もし奈良電気鉄道が○○だったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
京阪電気鉄道と合併していたら[編集 | ソースを編集]
京阪奈良 | ||||||||||||
けいはんなら | ||||||||||||
● | Keihan-Nara | ● | ||||||||||
新大宮 Shinomiya |
Keihan |
京阪八条 | ||||||||||||
けいはんはちじょう | ||||||||||||
● | Keihan-Hachijo | ● | ||||||||||
Keihan |
東寺 Touji |
現在の近鉄京都線に当たる奈良電気鉄道は、京阪電気鉄道と大阪電気軌道の合弁で設立された会社です。第2次大戦後、大軌の後身である近畿日本鉄道は京都・奈良開発の一環として奈良電株を買い増し、京阪との間で激しい買収合戦を繰り広げましたが、京阪が淀屋橋乗り入れ計画に力を割いていた事情もあって近鉄に凱歌が上がり、1963年10月に奈良電は近鉄に合併されました。しかし、もし奈良電買収戦が京阪の勝利に終わり、奈良電が京阪と合併していたら…。
- 当然丹波橋直通は今も健在。
- 乗り入れが強化され、京都発淀屋橋行き京阪特急が運転される。
- むしろ丹波橋駅を改造して淀屋橋・中之島~奈良の列車が運行されるのでは?
- 京阪は新線を阪急に奪われて以来悲願の中心部乗り入れを果たす。京阪準急・旧奈良電普通が地下鉄に乗り入れ、京阪特急・旧奈良電急行が京都地上駅に乗り入れるようになる。また、京阪本線三条方面は宇治線のような観光路線となり、丹波橋⇔三条の折り返し運転がメインとなる。
- 乗り入れが強化され、京都発淀屋橋行き京阪特急が運転される。
- 大和西大寺から先への乗り入れはできなくなり、乗り換えが必要となる。
- 奈良電時代に計画されていた、国鉄奈良駅乗り入れ計画が実現する可能性も。
- あるいは自力で新線を建設して奈良市中心部に乗り入れていた。
- 高の原あたりで分岐し、国鉄に並行するように奈良駅へ向かう。途中、近鉄奈良線と新大宮駅で連絡。高の原~大和西大寺間は支線となる。
- 京奈特急も当然特急料金不要になる。ただし、大和西大寺まで。
- いや、新線建設で京都~奈良間直通となる。
- 京阪の昇圧に伴い、京都~橿原神宮前も復活する可能性がある。
- 京阪の昇圧に伴い、京都あるいは三条~奈良の"快速急行"という形で最優等列車として運行されてると思う。
- 路線名は「京阪奈良線」か?
- 略して京阪奈線と呼ばれたり。
- 京阪線や京津線に倣って「京奈線」かもしれない。
- 城陽市民や京田辺市民も「おけいはん」と呼ばれる。
- 樟葉~城陽あるいは新田辺まで新路線が建設されていた。
- 京阪特急は京都行きに変更されていた。
- いや、中之島線の快速急行だと思う。京都市内に食い込んでいるのが京阪特急のメリットなので。
- 日中は京都発着と出町柳発着を交互に運行するダイヤになっていた。
- 社名が「京阪奈電気鉄道」に変更されていた。
- そうは言っても奈良電は傍系だから社名の変更は行われないと思う。
- 1500Vへの昇圧は、当然ながら京阪本線と同時に行われた。
- 近鉄が先に昇圧した時、近鉄との直通運転を取りやめた。
- 複電圧車で片乗り入れしていたかも。
- 近鉄が先に昇圧した時、近鉄との直通運転を取りやめた。
- 近鉄は京都発着の有料特急を設けず、橿原線の意義はかなり低下していた。
- 奈良電京都駅は「京阪八条」駅に改称。
- 近鉄の奈良線系統の通勤車両は19m3ドア車が標準となっていたかもしれない。当時から阪神線との直通計画もあったので。
- 逆に京阪線が近鉄の規格に合わせていた可能性もある。
- 奈良交通は京都府内に路線を持たなかった。
- 現実の奈良交通の京都府内路線は京阪バスまたは京阪宇治バスが運行していた。
