もし議院内閣制があの時代にあったら
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全般[編集 | ソースを編集]
- いつの時代から存在していたにせよ、伊藤博文は初代内閣総理大臣ではなかった。
- 開票は1ヶ月かけて行われる。
平安時代[編集 | ソースを編集]
- 中央の代表の議席と各国代表の議席が別々に設けられていた。
- 各国代表の議席は「大国4議席、上国3議席、中国2議席、下国1議席」といった感じになっていた。
- 氏族が現代の政党に似た役割を果たしていた。
- 宗教勢力の介入を防ぐため僧侶などに参政権は与えられなかった。
- 内閣総理大臣の役割は摂政・関白・太政大臣を合わせたような感じか。
- 史実の左大臣が内閣総理大臣、右大臣が副総理となっていた。太政大臣は退陣した首相を引退させるための名誉称号に棚上げ(元から臨時職のため)。
- 一時期は議員が藤原氏ばかりになっていた。
- 藤原氏以外は総理候補に立候補することすら憚られる。ただし皇族は例外とされた。
- 革命前のフランスと同じく貴族の妻などごく一部の女性に投票権が認められていたかもしれない。
- 選挙権は中央の貴族のみ。地方の人には無縁な話。
南北朝時代[編集 | ソースを編集]
- そもそも北朝・南朝ではなく「持明院党」と「大覚寺党」の二大政党制だった。
安土桃山時代[編集 | ソースを編集]
- 議員選挙が現実より300年早く行われていた。
- 但し、選挙権を持つのは上級武士や貴族、地主に限られる。
- 「関ヶ原の戦い」が「関ヶ原解散」になる。
- 徳川家康率いる東党と石田三成率いる西党が、政権を巡って激しい選挙戦を繰り広げる。
- 信州の真田氏など、親・兄弟が別の政党から立候補し議席を争う選挙区もあった。
- 徳川家康率いる東党と石田三成率いる西党が、政権を巡って激しい選挙戦を繰り広げる。
江戸時代[編集 | ソースを編集]
- 天皇ではなく、征夷大将軍(徳川宗家)が内閣総理大臣を任命する形だった。
- むしろ徳川家が内閣総理大臣じゃ?
- 史実の水戸藩主は副総理に。
- 大政奉還とは内閣総理大臣の世襲廃止と、下院(衆議院)を設置して大名・旗本以外も立候補出来るようになる改革のことを言った。
- 徳川将軍家とネパールのラナ宰相家は史実以上に近似性を指摘される。
- むしろ徳川家が内閣総理大臣じゃ?
- 参勤交代ではなく、各大名が江戸議会議事堂に集結という形をとっていた。
- 親藩・譜代大名は与党、外様大名は野党扱い。
- 恐らく大体の人は参政権と投票権はあると思われる。
- それじゃなきゃあ越後屋よろしく賄賂を(ry
- 投票権は参政権の一部ですよ。
- 身分によって1票の価値が変わる。
- 17世紀初頭の時点では被選挙権は大名と千石以上の旗本・高家くらいしか無い。時代が下るにつれ武士全般に認められ、町人も一部認められる。ついに全国民の立候補が可能になった時を明治維新と言う。
- 時代劇や落語にも選挙に関する話が出てくる。