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もし村上雅則・野茂英雄以前に日本人大リーガーが誕生していたら

日本人初のメジャーリーガーは1965年にサンフランシスコ・ジャイアンツに入団した村上雅則ですが、その後1995年に野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースに入団するまで、メジャーデビューした日本人選手はいませんでした。もし、村上以前や村上以降野茂以前に日本人メジャーリーガーが誕生していたら?

  1. メジャーリーグの球団が日本でアマチュア選手のスカウト活動を始め、日本のプロ野球関係者は真っ青になる。
    • ただ、日米間の選手契約協定がもっと早く進んでいた可能性も。
  2. 今頃マリナーズあたりはマイナーリーグの選手が日本人だらけになっていたかも。
  3. 「日本プロ野球界の保護の為」として「日本人選手のメジャー契約には3年以上の日本プロ野球界在籍経験を必要とする」という規定が設けられていた。
    • それに対して一部のメジャー好き評論家は「もっと自由にメジャーに行けるようにすべき」と批判していた。
    • マイナー契約やアメリカの大学に留学などの抜け道を使う選手もいる。
  4. それでも21世紀初頭には「これ以上選手が流出したら、日本球界はMLBの草刈り場にされてしまう」みたいな論調は和らいでいただろう。
  5. WBC日本代表はメジャーリーガーで占められ、NPBからは良くて2、3人になってた。
  6. プロ解禁後のオリンピックにおける野球日本代表の成績は現実より悪かった。

日本で無名の選手の場合

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  1. 日本の球団に所属した経験のない選手だった場合、ドラフトで獲得しようと目論む球団は当然現れる。
    • 無論当人は頑なに日本でのプレーを拒否するだろう。
  2. マスコミからはあまり注目されない。
    • せいぜいドキュメンタリーとしてたまに扱われる程度。
    • 帰国して日本の球団に入団すると俄かに注目される。
    • ノーヒットノーランやワールドシリーズ出場などの快挙を達成した場合も一気に注目度が高まる。
  3. 漫画「MAJOR」のシナリオにも影響を及ぼしていたかもしれない。
    • 吾郎はその選手と同じルートでメジャーリーグ球団と契約していた。

日本で有名な選手の場合

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秋山幸二

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  1. 30-30クラブのメンバー入りは確実。
    • それどころか向こうで40-40も達成していただろう。
  2. 渡米時期によっては佐々木誠らとの大型トレードはなかった。
    • 引退後にソフトバンクの監督どころか指導者にもなっていない可能性が。
  1. 巨人への未練を断ち切ることができたら、そのまま成功していただろう。
  2. 巨人への未練が断ち切れなかったら、巨人に入るまで他球団の不毛なドラフト指名が続いていた。
  • 1984年西武を退団後にブリュワーズのキャンプに参加した。
  1. ダーティイメージが少し薄れていた。
  2. 薬物に手を出すこともなかっただろう。
  3. 渡米時期によれば「江夏の21球」もなかった。
  1. 1977~78年オフ渡米、日本での記録は800本いくか行かないかで終わり。
  2. 日米通算800本はアメリカで達成。
  3. 868本よりも記録が伸びていた。
    • ギネス登録もあったか。
  4. 圧縮バットなどの条件で試合やっていたことから、最初はなれるのに苦労した。
    • でシーズン30本ぐらいでとどまる。
      • それでもさらに現実よりは5年間現役を続け、通算900本にまで達していたかもしれない。
  5. 日本球界出身者で初めて、ワールドシリーズ制覇を体験し(なおかつ貢献した)選手となる。
    • 台湾人としての記録なので、日本人初はやっぱり別の人。
      • 当然日本人初のはずの松井秀のMVPがかすむ。ひょっとしたら移籍も別の結果に。
  6. ヒット数も3100本に達していた場合、この人がなんと言うか・・・・・・
    • 史実のイチローの安打数記録更新時みたいに「王の安打数は日米合算。私の記録が日本記録!」と言うんじゃない?
  7. 「世界の王」と呼ばれるのには変化無しだろう。
  1. 1993年にオファーを受けてエンゼルス入り。(史実では本人が年齢的に難しいという理由で断ったため実現しなかった)
  2. 広島は史実より数年早く低迷期に突入していた。

