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もし東北福祉大学がスポーツに力を入れていなかったら

  1. 仙台六大学野球は東北学院大と仙台大の二強。東北福祉大はリーグ最弱で東京六大学でいう東大のようなポジションになっていた。
    • なお史実でもリーグ戦が始まった70年代初頭は東北福祉大は弱小でありこの時期に東北福祉大はリーグ記録となる58連敗を記録している。
      • 現在に至るまで強化されていない場合、この連敗記録は更新されている可能性が高い。無論リーグ戦118連勝なんて記録は誕生していない。
      • 大学野球のリーグ戦連勝記録は現在でも慶應義塾大の20連勝。
    • 東北福祉大を強豪に育て上げた伊藤義博は東北福祉大の監督にはならずに桜宮高校の監督を続けていた。
      • 金本知憲や佐々木主浩といった東北福祉大出身の数多くのプロ野球選手は別の大学に入学していた。
      • 東京六大学や東都、首都、はたまたライバルにあたる東北学院大や仙台大に入学していた。
      • 東北学院大や仙台大から史実よりも早くプロ野球選手が誕生していた。
        • ちなみに史実での東北学院大初のプロ選手は仁部智(元広島)、仙台大初のプロ選手は熊原健人(横浜DeNA)。
    • 東北福祉大野球場や室内練習場は建設されていない。なので仙台六大学野球のリーグ戦は東北学院大の泉キャンパスのグラウンドで行われている。
    • となると野球が強い地方の大学の代表例はどこになるんだ?
      • 日本文理大かな?
  2. ゴルフ部も強化されていないので松山英樹などの東北福祉大出身のプロゴルファー達も別の大学に入学していた。
    • 大学ゴルフといえば今でも日大が王者。
  3. バレーボール部も強化されていないので佐藤伊知子や佐藤あり紗などの東北福祉大出身のプロ選手達も別の大学に入学していた。
  4. 東北福祉大の知名度は史実ほど有名になっていなかった。
    • 関東では東京福祉大と間違われる事が史実よりもかなり多い。
    • 日本福祉大出身の浅尾拓也の出身校が東北福祉大と間違われる事は無かった。
    • 横浜スタジアムに東北福祉大の看板が掲げられる事は無かった。
    • 日本福祉大学、社会事業大学とともに福祉系の大学の「御三家」の一角になることはなかった。
      • 代わりに新潟医療福祉大学か国際医療福祉大学が「御三家」の一角になっていた。
  5. 東北福祉大の偏差値は史実よりも落ちていた。なので東北福祉大は拡大路線を取ることができずに学生数は史実よりも少ない。
    • 通学で主に使われる仙山線が通学ラッシュで混雑する事もないので東北福祉大前駅が作られる事は無かった。無論ステーションキャンパスも作られていない。
      • 東北福祉大前駅から国見キャンパスへとつなぐ道を既存の住宅街に通す事もないので東北福祉大前駅周辺の住民と東北福祉大が学生による騒音問題の裁判で争う事は無かった。
      • 史実通りできても貝ヶ森駅となり副駅名に東北福祉大を入れるのがやっと。
  6. 仙台駅東口にあった代ゼミ仙台校の跡地が東北福祉大の通信制のキャンパスになっていなかった。
    • 建物は代ゼミ仙台校撤退後に程なくして解体されて現在は近くにあるさくら観光のバスターミナルが拡張されている。
  7. 東北福祉大が医学部新設に名乗りを上げたかどうかすら怪しい。この動きが無かったら東北に新しい医学部を誕生させる動きも起こらず東北薬科大(現:東北医科薬科大)に医学部は新設されていなかったかもしれない。
    • 被災地の医師不足解消という面では東北に医学部は出来ていたと思うが、福島など別の地域にできていたかも。
    • 附属病院は設置されなかった。
  8. それでも萩野浩基は国会議員になり東北福祉大の学長を死ぬまで務める。
関連項目