- 樟葉または枚方市まで京都市営地下鉄烏丸線の車両が乗り入れしていた。
- そのかわり、近鉄奈良に乗り入れることはなかった。
- 京都駅前の百貨店「丸物」は近鉄ではなく京阪が買収していた。
- ここが京阪百貨店の本店となり、現実の近鉄百貨店枚方店が京阪百貨店枚方店となっていた。
- 京阪は現実よりも早く百貨店事業に参入していた。その場合守口店はなかったか現実よりも小規模な店舗だった。
- 現在の京都駅ビルには伊勢丹ではなく京阪百貨店本店が入っている。
- 京都タワーが京阪系列であることを誰も不思議に思わない。
- ここが京阪百貨店の本店となり、現実の近鉄百貨店枚方店が京阪百貨店枚方店となっていた。
- 伏見桃山城キャッスルランドは存在しなかったか、京阪系の遊園地となっていた。
- もし後者だった場合、閉園しなかったかも。
- ひらかたパークとともに京阪の2大遊園地となり、相互にPRが行なわれていた。
- もし後者だった場合、閉園しなかったかも。
- 京阪は奈良に向かう皇族のお召し列車の運行を担当するようになっていた。
- 京阪の運賃は近鉄よりも安いので、阪奈間の運賃は現実よりも安くなっていただろう。
- 大和西大寺~奈良が近鉄に乗り入れていた場合近鉄運賃が加算されるが、それでも現実よりは安くなっていた。
- 21世紀に入ると大和西大寺~近鉄奈良は近鉄・京都市営地下鉄・阪神・京阪4社の車両が見られるようになっていた。
京阪電気鉄道に直通する形で開業していたら[編集 | ソースを編集]
奈良電気鉄道(奈良電)は、はじめは宇治から京阪宇治線、ないしは伏見桃山から京阪本線へ乗り入れをする形で京都市街地への乗り入れを果たす計画でした。しかしながら、京阪本線の容量不足により奈良電の電車を受け入れる余裕はないと考えられたため、最終的には国鉄奈良線の跡地を利用し、自力で京都駅への乗り入れを果たす計画が採用されたといわれています。
では予定通り、京阪に直通する形で開業をしていたら?
全般[編集 | ソースを編集]
- 将来は京阪と合併していた可能性が高い。
- あるいは未だに勢力均衡で独立会社のまま。
- 京阪本線は大阪側のみならず京都側でも複々線化がなされていた。おそらく中書島or伏見桃山-三条間。
- その場合、鴨川河畔の地上線は高度経済成長期には消えていた。
- あるいは現実の京都-丹波橋間を、京阪が自ら敷設していた。
- この場合、京都-中之島や出町柳-橿原神宮前という系統列車が生まれていた可能性もある。
- 近鉄特急が京阪出町柳駅に発着していた。
- この場合、京都-中之島や出町柳-橿原神宮前という系統列車が生まれていた可能性もある。
- 複々線化がされた場合、鳥羽街道・伏見稲荷・深草の3駅のうちどれかは統廃合で消えていた可能性もある。
- 片町駅がそうなったように。
- 近鉄の昇圧時、大和西大寺にデッドセクションが出来る。
- 近鉄と合併する可能性は低くなっていた可能性大(以下上述)
宇治線宇治で接続[編集 | ソースを編集]
- 直通列車は中書島で折り返しをしていた。
- そのため、線路が切り替えられて宇治線の起点が伏見桃山か丹波橋に変更されたかも。
- 中書島~京都に新線を建設していた可能性もある。もしその場合、中書島駅は現実よりも大規模になり、特急の停車も早期に行われていた。
- 必然的に京阪本線と宇治線の直通列車は現存する。
- 将来京阪に合併した場合、伏見桃山(or丹波橋)-西大寺間が京阪奈良線となっていた。
- 史実の計画通り、京都市営地下鉄東西線の六地蔵以北、山科以南は京阪(か奈良電)の手で行われていた。京津線の地下化も早まっていた。六地蔵・観月橋駅周辺の渋滞がさらに酷くなるため、外環状が六地蔵からまっすぐ向島方向へ宇治川を渡る構造になっている。
京阪本線伏見桃山で接続[編集 | ソースを編集]
- 伏見桃山以北は複々線化を強いられる。