沢村栄治

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  • 戦前、カージナルスに強引ながらスカウトされたことがあったらしい。
  1. 戦死することはおそらくなかったが、戦時中の日本人排斥のあおりを受けていた。
    • もし戦前戦後通して活躍していれば、ジャッキー・ロビンソンのような反差別の象徴になっていた。
    • 戦争開始までアメリカにいた場合、収容所生活を送ったのは確実。
      • 戦後も日本への敵対感情からかメジャーリーグには復帰できず、しばらくはニグロリーグに在籍していたかもしれない。
        • いずれにせよ、何らかの形で神格化されるのは確実。
  2. 村上以前に2人目のメジャーリーガーが誕生していた。
  3. というか、日本の野球事情が大きく変わっていた。
    • 長嶋茂雄もメジャーを目指していたかもしれない。
      • それでも巨人軍が有望な選手を強引に引き抜いていた。
  4. 巨人の14番は永久欠番にならず。
    • 但し「アジアのジャッキー・ロビンソン」となった場合は史実以上に神格化されていた。
    • 澤村拓一は14番をつけていた。

田尾安志

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  1. 日本のプロ野球では獲得できなかった、首位打者の座を手にしていた(渡米した時期にもよるが)。
  2. 1986年のシーズンオフに渡米していた場合、前田吉竹両選手の交換トレードの相手は別の選手になっていた。
    • トレードそのものが行われなかった可能性もありえるが。
  3. 楽天の初代監督に就任しなかったかもしれない。

長嶋茂雄

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  1. 大リーグブームが爆発的に起こっていた。
    • MLB中継の争奪戦が始まる。
      • もし日本テレビが獲得したら、読売グループは巨人を身売りしたかもしれない。
  2. 実際、ドジャースのオマリー会長から声がかかっていたので、大正力が反対しなかったらありえた。
  3. 徳光和夫は日テレを退社してアメリカに移住する。
    • もし↑の日テレ放映権があったら、アメリカの支局に赴任して「長嶋リポーター」になっていた。
  4. 果たして巨人ファンはどのような思いで見送っていただろうか?
  5. 巨人の背番号「3」が永久欠番になるのは史実通り?
  6. 日本においてプロ野球が国民的な存在になる流れが尻すぼみしていた(実際正力はそれを懸念したために長嶋のドジャース移籍に大反対したそうだが)。
  7. フランチャイズプレイヤーにはあてはまらないので巨人監督にはなっていない。
    • 引退後はドジャースの極東スカウトだったかも。
  8. 長嶋一茂は帰国子女として育てられた(オマリー会長との接触は一茂が生まれて間もない頃だった)。

マック鈴木

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  1. アマチュアからダイレクトで渡米する選手が増えていた。
    • 少なくとも菊池雄星や大谷翔平は確実。

山本和行

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  1. ロサンゼルス・ドジャーズの背番号25として登板。
  2. 1985年の阪神はリーグ優勝できなかった。

山本昌広

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  1. 野球留学中に声がかかっていたので、星野が呼び戻さなければ現実にありえた話。
  2. それが中日にとって向こう20年以上にわたる大損失だったことを知る者は、そちらの世界には誰もいない…。
    • メジャーでも40代~50くらいまでできたかは微妙なところ。
      • 適当に日本球界に復帰した。
    • なに、近藤真一・米村明・今中慎二・野口茂樹が穴を埋めるだろう。
  3. 近藤真一の現役生活が少し長くなった?
  4. 当然、登録名は「山本昌広」。

吉田義男

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  1. 向こうでも活躍した場合、今以上に英雄扱いを受ける。
    • 当然阪神で「23」は永久欠番のママである。
    • しかし、「阪神を裏切った」と見られるかも。