もしあの用水路が建設されなかったら
(もし香川用水が建設されていなかったらから転送)
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安積疎水[編集 | ソースを編集]
- 郡山市の現在のような繁栄は無かった。
- 日和田町や三保田村が平成時代になるまで存続していた。
- 県中地方の雄は江戸時代より交通の拠点となっていた須賀川になっていた。
- 安積町は須賀川市に合併していたかもしれない。
- 田村町や西田町は三春町などと合併していた。
- 会津地方東部の電源開発、工業開発も起きなかった。
- その分十六橋水門の方がしっかり整備されている。
- 矢吹開拓まで中通り地方は福島市周辺以外農地に恵まれていなかった。
玉川上水[編集 | ソースを編集]
- 先行き過ぎだが、都庁が有楽町のまま。
- 太宰治が長生きしている。
- もしくは別の場所で自殺していた。
- 多摩地区の小学校の社会科見学がどこか違う場所になってる。
- 多摩地区が東京に編入されなかった。
- 何で?関係なくね?
- ↑水源監視のために編入されたんだよ。
- 江戸に疫病が発生し、幕末を迎えても人口が世界最大の都市になどなれなかった。
- あるいは疫病発生→治安悪化→倒幕で幕末が早まるか。
- そもそも東京は首都になりえなかった。
- 従って日本の首都は現在も京都。
- 三鷹駅を跨いで市の境は設置されなかった。
香川用水[編集 | ソースを編集]
年間を通して雨の少ない瀬戸内海地方の中でも特に雨の少ない香川県は昔から毎年のように深刻な水不足が発生していた。香川県民の悲願であった香川用水が1974年に通水を開始してからは以前のような大渇水はほとんど起こらなくなったが、もし香川県民の命綱ともいえる香川用水が建設されていなければどうなっていただろうか??
- 香川では毎年夏になると水道から水が出ないのが当たり前になっている。
- プールなんてもってのほか。
- 香川で生まれ育った人は泳げない人が多くなる。
- その代りに海水浴が当たり前になっていた。学校における水泳の授業も海で行う。
- 全国ニュースでは「今日から香川では毎年恒例の断水が始まりました」と紹介され、夏の風物詩になっている。
- プールなんてもってのほか。
- こんな不便なところには暮らせない、ということで香川を去る人々が続出し、香川の過疎化がより深刻化する。
- 香川県の人口はとっくの昔に100万人を切っている。
- 四国一の田舎は香川になっている。
- 高松も現実以上に寂れる。
- 本四架橋は神戸~鳴門ルートが最初に開通、次いで尾道~今治ルートが開通し、瀬戸大橋は最後になった。
- 夏に香川へ旅行するのは控えるように勧告される。
- 1994年、2005年、2007年のような猛暑と渇水が特に酷かった年には犠牲者が出ていたかもしれない。
- 一方、吉野川の水が自由に使える徳島は大渇水の年でも水が有り余っている。
- 人工降雨の実験がより早い時期から香川県で実施されていた。
- 吉野川の水利権を巡って、香川県民が徳島県民を恨む事は無かった。
- ただし、香川県が徳島県に編入されてしまったら話は別。
- 香川の海岸沿いには海水淡水化プラントが多数建設されている。
- 通称「日本のアラブ」と呼ばれる様になる。
- 海水淡水化プラントに大量の税金を注ぎ込んだ為、サンポート高松は無し。
- ただし、人口が大幅に少ない場合は話は別である。(税金収入が少ないため・・・。)
- 水を大量に使用するうどん作りが条例で規制される。
- さぬきうどんブームは無かったかもしれない。
- 移住地でうどんを作り、大ブームに。
- 満濃池を上回る水道水用巨大ため池プロジェクトが始動している。
- 打倒兵庫を目指し、最多ため池県の地位を狙い始める(現在は兵庫・広島に次いで第三位)。
- その主導者は「平成の弘法大師」と呼ばれる。
- ミネラルウォーターの売り上げ1位は東京都でも大阪府でも無く、香川県になっている。
- 香川県沿岸は海水を真水にするための脱塩施設で埋め尽くされる。
- 瀬戸大橋に岡山からの送水パイプを建設。
- 香川県が徳島県に吸収されていた。
- 一方徳島は毎年吉野川が氾濫するので貧乏になっていた。