- 現実どおり京都への路線が開業した場合、京都-丹波橋間は京阪伏見線、丹波橋-伏見桃山間は京阪本線の複々線、伏見桃山-大和西大寺間は京阪奈良線となった。
- 伏見桃山駅が特急停車駅となっていた。
- 逆に中書島と丹波橋は特急が通過する。よって特急の停車駅が1駅減る。
- 丹波橋駅にある待避設備は伏見桃山駅にできていた。
- 用地が狭く列車本数も増加するため、現実の桃山御陵前駅の位置あたりに移転して高架化されていた可能性も。
- 宇治線との接続も中書島から伏見桃山に変更されていた。
- 丹波橋駅にある待避設備は伏見桃山駅にできていた。
- 伏見桃山駅の乗降客数は現実の丹波橋駅をはるかに上回っていた。
- 伏見区の中心市街地に位置するため。
- 特急の停車も昭和のうちに実現していた。
- 駅名もこちらが「伏見」駅となっていた。
- 大手筋商店街がさらに発展し、四条河原町周辺と並ぶ京都有数の繁華街となっていた。
- 逆に中書島と丹波橋は特急が通過する。よって特急の停車駅が1駅減る。
京都駅が烏丸口側に設置されていたら[編集 | ソースを編集]
奈良電→近鉄京都駅は当初烏丸口側に設置する案もありましたが、結局八条口側に設置されて現在に至っています。もし烏丸口側への駅設置が実現していたら・・・。
- 恐らく近鉄名古屋駅と同じような地下駅となっていた。
- 途中東寺駅付近で京都市電と交差していたので、東寺駅の手前あたりから地下に潜っていたと思われる。
- 実際に京都市はこのようなルートでの建設を求めていた。
- 京都駅での東海道新幹線との乗換えは現実よりも不便になっていた。
- JR西日本はそれを逆手に取り京都~奈良間の輸送改善を実施、JR奈良線は全線が複線電化されている。
- 京都~奈良間では現実よりも「みやこ路快速」の利用が増えている。
- JR西日本はそれを逆手に取り京都~奈良間の輸送改善を実施、JR奈良線は全線が複線電化されている。
- 京都駅のほぼ中央部にも地下通路が新設され、近鉄との連絡改札もここに設置されている。
- 1997年の京都駅ビル開業時に橋上駅舎が完成するのは史実通り。
- 京都駅前の地下街ポルタは現実よりも早くオープンしていた。
- 奈良電の地下駅と一体化していたかも。
- 名前がもう少し平凡な物になっていた。
- ポルタの運営会社に近鉄資本が入っていた。
- 史実では京都駅前にあった丸物百貨店は奈良電京都駅に併設されたターミナルデパートとなっていた。もし奈良電が独立を保っていた場合、丸物が近鉄に吸収されることもなかった。
- 京都タワーの親会社が京阪ではなく近鉄になっていたかもしれない。
- 四条河原町あたりへの延伸が計画されるも実現せず。
- 地下鉄烏丸線にはあまり影響がない気がする。
- もともと竹田以南の上鳥羽・宇治川方面への延伸を検討していたため。
- また奈良電の駅予定地は現在の京都中央郵便局付近で烏丸通には届かない。
奈良駅まで独自ルートで建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 最初から大軌への乗り入れが前提だった為か、史実の奈良電は西大寺が終点となっていますが…。
- 木津川台か高の原辺りからのルートが史実とは異なっていた。
- どのみち奈良近辺は関西本線に並行するような形になっていたと思う。
- 大和西大寺の配線があそこまで複雑にはならなかった。
- 橿原線を通る特急列車が史実よりも少ない一方、南大阪線の特急運行本数が若干増える。
- 新ノ口連絡線の存在意義が薄れていた。
- 国鉄もこれに目を付けて、京都-奈良-畝傍間に修学旅行列車を組み込めるようなダイヤ設定を行っていたかも。
- 橿原線を通る特急列車が史実よりも少ない一方、南大阪線の特急運行本数が若干増える。
- 近鉄の京都進出がほぼ不可能になるので、奈良電は京阪と合併していた。
- 阪奈間は近鉄、京奈間は京阪が優位に立つ事で棲み分けが成されていた。よって淀屋橋発京阪奈良行きは設定されない。