴らして追い散らす。
      • ただし地元タクシーは慣れたもので、どれだけ警笛を鳴らそうが我が物顔で軌道内占拠。
        • 電停で堂々と客拾いをする。
          • バス停で堂々と客拾ってる現状とあまり変わらないような…。
            • 市電の運転手とタクシーの運転手が揉める様子がMBSの「憤懣本舗」で取り上げられていた。
    • 現実でも全廃前の一時期軌道敷内進入禁止の措置がとられていた。
  20. 市バスは今も市電を補完する存在のままで、裏通りを通る路線も健在。
    • それでも令和に入ると人手不足で不採算路線の廃止が進んでいた。
  21. 梅小路公園の「市電ひろば」は存在しなかった。
    • その代わり京都鉄道博物館や京都水族館とコラボし、ラッピング電車も走らせていた。
  22. 一部路線の路下電車化を求める意見がある。
  23. 市バスと同様ここの旅客案内もOBC-VISION化され、史実以上にネタにされていた。
  24. 京都駅ビルと市電の組み合わせが撮影名所となっていた。
    • 場合によっては京都駅前電停が駅ビル内に移設されていた。

戦後に路線の廃止が全く無かったら

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  1. 堀川線は昭和40年代にすべて堀川通経由になっていた。
    • 上賀茂神社前まで延長されていた。
  2. 御池線・五条線・川端線も建設されていた。
    • その場合京阪鴨東線は建設されず、叡電が市電に乗り入れて京都市中心部に向かっていた可能性がある。
    • 五条線は東山を越えて山科区に達し、醍醐を経て六地蔵まで延伸されていた。
  3. 系統が恐ろしく複雑に…
  4. 洛西ニュータウンまで市電が達していた。
    • その際西京極から西は専用軌道となる。
  5. 丸太町線は嵐山まで延長。
  6. 北山線が作られていた。白川線も北山通まで延長されて…。
    • その場合北山駅までの単線か、北大路駅まで延びて複線か……?
  7. 伏見稲荷での京阪と市電の平面交差を解消するため、京阪本線は深草以北が地下化されている。
    • 遅くても1980年代前半の京阪線1500V昇圧までには地下化が実現していた。
      • あるいは山陽電鉄と神戸市電の交点みたいに、一時的にデッドセクションができていた。
    • 東福寺駅は地下化と同時に8両対応になり、七条駅に代わって特急停車駅となっていた。
    • 深草と伏見稲荷・鳥羽街道と東福寺が統合されていたかも。
    • 伏見線の竹田街道区間は拡幅が行われ、晴れて市電は道路の中央を走るようになっていた。
  8. 山陰本線の高架化が史実より早くなり、トロリーバスは(一部区間では再度)路面電車にして他系統と直通するようになる。
    • 旧二条駅舎の移築・有形文化財指定も早まった。
      • 円町駅の開業も。
  9. 五条線の山科区方面と洛西ニュータウン方面に急勾配区間が生まれるため、抑速ブレーキ装備の車両が登場していた。

廃止されたのが北野線だけだったら

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  1. 「堀川通に電車を走らせる会」が活動していた。
  2. 最近になって伏見線がLRT化されていた。
  3. 日本最古の路線ということで、伏見線にはレトロ(風)車両が運行されている。

四条・千本・大宮線廃止直前に廃止が撤回されていたら

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  1. 現在まで路線が変わっていなかった。
  2. 「京都市営地下鉄」は存在しない。
    • 「勝手に交通整備」に「京都市営地下鉄」が登場。
    • 近鉄京都線は今も京都市中心部に到達できず。
      • 丹波橋での京阪乗り換えがさらに多くなり、丹波橋駅はパンク状態に。
        • 丹波橋からの京阪直通が健在。
          • 京阪側からの近鉄京都駅直通は後に淀屋橋発着の快速急行に変更されていた。
        • それでも列車本数の増加により平面交差がネックになるので、いずれは上下2階建て構造で高架化あるいは地下化されていた。
    • 現実の烏丸線がが存在していたとしても急行線になっていて一部の駅が省略。あるいはそれが未成になった代わりに近鉄が竹田~京都駅を地下化して更に四条・三条烏丸まで伸ばしてそれで全通(でそれ以上は伸ばさない)。
    • 京阪京津線は御陵~三条京阪を地下化してフル規格の在来線にする。現実の地下鉄東西線の様に鴨川を越えずにむしろ三条京阪で止まる(或いは同駅から京阪本線と直通する)。
    • 京都市電烏丸線は祇園祭開催時の対応が安全ではなかったので、七条烏丸~京都駅前間以外は廃止されていたと思う。
      • 四条線も。この場合は阪急と並行していたことも要因になっていた。
  3. 河原町線が国際会館を経て岩倉まで延長されていた。
  4. 四条通が自動車乗り入れ禁止になっていたかもしれない。
    • あるいは大阪市中心部の南北道路のように一方通行になっていた。
    • 歩道の拡幅も史実より早く行われていた。
  5. 1000形はなんだかんだで廃車となるが、廃車後は10両程度が阪堺電気軌道に譲渡された。
    • 足回りも121形か205形と交換してスペック・収容力の問題を解決し、史実の251形(旧1801形)と異なり長命を保った。というか現在でも走行している。

昭和51年春に存続が決まっていたら

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  1. 元旧型車(1600型、2600型)が他都市へ譲渡されていた。
    • 2600型:広島へ 1600型:松山(一部は阪堺電軌)へ
  2. 京都市が新線建設計画を考えている。
  3. 一時期全面広告車だらけになっていた。
    • それでも景観条例なんかで派手な広告は避けられていた。
  4. 地下鉄は史実通り。

全廃直前にかろうじて存続が決まったら

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  1. 現在までに廃止された路線が一部復活している。
    • 候補:今出川通、七条通

関連項目

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