もし筑波高速度電気鉄道が開業していたら
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こちらは柿岡地磁気観測所(石岡市)が存在していても建設されたという想定。
地磁気観測所がなかったという想定はもし柿岡に地磁気観測所がなかったら
全般[編集 | ソースを編集]
- 電気鉄道のはずなのに守谷以北が昭和40年頃まで非電化。
- 上野~筑波山を直通運転する気動車急行が運行されていた。
- 上野の地下線は気動車が力行できないので、電車と気動車を併結運転するか、あるいはパンタグラフを付けた電気式気動車が登場していた。
- 上野~筑波山を直通運転する気動車急行が運行されていた。
- 筑波研究学園都市そのものが現在と全く違ったものとなっている。予定では現在のつくばセンターは通らないし。
- 中途半端に開発が進み、大きな空き地が残らずに筑波研究学園都市そのものが建設されず、研究学園都市は、別の候補地(富士山麓)に建設された
- あるいは学園都市が北東にずれていた。この場合、谷田部町ではなく新治村がつくば市になっていた。
- 常磐線の混雑が史実ほど酷くならなかった。
- 415系500番台が登場していたかどうか微妙。
- 日立製作所と協力関係にあり様々な新技術の試験が行われた。
- 沿線に立地する大学がもっと多かった。
- 東京〜筑波間の高速バスは存在しない。
- 流鉄が廃止された可能性がある。
- 逆に発展して近代化もできていた。
- つくばエクスプレスは、どうなっていただろうか?
- 現実の首都圏新都市鉄道は東京直結鉄道(豊洲か秋葉原~下妻)を建設していたかも。
- 三郷、流山、守谷の市制施行が早まっていた。人口も史実より多い。
- ただし、おおたかや柏の葉、守谷等が新興住宅地として注目されず、平凡なベッドタウンになっていた。
京成電鉄筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
| たなか | 守谷 | こはり | |||||
| Tanaka | |||||||
| Moriya | Kohari | ||||||
- 守谷~筑波間の電化に、ドイツから低周波交流電化の技術を輸入。日本初にして戦前期唯一の交流電化となる。
- 周波数16 2/3Hz。電圧15kV。
- 「ジーメンス」社あたりが参入か?
- 開業当初は絶縁不良で事故を起こしまくった。
- 「交流電化発祥の碑」は作並ではなく守谷にある。
- 整流方式が主流となり、実際に車両が整流方式になってもこの区間では低周波のまま。
- 国交省が鉄道省以来のウラミツラミで切替工事を認可してくれない為。
- 新規開業線は国鉄と同じ商用50Hz、20kVなので、新規開業線は分岐してすぐに電圧・周波数転換のデッドセクションがある。
- 低周波用交流ATSが最近まで開発できず、守谷以北ではつい最近までタブレット交換。
- 周波数16 2/3Hz。電圧15kV。
- もしかすると、国内唯一の非電化標準軌路線になっていたかも。
- つ琴電塩江線
- 直通運転する京急の車両も交直流対応車両に。
- 都営車も交直流車になるが、関係のない北総・芝山車は直流のみ対応。
- むしろ京急線車両は筑波線に乗り入れない。
- 千代田線が取手まで来ているように守谷までは来ていたかも。
- ガチレスすると青砥と町屋でスイッチバックすることになる為、都営方面からの直通はなかった。本線系統が都営方面、筑波線は上野行きで棲み分けされていたかも。
- この場合、町屋〜青砥間は実質支線化していた。
- 京成本線とは町屋で分岐。
- さらに梅島から分岐する松戸支線(梅島-亀有-柴又-国分-松戸)も京成松戸線として建設されていた。
- 北総線は建設されない。
- 史実だと京成本線のルートは松戸支線計画を手直しした結果なので、押上線との接続も兼ねて京成本線〜北総線ルートで北国分あたりまで行ってそこから松戸まで延伸した可能性はある。その場合、北総線は仮に建設されても北初富ルートで完成という形になっていたかも。
- スカイライナー以外の全ての種別が町屋に停車する。
- さらに梅島から分岐する松戸支線(梅島-亀有-柴又-国分-松戸)も京成松戸線として建設されていた。
- 直流車と区別する為、交直車が赤電塗装になっていたかもしれない。
- 戦後に入ってから有料特急の運行を開始。
- 90年代まで赤電のクロスシート車が活躍していた。
- 成田空港開港の遅れにより、初代AE車が筑波行き特急に暫定運用されていた。
- 京成百貨店つくばショップの開業が50年ぐらい早まる。
