もし金解禁で新平価を採用していたら

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金解禁
1930年に実施された金解禁(金本位制への復帰)では、旧平価(第一次大戦前の金本位制を採用していた時代のレート)を採用するか、新平価(解禁時点での実際のレート)を採用するかで論争があり、結局、旧平価を採用しました
もし、このとき新平価を採用していたら、日本はどうなったでしょうか?

  1. 恐慌の影響はあったものの、急激なデフレ不況はなかった。
    • しかし、他国が次々に金本位制を離脱すると、日本は通貨高となって、結局不況に陥った。
    • 高橋是清の再登板がなかったので、不況からの景気回復は遅れた。
    • 史実のような急激な不況と景気回復ではなく、ダラダラとした長期の不況が続いた。
    • 1930年代半ばになって、ようやく金本位制を停止し、不況は収まった。
  2. その結果、濱口内閣は国民の人気に支えられて長期政権となっていた。
    • 満州事変時も米英協調路線の濱口内閣だったので、国際連盟の調停案を日本は受け入れ、国際連盟の脱退はなかった。
      • その結果、日本の大陸進出は行われなかった。
    • しかし濱口内閣の後は、長期化する不況を背景に、軍部の影響が強まっていった。
      • 満州国が存在しないので、日本の軍事的進出は南進論が優勢となった。
      • 大陸に足を取られることなく太平洋戦争を迎えたため、太平洋・東南アジアに兵力を集中できた。
        • でも戦術は変わらなかったため、悲惨な死を迎えた兵が増えただけだったかも。
    • 東京駅にある遭難現場を示すプレートが1つ減る。