- 関東鉄道を買収し、京成自体が関鉄を名乗っていた可能性もある。
- 常総線も電化され、水海道方面から本線に直通する列車がある。おそらく水海道までは直流車の運用も可能。
- 上記8.も実現していたら、営業距離面で関東第2の大手私鉄となっていた。
東武鉄道筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
| はついし | |||||
| 初石 Hatsuishi | |||||
| ● | |||||
| ながれやま Nagareyama |
(千葉県流山市) | たなか Tanaka | |||
- 交流電化直前まで蒸気機関車が現役。
- その後、観光目的での特別運行を実施。
- 明治時代の東武生抜きと、国鉄払下げの8620形がある。
- 区間運転用の気動車も配置されていたが、電化後は熊谷線に回される。
- その後、観光目的での特別運行を実施。
- 守谷までは8000系の保養地。直流用の回生車はゼロというすばらしさ。
- 8000系は野田線と共通運用。一部電車は野田線へ直通。
- 21世紀に入ると特急以外、守谷で運行系統が分離されていた可能性も。
- 「伊筑入れ替え」が行われ筑波線電車が浅草へ連れて行かれ、東武上野は伊勢崎線電車が占領。
- 地下鉄半蔵門線開通時には、半蔵門線乗り入れが伊勢崎線に、日比谷線乗り入れが筑波線に。
- 京成上野駅は開業していない。
- いや、存在しないでしょう。
- ありゃ。そういうつもりで「開業していない」って書いたんだけど。言葉足らずでスマヌ。orz
- スペーシアの新宿乗り入れは行われていない。
- 筑波線用の特急電車は1720系DRCの部品転用車
- 直流用全電動車方式から交直用4M2Tにスローダウン。
- 初石駅に野田線との連絡線が設置され、一部の電車は柏に向かう。
- 大宮-筑波間直通の臨時列車も運転される。
- 柏から常磐線への貨物列車乗り入れは早期に廃止。
- スカイツリーライン、アーバンパークラインと同様の横文字の愛称が付けられていた。
- サイエンスらいんとか?
- 上野動物園と東武動物公園と、沿線に二つ動物園があることになる。
筑波電気鉄道の場合[編集 | ソースを編集]
- 昭和17年大東急入り→戦後再分離と言う流れ
- 常磐線と東北本線の間にあるから大東武にねじ込まれていたと思う。
- あるいは茨城県南西部の鉄道事業者の統合主体となり、常総鉄道や筑波鉄道を合併していたかも。
- ぜんぜん高速じゃない。
- 一部で「電波」と略称される。
関東鉄道東京線の場合[編集 | ソースを編集]
- 守谷以北は今でも非電化。
- 経営基盤が脆弱で新車を買えず、線路は長いのに国鉄や西武のお下がりをもらってばかりいる。
- しかし気動車は中古では加速力が足りないので、やむを得ずキハ52形大量建造。
- オリジナルのキハ20系にはない中間車が存在し、鉄の餌食に。
- 最近になってようやく電車区間向けに自社の新車を導入したが、それは京成3000形の1067mm軌間仕様車だ。
- オリジナルのキハ20系にはない中間車が存在し、鉄の餌食に。
- しかし気動車は中古では加速力が足りないので、やむを得ずキハ52形大量建造。
- 「特急」はなく、「急行」は有料で、国鉄キハ55系の自社発注車、キハ58系列(+キハ65形)の中古、そして名鉄キハ8000系の玉石混合。
- たまにキハ52系列も急行編成に入ったりする。
- が、シートは白カバー付、車販コーナー有り、キロ連結と「関鉄唯一の優等列車」に無駄に力が入る。
- しかしおかげで、近年はFひたちの客を掻っ攫う。
- 名鉄からキハ8500を買うのは会津鉄道ではなくここだったりして。
- しかしおかげで、近年はFひたちの客を掻っ攫う。
- 小田急や南海の中古車は史実通り譲受するが、入線時に特に目立った改造はなされない。
- 国鉄にお情けで上野駅乗り入れを認めてもらう。関鉄上野~日暮里は廃止。
- 関東鉄道は大手私鉄の一員になっていた。
- 本社は都内にある。
- 当然ながら京成グループにも入っていない…と思ったが、小田急と相鉄みたいな関係もあるからどうなんだろう。
- 都心での利益が見込めビジネスモデルが変わっていた。
- 常総線や筑波線への直通列車が設定される。
- 東京線の終点は常陸北条だった。
- 田中駅と東田中駅が50km以上離れていることがネタにされる。
西武鉄道の場合[編集 | ソースを編集]
| 西武上野 | ||||||
| せいぶうえの Seibu-Ueno | ||||||
| 日暮里 Nippori |
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| → | ||||||
- なまじ着工してしまったために京成は買収に難色を示し、東武から裏切り者扱いされ、泣く泣く大堤商店の一員に。
- 直流用はいまだに釣り掛け式。
- 101系の廃車発生品は全部交直車の増備に持って行かれる。
- しかし常磐線との競争に入ると、20000系や30000系が次々と導入される。
- 営団発足以降では初の民間地下鉄を上野~西武新宿間に建設しようと企む。
- 開通した場合、新宿線と直通運転。
- 守谷などの沿線民からは「トロ電」「カメ電」「ウ○コ電」などといわれるが、本数はやたら多いので結局みんな使う。
- 旧形を冷房改造してお茶を濁しまくったので「偽黄電」とも。
- 新宿線・池袋線系統のノリで支線を建設しまくる。が、守谷以北はほとんど非電化。
- 科学博開催の時に後先考えず荒川沖に線路を伸ばしてみる(土浦の市街地は既に筑波線があるし地価も既に高いのでパス)。
- しかし本数はそれなりに確保してあり、高性能車両での急行運転、接続の良さなどから沿線住民は増える。
- よく考えたら、赤電vs.赤電か!?
- 西武筑波店の立地が若干変わる。
- 新京成も買収できていたかもしれない。
- 特急「つくば」号(仮)の運行の為に5000系がここにも投入された。
- 10000系への置き換えは史実通りだが、やはり機器流(ry
- 西武ライオンズが茨城県内で主催試合が行われていた。
東急電鉄筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
- 押上からの路線のため東急の線路とは繋がってない。
- なので半蔵門線の建設が急がれていた。
- 車両は開業当初は8500系や9000系だった。
- しかし常磐線と競争に入ると、新5000系や新6000系が次々と導入される。
- ただし各停は8500・9000系などが存置される。
- むしろ7000系・7200系と1000系の天下なんじゃないかと思う。営団日比谷線を使って東横線と行き来する為。
- その後田園都市線と直通するため東京メトロ半蔵門線を買取, 東急半蔵門線に。
- 種別が快速 快速急行 急行 特急と沿線住民待望の種別が誕生。
- その後、渋谷駅に半蔵門線への渡り線を作り、横浜発土浦行きなど誕生。
- さらに東武のTJライナーの様なライナー列車を導入。
- 東急のセンス的にはQシート車連結の方が現実味ありそう。
- 筑波に東急百貨店が出店していた。
国鉄→JR東日本筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
| 南流山 | ||||
| みなみながれやま | ||||
| 早稲田 | 流山 | |||
| Waseda | Minami-Nagareyama | Nagareyama | ||
- 上野-日暮里間は山手線・京浜東北線・東北本線・常磐線に加えて筑波線の5系統がひしめきパンク状態に。
- 千代田線と相互乗り入れを行った。
- 「通勤六方面作戦」により守谷までが複々線になる。
- 武蔵野線開業時に南流山駅が設置されるが、緩行線しか停車しない。
- 「通勤六方面作戦」により守谷までが複々線になる。
- ラインカラーは上野や日暮里で紛らわしくないカナリアイエロー。
- 守谷までが電車特定区間に。
- 交直両用車の殆どは常磐線のお下がり。
- 401系低運転台車の墓場になっていた。
- 451系による急行が上野-筑波間に運転される。
- 国鉄末期に485系特急に格上げされ、90年代後半になってE653系に置き換え。
- 水戸まで延伸し、常磐線になっていた。
- 田中駅は「下総田中」駅に改称。
- 上野東京ラインには入れず、現在でも上野どまりのまま(但し、地下化と同時に東京延伸という可能性もなくはない)
営団→東京メトロ筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
- 地下鉄に特化しない事にしたか地下区間を作り埋め合わせたか。
- 東京都外進出に消極的になることはなくこの場合東葉高速及び埼玉高速はなかったか。
- 史実の日比谷線が延長となったか。
流鉄筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
- 守谷以北は今でも非電化。
鹿島臨海鉄道筑波線の場合[編集 | ソースを編集]
- 全線非電化。